ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

直近2週間のうちに思ったことなどの箇条書き

(2021/06/18更新)


私には意図的に自分に理不尽を課す癖があるのだが、ふと、これが物事を決められない性格を助長しているのかなと思いついた。
理不尽とは例えば、散歩中に緑道の標識を横切るとき、一旦左側を通過したのを数歩無駄に費やして戻って右側を通り直したり、階段を上るとき片側の足に全体重をのせて踏み上げるように上りたくて、その踏み上げる片足に満足いく自重が乗らなかったときは時間を捨てて下りてやり直したりする挙動のこと。なおその時の心の動きを言うと、この無駄な動きについては、無駄とは言うものの自分の中では時間を浪費する罪悪感などは全くなくて、大袈裟に言えば私を私たらしめる訓練として進んで受け入れている心境だ。
何でこんなことをするかっていうと、心に常にハリを作っておきたいからだ。潤いとも言い換えられるかもしれない。こう、何か出来事が起こったときに、心に弾力がないとその出来事によって心が望まずに折れたり歪んだりする気がして、そこで生じるだろう痛みが怖くて、とりあえずはそういった出来事が起こったときにも心が変形しないような準備として、日常的にささやかでも意図的に理不尽を自分に課すことで、弾力を保とうとしている。この度はこの習慣が心に、具体的には今から一応は人生をやるのに、負の影響を及ぼす/既に及ぼしているのではないかということを言っている。
やりたいこととやりたくないことの違いを生活の中でくっきりさせて、区別することで、やりたいけど壁があることに対しても積極的にその壁を壊すなり避けるなりしようとする努力を楽に/自然にし始めるのではないか、との仮説を妄想する。
最近、メディア越しに見聞きするエンターテイナー(ex.有吉弘行佐倉綾音大谷翔平など)を見るにつけ、彼らの躍動するさまを見てそういう気持ちを催すときがある。「彼らは好きなことを好きにやり始めてずっとそれを納得しながらやっているから、あれほど精力的でい続けられて且つ都度成果を得ているのかな」「そこに我慢はなくて、あってもそれは枝葉末節で活動の本質には関わらない、例えば技術的なことだったり、コントロール不能な他人との兼ね合いだったりに過ぎないのかな」とか、そういうことを妄想するようになっている。これがこの発想の原因かもしれない。自分でもよくわかっていない。しかしこの感情に関する心当たりのあるハイライトだから記しておく。
今は日常のあらゆる場でもはや自然に設けている理不尽によって、少なからずやりたいこととやりたくないことの境目が曖昧になっていて、そのせいでやりたいことが浮かばないし、やりたいと思ったことを始めてもすぐに欲求が下火になってしまうといった自覚がある。この因果の結び付けが間違っていたとしても、実験する価値はあるのかもしれない。つまり習慣である理不尽を課すことを一旦全てやめてみるということを試みても良いかもしれない。
気持ちが揺らいでいる。実験してみようか、どうしようか。戻れなくなって心のありようが悪化する、つまり衰弱して、性格が今以上に非社会的になるのが怖い。既に変化を恐れている。



そもそもコロナ禍に関係なく、マスクをせずに外に出るのが嫌で、今もそうだ。もちろん本当は外で食事などしたくないが、付き合いだと自分を殺して都度姑息に乗り切ることをした。が、それはただの問題の先送りで、決して解放には繋がらず、むしろ13年来外出時には欠かさないマスクの着用で培った、外科手術以外にもう解決が考えられない肌荒れによって、実際的な問題を明らかに悪化させている。私が2021/06/09 16:25の今ここにパンツ一丁とくるぶしソックス姿で昨日洗濯して取り替えたシーツの上で仰向けになっているのも、思えば多少なりとも、いや見栄を張った正直に言おう、本質的にこの問題の存在が原因である(私的感覚では)。
見た目、とりわけ顔面に関して、心身が業に囚われていて抜け出せない。もし真後ろから後頭部を元高校球児に金属バットでフルスイングされた暁には、その業に一旦の区切りをつけることができると思っているが、これはインド的にはどうなんだろう、良くないのかな。
⭐︎
なぜ若林の偏頭痛と最新の薬の話に同情できなかったのだろう。長年悩まされるどうしようもない身体的苦痛からの一旦の解放、その希望越しに見える日常の景色の輝かしいことに、どうして反射的に感動できなかったのか。今更よく考えたら、私なら、私事として自分の抱える問題とシンクロするはずなのに。
自分の問題を問題として捉えることを避け続けてきたからだろう。問題があるとはとても悲しい人生だから、自分に問題があるのはいけなくて、問題の疑いがあることあるいは問題の水準に達した出来事が起こっても、それを一瞥するばかりで無視してきた。その結果が、この、自分に対する鈍感によって生じるつけだ。決められない性だ、引きこもる理由だ、問題を先延ばしにして放置する末路だ。よく考えなければ気がつかない同情の余地、それも私の性格や行動を裏付ける私的本質的な問題と同期するはずの同情心とは。書いて気づく、これは小さいようで非常に致命的な人間的な欠陥といえるかもしれない。
ただし鈍感に気づいたときの苦しみ、それは人間にあるあるな悩みなんだろう。



