ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

ここ3ヶ月半に思ったどうでもいいことの箇条書き

(2024/02/24更新)

 

 

ミッツマングローブインテリヤクザみを。攻撃的な知性にビビる精神的低さ、幼気さが年甲斐もなく恥ずかしい。ああ、年甲斐なんて都合が良いだけの空虚な言葉もまた恥ずかしい。

 

 

 

 


2023/12/31 0:19、風呂上がりのベッドの上で記す。

私の知っている他人なら、これを聞けばほぼ間違いなく生きろと結論し、そのために焚き付けさえするだろうが、私は今自殺することは、幸せな死なのではないかとも考える。これ以上の劣等感や貧窮に苦しむことなく、また自分を変える煩わしさを感じる必要もなく終われるからだ。死が一つの変化でもあるしな。

人生に関するために、以下に例えて言うことは、他人の耳にはとても醜悪に聞こえるだろうが、他意はなく素直に脳内を伝えるならばこうである。つまりこの自殺の考え方は、いわばトレードにおける利確であり、損切りである。私の利益のための、前向きな心に満ちた、積極的な選択として自殺をする。私の目に映る今世間で通用する正義の最右翼たる個人主義、これをうまく飲み込めなかったり、あるいは乗りこなせなかったりする人間の結末は、ときにこうなるだろう。

易きに流れやすいうえに器が小さくまだ決心がついていないが、真剣に考えれば考えるほど、自己都合で自殺を図る正しさが浮き上がってくるような気がする。

殺されるのは悪だが、自ら死ぬのは2023年末が最も尊ぶ自由の謳歌とはならないのだろうか。

死とは日常には伏せられるべき営みであり、また死ぬことは悪である、況んや自殺をや、といった常識は、実のところはどれほど正しく美しいのだろうか。合理的と言うだけじゃ冷めるよとても。

 

 

 

 


大島育宙m-1グランプリ2023直後のラジオ動画へのコメント下書き


概ね同意です。

前期m1の雰囲気との比較はまったく知らない知見なので興味深くて、詳しく語ってほしいところでした。

以下、取るに足らない私的な意見です。

今年はじめて決勝を通しでリアタイしました。見ながら、盛り上がりに欠ける印象をもって、なぜ面白くないんだって発想に結びつけてしまい、これが連鎖するとバブルが弾ける結末に繋がるのかなとかまさに思ってました。漫才って形式が古いのかなとか。

m1特有?だと思われる一連の担ぎ上げが、寒いというよりついていけない感覚なのは毎度のことで、m1を見たり聞いたりするためには必ず目を閉じないといけない風土なので、きまりが悪い心地だったんですが、お笑いに肯定的な姿勢から「これ笑いづらいのでは」って口に出されるだけでも励まされます。

手前の経験でいうと、霜降りのラジオは面白くて大好きなのですが、賞レースに直情的にいわゆるアツくなるくだりだけ全く乗れません。批判的な目線を持てるはずの芸人さんらがあれをずっと表で肯定し続けるのが、いくらプレーヤーって踏まえても不思議です。

 

 

 

 


m-1生放送中コメントの栗山英樹が、笑わそうと懸命な姿が野球を見てるようで感動する、と。感動中毒というか感動主義というか。いつでも感動したいし、感動はいつでも良いものなんだな。

 

 

 

 


なんで手放したんだろう。なんで手に余ったんだろう。

 

 

 

 


竹久夢二美人画が多分おしゃ。大正ロマンというらしい。

 

 

 

 


わかっていても、自分可愛さでみすみす積極的に見逃す選択に至る感じ、俺。そういう人生俺。

 

 

 

 


金魚番長のコメリンZおもろい

 

 

 

 


adoは金満音楽の音

ポップスとは総じてそういうものなんだろうが

 

 

 

 


数分エロ画像やサムネイルを流し見するだけで冷めてしまうときもある

 

 

 

 


なんでバラエティ番組のある特定の場面を切り抜く文字媒体が、あんなに忽ちつまらなくなるんだろう

 

 

 

 


2023/12/13記す。

長芋とささみのバターポン酢炒め、惣菜皿移しチン、キャベツの千切り、前日以前の残り。

 

 

 

 


サイレントマジョリティーのPVが1.8億再生を数えていてびっくり

 

 

 

 


夢:満足に足も腕も治った彼女「本当は入りたかったよ、でも押してくれる人いないし」

 

 

 

 


激レアさん2023/12/12現在の最新回

カズレーザーの「擬人化した名古屋城」って例え

若林の「やってることゆでたまごと同じ」、それにカズレーザーの「オリジナル超人の考え方」って被せ

 

 

 

 


2023/12/09、Kアリーナ卒コン配信。

アンコール沈黙した恋人よ。オタさんからしたら来ることはわかっていたそうだが、私には不意、初見の気持ちで見られた。こんなにいい曲とは知らなかった。一番は場面に適した良いメロディと、展開に対する歌の配置。その次に今回の卒コンへの心情と部分的に重なる康's work。

2番Aメロのキャプソロは印象的。4小節目から5小節目にいくときのブレス、その息遣い、バレエのフットワークで踊るのに伴った。

結局全員にやられたのだが、振り返ると一番は、初っ端の齊藤京子の歌詞飛びと表情。でかいパンチに一杯食わされた。狂った。もらい落涙不可避。何回も見て、これはわざと=プロの泣き芸とも思えてきて、それが好意的にさえ受け止められている。凄い実力だと。正直見方が改まるパフォーマンスになった。幻になりきっている。

あと最長?のJOYFUL LOVE中メッセージ交換。2期に向けた言葉がリアルだった。「勘違いされることも多いけど、誰に理解されなくても今のその素敵な関係性のままでいいから、自分だけでいいから。私は好きだから。応援してます。」的な(大意)。前段でこさかなが話した「2期生は悩みを他人に相談するなどが苦手で、自分で抱え込む子が多い」という発言を受けての発言だが、意味内容を恣意的に敷衍して、日向坂の組織的に明るく仲良しのチームカラーとは一見相容れない、それぞれに独立したキャラって理解するとアツい。

こういう言葉に実地の雰囲気を察して、しがみどころになる。齊藤京子への友達になってくれてありがとうとかも効く。対潮さん全員良かったわ人柄や。

 

 

 

 


MC中の横並びのメンバー達のリアクションが異様。喋ってる人を見ずに、瑞々しいリアクションをする。私の常識では喋ってる方を見るか、ぼーっと聞き流して無視するかの2択だった。また時に勝手にファンサもするなど、立ち居振る舞いから独立している見栄えがする。

 

 

 

 


スカパラはやはり苦手。とにかくラッパ群が明るすぎてならない。雑に言ってどの曲も大体同じに聞こえる。金管楽器って音の引き出しが少ない気がする、いや私の側が識別できない悪い耳をしているぽい。ただ、競合がいないから売れてるだけだとは思う。セルアウトをなめている。

 

 

 

 


カップ麺が入っている扉が開閉する音が、自室の扉越しに、ラジオを流すカナル式のイヤホン越しにも聞こえる。俺が作る料理が不満なことを直接訴える。できるだけ早くこの部屋から出なければならない不快感が、日々の快楽に次ぐ快楽とのコントラストで際立ってgloomy。

 

 

 

 


前と比べて目の周りや唇に強めに化粧を施した顔を見ると、以前の比較的薄い化粧の方が好みだったかもと頭を過ぎる性向を見つける。ベタに。

 

 

 

 


櫻坂の谷口愛季さんの顔が柿崎さんにどうしても似ていて残酷だと思う

 

 

 

 


2023/12/04記す。20231202のだましうちの一節が心に残る。粗品が作家のジュリーにいくつですかって聞いた流れで突然「死にたくならないですかその歳で」、「若者の邪魔してるなとか思わないっすか」と。

高齢者や目上ってカテゴリを目の敵にしてるわけでは全くないんだけど、なんか淡い絶望感というか何というか、綺麗な夕焼けを無理やり見させられてるような煮えきらん感じをみた。だとしたらそれは共有できるような。何はともあれ要は、突拍子もなく出た死って単語が刺さる。まるでナチュラルに漏れ出た口ぶりだった。一長一短の芸風だと改めて。いつかの馬鹿力を聞いたときに思った「これだから聞くのをやめられない」って気持ちを粗品にも持つ。

 

 

 

 


人の欲望を聞くと嫉妬する。あんなことしたい、そのためにこんなことしてる。健康的で羨ましい。

 

 

 

 


高学歴ほど我慢ができない、もしくは我慢の経験に乏しい説。ソースはTaiTan。

 

 

