ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

日記(10/27〜11/8分)

(2021/11/12更新)


変容や危機に際して、「これ、こうしたらどうなっちゃうんだろう」に引き寄せられてしまうということが、人生でままある。イヤーワームのような執着性質によって、わたしは逃げずにそこに居ようとするだけでは、自動的にその思考に吸い寄せられてしまう。魔力とでも言おう、この踏み外してみたい欲の増長するタイミングは現状謎で、言ったら犯罪容疑者が自らの所業を回顧するのに使うワード「魔が差す」が、まさしくこの謎感覚の契機を言い表そうとするわたしにとっても、最も都合のいい表現になる。
逃げなければ踏み外さずに済まないという罠に、今絶賛はまっている自覚がある。



ツナマヨネーズ」の字面が生々しくてやや嫌悪。よく見たらツ'ナマ'ヨネーズとナマの字が挟まっていた。これが原因かな。マヨネーズもあんまりなんだよな。



ああそうだもう会えないんだと思い出して、寂しくなる。前もって買っておいて新調した授業用のキャンパスノートに、板書の1文字目を書き入れるときのような、継続中に割って入った刷新感をもって地続きする現実が捉え直される現象が、たまに脳内で起こる。ああそうか、と自然に我が事が微量の刺激を帯びている。あるいはリロード後に微調整されたそれのような。



小学校の、延期された運動会の音漏れ。今や近隣への配慮か、かつてほどダダ漏れではなく、きっとスピーカーの出力最大の爆音ではない。政治的正しさがあるが、一方で過去の私的な記憶と照らして、どこか物寂しくもある。BGMはがっつりポピュラー音楽が正規版でかかっているが、こういうときの著作権は大丈夫なんだっけか。
運動会の音漏れは嫌いではない。うるさいとは決して思わない。それは運動会に悪い思い出がないのを前提に、懐かしさと、健気さ、まだそこにあれがある、私の与り知らぬところでもまだ弁当持参で白く細かい砂利の上で訳もわからず人が運動する空間がある事実に、ごく私的な安心感を覚えることに由来する。
11時33分、「皆さん頑張りましたね、これから閉会式を始めます」と。午前終わりか!時代かな。




オープンレター問題で浮き彫りになったキャンセル・カルチャーの是非に関して、私は条件付きで容認派である。
どこかで実行(ここでいうキャンセル行為)が必要になるのは、限りある命の持ち主だ、切実で、それゆえ緊急の主張であるほど避けがたい。状況が変わらなければ、そこに分水嶺を設定しなければならない明確な根拠がなくても、感情の発露を理由にどこかで「起こる」のは、対岸からもあらかじめ想定されるので、この実行は思想の自由市場で許容される自由の範疇にあると考える。
違法アップロードされる漫画データ共有サイトはごまんとあるのに、その中で現状漫画村だけが摘発された事案であるのは、何か差別されるだけの十分な特殊性や絶対的な理由があるのかなぁ……、と考えるのに似た思考回路を辿る。

ここで必要なのはキャンセル後の復帰手続きの用意で、それはこのオープンレターから読み取れうる「罪を憎んで人を憎まない」態度にも合致するところである。キャンセル反対派との妥協点はここに見出し、仮にこの後渦中の氏の失職が確定したとしても、第三者が再雇用するくだりが待っているのに社会的正当性はある。たとえ不当な差別発言を法によって裁かれた前科があったとしても、特に言論空間では、理想のためにも他よりこれを辛抱強く受け入れる余裕が必要になる。

発言の場が奪われたり、また議論参加が不可能になったりしていなくも、マイノリティの発言障壁が高いのは問題である。この問題は、マジョリティの一員から発言権を奪い人数比を改めることで解決するわけでは決してないが、しかし推測するにマイノリティの発言障壁の存在は、マジョリティの発言権の大きさと無関係とも言えないはずである。したがって自由市場の構築には、発言権と(人気に比例する)声の大きさの相関を無くす努力がいる。その努力の一環で、今回特定の一人が不公平にも割りを食ったと言える。