自分がどういう形をして、何色で、どう挙動するのかを発見する時間を豪勢に与えられていると思うとする



2021/06/12、散歩がてら進撃の巨人の最終巻に印税を支払うため本屋へ。久しぶりで、棚、とりわけ漫画と文庫本のブースを巡回・物色する。物色途中で、久々だし恐らくまた次回来るまで期間が空くだろうからと、前回の物色で(Vogue JAPANの表紙だった)アドゥ・アケチという収穫があった記憶をいいことに、ついでに何か1冊買うことにした。が、物色が新鮮で、例によってダラダラする。ラノベのあとがき、具体的には葦舟ナツ氏の既刊の文庫2や、丁度棚の一番左下にあった『僕たちにデスゲームが必要な理由 (メディアワークス文庫)』のあとがきなどを読む。蛍の光が流れ始めて買い物の決定を急ぐ。何を買おうか、このままではどうせ安パイの世界の名作、カフカの読んでないのとかを買ってしまいそうだ。そうして勇気を出して、逆を行くことにした。つまりは1時間強巡回した棚の中で、最も差別的な意識のはたらいた本を買うことにした。
一般的にはありきたりな発想かもしれないが、保守属性+特殊能力・守銭奴根性付きのキャラにはなかなかたどり着き難い展開ではあるのだ。ではなぜその考えに至ったのかといえば、かつて抱いた差別意識が、思い返せば、好みによる峻別ではない、ただ不当な差別、私視点の言葉で言い訳がましく言い換えるなら'新しいもの怖さ'の発露だった、という(現時点で)私的負の経験(と結論づけたこと)を、棚上に掲げられた「ライトノベル」というジャンル名を目にして思い出したからだ。
小6か中1くらいの頃か、涼宮ハルヒの憂鬱という作品が流行っている、というのを小耳に挟んだ。たしか図書室にも所蔵されたと思うが、私はこれを、ーー今でもこれははっきり自覚があるが、何そのタイトル気持ち悪、ダサっと思った。中身を読む前からそのタイトルの異形なことに反射的に嫌悪した。その食わず嫌いをした数年後、去年私は、お笑いコンビ・霜降り明星粗品が同作に言及したのをきっかけにアニメ版を見た。あのとき進んで見ない選択をしたのを、後々に他人の言に唆されるかたちで覆した時点で、かつての差別意識は罪だったことになった。こうして私に芽生える差別意識は、説得的理由もない愚かなものである可能性が高いと自制するようになる。この経緯を「ライトノベル」の字で思い出した。
店じまいを迫る蛍の光と辺りの客がいつの間にかいなくなったことに気が急いて、結局村田真哉原作・zunta作画の漫画『こんちゅき 01 (ドラゴンコミックスエイジ)』を買った。
⭐︎
nicoboxで声優ラジオを雑食しているから、ライトノベル棚や出版社別漫画棚で、特に大々的に売り出された平積みのタイトルなどが大体見覚えのあるものであることを発見した。メディアミックス(主にアニメ化ドラマ化文庫化映画化続編化)されるだけ人気ということか。『魔女の旅旅』『ダンまち』『イジらないで、長瀞さん』『幼なじみが絶対に負けないラブコメ』ほか。



LDHらにキメセク15Pされる(=回される)のは許せないと思った、私にとってあやねるが実体を見たことも肉声を聞いたこともない全くの他人であっても。怖い、自分が危ない。



言葉が擬人化するフィクション。定型文でしか使われない「精進」が葛藤している。古語は幽霊。現代でも使われている古語はそれぞれの生存戦略が実を結んだ。



主人公「人生を真剣に考えるなんてナンセンスだ。/人生を真剣になんて考えない方がいいぞ。そのためにこんなに娯楽が溢れているんだから。」



例えば「めくじらを立てる」って表現を、ラッパーが書くリリックでは韻を踏むために「立てるめくじら」とすることがままあるが、こういうのがあまり好きではない。「めくじらを立てる」で一つの慣用句だから、ただの一文中の文節のように扱うところに雑さを覚える。まあ芸術、好きにして全然構わないが。保守的な性が疼いた。