 

 


新参者講演について。

ひなあい好きなだけだから的外れかもだけど、このパフォーマンス見ながら2つ思った。

一つはとくにダブルアンコール、見方によっては完全に引導を渡しててひりついた。

もう一つは、やってることはシンプルに過去の1〜2期時代と全く同じのようで、4期と先輩はどう合流するべきなのか、他と差別化できる日向坂の新機軸とは何なのか、おひさまが納得する正解が気になった。

 


今回の全力パフォは新期生の一番のストロングを出した結果で当然なのだが、これを日向坂全体のチームカラーに据えてしまうと、まるで若い一瞬の輝きを摘み取るアイドル稼業の超濃縮版みたいで、持続可能性がないし、合流時に矛盾をはらむと思った。

 

 

 

 


音楽好きじゃなければ、自分にとってのリリシスト的ミュージシャンは、もう一人か1バンドで間に合ってる感覚になるから

 

 

 

 


結婚式したくない派を補強する意見として、なんであんな金と時間をかけて宴開いて泣き笑いした/させたやつが2〜3年で不倫して離婚できるのか、そして世の中一般にそれが「人間関係、しょーないよね」ってクールな認識で通っているのか、不思議だなぁという気持ちがありまして。

例えば、結婚式をBBQくらいのラフなイベントと捉えられるかどうかの違いがあるのかな。

 

 

 

 


頭脳芸人らしい不器用で、ゆえに聖いイメージの若林とはいえ、私にとっては最も俗っぽい、若く綺麗な人と付き合いたかったり、たくさんお金を稼ぎたかったりする欲望を持ってるらしいのは知ってる。それを察したときのハッとした記憶は忘れられない。

 

 

 

 


キリスト教的な原罪意識というか生きててすいません観はどうしようもないんかな。植え付けられていたとしても現状の満足感から抗い難い。だから上昇意欲もステータスも瀟洒も突き詰められない。

 

 

 

 


綺麗を汚したくなるのと同じように、綺麗な顔した人の首を鎌で斜めに切り落としたい欲が再燃する2023/12/01

 

 

 

 


子どもの頑張る姿を見て私も頑張ろうって言うときの頑張りって、日常系で、清涼剤系で、維持のためのもののよう。そんな長い目でみる小さな頑張りを積み上げるような地味な営みに魅力を感じないのは、毒々しい現代病の典型なのでしょうか。

 

 

 

 


寒い季節になるとアイドル見てるな去年今年。不安感とか心許なさとかから連想できる人恋しい欲みたいなものの存在のせい?

 

 

 

 


夢:外面的にはヒステリックに泣きながら叫ぶ。桝田アナがパートナーの浮気の許容を、まるで捧げている。いいですからって。

 

 

 

 


おすすめに流れてきた、バカほど戦略家を気取り憧れる旨の投稿と、それを引用した過去のワイドショー番組の引きこもり特集の画像が刺さる刺さる。右上テロップから同い年で、歴は実質俺のが長かった。日頃死にたくなるのも無理はない。手前にはジャンクフードの過食癖。

昨日Aマッソのヤングタウンで砂糖食いが自傷行為だって言及(もちろんお笑いの中で)してたの、身につまされたもんね。

だって本当に何もかも、リセマラ思考的潔癖から失敗が確定しているようで、何もかも終わりに思えてならず、立ち上がる気が起きないんだもん。甘い毒に塗れて。

たけしは詩集で、ポケットに入っている幸せで十分なやつは死ねと書いたらしい。なるほど時代の悪弊とか偏狭とか今俺やばいかもとか、そういう真っ当を思いつくより前に、だよなぁって、申し訳なく、しみじみした。どうしようもなく私はこういう人間だのがわかる。

 

 

 

 


「せーのっ、お願いします!」で始まるひなリハが生理的に苦手。ダンスのシンクロがついつい全体主義な従属感に直結しちゃう。

 

 

 

 


他人のもしもしは直接的にCMを惹起させるパワーがある。外で聞く他人の「もしもし」。

 

 

 

 


夢:オノ・ナツメ漫画家がやってきた。練習後、ベンチに座る彼女からお言葉を頂戴する。

 

 

 

 


みなみかわとスーパー3助の復讐ラジオ@YouTube。子どもの頃から共演していた19歳と結婚したハライチ岩井について、「気持ち悪い」と当人の感覚に素直に笑ったみなみかわ。それに対して「スッキリした」「違和感が晴れた」とのコメントが目立つ。

スッキリしたって感想とは何なんだろうな。本当にスッキリしたって感じてんのかな。そうだとしたら、まあ快楽主義の世界。自由。これで好感度が相対的に上がったり下がったりする政局怖い。笑いは快楽それはそうか、言語化しただけか。言葉にするとすごくグロい。

この結婚について、個人的にはキモいとは思わず、ただエゴが強いのだろうなという印象と結びついた。彼にとっては、自分の何たるかを確定しきっていない、かつ恋愛対象として認めてくれる19歳なら、対立も少なく、つまり結婚しても大して自分を変える必要のない快適が約束されていそうだしなと。またなにより性的嗜好が若年向きなのはそうかもしれないとして、それにも嫌悪はない。レイプみたいな犯罪じゃないし、離婚の自由も貧富の差も広がる超高齢化社会だし。もしかしたら最近アイドル番組を見ているから、自己保存のためにも嫌えないのかもしれない。

この岩井の結婚報への感慨は若林のそれと被った。2023/11/27記す。

 

 

 

 


幻聴は勝手

 

 

 

 


死んでくれと優しく言われて現代サービスみたく導線を整えてくれたら死ねる

戦争に駆られる人の心理状態ってこんなんもありそう

 

 

 

 


am i ready ミニライブの1期曲骨組みだらけの夏休みのBメロみーぱん割り「もう食べられない」の「べ」が少しレイドバックして燃えた

 

 

 

櫻坂3期と日向坂4期の曲なら後者に軍配。やりたいことがはっきり伝わる違いがある。強い真っ直ぐな感じ。振り可愛い。

 

 

 

 


ロレックス曲:日向坂1期曲『骨組みだらけの夏休み』といきものがかりの『@Miso Soup

 

 

 

 


サッカーのプレー動画のBGMはどれも必ず、チルアウト系のそれ。アウトレットでかかってるようなダサいのも。あれ何なんだろうな。

 

 

 

 


リゼム LISEM CHANNELという元サッカー選手のYouTubeしくじり先生を模して、というかパクって、プロキャリアの失敗を語る動画を見る。初めは一聴して体育会出身らしいのがわかる生徒役と講師役の、覚えのあるうるささ、野次のような会話方法、口ぶり、漢字を書けないところが嘲笑的笑いに繋がるコミュニケーションのありようなど、とにかくアレな空間に嫌気がさしたものの、内容に集中すると徐々に慣れた。講師役は教員免許を持ってるらしくそれは将来を案じる材料に。

動画の終わりの方、やって後悔したほうが良かった〜というしくじり語りの中で出た、

この(J3)キャリアにいられたことが幸せだったんやな」「Jに入るのって東大入るよりムズいらしいからな」という発言についてピンときたこと。

あくまで完全な素人目からだが、この手の発言は、とても正しくはあるが、しかし結局健康のための現状肯定だなと。東大に入るのより難易度が高いからといって、J3やその下JFLは、傍から見ればやっぱり雑魚い。内部にいることで慣れてしまう目やレトリックに、自分の感情や意思は正常に歪むのだと思った。それを変化や適応とも言うが、これは(個人差はあるだろうが、)メンタルの変化が当初の目的を変化させる教訓を教えてくれる。それだけ時間が大事なことがわかる。

 

 

 

 


そういえば三國と未来虹

 

 

 

 


サッカーのFIFAランキング、国力の下落に比例する説

 

 

 

 


中国の会社群のネーミング「◯◯集団」が好き

 

 

 

 


名前案:Brazil

 

 

 

 


2023/11/22記す。TokyoFM、miwaと影山優佳の対談番組「TOKYO SPEAKEASY」を聞く。

影氏、普段聞く芸人のトークと比べるのはナンセンスだが、とはいえ「放送に乗せられるレベルの砕けた話をせよ」という絶妙な塩梅を狙うバラエティタスクは苦手そうな印象を受ける。酒入ってんのかな、そんな面識ないのかな、とも思ったが、だとしても自然にできる方が親和性があるってことだから優先されたいでしょう。

感情の機微やその場の流れをうかがって上手く立ち回るより、パキッと白黒つけたそうな話し振りはなんか役者っぽいから、そっち頑張ってほしい。それか就職。広報仕事は延長上。あるいは一流サッカー選手とマリッジという答えも。ここまで書いて気づく、我ながら醜いファンだ。書き起こすとたちまち醜くなる。

