ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

直近1ヶ月ほどの間に思ったこと

(2023/10/05更新)

 

2023/07/29記す。DAZNYouTubeチャンネルで、吉田麻也内田篤人が日本サッカーを繁栄させる希望を語っている。

サッカー好きにとっては、サッカーにお客が集まり金が集まり、もっと環境が整えられた舞台でサッカーができることが夢なんだろう。

一方で考える。それで何?金が集まって人が集まるってことは、他から人や金が抜けることを意味する。経済成長が続いてパイの絶対量が増えたとしても、彼らはそれ以上の競争的勝利を望んでいるものだと理解している。それは多様性に反するではないか。パイを奪い合って勝つエクスタシーはそんなに尊いものなのだろうか。別に王様になりたくない人は、今どう理想を語ればいいのかわからない。王様の独善的権利を否定して、自分勝手に自分の持ち場で好きなことを小さくやっているさまは、今、無様に見えるようだからだ。

この考えの根本は現行の資本主義を否定していると言っても過言ではない。私は今世界が何を目指すべきなのかわからない。

 

 

技術が追いついたら近いうちに、叩く音が鳴らないキーボードも出てくると思う。音がない方が相応しい病院の備品とかに需要がある。タイピング音がなくても触覚だけあれば十分役を果たすから。

 


なぜ資本家、社長が嫌いなのか。一つは、速攻で意思決定しないといけないのが、無闇に罪を受け入れるようで嫌だから。

 

 


 故ジャニー喜多川の一連の性加害問題報に反応し、ジャニーズの広告起用を見直す旨アナウンスする企業に対して、GACKT曰く「それぞれのアーティストは関係ない、乗っかりコンプライアンス、ファンの愛情を軽視しすぎ」などと。

 一見して何言ってんのだったが、よく考えると一理あるような。企業とタレントの関係における新たな文脈が差し込まれ、一つ複雑な常識が始まる予感も。

 ジャニーズタレントを起用する企業広告とは、そのタレントのイメージやフォロワーで作られるタレント性に乗っかる営業方法そのものだから、乗っかることおよび乗っかりコンプライアンスは広告の前提。要は我々大衆が広告を見たら、購買行動に移るか否かにかかわらず、その企業をいいねと思わなければならないのだと思う。広告には購買効果のほかにCSRの側面もあって、今回はそこを問われている。

 ジャニーズタレントを起用し続けることで、企業が一連の性加害問題を是認していると捉えるか、いやそれと個々のタレントは別個だと考えるかは大衆が決めることで、延いては大方マスメディアによる報道で決まる。

 企業家はこれまでの広告とタレントの関係の常識に照らすばかりで、事態を単純化して思考停止していると捉えたタレント側の意見だが、個人的には「それを許容してはいけないんじゃ……」と脅迫観念で目を覆われるような、事態の規模と罪の大きさ、歴史の強度だと恐れているので、GACKTの合理的判定をするにはジャニーズユニバースへの社会的制裁がまだ不十分、もっと罰せられないと人は学べないと思ったから反対。

2023/09/14追記。こういうことが起きてくる。業種によっても変わるのかな。

 

 


夢:雑巾を絞る仕事ができない。できるのだが、雑巾水の下が弁当だったりしてもなぜか焦って絞っては???と皆の目を食らったり、そもそも敏捷性が足りなかったり。

天井版のロッククライミングのような、天井にめぐらされた手掛かり足掛かりを使って早く移動するスポーツをする部活動に遭遇し、彼女らが使う蛇口を勝手に使ってるのを見られてしまう。訳がわからないのだが、パニックになって何もできない。起きる。絶望。こんななってんのかな。

 


若林とニッポン放送は、伊集院光にとってのTBSのような関係にもはや近いと。晩年は、時事も'らしく'扱う帯もやりそう。それとも春日が希望通りやるのかな。

 


夢:「見慣れた景色だけど綺麗な緑だね」と彼女に言おうとしたが自意識が止めた。一面大きなガラス窓で外が見える。株価を気にもしている。

 


 私は顔面が醜くて、そこから解放されたいと思いながら、一方でグループアイドルコンテンツをライトにではあるが追っている。アイドルは見た目、顔貌がとても重要視される人間なのに、それを楽しんでいるのには矛盾がある。が欲望のせいで、また習慣のせいで止められない。