マウスウォッシュを使っている人の約半数は糖尿病になる研究結果がある、とYouTubeの動画で見たが本当か?
それはマウスウォッシュが直接人間の健康に影響しているのか、それともマウスウォッシュを使いがちな層の行動原理などが糖尿病に陥りやすいそれなのか、つまりマウスウォッシュの使用は科学的根拠をもった糖尿病患者あるあるであるということなのか。知りたい。



大童澄瞳のツイートから想起
話している状態を維持するためだけに発する語は、政治家やスポークスマンでもあるまいし、別になくてもいいか。
淀みなく言葉が出ることと話が上手いことは、別個に考える。



近所の年金事務局の職員の電話対応が優れない。「分からない」や「できない」を直接口にする対応が憚られるからか、5〜6秒沈黙したり、(「'給付'から外れて長いので〜」など)急に界隈用語というのかプライベート話法を駆使し聞き取りを阻害したりして、とにかく迂回しまくる。彼女の基礎年金番号を照会するのに、昨日今日で2,3回電話先でお世話になったのだが、皆一様に、それぞれに別種の要領を得ない口ぶりを身につけていた。



社交不安が世間一般の金稼ぎに邪魔だから白眼視される。金稼ぎにとって社交不安が好影響を及ぼすなら、皆社交不安になりたがる。探せばいい、そのままでいられるもの。



日記は一次情報とみなされるらしい



「(複数人のうちの一人の、外見の特徴を指摘して)◯◯な方がとても素敵」って評して終わるコメントがキモい。
素敵①心を引き付けられるさま。すばらしいさま。②程度がはなはだしいさま。並はずれたさま。とある。
なぜ素敵なのかが明かされないことに落ち着かないのもあるが、一番の理由はその表現だ。個人を特定するのに(これは仕方ないのか)見た目の特徴を枕詞にして、後ろに漠然とした形容「素敵」とくるのに加え、更にそれに「とても」が付加され漠然が強調されるところ。「◯◯な方がとても素敵。」この文字列に私的に怖さを覚えた。意味が取れない歪さと、その裏に察せられる本性ーー時代のコードに気使って隠すんだけど、コードの中身を理解まではできていないから、とりあえず外面だけ取り繕って感情を出そうとした結果、下手に隠れて逆に目立ってしまった本音の生々しさに、ぞくっとした。消極的に隠してんのがぞわぞわするのかな。強引に適応しようとしてる感が薄ら怖い。多分不健康。



アトロク出演、著書『少女マンガのブサイク女子考』企画のトミヤマユキコ氏の声がめっちゃ好き。「〜なんだよ」の言い方、だよの投げかけ

アフター6ジャンクション 特集:「少女漫画『ブサイク女子』を通じて何を考えるべきか?」(ゲスト:トミヤマユキコ) #ラジオクラウド #TBSラジオ



これからの人生の方が長い、と聞いたときの「これからの人生」という言葉が、体の芯に響く心地がした。ありふれて擦られたワードだからこそ本心をそのまま示す意味も強められるから、自著のタイトルにしたいと思った。この内心の様相を例えるなら、音叉を鳴らしたときに、そのものの振動と音の拡散、反響を知覚し、共鳴して、あわわわわと不随意に脳みそが打たれる感覚。



Twitterはウハウハを反映しない。ウハウハしてる奴は、その高鳴りを大事な宝物のようにひた隠しにしてtweetしない。ウハウハな感情はTwitterに向かない。なぜならtweetしてもユーザー(大衆)の感情を逆撫でし炎上する恐れがある、つまり謙虚が美しい道徳観に照らして、ボケでも何でもないストレートな自慢話は醜いから、なるだけ外見に表れないように堪える。たまに我慢できずにウハをチラ見せすると、その喜びを密かに「匂わせ」る魂胆の卑しさと醜さにかこつけて、道徳観に背いたことを痛烈に論らわれる。戦場において最終的に生き残った側が正しさを証明するように、2021年現在は民主主義と薄利多売、否、無料サービスの提供の見返りに無許可で個人情報を抜き取る(など、データと呼ばれる新興の価値にスポットライトが当たるビジネスシーンで、その)メリットがどデカい資本主義の下にあって、人数が多い方が正しさを堂々と携行できるのは間違いない。