トークがつまらないと、エセ関西弁が耳につく。関西出身じゃなかったよなとwikiって裏取りする。最近若い人から結構聞く、所々で語尾に「何々やった」とかを挟む、ライトな語り口を演出する意図を感じる猛虎弁の口語ver.みたいなエセ関西弁は、他の人にはどう聞こえているんだろう。

聞きながら、たまたまLINEニュースで突発性難聴で全ての仕事をストップと報じられ。これもたまたま最近目にした、卒業前後の影アンチのネット意見「耳悪いって何?」がよぎる。大変なのかな、と変な妄想が膨らむ。これで文句ないよな?と診断書をもっていく感覚は、我が身を重ねてひどく共感する。目的ありきで診断を受ける精神的不健康が心配だ。現代アイドルに欠かせない客へのアカウンタビリティ、辻褄合わせはだいぶ息苦しいと思う。卒業したからもう良きに計らえ〜は個人的な意見だが、かと言って商売のモデルは大きく変わらないから、すぐに既存客を無下にはできない葛藤があるらしいのを、齋藤飛鳥とかを見ていて感じていた。当の私も、すぐ結婚発表などがあったとしたら、くるものがあるだろうことは否めない。無事にテイクオフしてほしいと願う。←

色々と勘繰ってしまう。全てが妄想。アンチと同じくらい粘着質な、我ながら醜いファンだ。結局そんな熱い気持ちもないのに口だけうるさいのがいると分かるから、適度に無視すればいいと思うが難しいよなぁ……。

 

 

 

 


なんてことない普通のアイドルの動画に、攻撃的なエロいタイトルでタギングして切り抜くYouTubeチャンネルのセンスが嫌い。

YouTubeってエロサイトじゃないから、公然わいせつを食らう心地と、あえてそれをやる下卑た意図が不快だという真っ直ぐな理由。

 

 

 

 


無精子症の夫の父親から精子の提供を受け妊娠、と。唯一無二が最大のストロングで重要なのはわかるが、血ってそんなに大事なのだろうか。養子縁組の具体的な辛さに無知だから、あまり差を感じないのが正直なところ。

 

 

 

 


なぜ必ず「人の目を見て話した方が良い」のかわからない。目を見ないで話してほしい人の需要は、目を見て話してほしい人および目を見て話した方が(効果的に効用を得られるから)正しい局面と棲み分けられて保護されるべきなのではないか、と患者は思った。

 

 

 

 


2023/11/19記す。岸田文雄首相が創価学会の名誉なんちゃらのお偉いさんの弔問に行ったとの報。合わせて内閣の支持率は最低の21%と。もうヤケクソでやめる気なのかな。

 

 

 

 


多分あれが懐かしがるべき青春のメロディだった

 

 

 

 


青春を自覚して学生生活を送ることにどうしても違和感がある

 

 

 

 


死にたくなったら死ねば良いんじゃないかな

一応、笑いのためでも国のためでも子供のためでも良いことにはなっている現代。だから俺は気分で死にたくなったら死ぬ、みたいな感じでも良いんじゃね。

 

 

 

 


嘘単語:考えさせられる・引き込まれる

 

 

 

 


すごい、やばいの現代語「えぐい」も嫌い

 

 

 

 


顔貌は変えられないからやむなし、そのまま生きねばならない激しい現実

 

 

 

 


漫画『あくたの死に際』1巻を読む。

そもそも人間の情念とか内心とかに目を向けるのが、どうやら苦手で向かないのに気づく。なんか法律とか経済とか、そういう白黒ついた世界のが居心地が良いのかもな。

色々と時間を浪費して不幸になっている。死ねば終わり。

 

 

 

 


枕元に物を置くのが好き。どこか安心する。ビーズの青いクマとピンクのクマの人形が恋しい。

 

 

 

 


カラー版Death Note全12巻を読み終わる。死神と取引した人間の目の絵が好きだった。黄色に赤でひん剥く。

 

 

 

 


競争が人を悪くする説

悪い:エゴイスティックで暴力的なこと

 

 

 

 


ラッパーをミュージシャンとは言わない不思議。音楽カテゴリがHIPHOPのミュージシャンとは言うから、何かしら違いがあるのかもしれない。

 

 

 

 


アメリカのミュージシャンTeezo Touchdownのインタビュー動画の字幕

「(2016年に)銃で彼女を亡くしたんだ。僕はこの事件でメチャクチャになることもできた、手に負えない制御不能な状態に。もしくはこの無感覚さを利用することもできた。やってることの燃料にするというか……。無感覚さを利用していかれた服を着てみたり、新しいことをやってみる。僕は麻痺してたから外の……周りの声なんて気にしなかったんだ。関係なかった。〜」

「無感覚さ」という表現は、絶妙に好みの翻訳の粗さだ。上手さをみせたいならもっと馴染みやすい意訳に濾すに違いない。そこで失われる快感がある。「無感覚さ」なんて単語は日本の日常で聞いたことがないが、しかし言っている意味は前後の文脈からも明らかにわかる。この塩梅。この、翻訳ならではの歪な言葉遣いに、海外文学の頓狂な世界観に揺さぶられるときに似た、清冽な刺激のようなものを受けた。

 

 

 

 


やるべきことを何もやらない日が続く。本当に、いまだ上の空で実感がわかない自死を実行しなければならないのかと考える

 

 

 

 


140km/hを投げたいと言うサムネイルに、「じゃあ投げれば良いじゃん」と真剣に思う。傍から見たある人間の目標なんて、他人事ゆえ楽観的にだが苦労も想像した上ピュアに実現可能性を感じる、そんなもん。

 

 

 

 


大河の一滴になりたいと思ったが、それは手前の自由を持て余した裏返しだろう。

 

 

 

 


風呂から上がり部屋に戻ると、その閉鎖された空間に負の重みが働いている。人によっては磁場だ引力だというものだと思う。

 

 

 

 

 

夢:朗希に体操服を借りる。既に今の知名度の彼からという前提で、車内で私は嬉しがって説明する。福石と朗希の名前がクロスオーバーした晃朗希という名前が胸に書かれている。明るい。

 

 

 

 

 

※以下にアニメ進撃の巨人の感想。ネタバレ含む。

f:id:gaxx:20240120123555j:image

進撃アニメ版をABEMAで最終話まで。最後の船内での作戦会議の愚かさといったら。「やるしかない」の愚かさ。

戦闘シーンは迫力があり、漫画版にはない躍動する画の魅力を再認識。好きな作品だと思い込めていたら見ていられる。

最終2,3話のオープニングはダサくて聞いていられなかった。

ジークとアルミンの道での会話から、結局人生に意味はないにはないし、あるにはあるといった感じ。反出生主義や虚無主義との相克は避けられないが、それでも生きるとすれば、勝手都合のひとりよがりで生きるという理屈でしか説明がつかない。何か目的意識を持ったとしても、それは残念ながらほとんどにとって瑣末なことにすぎず、人生において人は勝手にやることから逃れられない。

 

 

 

 


ロッテファンにとってロッテの応援は金取れる。集団行動は特にビジュアルが苦手(集合体恐怖と軍国主義の名残が匂って)なのだが、ことクラウドに応援されることに関しては別で逆に涙腺が緩む。

 

 

 

 


クレイジージャーニーで直近イスラエルハマス戦闘がテーマの回。かねてから取材を続けていたTBS社員の須賀川さんが現地から伝える。イスラム過激派の女性や子供が住むキャンプで、インタビューを試みるも会話が成り立たず敵対されるさまを映すVTRも。

この手の、バラエティで教育的価値を広げるなどするやり方に、正直効果あんのかなとか考えがよぎる。

 

 

 

 

 

 

頭だけのトラックが怖いって千鳥大悟。めっちゃわかる。前傾な感じが迫ってくるように見えるとも。

 

 

 

 


お虫(丁寧語)

 

 

 

 


「〜さえすれば良い」世界にすがりたい時点でアレなのかな。頑張りさえすれば良い、前向きにさえいればいい、働き口さえ見つかれば、などと考えていた。〜さえすれば良いクリエイティブはあるの。

 

 

 

 


見え方って気にしないといけないんですか

ビジュアルが先行するメディアでハスリンする職業柄から、見え方を意識する言説に溢れる傾向はあるよな。だからその分、見え方を気にないドキュメンタリーが美しい感性も成立していると考えれば辻褄が合う。

 

 

 

 


