ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

挫折が怖い、しかし時間が

(2022/03/06更新)


 2022/02/26記す。直近の心情についての弁明。
 線引きって人それぞれじゃないですか。ヴィーガンの人に対して、非ヴィーガンの人は「植物だって命じゃん」「電気ガス水道で地球を侵してきたじゃん」「結局自分が生きるのには、他の命の犠牲が無いと成り立たないじゃん」と言える余地がある。でもヴィーガンは誇り高いし、十分認められる思想でもある。つまり何を許して何を許さないか、良し悪しを行動に反映させるその基準の設定は、社会通念で認められる範囲で個人に委ねられるじゃないですか。
 それと同じで、私は経済活動で人を従える気にならなかった。誰かをしもべに働かせ、その恩恵を浴びるのが正当な仕組みが可笑しかった。欲望由来の仕方のない放置が問題だった。経済人と同じ服装・同じ語調・同じ思考にチューニングして、媚びを売って仲間に入り、人の席を奪って生き延びる安定した幸せな未来を、計画的に想像できなかった。最初の段取りをこなすモチベーションすら上げられなかった。総じて気分が乗らなかった。それは振り返れば、ごく個人的な環境のせいでもある。つまり人生で初めて5〜6年間ほとんど一人でいたからかもしれない。ただただ一人でいることが快適で、味を占めた。すると周りに同調する力が衰えて置いていかれたとも説明ができそうだ、視点を私の外に置くと。
 ここで厄介なのは、一人でいるのが快適なだけで、一人で何かを企てて一人でそれに実を結ぼうとするほど自己中心に陶酔できない、社会的に弱い一人好きだったことだ。嫌ではあったが、仕事をして金を稼ぐ気はなかった。立ちすくむ図。経済人に対して対案を出すほど憎悪を育み切れず、強いて言えばただ一人でいるのが対案だった。意味がわからないだろう。説明しよう。嫌な仕事を仕方なくやるのが嫌な仕事を存続させている面があるのなら、その嫌な仕事を一切拒んで、しかしただ何もせずここに留まる——たとえ不道徳に身内の援助に依存しても、移動も極力せずに娯楽も無料に甘んじて、省エネに生きながらえることが、嫌な仕事の存続問題に関わるので、おのずと政治性を帯びてしまうということだ。一応言い添えておくが、これはあくまで私の特殊な事例で多くの人々に当てはめる実用性がないことくらいは理解している。ただこういう現象が起こっているということの記録とみなしてほしい。
 ほとんど一人は現在までおよそ8年続いている。最近彼女が死に、私に想像する変化が起こっている。社会的に開かれた欲望を起こそうとしても立たないが、行く末を小さくも想像することで人生を考え始めた。残された命で何をしたいか。私は残したいと思った。私をなるべく果たして、その記録を残し、歴史の山の一片を意識的に担いたい。私をなるべく果たすとは、私を実行して、成功や失敗を起こすということだ。それを正確に記録したい。



だからリベラルアーツが必要
なぜなら人間の一般が重要視される流れだから。
ブラックロックが、GPIFがESG投資に移りますよ、と言うから、皆がイナゴのように投資する移行が起こる。
それは大きな人間たちがこれが正しいこれが間違いと言わなければ、社会の価値観が動かないことを意味する。大きな人間にはそれだけ、正しさを考える必要があり、その正しさは偏った考えではならない。偏りをなくすには、様々な意見をひとしなみに見流して取り込む必要がある。様々な意見とは、リベラルアーツに基づく。だから専門化するだけでは知ることができない、幅広い知識リベラルアーツが必要だ。リベラルアーツをみくびらないことで初めて、歪みの小さい正しさを追求しようとできる。