先々週以下のことを思ったのだが、

売名のためか、国のコロナにまつわる各種対応(ワクチン接種や五輪ネタ中心)に地方の県知事が各々の自由に物申すくだり、赤信号皆で渡れば怖くない精神を察せられてダサい

よく考えると、この地方首長にめくじらを立てる感情を国が誘導しているのではないか、とも思えてきた。政府の至らなさをカモフラージュするために、点々とする各地方の長にストレスの矛先を向けようとするささやかな、しかし重要な国民のストレスマネジメントa.k.a.計略である可能性。



面倒臭がり・面倒嫌いだから慎重



既にカテゴライズされている嗜好や感情に素直に出くわすと嬉しくなる。その場で事なきを得られると思って安心する。一方で金稼ぎ、競争のルールの下ではカテゴライズされていない事物が重宝されやすく、好んで未知なるカテゴリを探す。何と都合の良い。



単語けしからんが思い出しづらい引き出しに入ってる。



もういつからか、ニキビという単語を聞くのさえ、自分のことを言われているようで過敏に不快になる。CMも街の会話も、もっと言えば文字面すら目に入るのが嫌だ。言及している文章から翻って、「(あなたで)それなら、私は一体どうなるだろう」みたいな自己卑下する材料として機械的に汲み取って被害妄想に向かう。
あえて例えるなら、自分の知らぬ所で撮られたにゃんにゃん写真を目の前でスマホ画面を横スワイプされながら嬉々として見せつけられるのと同じくらいの気分。ちょっと言い過ぎかも。



人心掌握には興味がない。悪だと思っている。



特にアイドルグループの歌声って誰の声なの?って声がする。グループの違いが歌声の差になって表れず、そろって男性集団・女性団体の声って風に聞こえる。ちゃんと聞いてないだけかな。



すごいとはなにか。ニコニコ動画の公式生放送を最初に立ち上げたということはすごいのか。私は正直判別できない。すごいと思える人にはすごいんだろう、すごくない人にはその価値が実感できないんだろう。要は、すごいというのも主観を多分に含む感慨なんだろうと結論したい。すごいと言われることが、私にとってすごくてもすごくなくても判別できなくてもいい、という、また決められない性を肯定するような結論に至ってしまったが、間違いかな。



たしか2021/06/09、料理の話題で彼女に言わせた「面倒くさいのすごい嫌いだもんね」のすごいってところが引っかかっている。
申し訳ない気持ちもしたが、一方で面倒くさがりはそんなにいけないことだろうかという視点もある。結論、現状では自己都合が勝つ。つまり料理が面倒くさい性格とそれを漏らす口を反省しない。いや待て、愚痴るのは直した方がいいのではないか。料理がダルい性格はそのままでいいが、口に出すのはまた違くないか。口には出すなと自分でも思うだろう、しかも言っただろ、実際に同居人に。直そうそれは。言っちゃダメだ。



批評家は、慣れという人間的な仕組みにどう抗っているのだろうか。見慣れる、聴き慣れるなど対象に触れ慣れると、その景色が当たり前になって不自然ではなくなるから、対象を批判的に捉えられづらくなるのではないか。視点が対象寄りになっては、真に批評家の務めを果たせないのではないか。



私的異性の萌えポイント:腐らせてしまった料理や食材を処分する姿全体



お土産候補案:かぶきあげTOKYO
2021/06/08 洲崎西より



精進って言葉はあんま使いたくない。仏教色、宗教色がするっていうのと、日本人アスリートのインタビュー時の定型文で採用されているから。これ言っときゃいいだろワードの一つで、本心を隠すのに有用なつまらない(≒使われ方からして中身を伴いづらい。空虚な。)単語だから。



世界の中心に「痛み」を置けば|ちくま文庫|斎藤 環|webちくま内の文章
「例えば川上は、表題作において女性の身体の一部分を「女子の先端」と繰り返し表現する。タイトルに含有される性的なニュアンスは、「女子の先端」が、まさに充血したり膨張したり挿入したい可能性に開かれたりすることで、剥き出しの快楽が「痛み」の受容と表裏である可能性についてのひりひりとした記述を強化する。」の、特に「〜剥き出しの快楽が「痛み」の受容と表裏である可能性についてのひりひりとした記述を強化する。」って所を読んだときに、以下を思った。
主述の対応や助詞の一つ一つに不足がない文章が好きだ。言葉の呼応は基本完全であってほしい。閉じている、とか言ったかな、そういう文章。その方が読み返しやすいから、ゆっくり読む(/しか読めない)私にとって都合がいい。ラッパーのリリックとは真逆の、ひどいくらい整備された文章をまず読みたい。味変はそれに飽きたらにしたい。固い内容や古風な文体がほしいわけではない。