「限りある時間もったいないじゃないですか」

前提にある主体的な行為やそれが好きな経験が皆無だから頷けない

 

 

 

 


俺も下がってるときこそ快が増幅する生産行為をしたい。Frantz K EndoはDAWがそうって。from脳盗20230807

 

 

 

 


脳盗奇奇怪怪や私の聴くラジオ一般の何が面白いと感じるのだろう。

話されている内容や紹介されるコンテンツを実際に確認しなくても、その話がドライブしている、暗い中に光を見出すさま、クリエイティブの希望、加えて自身のクリエイティブへのないものねだりの内心、それだけで楽しく聞き続けられている。

ネットで検索してサムネイルとか記事のHPとかXのアカウントとか見つけてブックマークしておくだけで、中身は見ずとも満足できる。一応そこに話のソースというか証拠を確認しておk。

→案:オレが面白いと思うラジオトークのための架空ソース作り

 

 

 

 

 

 

2023/11/05記す。大童澄瞳のXポストが最近濁った感。弱い自分語り、脳のおならアカウントになってきつつあるようなのが勝手に期待外れで残念。そういう周期なのかな、とフォロー継続の判断。

 

 

 

 


フランツKエンドウ出演回脳盗20230730。シーブリーズもってく共感。氏を初めて知った。XとかYouTubeアカウントの動画サムネをざっと見、なんか親近感湧く予感。とんだ才能人とのempathyに思い上がるこれあるある。

 

 

 

 


関東の若い人が、会話中自然に語尾が関西弁を使うことがある不思議。「〜やん、やな」とか他は普通に関東弁なのに。関西出身芸人文化、もしくはネットスラングの猛虎弁が広がってる仮説。

 

 

 

 


絶望感を感じてまぶたが重い。はてなブログAnonymous diaryの高学歴低収入がつらいよ文をよんで。

 

 

 

 

 

 

奇奇怪怪45巻前編、佐藤可士和の展示会。

なんで一人に資本が集まるのだろう。、

頼む側:安定安心、時短、ブランド

本人:私有財産制、資本主義に則る、資本が集まるからこそまだ世に出てない人にはできない攻撃的でたくさん資本投下もできて、好循環を生みうる

見る側:安心安定、時短、ブランド、推し文化

 

 

 

 


マザーズ指数が始まりから20年で3割下落していたなんて知らなかった

 

 

 

 


楽しい時間に比例して時間がすぐ過ぎる、つまり人はいかに早く死ぬか考えるby玉置シューケー奇奇怪怪44巻前編

 

 

 

 


奇奇怪怪42巻後編のノスタルジー論。タイタンのいう藤岡拓太郎に感じるノスタルジー評、つまり過去のある時点での可能性を感じるとの言でBUMPのRIPを想起。

 

 

 

 


奇奇怪怪42巻後編。TaiTanがシミュラークルという用語を発して聞き覚えがあり検索。

このボードリヤールの用語を説明するfc2ブログのページで理解する。ポストモダンという時代の物語消費の様相を、この概念を使って説明した。

ディズニーランドのシンデレラ城という元ネタ=ノイシュヴァンシュタイン城を模倣した偽物に、人々が親しむうちに、ディズニーランドのお城という本物になり、今度はディズニーランドの城が現実の街のお手本として模倣され、現実の街が模像化する。この現象をシミュラークルと言ったぽい。

 


同時にポストモダンについても書かれていたので読む。

ポストモダンはこれまでの権威や絶対的価値が揺らいで、物事が記号化し並列するようになると、モノの価値は物語によって高まり、人々にウケるようになった、と。

ポストモダンにおいてはすべての物事が記号として扱われデータになる。記号になるとは、つねに相対的に見られ他のものと並列化されるということである。それは、「絶対に記号にならないもの」(神聖なもの、測れないもの)が、私たちの世界から消えてしまったからである。軸になる価値がないから、全ては横並びになる。」とあった。

上記の「『絶対に記号にならないもの』(神聖なもの、測れないもの)が消えてしまった」に目がいく。絶対とか消えてしまったとか言い切られると天邪鬼な神経が働く。

今絶対に記号にならないもの・神聖で測れないもの、例えばなんでもいい何だろう……、人権、高給取り。

たとえばメンタリストDaigoがホームレスは死ねばいいとか、元フジテレビアナの長谷川なんとかの透析患者はいなくなれとか、やまゆり園の障害者大量殺人事件は、どれも人権の記号化でぶっ叩かれたと説明できる。人権を記号化する圧力は、今生活する自由主義個人主義の世界の延長線上にたしかにある。

高給取りの記号化。やりがい、創造。でもひもじいと虫ケラ扱いされ、不自由を感じ、辛い思いをする可能性があるので、みんなひとまず大は小を兼ねる意識で金稼ぎに奔走する現在。金は貯蓄機能もあるからと。2023年はまだ高給取りは絶対性を堅持している感覚。

 

 

 

 


金のために起業する感じが生理的に好かない。具体的に以下とても差別的な偏見まみれの私見を言うが、野球バカが引退後に社会人化した時に思う、野球バカのまま嬉々としてサラリーマンになっているさまというのがどうも好かない。仲間の、同じく野球バカ同士で徒党を組んで会社を作って金を稼ぐさまが卑しく見える。

なぜか。

野球バカのくせにと思っている。その図太さと挟い視野ゆえの人生ゲーム強者に対する嫉妬がある。

あと金を稼ぐのが目的化しているらしいのがさもしい。やってることがごく個人主義的、縄張り堅守的な感じに見えて、これで生きれてしまうのかと落胆と羨望と虚無感に嘆息する。

金を稼ぐのはいいが、その使途を一部明かしてくれると印象が全然変わる。パブリックを意識する態度がわかれば、感情的に歩み寄れると思う。とはいえその譲歩にも限界があるのだろうが。

 

 

 

 


奇奇怪怪41巻後編。朝井リョウ『スター』を引いて、バズりにまつわる心理の話の流れに。「文化を守りたい、なぜなら文化は心を豊かにするから」と聞く時のきな臭さ、薄ら寒さにキレるTaiTan。曰く「システムも何も知らないで馬鹿の一つ覚えみたくそう言う人に辟易している」と(大意)。

一理あるが、そのシステムの構成員(の多数)は、その馬鹿も含めて成るとも。広告で操作したい、つまりバズることを構成するのは、何より所謂大衆でしょうと。つまりその馬鹿の一つ覚えでも大きな声になれば、立派な正解=バズになる。

もちろん彼の言うのは、旗振り役を標榜するのに対して、その旗の振り方はないだろって言い分だろうが。

あと煎じ詰めれば目的意識の原初、志の立脚点って、そういうただの個人的な気持ちに行き着くよな。

だから一概に否定できない。実践側、実現可能性とかプラグマティックな意識から言うんだと思う。

 

 

 

 


奇奇怪怪は賢者タイムにお誂え向き

 

 

 

 


2023/10/31記す。podcastの奇奇怪怪。玉置シューケーが数年前に書いていたメモを紹介し、明言はしていなかったものの浅薄だという文脈で恥ずかしがっていた。インクジェットの広告が企業広告としてサムいみたいな内容だったが、一聴して何が恥ずかしいのか分からなかった。私もこういった感じで同じようなことをしているので、黒歴史更新してるのかなと不意に矢印の先端がこっちを向いた。直近の過去なんて大抵恥ずかしいか何言ってんので、一部で今にも使えそうなものって具合だろう。それにしても、そこの批評意識の差というか過去を振り返る大人なメタ認知というか、そういう意識の有無が、素人と人文で金を稼ぐプロの違いなのだろう。寝起きで意識朦朧だったのでもう一回精聴してみる。

 

 

 

 


2023/10/31朝、損失繰越額がばれる

 

 

 

 


夢:子どものように感情を隠さずに泣くのに、大丈夫と逆に彼女が。

 

 

 

 


わだかまりが余暇の質を落とす。あわあわして視界の解像度が落ち、間接視野が衰え、思考が鈍り、通常楽しめたものが何も感じなくなる?