自民党単独過半数を突破して嬉しい、特に経済的繋がりのあるステークホルダーらは、それを決してtweetしないだろうと思ったことから想起。



やはりアメリカの後を追うように、一部選挙区の選挙結果やTwitterでの落胆する声(タイムラインを形成するフォローは私の裁量にのみ委ねられているからこれは恣意的)を聞くに、人々の意見がきっかり二分されつつあるようだ。ここからわかる一つの側面は、おそらく土地や気候や風土をある程度共有するご近所中ですら、利害が真っ向から対立して一致しない人々が増えているということ。
→どうすれば私と外国人排斥保守おじいさんと利害を一致させられるか
自民党支持は、何となくこのままでいい、日本を守れ、所属企業の労組の意向=見返り期待=ステークホルダー



あとなんとたった49年しかなかった
人生をやろう



特に断りなくSNSなどに昔の自分の写真を載せるとき、主はその写真を基本載せる時点では肯定的に捉えているはずで、その場合第三者に写真を見られて「この面恥ずかしくないんだ〜」って思われる(あくまで内心、口には出されない。口にしたらルッキズム!人の顔面にあれこれ言うんだから!)可能性を健康的に無視できているわけだが、歳をとれば一様に概ねこうなるのだろうか。
2021/11/03せきしろtweetを見て



ラランドサーヤについて、自然と女性ではなく女子と言っていた。正確には書いていた。彼女は成人だから私的には女性と書いても良い所だが、なぜか女子だった。
ここから、私には暗に女性に対して、女性と女子という認識の区別があり、使い分けているのがわかった。私的には、女性は一般名詞、対して女子にはとりわけ若いニュアンスを含んでいる。



私的異性の萌えポイント:たとえば女子が知識として「ACミラン」って単語をサラッと口にする所に萌えます。決してサッカーファンとかではなく、また相手に阿る文脈にもなく、あくまで知識として「ACミラン」と言える頭と懐、好き〜。



どうせ死ぬんなら、プライバシー意識を捨てて顔出しで金稼ご、という考え方。



2021/11/02昼、また約束を破る。一時に1000円超分を爆買い。一度破ったらもういいや、箍がカンタンに外れ、止まらない。自己嫌悪と自己憐憫、自信をなくし不安になる、ドラッグ常習者の気持ち。
→2021/11/04またしても購入。止まらない。



人間空間において、競争原理を使わない安定のあり方は?



仮に争った後の敗者への、過剰なまでの尊重と施しの義務を明記するまでが、次の憲法のあり方なのではないか、明確に敗者を指して。
仮想の競い合いの夢から覚めてしまった後の世界を想定すること。想定し、確実に回り込むこと。負けに対して、絶望と発狂の可能性を極力与えない準備があることを、あらかじめ競争する性格を否定できない人間に示しておく必要があるのではないか。



資本主義を突き詰めたら奴隷制度が復活してしまう。
…金持ちが貧民を従える、というより金が必要な貧民が積極的に金持ちに阿らなければならなくなる構図。仕組みに欠陥がある。のに、中央は仕組みの恩恵下にあるため改変できないジレンマが生じている。

過去、世界で奴隷制度はどのように解除解放された
日本の小作制度はどのように終わった?歴史調

戦争で何もかも焼けたらゼロに戻る



仮に金持ち立ち入り禁止の空間を拵えるとしたら、どう作る?



10/30、約束を破って第一製パン20%offの128円で5個入りのチョコ風味オールドファッションドーナツと森永エンゼルパイ8個入りを買って、食後に一気に食った。



怖いと恐ろしい
怖いは主観的表現で、恐ろしいは客観的。怖いは身の危険に怯える感情を主観的にいう。対して恐ろしいは恐怖や畏怖の念をいだくさまを客観的にいう。



風呂・料理・洗濯物処理時など、アトロク過去回をアーカイブから聞くのは日常になっている。
いつかの、漫画家・エッセイストのしまおまほ氏による企画「月刊しまおアワー」にて、選挙と投票率の話題が出た。そこでリスナーからのおたよりで投票に行かない理由が挙げられていた。「投票しない人がある程度いた方が、政治家に「もしやつらが動いたらヤバい」と思わせられて、彼らの強行な立ち回りを抑止する働きを期待できるから」というものだった。
なるほど合理的、聞いたことがない見方で新鮮だった。今日は2021/10/31で衆議院議員総選挙の投開票日ということもあり、数日前に聞いてからこれが頭から離れない。反芻しては、でもなあ……を幾回繰り返し、今はやはり投票するべきとの立場をとる。