 と思ったが違うか。自分を醜いと思う時点でルッキズムに囚われていて、アイドル界における優先順位上位の不文律と一貫していた。私はアイドルを見た目で判断しているつもりはないが、しかし見た目によるメンバーの選抜は間違いなくシビアに行われているし、実際コンテンツ摂取中、メンバーの表情や挙動や発言に、我を忘れて可愛いと思う快を味わっている。見た目の価値を確信的に認めていると言わざるを得ない。

 あちらを立てればこちらが立たず。アイドルを推すには、私は自分の醜さを認めなければならないらしい。スティグマ、業、宿命というやつか、苦しい。この見た目に対する自意識については、先日「自分にはコントロールできない領域なので生きながらえるには気にしないのが合理的だよ」と架空の生徒の相談に乗ったさいに結論したはずだった。

 羨ましい、見つめる先の人間と同じように生きなければならないのだろうか。自分が何の気無しに気の向くまま見ていた人を構成する思想や言動、またそれに基づく見た目(顔貌や服飾等)が明らかになってきて、それを肯定したとき、私はその人間を一つの理想として目指さなければならないのだろうか。

 世界は広く、いろんなコミュニティが存在するだろう。そのコミュニティの中にはそれぞれに優先順位のつけられたルールがあるが、ルールが自分にそぐわないと判断すればそこを離れる自由があるはずだ。対象を肯定できるというだけでは、目指すために十分な条件にはならない。なぜなら他にも肯定できる世界があるかもしれないし、さらにより快適に住めるかもしれないからだ。

 私は推している芸人やアイドルを肯定するが、私が彼らの世界に通用するルールに従わなければ辻褄が合わないわけではない。つまり、彼らを推しながら別のルールで生きることは、都合が良いとか自分勝手でいいじゃんとか、そういう現代のメンタルヘルスに有用な言い訳を持ち出すことなく、理屈から全く成立するのだ。こうして許してやり過ごす。

 


kwann2023/09/02放送分はスペシャルウィーク。ゲストに星野源。聞き流していた。あんまり面白くなかった、というか通常回のフリートークの方が好き。LIGHTHOUSEは見たし、しくじりひなあいあちこちは追っていて、ラジオも毎週聴いているよ。こういう日にはいつもいい加減辞めないといけないと思うのだが、生活を変えられないせいで習慣に埋没したままでいる。向こうはどんどん線を引く。それはわかっている。

 


中島智氏のポスト。2023/09/02 am1:22投稿。

誰が書いてもいいような、つつがない正論だけで埋めつくされた課題レポートを添削・評価することほど大変なことはない。そのつつがなさ、真面目さが、なにを自己抑圧することでなされているのかが読めなければアドバイスの仕様がないからである。真面目さの誤用というのはいちばん厄介である。

 


「◯◯ムーブ」って言葉が、概ねバラエティ好き一般人の客観しぐさぽくて傍から見て痛い。「◯◯ムーブ」と呼ぶ対象そのものについては言いたい時がままあると思うので、その時は自分発の別の言葉に言い換えたい。

 


こうなる気もしていた

 


夢:悪夢。野球。電車の中、スパイクを裏返して履いていた。車両の移動がなされたが、私はずっと居たままで、誤って1軍の空間に紛れてしまった。なぜいるのか問われたときに自分にとっての正当性を主張したが、まるで夢の中の理屈のように自分でも何を言っているのかよくわからなかった。当然周りも理解できないようだった。チームメイトは痛々しいものを見る悲しい目をしていたと思う。足に熱を持っているからと言ったが、触った監督は「すごい冷たいじゃん」と反論した。全くその通りだった。

よくわからないが、要は合理的判断ができずに、なぜそんなことをしている?と呆れられる。呆れられながら怒られた、そう受け取る。多分辞めてしまう。

現状を反映している教訓めいた夢だった。単純な私は怖い。口から出たそばから腐臭のするような、自分自身にも理解ができない理屈を表明しているときの残念な空気が痛い。こんなんにはなりたくない怖い。でも現状こうなっている怖い。

 