 

 

 

 


新ネタを作り続ける太田光って凄すぎません?といつサムネイルの太田上田。冷める。芸事の凄いを素人が話し出すことにさめるような。それと凄すぎという表現。すぎって言うな付けんな。

 

 

 

 


突入。ここに来て希死念慮がもたげるようになる。ひとえにしんで仕舞えばすべてチャラだと思ってるから。先々の不安からも今のあらゆる苦痛からも全て解放されると願えるから。唯一彼女に悪く思う良心から抗っている。

 

 

 

 


アッパレ土曜日10月第3週放送分にて、「センスが良い」とは、周りに流されず自分の世界をもつ態度だ(大意)、と加藤浩次。周りに流されてもさすがにセンスが良い対象は絶対的に存在するだろうから、これはバラエティ、断定がすぎる、厳密には間違ってると思った。が、私の経験のルーツを思い返すとそれは構成要素にはなるなと合点する。

つまり、全国上映されたスパイダーバースシリーズが「センスが良い」と思ったのは、第一次の私の純粋な映像体験だけでなく、その後聞いた評論家の声にもよるだろう。高橋ヨシキ宇多丸、彼らの肩書きと時間的説得力(≒推測上のフォロワー数)と語彙によってお墨付きを得た安堵感は、原初の感想を補強した。

これは周りに流されづらいとされる評論家・知識人が良いと認めるから、私が「センスが良い」と思う、という思考を辿る。肩書きと時間的説得力と語彙を宿した評論家・知識人は、周りに流されず自分の世界を持っている前提を踏まえるので、凡人の私の思う「センスが良い」は間接的にそういう態度をフォローしている。

とはいえ結構難しい、この「センスが良い」と、このときの「センス」の定義。再考の余地大あり。

 

 

 

 


2023/10/30記す。5年ほど前から好きな霜降り明星せいやは、思うに維新の会推しそう。直近のオリラジ中田やキングオブコント2023の浜田について話すラジオでの口ぶりをきっかけに、過去を思い返して閃く。もちろんとんだハズレかもしれない。

好きな芸人が自分と考えが違いそうだとわかったときの葛藤やわだかまりは初めての体験だが、これは絶対避けては通れない。現状葛藤したまま両立し得るので、分けて考えるべきと納得する。いつかそうはならない日が来るかもしれないが、それはそのとき。この暫定スタンスこそが私の平和であり、心地良い。私は私でムードに流されないようにしたい。

 

 

 

 


申し訳ないから頑張るのには必ず限界がある。機能するのは初動だけで、軌道に乗ったらその先は全て余剰だから、申し訳ない気持ちはないので頑張れない。

2023ドラフト指名漏れした猪原隆雅氏のツイート(ポスト:2023/10/26 22:43)中の言葉から想起。

 

 

 

 


思春期のコンプレックスの前提にあった価値観や基準みたいなものを、今でも引きずっている部分があるのを見つけた。例えば声。思春期に声変わりで低音域に移るのが恥ずかしかった時期は、声変わり中と声変わり直後にとりわけ声変わり前の高い音程を欲したものだが、その感覚が今もどこかで息づいている節がある。発声中、そんなに低くなさすぎないでしょ、みたいなが意識がよぎる時があるのだ。低い声になったあの頃の心理的なストレスに直接抗う謎の行動をとっていた。あの頃の恥ずかしい記憶、恥ずかしさを、今の状況とかにまったく無視して、まるでCtrl+Cでコピーしたものをプレーンな文書としてだけペーストするように、そのまま移殖してきて抵抗しているバカさがある。

 

 

 

 


「本質」「価値」「人生」ってよく言う人軽い

 

 

 

 


スポーツ選手を取り上げる記事の末文ってなんであんなすべっているのだろう

 

 

 

 


「コーヒーにミルクを入れると茶色くなるように、一度思い込んだら元に戻らない、記憶の不確かさ」by奇奇怪怪明解事典第15巻のTaiTan

 

 

 

 


山本文緒無人島の二人』を一章まで。病気ものにはどうしても涙腺が弱いのだが、実際は進んで借りている。虚しい自分自身と人生に向き合わない日々をさすっている。自虐するしか芸がない。

 

 

 

 


スポーツは人生における序盤にピークを持ってこないといけないから、選択に迫られる。その段階で二者択一を迫られる機会が続くからバカになる。単純になる。

 

 

 

 


私みたいなもんが表参道を歩けない、俺みたいなもんがレストランなぞ入れない、みたいな話はよく聞くが、私の場合そこにさらに、その選択肢すら入らないような人生にするべきという負の思い込みが全ての行動を規定している感覚がある。行かないのではなく、行けなくするプログラムが働く感覚がある。この抑圧に安住する心理はなんだろう、自分でも良し悪しがわからない。

 

 

 

 


粗品YouTubeチャンネルで誹謗中傷フリップネタが30分にわたる動画で上がっていた。King & Princeを揶揄したら届いたDMの数々を晒してつっこむというもの。よく回っていて、一昨日アップロードされ74万回の再生、5000件くらいのコメントがついていた。コメントは大方粗品擁護と誹謗中傷よくないよね気をつけます。直情的だった。流行り、最新とは直情のことなんだと思う。客観視して気をつけますとか書いている人がいたけどそんなん無理じゃん、実効性もないし、そのコメント行為が直情的なんだから。

 

 

 

 


映画のワンシーンの切り抜き動画でその映画を見たくなる。映画の魅力的なことがわかる。アンタッチャブル

 

 

 

 


死ねる自信というのも、時と場合によっては有意義なこともあるのかな。いざとなればイケるぞという安心材料の意味。倫理にもとるのだろうか。

 

 

 

 


若林が「おもろい」って言った2023/10/14放送分

 

 

 

 


世界は複雑であるから、複雑なまま理解するのが正しいとして、答えを出さないことに安住していた。スモッグを放置してジエンドする習慣を身につけた。するとどうか、積極的な言動を慎む善良な市民が出来上がった。

 

 

 

 


胸毛が濃くなっていた。心当たりはある。男性ホルモンを刺激する習慣が関係している?

 

 

 

 


夢:1年後の今、書類のコピー4部から当時の事件の未解決なのが明らかになった。彼は感情的になり、およそ仕事場に不釣り合いな裸の言葉を後輩の女性からぶつけられ、やけくそになったようだった。

 

 

 

 


大事な考え方

――年間82万部、累計販売1000万部という部数もさることながら、前年比30%増という数字も驚くべきことと思います。


糸井: まだ市場の規模がちっちゃいからですよ。ちっちゃい数字だから伸びが見えるだけで、はじめから500万部売れているものだったら、30%は伸びていないと思います。

 

 

 

 


大迫傑が大雨の中トラックに残り、後からゴールした大学の後輩にタオルを掛けた、とLINEニュース。よくできた人間だと賞賛の声が上がっているそう。

こういう些細な利他的行動には心温まり、また憧れる。行動に打算があったとして、それに敏感な人は翻って嫌うかもしれない。ただ私はそれが打算であっても、マネーロンダリングで賄われた避難所で温かい豚汁を飲むときと同じように、直接快楽に繋がるので、その優しさ自体は無邪気に有り難がれる。基本的にはそこに訝しむ視線は送れないたちだ。

 

 

 

 


2023/10/15 16:41記す。雨上がりの夕方、雨戸を開けると、庭の真下の金木犀の香り。こういう時、花は良いと思う。

 

 

 

 


タイトル案:好奇心のない人間の生き方の一

 

 

 

 


野球人って聞くと何で気持ちが悪いんだろう。固執している感じとか、現役中成功を収め引退した主におじさん世代が軽口で「感謝」だの「恩返し」だの言うのと合わせて使っている印象とか、野球しかやることがなさそうな人が自己暗示をかけるように口にしている風に映ることとかが挙げられる。あと、多分この気持ち悪さを彼らは理解できないから突っぱねるだろうと妄想できてしまうのも嫌だ。すべて印象で気持ちが悪い。

フェンシング人とかサッカー人とかは聞かない。調べたらサッカーは、一部で「サッカー人」や「サッカーファミリー」と言われていた。同じように気持ちが悪い。徒党を組んで参加を煽る感じは私の美意識にそぐわない。あとは個人的な矛盾を孕んだ、SNS社会の悪弊という文脈でもよく指摘される、嫉妬心や愛情もあるかもしれない。私は気持ちが弱くてそれが愚かだと思うコンプレックスを持っているので、いざ野球人やサッカーファミリーの内側に入ったら、大勢のうちの一人であるその安心感にとろけそうで、その想像がのちに破滅を招く悪魔にみえるから。

 

 

 

 


競争する前に自死を選ぶ人が増えると、競争が成り立たなくなるので、弱者側へのルール上の配慮が生まれる機運が高まる。理屈の上では。高齢者対若者のような世代間、若者内のような世代内の競争。何かしら希望があれば生きるモチベーションになるのだろうが、いかんせん当事者は視野が狭くなりやすい。

 

 

 

 