 2022/02/26 13:03記す。もう13時。Yahoo Japanの天気アプリで調べた気温は13℃、湿度28%、南西3mの風。部屋に流れてくる風が冷たくない。おそらく今年初。また来てしまった。しかしいつまでこの感覚を持てるだろうかと翻すと貴い。焦り、入学の懐かしさ、そわそわ、去年彼女と撮った桜、人生、恐怖、やけくそ、とはいえ恐怖、仕方のないこととして受容して進む。一つ改めて。しなければならないことなんてないと考えよ。人っ子一人、意味なんてないんだから。まだそんなこと言ってんの?いい加減にしろよ、もう死ぬぞ。確かに。でも許せ。どうしても怖かった、そして怖い。
 時々をなるだけ詳細に、非文学的に余白を残さずくどいほどうるさくたくさん記しておきたい。ヘイドン・ホワイトが言ったらしいプラクティカルパスト、それへの貢献。



金になりますよの期待値のみが定量化され、社会が良くなるよ幸せになるよの期待値が定量化されていない

市場が評価することを我々が評価するOSの仕様が、人の指向と衝突する。

寄付や奨学金は、資本主義内で無償に金を渡すこと。そのメリットは、社会貢献、名誉や権威、仁義のため。
金は限りがある。ポスト資本主義的思考ではなぜコテンが選ばれる?胸張ってるだけじゃ?
我々は信じられない。ポスト資本主義を標榜して金を得ているだけでは?
多くの人がわかっても、富裕層の合意がなければ難しいのでは?富裕層vs.中間貧困層

増税と控除の仕組みでポストへ:コテンを買うと控除を受けられる仕組みで金が流れるのでは?金払う側の魅力観や価値観にそぐわなければ金もらえない?いや国が制度設計すれば……そうすると国vs.民間構図が変わらないから喧嘩になる?


心が弱い。権威主義的志向。移り気。

○世界史データベースってただの世界史ノートとウィキペディアなのでは?

○データベース化といっても、データの選別が作為的にならざるを得ない以上、データの有効性や信用が保たれないのでは?

国会図書館をはじめとする図書館の蔵書のデータベース化は将来的に広く行われるだろうが、それとの差別化は?COTENデータベースはそれと何が独自で何が優れるのでしょうか。

○「メタ認知を活用することで「幸せな社会」のために行動しやすくなります」とあるが、具体的に、メタ認知を高めると人は何が手に入り、どういう人がどのように幸せになるのでしょうか。

○データベース化で



「〜しかない」語法はマチズモを想起させるので慎んでほしい



 余裕を覚えることによって、人は安心する。その余裕を覚えるきっかけは、文章や絵、写真などの静的な表現や、会話や中毒対象への没頭、共有など動的な行為や状態によって満たされる場合が挙げられる。(定義が甘い。他にもあるかも。)
 その、人に余裕を覚えさせる事象の質は、本人的であればよい。主観的とも言い換えできるかもしれない。要は余裕を覚えさせるには、余裕を覚えるその人が余裕だと思えれば良くて、科学的正しさは必ずしも要求されない。
 例えば20代のニートが、YouTubeで目にした「20代まだ全然大丈夫、30代まだ間に合う、40代頑張ればいける、50代奇跡を待とう」と書かれたサムネイルに、瞬間的にふっと楽になる。その文言が何を指しているのか判明しない点や、恐らくは科学的根拠のない文字列であることを自覚していても、余裕感情の快楽の瞬発力には抗い難い。
 お笑い番組を定期的に見たがる頭も、この道理で説明できる。喫緊の辛い記憶や絶望感は、お笑いを見ることによって一時的に消滅する。なぜならお笑いは、現世から隔絶した、それゆえ絶望感の原因や結果のサイクルとは全く別の論理で働いているので、私的な快楽忘却手段として手頃なのだ。
 それらは快楽であり、非科学的な没頭であるゆえ中毒と説明可能で、一種の信仰だ。



※以下ネタバレ含む。
進撃の巨人は、良く言われる日本国の社会状況にも適用できた。経済成長すればどこかの誰かや地球の何かを虐げるし、それを回避するブレイクスルーは降ってこず。だから「仕方ない、愛を持って日本人を生かそう、日本人がいなくなるまでの間ここに楽園を築こう」と老人(高齢者に限らず日本企業や伝統文化を含む)を生かす。エレンイェーガーが現れるか、侵略によって破壊されるか、思惑通り徐々に滅びゆくか。はたまた和平による継続を見出すのか。あるいはその他の想像を超える天変地異が起こって逆に台頭する線か。死ぬまでの間、この国をどう記述できるのかを楽しみにしたい。