理由はこうだ。確かに理屈は通っているが、しかし現実でその抑止は期待ほど働くのかが疑わしい。数年に一度の選挙で投票しない数がある程度一定*していれば、「前も平気だったから、これくらいなら今回も大丈夫じゃね?」と、選挙のたびに積まれる前例を踏まえる政治家らしい思考が働きやすくなるとは言えないか(*「ある程度一定」の幅や基準の塩梅は、彼ら、とりわけ上位の権力者の感覚に委ねられる)。
上記の可能性があるとしたら、切り札的役割としての無投票層自覚派の人達にとって、強行な政治とは具体的にいかなるもの・状況を指すのか、各々にその定義を聞きたい。強行のレベルによっては、選挙と行為の間にはどうしてもラグができることから、定義する強行を許してしまう可能性も考慮して、選挙に行くラインの設定にはある程度の余裕をみなければならないだろう。するとまだ無投票層自覚派にとって、現状はまだ余裕をもって許容される政治なんだと仮定できるが、果たして各々で設定する一線が然るべき有事にその抑止機能を発揮するのか/しているのかが、どうしても怖い。
個々の政治観に関わるからいかようにも答えられる質問だが、私的感覚では、「一線設定のアップデート大丈夫?まだ一線超えないのほんと?その切り札使う前におじゃんにならないかな?やっぱり行くのダルい言い訳してるだけなんじゃないの?」との邪推を許している。



ナナニーってオナニーじゃない?



「普遍であること」は目指すものか



take it soul soulと日々精進



例えば「飲まれる」などと続いて熟語を成す点から、欲望が醜いものに見えるのだろうか。現状、欲望に忠実である人よりも我慢する人の方が明らかに格好よく見える。欲望積極駆動主は、我慢主よりもっと格好良いということをあらゆる手段を使って(ただし欲望の積極的な駆動を通して)私めに示してほしい



欲望に忠実であるのを肯定すると、変化に耐えられないのでは?価値観の転倒に。




バイトリーダーも「負けない・屈しない」という言葉で説明可能なモチベーションで現状追認、自らを肯定するのではないかと
バイトリーダーの思想から発見できる、富の偏在の煽りを受けた人間にだけ味わえる美意識・高潔さの旨みを外野が取り上げてしまうのも、それ自体可哀想でもあり、現行の資本主義に彼らを巻き込むようで……と書いたところで、違うな。やはり言い返すことで既存のルールの変革を期待する方が建設的ではあるかな。夢に逃げるのも人生、また一興ではあるが、ルールを変えたいなら、現状のルールの上でルールを否定した方が早そうだ。金馬鹿と同じ穴の狢になるのを嫌っていても多分ルールは自分に追い風を吹かすことなく、人生が終わる。ルールを変えたいなら、奴らの採用する価値観を共有しなければならない。ゲームにおける強者に対して、同じ価値観のもと、ゲームのルールを批判しないといけない。



夢:好きな人に本を借りる話の流れになる。廊下で電話で誰かと話していた。今日借りるのは悪いんじゃと思った。教室後ろのロッカーにあった漫画の単行本を、なるべく傷つかないようにバッグに詰める。



夢:法要を岐阜で行うから来いと因習に言われ、できる限り柔らかい言葉を探して何とか断る態度を示したところ、急に泣いてその主張を否定された。
起きて、俄然断る気になった。唐突の泣きが、情に訴えうろたえさせて、その場を押し切らんとする意思に映ったから。



インターネット放送ABEMAのバラエティ番組「チャンスの時間」は、時折セクハラみを覚えることがあって、生理的な反応で目を背けてしまいたくなるときがある。
大島麻衣回は、企画それ自体は面白いのだが途中で見るのをやめてしまう。おそらくこれは、私に関係ないことだと感づいて冷めるのと、下ネタの話題に賢者タイム的に辟易する瞬間があるからと見立てている。



(一部敬称略)



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