過去を罰せられているジャニーズ。

良い欲望とは存在するのか。程度の問題か。例えば金銭欲。あまりに広がるのは支配に繋がるので嫌われるが、そもそもその線路に乗るのが間違っているのだろうか。現代における最善のルールがこれだから犯罪ではないのだが。

 

 

 

 


2023/10/12記す。衛藤美彩と源田夫妻の第二子妊娠報をLINEニューストップで。そのインスタ写真に、不思議なことに煽られ気分。大きいお腹に手を当てる源田と当てられる衛藤さんが互いに柔和な笑顔で見つめ合う写真。この感情はなぜかを思うと、まず一つ思い浮かぶのが私の妊婦像への性的嗜好に源田というトッププロ野球選手が絡んでいる絵が、まさに高みから幸福を煽られているように略

ところで、こういう写真は誰が何のモチベーションから撮っているのか気になる。そこに自意識も何もないんだろうし、その健全さに感情のぶつけどころがなく虚無に嵌まるなどの色々遠回りする感情があるわけでもなく、冷静に全く気にならないはずなのだが、性的嗜好に刺さるばかりに直感的な燃える感情を内に確認したので取り急ぎ書き残す。子が欲しいわけでもないのに、いや本当は嘘ついてるのか、わからない、これまでの大は小を兼ねる思考が作動しただけか(つまりこれが一般的に皆が目指すはずの幸せのあり方だから志すべきなんだと自動的に考えていたこと)。わからない。わからない。

決してベタなお気持ち表明SNSユーザーにはなりたくない。素直な衣を着た、自己愛の育み方を損ねた直情的で攻撃的なツイートを躊躇わない日本人には。SNSサービスの奴隷には。

 

 

 

 

 

 

【悲報】日向坂さん、選抜制度で一気に崩壊か

動画を自動生成するアカウントぽかった。気をつけよう。以下この動画内容の感想。

こんなに振り切った現実主義は、ひなあい好きなだけのライト層には逆にメルヘンチックな響きがする。

ヲタさんというか、積極的にお金を払う方々が幸福に感じられる(=求める)日向坂像みたいなものは、そもそもここで言われる曲の序列やミーグリ人気の競争などを前提にしているのか、みたいな根本的な疑問がある。

冷めているいちライト層にとっては、音楽に思い入れがあんまりないし、御多分にもれず箱推しに該当するので、たとえば新曲センターの価値っていうものがあんまりわからない。誰が前だろうが後ろだろうが特に、いやほとんど気にならない。

動画内のリアリズムっぽい言葉の数々が、ことごとく上すべりして困惑した。だからお金払うおひさまはどういう嗜好で、現状なにに魅力を感じてお金を落としているのか興味ある。やっぱ人気投票は康作品の醍醐味でアツいか。

 

 

 

 


PCルームの匂いは特有。電子機器の匂い。あれ以外に例えようがない。

 

 

 

 


夢:テストの点が良かった。地学と理科総合88とか国語92とか。

 

 

 

 

夢:群生し大きく育った植物が入り口の繁茂の中心を担い暗部を構成していた。今までにない時間を費やした大規模なチェックをしていると、意図して繁殖力兼フィジカルが強い植物が定期的に植えられていた可能性が出てきた。現に未成熟なその植物は何百万株も確認できた。流石にそれほどの量が自然に繁殖したとは考えづらいので、直近に植えられたのがわかる。

また入り口手前にはロシア産の植物が見つかった。研究資料のために根ごと綺麗に抜かれたのが、ブルーシートに乗って目の前を運ばれていく。

 

 

 

 


夢:学校近くの銭湯、主犯の男と連れの女と共に女湯に入る。男はさらにナンパして大学生の男2人を連れてきた。授業終わりなのか、だんだん盛況になる。女性2人が衣服のまま浴場に来ている。終わったと思う。

 

 

 

 


違う人を見たとき、なぜ粗探しをする目に切り替わるのか。正しいかどうか、正欲に駆られている。

不快だから。その不快は受け入れるに相応しいかを判断するから。

 

 

 

 


東野と有吉の面白さが被る。知識欲があるピン。毒気。みんなが気づく直前に端的に言語化する腕前。

 

 

 

 


4期ドキュメンタリーを#12まで観る。時期尚早。満足いっている環境の若い面子だと、ドキュメンタリーじゃなくなる(他の番組と同様に計算する頭が働く)し、満足している若い立場だから特に他の番組と差別化される発言も聞けない。かと言って何か新しい面白さがあるかといえば無い。ただのメンバー紹介番組に見える。厳密には微細な新ネタがあるのかもしれないけど、私はそこまで……。ファンコンテンツというわけか。

何を言うべきで何を慎むべきかを判断できないのは、芸歴も浅く年齢もとても若いので仕方がなく、シンプルに企画自体がそぐわない。

 

 

 

 


まだ意に反して人を見た目で判断している。いけている服装の女性に恐怖があり、逆に見覚えのある見た目には和らぐ。常識の範囲のカテゴライズや印象の受け方だろうが気に食わない。根拠に乏しい差別の視線だから。絶対に体に触れないという約束のもと、話し相手を作りたい。認知の歪みが多少は直るのを期待したい。

 

 

 

 


自分を大切にするには、自分のあらゆる好き嫌いや性格、ある場面における行動や心理の傾向を言語化できていないといけない。自分を大切にすることは、人生を積極的に過ごすことに繋がる。

 

 

 

 


2023/10/02記す。ポテトサラダを胡瓜とハム、玉ねぎで作る。あとcookdo回鍋肉を、ピーマン、ししとう、オクラ、キャベツ、豚肉を具材に。そしてミニトマトを洗った。

 

 

 

 


久しぶりにオレンジ色の豆電灯を点けて寝た。特に起きた時、懐かしさからくる落ち着きを覚える。2023/10/02記す。

 

 

 

 


深夜4時過ぎに目覚め我に返る。もう戻れないかもしれない。漠然と線路からは大きく外れており、人生は終わってしまったのかもしれない。

 

 

 

 


夢:ぱるとなんの気なしの喧嘩。パーティに残った2人。日も暮れた自宅庭で、残ったパーティの食べ物を調理して食べる。私は餃子を、ぱるはスモーク肉を鉄板で焼いている。小麦に罪悪感がわくも、その魅惑的なルックスにやはり敵わなかった。一通り食べ終わり片付けに移る。まず水を鉄板に張る。ホースからそのままでもよかったが、私はまず風呂桶に水を溜めて、それを鉄板の上でちょうどよく傾けた。結局1回目は桶をひっくり返してももう少し水が足りなかった。2回目の水を汲む。多めに汲んでいた。私は鉄板の上で少し傾けちょうどよく水を張り、まだ3/4は桶に残った状態で今度はパルの鉄板の方へ向かった。なんの気なしに気持ちがいいと思って、少し打点を高くして桶をひっくり返した。水は勢いよく鉄板にバウンドして、シュォォォと音を立てながら平静を保とうとしたが、それでも飛沫は塊単位で周囲の食器や座席に降り注いで濡らした。鉄板は溢れることなく水を受け止めた。

空になった桶を風呂場に返して残り物なり食器なりを片そうとしたとき、ぱるが桶に水を汲んで私の鉄板の上でひっくり返した。水が溢れて、事前に作った排水路に我先にと勢いよく走っていった。排水路を駆ける流動体は見ていて気持ちがよかった。座席や食器が濡れていた。ズボンの裾には肉食動物に噛みちぎられたような、シャツには返り血の斑点模様の痕が残った。

私はさっきの桶で今度は私の座席あたりから向こうの鉄板へ水を投げ入れた。水面は弾け、流動体は走り、私から鉄板への幼稚な道ができた。ぱるがうちの鉄板に来るのがわかったので風呂場に戻ると、私の後ろで大きな音がした。ぱるの桶が粉々に割れていた。私は裸足で、浴槽の縁に立っている。何してんの、掃除機かけて、と脳内の声がこだましたかのように聞こえた。ぱるの風呂桶は光沢のある銀色で、粉々に割れる素材だったことをここで初めて知った。縁に足の裏がめり込んだが、しかしまきびしを食らい、体内に銀色が駆け回るのを想像したら痛みは緩和した。おきる

 

 

 

 


なぜあなたは悔いを残したくないと思えるのか。諦め続ければ、つまり世界に揺蕩い続ければ、悔いは生まれないではないか。直近で読んだ小説、朝井リョウ『正欲』の大也のような心境だ。

 迫り来る苦痛から逃げたいからだ。私が昨日スクワットをしたのは、来る身体的苦痛、そこから確実に生じる精神的苦痛を積極的に拒むためだ。なぜスクワットをしない自由と快楽を捨てるのか。それはひとえに、体の不調からくる苦痛を我が事として予想、想像できたからだ。その想像上の苦痛が怖くて嫌だったから、逃げきれないのもわかっていながら、できる限り逃げているだけだ。自己満足にすぎない。これは、悔いを残したくないのではなく、ただ今の恐怖心と嫌悪感から突き動かされているという方が正しい。悔いを残したくないと言う人の、人間的な高次の思考はそこにはない。高次の思考をする時間帯に流れる余裕は、余裕に揺蕩っている。

逃げるモチベーション、焦りは苦痛でもある。なぜ一部の人間は、悔いを残したくない時間帯で積極的に苦痛を迎え入れるのか。恐怖や嫌悪を生じてから突き動かされるのと、その前の悔いを残したくない段階で種々の苦痛を引き受けるのと、どちらの方が幸せなのだろうか。

加えてたとえば、いわゆる太く短く死んだ方が、幸福を濃度に見立てて最大化できるという見方はできないか。

 


なぜ死にたくないのか?