夢:コンビニであらかじめ買っておいたパンを自宅に届けるバイト。整然と整備されたニュータウンへ。セブンイレブン。周りをチョコレートでコーティングした四角いパンを食ってしまった。後々ことの重大さに気づく。近場の住居併設の小型セブンイレブンへ行くも、服装をぐだぐだチェックしていたせいで午後5時閉店に間に合わず。品自体があるかどうかもチェックできなかった。ちなみに服装は上下スエットのような生地の、白基調でグレーの縞(虎柄)みたいな色合い風合いで、農家がかぶるつばの長いグレーの帽子、顎紐付き。側から見たらダサいんだろうが気にならない。



ひたすらにそれとなく自分の都合で生きる人間と過ごすうちに、望まずとも「面倒くせえ……、何で俺はこんなことを……」との思いが膨らむ。果たしてこれは、同居人によるこの感情の芽生えを見越した自立への促しなのだろうか。それとも世の常、自然の摂理のようなものなのだろうか。後者だとしたら、こんな辺鄙で隔絶した空間にも世の常は顔を見せるのだという事実、スマホの驚異を知るのだろう。



何千年、何万年前の人間には想像もつかないだろう先進的な考え方、って思っているのは現代人の思い上がりかもしれないとは思わないか。何千、何万年前の人間も絶滅危惧種の保護の視点くらいは持ち合わせていた(持ち合わせることができた)のではないか、実際に行動したかどうかはさておき。だって今だって行動に移せるのは人間のごく一部だけで、大半は自分の都合のもと利己的・個人主義的に生きているわけだし。



ルームツアー
=部屋の内見動画@YouTube



よく考えたらAマッソ加納とさらば青春の光森田はお似合いではないだろうか



俺はお前じゃない byオードリー若林 kwann2021/05/29放送分より



作り置いていた夕飯を要らないと言われて「何だよ折角待ってたのに……」という気持ちになるのは、作り手になってからこそやっと身をもって分かった。今までは、「別に不味いから捨てるとか言うわけでもなし、冷蔵庫に戻すだけなんだから予定変更して家で夕飯食わないぐらいどうでもいーじゃん、腹の減り具合を家族の脳内と同期してなくても」と思っていた。



お金くれてありがとうが溢れすぎて駄目



鉄道ってメジャーなサブカルチャーだから世の中に結構満喫できる施設があっていいよね。好きな人が羨ましい。



夢:図書室で、昆虫博士になりたい、昆虫博士でなくても学者になりたいという夢について思っていた



俺はこんなにやってるのに〜
何で俺だけこんなに〜
面倒くせ〜



あやねると小栗有以
2人の写真を並べると多分似てない、でもその人単独で見ると一方に似てると思ってしまう。そういうことがある。
例えば小栗有以がヒルナンデスのワイプで映るのを見たとき、あやねるに似てると思った。でも実際に検証すると多分2人は似ていないし、他人にも共感は得られない。こういうことが結構あるのは、おそらく、その人を一見して(この一見・ぱっと見で、というのが重要)捉える全体像・雰囲気から受ける印象が私にとって似ているから、両者の見た目は似てると思う思考に繋がるんだろう。
そこから敷衍したアイデアとして、見た目で苦労しないための努力の一つとしてあり得るのは、ファーストインプレッションをコントロールすること、つまり初見の印象を相手のカテゴライズに収まるように努めることだ。相手が好感するぱっと見の印象に、ふわっと、ざっくりでも近づけることで、その後幻滅が待っているとしても、一見されるだけの対人関係は良好に進めることができる。
いや2人は似ている?



芸名名付けに関して
一般名詞ではあるんだけど、あんまり普段耳にしない言葉をペンネームに使う。そのペンネームを先に聞いた人が、のちにそのペンネームの由来となった一般名詞の方を聞いて、「ああここから取ったんだ」と思わせられるような、そんな一般名詞をつけると丁度良いかも。from kwann2021/05/22のオープニングトークより



労基法曰く会社都合の働いてない状態は給料が支払われるらしい。未払い請求できるMax3年経過後に労働審判を起こすと多く金がもらえるらしい。from 第4回天下一無職会



部屋に湧く全長が人差し指の爪くらいのミミズみたいなオレンジ色の線虫と、カメムシの黒いver.みたいな虫を、見つけてはパンが入っていた透明なビニール袋に捕まえている。かれこれ7〜8匹は入れているはずなのに、捕まえたままの形を成しているのが3,4匹で、残りが残りカスのような死骸になっていた。どうやら覚悟のあるどいつかが食っている。線虫の一匹が動いていたので、おそらく奴だ。