小学生の頃やった、椅子取りゲームやフルーツバスケットがなんかあんまり好きじゃなかったことを思い出した。言語化できていなかった居心地を顧みると、多分プライベートエリアに侵入される/するゲーム性が生理的に好かなかったのかもしれない。

ゲームで言うと、これは自覚的だったが、いわゆるレクリエーションと呼ばれる気心知れない人を含めた複数人でやる遊びは、強要も感じて嫌いだった。バスの中でやるのとかいまだにわからない。車窓を見ていたい。私の車内はいつも静かで、音楽か大抵地元のラジオが流れていた。

 


怖い絵:牢屋の太い鉄柵越しのおばあちゃん

 


ふと一軒家、カーペットが敷かれた階段の家を捨てる人生になるんだと自覚的になる。

 


〜ではないですか?を〜です?ってかを抜くの初めて見たときちょっと嫌だった

 

 

夢:詐欺に引っかかる。病院。手に信号を、とか言って紙を渡されてそれ通りに。ある時これどういう根拠があるのみたいな質問をしたら、逆ギレみたいな形で施術が止まって会計と言われて待って待って。紙探してもない、ちょっと待って、別の席へ、ないない、戻る、別の人が使ってる、やはりないない、最悪回収された。起きる。

芸能、アイドルという幻想も、ひょっとして詐欺に近いのかなど。アクリルキーホルダーとかなんなんヤバいだろ。

 


「恩返し」って言葉を使う人がまだ胡散臭い

 


若くいたい、変化したい人が格好良く見えてしまうのはなぜなんだろう。星野源と若林がNetflixで話している番組を見ていて。変化を嫌い日常が性に合う臆病者は他人には憧れられない。

臆病者ではいけないのか。臆病者は控えるので配慮できるし邪魔者になりづらい。またセンシティブなので共感もしやすいので支持者に向く良さもある。しかし前に出る人、独占・寡占し集金する人、ピラミッドの上に立つ人に憧れようとするのが、資本主義社会が採用する大前提なので抗えない。

俺の欲望はなんだろう。社会から隔絶されているので頭では考えられないし、想像が働かないので今の生活の維持が最良と考えてしまっている。維持、保持する欲望、これでいいのだろうかとぐずぐずして恥ずかしいのでこのままでいる。どう死にたいのだろうか。しかし私の人生を生きたいなどという淡い思いは、どうやら幻そうなのを、昨晩読んだ漫画『サターンリターン』1〜2巻が示唆していた。マクガフィン的な命題というか。

未知なことへの多様な選択肢を認めるのが金で、この先も幸せ、だってこれからの欲望の可能性も許してくれるから、と思えるのが資本主義。

しかし欲望まみれは美しくないとの価値観がある。禁欲の合理性と結果の大きさ。大谷は大節制してヒーロー扱いされている。それは結果が伴っているからでもある。禁欲の先に歴史を更新する代(しろ)がある。新しい世界には禁欲をしなくても結果を生み出せるから魅力があるらしい。人は放蕩に憧れる。

 

 

 

 

利己的な人が利他的になる流れは、子供から大人への成熟の物語と重なり共感されやすく、だから褒められやすいが、逆に利他的な役回りから利己的な側面を見せるだけで醜い印象を受けてしまう、人の認知の偏りがある。

仕方ないのかもしれない。利己的よりも利他的の方が美しいとする感性は、新自由主義と呼ばれる社会にあって最も重要だと思われるので。

個人で見られるとよい。確かに利他より利己の方が下賤な価値観だが、しかし個人とは一面では片付けられない複数の顔を持っている可能性が高い前提を共有したい。いくら慈善に従事していても、家に帰ったら鳥獣や魚の肉を食べて生きるのを否定してはいけない俯瞰が必要だ。

 


みなみかわの好きな理由を考える。

私にも理解できる、丁度いい知らないことを喋ってくれる賢いイメージ、そして内省を経て明快になったっぽいパーソナリティと、それをよどみなく出力するお喋りが好き。

 


非道徳な仕事人か、道徳的なニートか、どっちが良いんだろう。

 