 いつまでも欲を満たしたいから。数ある欲求を満たすのに体が追いつかないと、欲求を諦めないといけないから。

ではなぜ欲求しないといけないのか?欲求がなければ諦める必要もない。欲求しないことは幸せではないのか。

 欲求の多寡で幸せか否かが決まるわけではない。しかし欲求しなければ、生まれた意味がない。

 


欲求以外で、あるとしたら何が身体を動かしている?

欲求した結果の種類や数に応じて、欲求を分類する必要がある。三大欲求は結果まで最短で成果は生きながらえる/明日の金を生む。一方で難民支援は、理不尽を被った人間を救い、死を回避し生命を与えることで可能性を守り、治安を良くするため

 

 

 

 


クレプトマニアの回復支援プログラム

条件反射制御法

 

 

 

 


案:文章を読んでいる時にたまに再生される声を声優に。目線に対応していて、再生は目線によって制御されるから、今読書中流れた頭の中の音声のように滑らか。

 

 

 

 


YouTube動画「すぐにわかる学術書の読み方 ~大量の本にどう向き合うか〜」(チャンネル名:国立大学共同利用・共同研究拠点協議会)

世の中に溢れかえる本から効率的に情報にアクセスする読み方6選を紹介。

学術分野においても、いかに時間を節約するかという世俗的で現実的な考えが通用していた。実際に挙げられたのは平凡なテクニックだった。魔法を夢見る前に、まずはやっていくものなんだなと。

◯リーディングリストを使う(ex.関心ある研究分野の大学授業シラバスに載ってるかも。専門家に説明して聞く。等)

◯書評を読む(ex.ciniiやgoogle scholarを使う)

◯序論と結論だけ読む

◯特定の章だけ読む

◯索引を読む

◯注を読んで参考文献

 

 

 

 


 単語「ニート」が「暇だった」を言い換える自虐用語として会話で使われるのを目にして、言葉狩りすべきかどうか悩む。競争勝利者に圧せられる感覚も。ニート所属の人は、一部に社会問題として扱うカテゴリになり得、また同時に引きこもりも並行している人には精神疾患の可能性もあるため、センシティブな単語ではある。

 ニートと引きこもりは何が違うか。後者のが病的なニュアンスを帯びる気がする。だからブロークンな日常会話において、自虐用語ニートの代わりに引きこもりという単語を持ち出すのは危うい。なお何をもって病的か健康か/正常か異常かを決めるのは、何を前提とし、どれほど既定した範囲から逸脱するかなどによって変わる、ひどくファジーな議題なので詳しくは考えない。引きこもりが病的なニュアンスを帯びると思ったのは、「当事者は外部の世界と接点を持ちたいのにそれが叶っていない状況の不自由さ」が不健康な状態と呼べるだろうから。

 ニートはNot in Education,Employment, or Trainingの略で、字義通りに取れば、単にこの単語の誕生以前には曖昧だった個人の社会的所属を定義した肩書き名にすぎないのかもしれない。ただその使われ方が自嘲や揶揄する文脈で公に利用されることで、ニートと分類される人の一部が意図せず嘲笑される対象になるのは、暴力的で非道徳な出来事だろう。

 

 

 

 


よく聞く「人の為〜」は発言者の戒めの意味もあってのことだろうし、個人的にはそんなに気にならない。別にいいじゃん利他的な気持ちが認められてるのがわかって。嘘つかれるのが嫌なのかな。でもエゴい冷たさのがひどく現実的で辛い日も。春日語に通ずるかな?

 

 

 

 


引きこもりの自分の嫌なところの一つに、引きこもりからしか世界を見られなくなること、あるいは見てはいけない常識に苛まれることがある。ある現在進行の引きこもりが、別の引きこもりの行く末を見るとき、その目線は自動的に引きこもりに属した眼球からしか向けられないのが、なんともやりきれなく悲しい。引きこもりが他の引きこもりを一他人として見られないのが不自由だ。

 

 

 

 


 香山哲作『プロジェクト発酵記』。作者の思考を漫画を通して追体験できる。絵で物語ることが有効に作用していたと感じられる、説得力の充実した内容。

 手書きのレタリング(?)や"優しい魑魅魍魎"の絵々をはじめとした、ハンドメイドの温もり伝わる全体と、筆者の思慮深く実直で賢い性格の表れた思考回路を魚拓したような丁寧なつくりが、とても好みな表現物だった。共感もあって、またセンチメンタルな周期とも重なり、鳥肌が立つ嬉しみを覚えた。

 私も彼と全く同じく、誠実に人生を送りたい。その歩みは怖いけどできれば結果、満足して死にたい。現状ままならない人間がそういう夢を見られる作品だった。

 

 

 

 


 本読みからよく聞く読書体験をする。今度は誰に嗾けられたわけじゃない、自ずから湧いた気持ちだから嬉しい。2023/09/26、朝10:36ベッドの上で記す。

 いけない方法でスマホに残していた散文、『不安の書』の冒頭20ページのわかりみが深い。嬉しい。この時のために、ろくに中身を読みもしないのに大は小を兼ねる意識の保守的で機械的な蒐集癖にまかせてオフラインにタダの保存を続けたドブ時間が実ったんだと、低位の仕手株でプラス収支を得たときのようなやましい快楽を覚える。

 同時に、結局まだ普通を捨てきれない幼気さに、昨日からまた一段と動き始めた、頭から喉を経て胸ー腹ー股間までを這い回るウイルス性の焦りが止まらない。

 Safariに放置していたPOPEYEというwebメディアに載る令和ロマン・高比良くるまのインタビューを読んだ後、周辺を徘徊していたらたまたま目に留まった記事「『フェルナンドペソア伝 異名者たちの迷路』澤田直(著)を読む。」から思い出して。

 

 

 

 


2023/09/25記す。彼には衝撃的だった。初めて間接的にクズと言われたよ。この痛みから、近視眼で予定や計画を立てられなかったりするところや、お先棒を担いで他人を褒めたりするところ、どうすればいいかわからないと自分で調べずにまず他人に聞こうとするところあたりが濁って、信用できなくなる。もっと具体的な言葉が私には必要だった。それほど対人経験値が低かった。なぜ生きる?ってところから考え直している。

 

 

 

 


 「水・金・土・日」は嫌な響きだ。最も嫌な選抜曜日。中学時代のクラブ野球の稼働曜日だった、水・金・土・日。(ドキュメンタリーに当時の呼称「(リトル)シニア(リーグ)」と呼ぶのさえも憚られたから反射的にクラブ野球って言い換えた。)厳密には水・金・土・日・祝。

 pha氏の最新のブログにあった、そぞろ書房という本屋の開店曜日が水、金、土、日と書かれていて。

 ところで、選抜曜日?曜日選抜?後者のが「◯◯選抜」って既にある言葉で聞き慣れていてすんなりくるが、ここで意図する意味を優先するならどうでもいい

 

 

 

 


 競争社会ではある。負けている者が競争原理に突き動かされるのはとても合理的なのだが、しかし私にとっては再現性が低いし、継続に疑義だし、一番はあまり美しくない。

 美しくないのは、原理によって動くさまが機械的に映るからで、一個人に自ずと湧き上がった目的意識のより自然であることが、自由を尊重されていると感じ、現代の最新の人権意識とも辻褄が合うからだ。

 加えて個人的な目的意識にルーツをもつ方が、強さも弾性も、つまり継続性も上回れると思うからだ。

 この意見は「人工よりも自然の方が美しい」と思う、甚だ私的で一方的な価値観にも由来している。

 おたけの4期加入に合わせたように急にまめにメッセージが送られるさまをみて。

 