1人でこそこそ隅っこに逃げるゴキブリのように行動していた数年前を思い出す。ああ、これではただ死ぬだけの人間だなと。



 2022/02/24記す。本田優貴著・漫画『ただ離婚してないだけ』全5巻を読む。展開が劇的で、それでいて無理がない(=反幻想的/現実的/自然だ)からすらすら読めた。あとがきの執筆者の多くが口を揃えて言っていた「感情の動きや変化がとてもリアルだった」点に、私も虜になったということ。作風が現実に即しすぎて、題材から間接的に危機感——現在の私的な生活の危機を覚える。これは今日同じく読んだ真鍋昌平著・漫画『九条の大罪』第1〜4集でも同様の感覚に陥る。うたた寝から目覚めた直後に、もう何年も掃除してない汚れた窓から入る16時半過ぎの西日が、いつもと違ってシビアだった。彼女が泣いていると思うと面目ない。
 ちょっとしたエロで反応するのが良いのか悪いのか。年齢不相応そうで恥ずかしくはある。



一人暮らしの玄関ドアの内側に、首吊り用の白縄が輪を作って掛けてある



 2022/02/22、しくじり先生ゆきぽよ回を観た。
 「捕まりそうな人間との関係を完全に断ちました!」と嬉々として話すところに違和感があった。くだりとして多少の笑いに繋がってはいたが、少なくともドッとは沸いていないから、もしかしたら似たような感覚をもった演者やスタッフもいたかもしれない。

 過剰な潔白を求めるSNS社会と芸能の関係がうんだ歪みの最たるものだろう。犯罪者が罰せられるのは社会を運営する上で仕方のない断定であり、多くの犯罪者の犯罪行為の根本的な原因は、属する環境と育ちによると理解している。「犯罪者になったひととは今後一切関わりません!」と営業するのは、民族や都市の浄化行為と似た響きがあって、私的には差別に等しい。市場の原理に従えば正解の発言だが、社会的・人道的には明らかに間違っている。一時的に仕事復帰はできるだろうが、この歪みは何らかの形で直るだろうから、長い目で見れば先取りで逆張りしておけば金になると思う。元犯罪者と出所後初飯をYouTubeで撮影するような社会包摂の文脈が乗った芸能活動には賛同するばかり。
 なりたい自分と、未知の需要ある自分との乖離も端的に現れているから、私的にも実りある回になった。

芸能人として食う将来への見立て



進撃の巨人。アルミンはエルヴィンを思い出し「何も捨てることができない人には何も変えることはできないだろう」との言を思い出す。躊躇いなく自らの命を擲つ兵士や戦士を、「ようやんなあこの漫画は」とメタ視点でかわす読み方をしたことには意識的でなければならない。ふと2022/02/21 22:04記す。



デジタルに対するアナログ
人工に対する自然
への信頼って何だかいまだによく理解していない。



2022/02/21 4:53、定位置のベッドの上にて記す。長らくもったいぶって手をつけられずにいた諫山創進撃の巨人』の最終巻を読み終える。これから脳内で反芻して、私的に最終巻を振り返りたい。なすべきことを一切せずに悠々と漫画体験に勤しんでいることに、いい加減引け目を感じなくてもいいのではないかなどと強気に出られるのは、あくまで瞬間風速的で、改めて限りある人生を大事に過ごしたくなる読後感と、坂口安吾堕落論』を取り扱ったNHK「100分de名著」の違法アップロードを午前中に観たせい。強い主人公の映画を観た後の帰り道、肩で風を切って歩いてしまうのと同じ。