ラジオ番組、J WAVE『ORIENT STAR TIME AND TIDE』20230805放送回。ゲスト干場義雅の口から「男は〜女は〜」と。最近の道徳にそぐわず耳触りが悪いが、手前の金稼ぎにとってはその端的具合が有効なんだと思う。このポリコレに気づいていないか意図的に無視しているか、あるいは気づいてはいるが話術が追いついていないか、など彼の真相はこの偶然聞いた音声だけでは分からなかった。誹謗中傷の話とか幸せとはなど語っているから、気づいていない可能性が浮上。

 


 2023/08/24 3:44記す。慶應義塾高校の優勝に幕を閉じた2023夏の甲子園直後の日刊スポーツ記事。「不合理な丸刈りも終わらせた〜」と橋下徹yahoo!ニュースから。

 不合理か合理かを決めるのは人間で、ネット上で不合理とされ疑われない丸刈りも、あくまで今にとって不合理と断定されるだけで、非丸刈り自体が科学的な正しさを保証するわけではないのだと思う。丸刈りにも集団行動に合理的という理由を付せるだろうが、それが流行りの現行個人主義自由主義にそぐわないから不合理と言われる現象。合理という言葉への先入観から、科学的な正しさを認められていると考えがちだから書き残す。高校野球という集団行動中に確認される宗教性、全体主義思想は否定しきれない。結局何が正しいとされるかという正義の話。

 あと勝たなければ終わらせられなかったのかという疑問。その考えに至る、あるいはその手前の、その考え方を優勝インタビュー内におべっかでも口にしてしまうことが、古式ゆかしい甲子園大会の勝利至上主義の一翼を担ってしまっているんじゃないか。やっぱり人、最中の人、仕方ない、感情的なんだと思う。結果オーライな資本主義社会の雰囲気の悪いところにも。エレンを思った。

 

 


試合前円陣で手を上に上げて笑顔で何か祈っている仙台育英メンバー。宗教的。集団行動には宗教性は欠かせないのだろう。

データや云々と言って合理をうたっているが、それも宗教性の一部だ。納得させるための手段だから。

 


Aマッソのヤングタウンpodcastで欠かさず聴いている。律儀に週一で聴くのではなく、散歩2,3回のうちに1月分くらいを一気に流す聴き方。番組中によく表れる、本を書く加納の文化系な思慮深さと、身体性重視の村上の程よいポンコツ加減のコントラストと主従関係が、そのままkwannと被った。

 


2023/08/20記す。最近甲子園を見ている。「陽」の字がついた名前が多い。

慶應の『シリウス』と『アラビアンコネクション』という応援歌が好き。一方で、主に男子部員が威圧的に声を張り上げるニュアンスを込めた、吹奏楽が奏でる主旋律の音程を(おそらく意図的に)外す声援主体の応援の仕方には、生理的な苦痛を覚えた。音程を外した大声援は耳障りだった。

 


2023/08/19記す。ベッドの上、本当に毎日毎日もっぱらベッドの上で目を瞑り、外にも出ず。何をやっているんだろうと思う。私が決めないと何も始まらないと何回そんなことばかり。

 


よく芸能人がコメントで「素敵」って言う。美味しいって言うしかない食レポと同じ間埋め言。

 

 

野球について、個人的には最近アマチュアとプロって質的に違う世界のような気もしている。アマチュア野球にはアマチュア野球で活躍するのに必要なスキルが、プロにはプロで必要なスキルが別個に存在していて、一続きに測れない要素が多い印象。

たとえばマインドセットとか生活習慣とか自立心とか探求心とか、素人目には軽視・後回しにされがちだけど意外に後から身につけづらい、なのにプロにとってめっちゃ重要なスキルってあると思う。

じゃないと誰の目にも明らかなその年のドラ1が、十中八九とまでは言わないが、せめて半数はプロで大成しないといけないはず。もちろん最低限の技術や体の強さ、スピードとかはアマレベルとプロレベルで定量的に比較できるとは思うのだが。

 


私の心についての認識

◯クリエイティブは苦手意識がある。クリエイティブに!と言われると素養や自信がないので不安になる。主要教科に比較して、図工や音楽や家庭科の評価が自然に上がらなかった経験を引きずっているのかな。私のクリエイティブしぐさでは到底社会に許されないから、クリエイティブは向かないんだ。どうせ遠回りだからその方面で努力したくない面倒だし苦しいから。