 

 

 


私は今更、マザコンかもしれない。彼女のためなら脇目も振らずに体を張れていたから。そのとき私は自意識の束縛から解放されていた。女性の囁き声のASMR動画を睡眠導入で使っているのを思い出して。

 

 

 

 


空と雲は、どんな場所でもいつも見慣れた模様をしていて、その事実とあわせて心のアンカーになる。何年も掃除しないでくぐもったカビまみれの窓越しに見るそれも、プレミアリーグの試合の切り抜き動画から見切れるそれも、必ず見覚えがあって、とても落ち着く。映像で見るなら夜空より青空の方がいい。

 

 

 

 


 2023/09/24記す。明けて昨日の霜降りannは、コーナーぶち抜きで丸ごとせいや結婚おめでとう回。一つも笑えないどころか祝福の気持ちすら全く湧かず、むしろマイナスの感情に囚われた。嫉妬、悲観、虚しさ、憤り、諦めといった気持ちが去来して不快だった。原因はひとえに現状の劣等感に他ならず、愚かで、人前では恥ずかしくて話せない痛い幼さが腐臭を放つ。

 せいやの発言に察せられる(本人も言及していた)一部昔気質な価値観や、「金で安全と時間を買わせてもらいます」と胸を張って主張した事実、レポーター役に扮した粗品からの「(専業主婦になった)パートナーの前職は?」との質問に自然に言った「CAです」、粗品のおめでとう号泣などに、現実逃避の先の行き止まりを示された。またしても「もういい加減聴くのやめな」と、今度は大人らしく間接的に諭されたようだ。我慢と清算の時間は地獄なのかなあ。

 自分に言い聞かせるためにもここで明言しなければならないのは、私は、上で示された感動の根本となる価値観をもれなく同期して、理想とするわけではないことだ。

 つまり結婚も、仲間の祝福も、パートナーのステータスも、目指さない。厳密に言うと、それらは「大は小を兼ねる」の小とし、私的優先順位の低い、人生における営みとする。

 なお金で安全や時間を買うことに関しては、金が通用する世界は仕方ない、共有するので、これの可能性は十分に残したい。また行き止まりを示されたというのは、他人の結婚報を耳にして自分に嫌気がさす不健康を改めよの意味であって、「いい加減これ目指せや」と呼びかけられたのではないことを強調しておく。戒

 

 

 

 


鳩時計に憧れてた昔

 

 

 

 


「快進撃」は「会心(かいしん)」に親しみがあるせいで、音的に「快進-撃」という頭だったのだが、字から察するに明らかに「快-進撃」なのであって、快い進撃状態と理解するのが自然なことに思い至る

 

 

 

 


 2,3ヶ月前くらいからたまに聴くようになった新規です。時報後の一言目の落ち着いた声色が、ASMR的な好みのそれでハマりました。鷲尾のくだりを初めて聴いたときは新鮮でとても面白かったです。まだ飽きはきません。なお鴎。

 あと生放送の頻度が高くて驚きました。アイドル兼女優の殿様商売で少なくとも毎月半分は収録だろうと高をくくってたので、それだけでまんまと好感度が上がりました。

 内容もアイドルを決して逸脱しないバランスの上でやってるらしくて、それぞれ好みはあろうがリスナーには開けているんじゃないかと思います。批評するほどじっくり聴いていない層でもあるので、何も言うことはないし、逆に言えば終わってもあまり悲しくはありません。

 


 定期的に聴いてるラジオやpodcastは、霜降りannだましうち・オードリー・Aマッソ・真空ジェシカマシンガンズ・やる火やる木・炎上喫煙所・ひなたひほっとひと息・脳盗・その他気になる単発など、

たまにニューヨーク・ハライチ・沈金・俺メモ・あと6・ぶちラジ・サンドリ・ティモンディ・静岡カズレーザーチルルーム・許可局・問わず語り・スカロケ・松田好花放送部サリマカ余計・こち星・吉岡里帆市川紗椰・ぜったくん・世界の快適音楽セレクション・TokyoMoonあたりです。

 

 

 

 


マシンガンズのann0 38:38〜のジングルが、くりぃむしちゅーとかそれくらいの世代の懐かしいバイブスを醸す。滝沢の「〜だと思うぜ」みたいな語尾とかに。

 

 

 

 


夢:タイ人の女性との会話で、意気揚々とバンコクの正式名称を言うも、「あ〜惜しい」と外し。ラーチャターニーブリーロムウドムラーチャニウェートが抜けていた。

 

 

 

 


郊外にある大きな病院の中にあるパン屋やコンビニで買うサンドウィッチは、ツナとか玉子。全く新鮮な非日常だった。

 

 

 

 


名著(めいちょ)って音が衒学頭をくすぐるよな

 

 

 

 


「劇的」が物語に必須で、つまり個人の金稼ぎに必須なのでは。

「3週間の出張で得られたのは一言のみ」。これに「くそう」と思う感情が次の行動を誘発して物語を生み、成功後にその話を事実成功譚として共有することで金を生む。わかりやすい一貫性がある。「くそう」と思う劇的さが後の金には必須だった。

 

 

 

 


学校といじめ、いじめ防止対策推進法

なぜいじめが起こるのか。

合わない人がいるのは当然なので、ひと所に留まることが自然とされる常識を問い直し、閉鎖的な空間を解放する。

他校への転入や学校以外の権威的コミュニティを作る。

自殺した女子高生の認定について、6月の判断から一転していじめ防止対策推進法における重大認定と認め報告する、と。くだらない世の中(宮本声)

 

 

 

 


 2023/09/13記す。丁度ただ今の心理状態に刺さったんだろうが、2023/09/10放送のガキ使ランジャタイ国崎七変化に爆笑した。久しぶりによく笑った。お里が知れるのが嫌だが、日記くらいは正直に努めたい。我を忘れてネタを見通して、終わった後の余韻で閾値を超えたのを自覚して、笑ったと思う。たまに七変化は見ていたのだが、国崎の挑戦は、最近の他の出演者とは違って、全編まったく痛々しく見えなかった。コンプラ意識やメタ視点などシラフに戻ることなく純粋に面白がれた。

 ダウンタウンの老舗企画に'かかる'のは、他の多くの芸人にも共通する儀礼だが、他の出演者はその儀礼儀礼らしく映っていた。そんなに集中して見ないので記憶にも残らず例えが出ないのだが、とにかく多くの人のそれは、背伸びをし過ぎてプレイが際立った結果が、面白さより松本へのウィンクに傾いて見えた。

 だが国崎の一連は、元から知っているキャラクターやネタの方向性が企画に親和的だったぶん、等身大を逸脱せず儀礼を遂行することができたから、やってる風には見えなかった。

 それにしても面白かったのはなんでだろう。あんまり漫才で笑ったことはなかったんだけど。Take On Meの前奏からめっちゃ合ってたなぁとか余韻が残るので、音楽の効果も結構あるのかも。カレーが勿体無いと思う頭にもならなかったし、もたげがちなシュールってカテゴリ準備も今回は必要なく。これからもう一回見る。

 

 

 

 


 Aマッソのヤングタウンpodcastで。加納が「好意恐怖症」という言葉にブチ切れていた。「被害者面して相手と向き合ってないやん、気持ちの悪い日本語、これ我慢してるけど1時間はキレられるで」などとはっきり意思を示していた(もちろんおもしろ枠内)。

 相手に向き合わない、被害者面する、に自分を重ねてしゅんとする。怒られた。私はそちら側の自覚がある。現に思考や想像を怠けて現実逃避を続け、年齢を着々ととってもなお社会復帰していない。彼女とは絶対馬が合わないだろう、というか彼女が積極的に私のような可愛げすらない怠惰な人間を嫌って遠ざかるだろう。

 彼女の創造的なところや内省的なところは、文筆やラジオのトークやネタの中の言葉遣いなどに表れて、私はそれがちょうどよく心地が良くて好きだ。それは嫌われても変わらないはずだ。ただ自分がなんだかとても残念だ。なあなあに、それらしい顔をして、自分に不快なものには向き合わず遠ざけて、何も考えずにきた。そんな自分をはっきり否定する根拠に筋が通り過ぎて辛い。辛いから、向き合わずにこういう人とは距離を置く。そういう人生の送り方に罪悪感や引け目を感じるが、他方でそれも外目を気にした意識のようにも思う。向き合いたくない、どんな動きをするかわからないアンコントロールな人間に対応するのは疲れる、だから遠ざかる。これでいいのかわからない。わからないわからない五月蝿い。

 

 

 

(一部敬称略)