近いうちに「知らない勇気」とかが始まるよ



 2022/02/20 13:24記す。カーリング女子日本代表が史上初の銀メダル獲得、2大会連続メダル、とLINEニューストップ。
 2020東京五輪(コロナ順延して2021年開催)から、明らかに五輪を素直に楽しめなくなった。というか楽しむモチベーションがなくなった。メダル獲得とメダリストの声を届けるメディアに醒める思いを持ち始めた。テレビを見なくなったからかもしれないし、自分の身の上を不安がりだしたからかもしれない。あるいは批判が目に付いて、マイナスインパクトが記憶に残るからかもしれない。金がもったいないと思い、国が主催する意味を問うようになった。スポーツ観戦は好きだったはずだが、「メダルを獲ることだけが正義ではない」とアスリートの人権の主張と国家による五輪の国威発揚手段化を否定する声や、そもそもスポーツに関心を持てない旨の発言は、説得力をもって確かに残響して、それが感覚を狂わせた可能性も無視できない。時代に流されて、感性を捨ててしまったのか。



意味や使い所の真面目さとは裏腹に、白けた、ゆえに面白い音がする熟語こと補遺



 2022/02/15放送の千葉テレビ白黒アンジャッシュ』の渡部復帰回を観る。
 怖っ、との直感ののち、これはゲームだと思った。そういう箱庭世界の中のキャラとしてこう振る舞うのが正しいので、こんなに厳かなんだと認識した。ゴールドソーサーがかかるような幻の世界へのコミットには没入が求められる。「芸人だろ?バラエティだろ?」と言いたくなる異様な光景に見えるのも、世界観だと思えば、是非も問えずにそういうものだと理解するしかなくなる。
 彼らはネタをするのと全く同様に、そう立ち回るのが観客のためになり、それが翻って自らの芸人としての保身にもなるから、頭を下げ、声を詰まらせた。頭を下げ、声を詰まらせるのが観客と自らの保身のためにならないと判断するのが妥当な世界線なら、きっと彼らはそうしなかっただろうからだ。そこに本人の意志はない。板についた芸人ひいては芸能人のムーブだった、と説明するのは決して理を欠いていないだろう。
 どうしても自分らは芸人、芸能人でありたい、そうでないとまともに未来を展望できないんだ、と不特定な誰かにむかって必死に許しを乞う態度。そこに彼らの芸人魂あるいは芸能人ブランドの矜持をみたとも言える。



やはりたまに、「愛してる愛してる……」と心の中で繰り返し唱える



 かといって存分に快適に過ごせるほど引きこもる才能に恵まれたわけでもなかった。放置する後ろめたさが頭をもたげるのに抗いながら、本当に日がな一日(14-15時間!)スマホを見ている。ラジオを聴きながら。どうしてもラジオをやめられない。ラジオを聴くことをビジネスに結びつけるアイデアがない。散歩中は頭がクリアになる分、私的精神構造上真っ当に不安が立ち込めて、左胸のつかえが苦しく、それが日々だんだんと大きくなっているような気がした。自ら進んで死んでは彼女に向ける顔がないと泣きそうになる人間だった。太宰治をパクったわけではないが、しかしどこかで彼の功績に寄りかかろうとする現金な精神性を否定できないのが、自分の過去を振り返る経験をした自意識の本音だ。
 2022/02/18記す。昨日は久々に出たが、最近は買い物にもあまり出なくなった。会話する神経の衰えを懸念しているが、それ以上に次なる人生を始めるのに悩んでいる。風呂にも入らない。これではすでに悲しませてしまっているではないか。裏切るようで。死後の世界はどんなだろう。



なんだか、この世の中の多くが、流行り廃りで気分が左右されちまうような
生きるも死ぬも、流行り廃りに全て決する権限が委ねられている状態は、それどうなんだろう?
→証明は?
検証をよくする欧米の大学は、どこから金を引っ張ってきているの?調べ



正直未だ自分次第で何にでもなれるって思っている、その幼気さというのは自覚しているよ。自然体でいると大体行動が遅いから、この思考も既に後悔される遅刻をしているんだろうな。



好きなものの見つけ方、と
既に、静かに、誰に褒められるでもなくやっているもの



刺激のために、衣服を前後逆に着るなど



おそらくだが、
智秋をともあきと読めば男性だが、ちあきと読めば女性にも適用できる



(一部敬称略)



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