◯スーツに憧れない。奴ら金の亡者で、比較的人相が悪い印象。

◯スーツ嫌いに対して、Men I Trustに憧れる。カナダの自然、我が身のクリエイティブで社会的接点あるから、両腕両足を伸ばして自信を持って寝られる。

◯嫌われたくない。現実に確かに頻発する言葉の暴力で傷口に塩を塗るように顔を指さされて否定されるのが怖い。

◯だから何もしない。他人と関わらない。この生き方をしてきたが、「理由なく飯に誘われるなど、他意なく人に好かれることが人間の生き残る術だ」みたいな言説とか、恋愛とか、人生経験とか、そういうのの価値を説かれると、それを現在進行で悉く捨てている私が不安になる。

◯負けている側への引力に負けて、安住している。スポットライトが怖いから、どうしようもなく自動的に負ける方に足が動く。負けている方が必ず否定の言葉は投げかけられないから居心地が良い。

◯現実逃避。

◯習慣に埋没している。新しいものへのアクセスへの心的負荷を逃げている。偶然や流行に身を任せている。

◯易きに流れる。現状への抵抗を極力いやほぼほぼ自動的に避け、後退しながら快適どころを見つける癖がついている、まるでネット上の違法な無料コンテンツ探しが大好きでやめられらないように。そのコンテンツを手に入れたりページをブックマークすることに腐心する割に、肝心のコンテンツを消費するのは新しいものへの心的負荷の予想から億劫になるという罪な行動

◯金を稼ぐことより節約する方に正義を感じる偏りがある。

◯自然体や健康が尊いと思っている。

◯何も起きないことをよしとする。また変化を面倒ととらえる。悪く言えば日和見主義で頭の堅い保守。よく言えば平和主義者。

 


youtubeのコメントや概要欄にあるタイムスタンプから再生時間にうまく飛べなかった時、ならええわとなる。ふと、これの積み重ねをしているのではないかと。欲求に優先順位を?そんな正論簡単にできるのかな。

 


相手が嫌悪を示さなければ(もっというと示さなかっただけでは不十分なので、嫌悪していなければ)、コンビニ店員の足首を掴むことや抱きつくことは犯罪ではないのだろうか。公然猥褻ではないレベルの、しかし傍からみたら生理的に受け付け難いはずの身体の接触を目撃したら。「一般的には」はどれだけ立ち入れるのか。

ああ親告罪というやつかも。でも強制わいせつ罪は平成29年に非親告罪化、迷惑防止条例違反は非親告罪だそうだから、社会的にはアウトなんだろうな。

 


2023/08/04記す。テクノロジーって科学に基づくから科学の分野と言って異論はないが、しかし非専門家の一般人に語らせるとたちまちタブロイド化する。民主主義を尊ぶからといって聞かせても、魔法の中身を知らないと当然真偽を判別できない。結果その手の話題では夢を見るくらいしかできない。

 


おすしとみくにんは対照的な印象を受ける。生きるの上手いか下手か。要は属する世界に向いてる性格か否か。もう一つ下ると、明るいか否か。ゴリっとできない葛藤と自己愛にかなり共感する。全て勝手な妄想。

 


夢:2023/08/04記す。病気治療。針刺してぐわぁんとくる鈍痛、苦しみ。口いっぱいに吐き気が耐えられなくなり、咄嗟の職員さんの手桶に吐く。彼私平謝り。図書館と病院が一緒になっていて、午前9時開館と同時に、結構な人が押し寄せる。子どももいる。そうか夏休みだ。富田鈴花が卒業を発表。未来虹が抜かされないようにしないと……と片手で両目元を抑えながらかくんと俯く。Rush!と脳内ポップアップ。死ぬ夢。

起きて闇。嘘みたいな現実。無職。5年どこかに行って浦島太郎気分で帰ってきて日向坂をみたい。5年後なんてないかも。

 


バチバチバチッと地面に落ちてきたアブラゼミ。飛べないそうで、這っている。

 


2023/07/31記す。女子サッカーW杯一次リーグ日本v.s.スペインをテレビで観戦する。自チームボールになってから敵陣に走るも、パスを受ける前に味方がボールを取られてしまう。前向きで待っていた選手複数人は、翻って一斉に相手を見ながら自陣に戻る。

サッカーの試合でよくある光景なのだが、当たり前のように一旦走った分だけ戻る選手たちが、そのとき変に見えた。無駄骨じゃん、なのに殊勝にも元来た道を戻るんかしかも走って、と。「もったいないけど仕方ない、サッカーとはそういうスポーツなのだから」と彼女らは戻るのだろう。

もったいないからその場に突っ伏しているのが私だ。せっかく走ったんだからと拗ねて、チームにとっての利益を放棄して手をこまねいている。サッカーでは多分、基本これではいけない。チームにとって非効率な存在だから戻るよう教えられる。

この(サッカーでよくみる光景を眺めていて想像したシャトルランする)選手たちの理解を、人生にも援用できると思った。無駄骨になるとしても、人生とはそういうものだから、つまり選んだ行為のすべてが、自分が予め想定した結果に結びつく訳ではないこと、延いては行為を選んだ時点で想定する成果に結実するかどうかはわからないこと、これを理解して引き返すものなんだ、人生のために。

 


2023/07/30記す。kwann先週分。家庭で高圧洗浄機を使ったら、蛇口の水圧にホースが耐えられなくてホースが大暴れ、水浸しに。堪らず、「蛇口とホースを固定するガジェットがあるに決まってるのになんで?」と聞くのは、ぐうの音も出ないから空気が悪くなる、と。この一連の家庭内あるあるが話題に。

一見論理で正しいことを言っているから、整合性はとれてるしその意見は間違いじゃないとされる。が、よく考えると、意見を言って空気が悪くなるのが目に見えているのに意見してしまうというのは、感情的な行動とも言える。出口が感情的になっている点でその行為は非合理的だ、とまで把握して行動に落とし込むのが真に論理的なはず。仕事や裁判ではないので責任の所在を明確にすることが目的ではないなら、その場の和、空気を優先する方が幸福度が増す、という考えのもとに行為するのが、あなたが目指す論理的な正しさかもしれない。

ただ一方で家庭は個別単位でそれぞれの快適があり、またそれが目指されて良いので、一概に正しさを統一できない。むしろ出来事に感情的になる方が当人には自然で、ストレスやメンタルヘルスなどの観点から、長い目でみればそうする方が幸福な家庭も想定できる?

 

 


部屋、エアコンの中から顔を覗かせるカビ、顔面、服装、歯、社交、発声、恋愛など大小まちまちの放置した人生を頭の隅に押しやって、その腐臭でやる気をなくしている、というのを書いて自己憐憫にかまけている2023/07/25この頃は相変わらず。

これ歌詞にならねえかな

 

 


夢:高校部活。おすしがバッピをしている隣りで私も。ボールが汚いことに当惑していて傍から見ていて同情する。

 


深夜に醜形恐怖で外で飯食えない、親族にも晒したくないマインドが思春期からいまだに続いているのにいまだに放置する怠慢さを思って泣きたくなる

 


アイドル / YOASOBIのサビ2小節終わり〜3小節めが好き

 

 


1番サビ3小説め「かんぺーきで」の譜割りの方がドライブ感あるから、原曲よりLIVE ver.のが絶対いい

2番は「さいきょーうで」でうが母音だから違和感残るので、これは原曲ままでいいけどやや残念

1番とのメリハリが出るって聴き方もできるので別にいいけどごった煮で疲れるから

ただ若い曲だから走っていいとも

 


佐久間宣行ann0の肯定的な楽しみ方を見つけた。陽気なおっさんのテンションと言葉遣いと間合いを知る教材として使う。

 

 

 

 

 

じゃがいもと塩昆布のバター炒め

 

 

ししとう入り簡易肉じゃが

 


新じゃがいもレシピ

 


茄子と柿の種のピリ辛炒め

1日おくなどして水分を含むとすぐ柿の種が不味くなる。電子レンジで飛ばすとまあセーフ?

 


ししとうと茄子の甘味噌炒め

 


油淋鶏のタレ例

生姜 4片

長ねぎ 1/2本

しょうゆ 大さじ1.5

砂糖 大さじ1.5

穀物酢 大さじ2

はちみつ(砂糖に代用可)小さじ1

水 大さじ1.5

ごま油 大さじ1

 

 

 

(敬称略)