素人の立場からお笑いラジオを聞き始めてそれを褒めるのに伊集院が使われている?周知の御大を褒めておけば間違いないはずだ、という魂胆が透ける。



鳴き声で何鳥かを当てられるようになりたい



吉本と桃鉄が提携していたように、モンハンと声優業界全般は手を組んでいるような。ラジオのフリートークでやたら聞く。



ビジュアルの良い人が、魅せるビジュアルを公衆に晒す(ex.写真集やグラビア誌)さまを見たときに湧くことが予想される気持ち最新:そういう幸せも味わいたくて、実際に味わえる人なんだ。私には味わえない幸せを。ああ、あなたもそうだったかやっぱり。
質は、羨ましいのと、見下される悔しさと悲しさと怒り。



妄想:身を削る思いをして泣く私「腹切りする……、初めて腹を切るときって、多分一番痛いじゃないですか。腹に刃をあてがって、心を決めて、くっと押し込みながら持ち手側に引いていくとき。その最初が痛みを知らないわけですから経験中一番痛く感じると思うんですよ。だからこれからは泣かないはずです、段々と体も心も慣れるでしょうから。(期待してください。)」



もしかしたら私にはラジオがない生活の方が幸せなのかもしれない。独居房とラジオは、私にとってこの上ない親和を果たしているから。ラジオで知った/触れた世界は私にとっては後天的で、真に性に合ってはいないのかもしれない。事実、InterFMの日曜昼前後でやっている番組「Lazy Sunday」のバイブスを日常生活の中心に据える青写真を描くこともある。
ラジオがない生活の方が良いかもしれないことを説明するのにラジオ番組の名前を出していてややこしいが、私には問題ない、整理できている。つまりLazy Sundayは、その前で言った"ラジオで知った/触れた世界"とは全く異なる(と私的にカテゴライズしている)世界の雰囲気を醸している。私的感覚により忠実に言い換えると、スローライフノマドな(古いか)、Take It Easyの良い所を濃縮還元した、笑顔のサーファーの日常のような風景を思い描かせる番組だ。



金銭欲の膨張さえ抑えられれば、満足できれば、これ現世の幸せ



タイトル案:一丸となって
つの丸の一部になって死ぬのも厭わず戦おう、共に



生物学者になりたい高3に反対意見をみせる親「医者は食いっぱぐれないだろう、だから推す。その理由は、まず病院も沢山あるし、広く一般にリスペクトされる仕事だし。さらに医者が仕事の人は国内はもちろん世界にも沢山いるから虐げられづらいだろう。だって利害関係者が多いし、リスペクトも得られているから。」



漫才設定案:舞台の幕間に流れる安いBGM(エレキギターのリフ)の演奏家になりたい人と、それを表向きでは応援したい態度だが本当はそんなんじゃなくて一緒に漫才していたい人



ダボダボのシャツを捲り上げた様



服の生地の名前、あと花の名前が一見してスッと出る人



いつにも増して神妙な顔つきで言葉選びしてんなっていうのがわかる、テレビカメラの前ではお行儀よくしないとって態度が透けて見える大人は、授業参観の日から運転中に警察車両に気付くようになる年頃まで、基本的な性格が変わらなかった人間



18歳っていうストレートに大学に入学する年齢までの間に、どんな専門に携わりたいかを決められなかったから、決めることができてから入り直す選択肢はあっていい。



SHISHAMO「中毒」を流しながら壁倒立をして。
私的に名前を聞く割にあんまりな印象だったので、改めて今どんなんだろうとストリーミング視聴をする。PVは見ずに音だけ聞く。もうちょっと刺激が、裏切りが欲しい。需要に応えすぎ。優しすぎ。いや、中毒ってタイトルからすると、もしかしたら敢えてそこを狙ってやってるのかもしれない。確かめるには他の曲も聞かないといけない。ただこの感じだと多分聞かない。



夢:中学野球。昼練前、いや昼から車で遠征する予定になっている、出発前の駐車場。白く粗い砂利。S津とF地が乗る車の隣りにつけた。Fは後から来たが、なぜか顔が良くなっている。
会話をしないと関係性が悪いと察せられそうで、無理に会話を始めようとした。彼は「今までろくに喋ってきてないのに、なんで急に話しかけんの」と(自発的に)思われたような丸い目をした。私は親の手前、はぶられているのを気づかれたくなかった。
駐車場は入り口からまっすぐ前方そして大きく右側に駐車スペースが広がっていた。上から見れば、手持ち用の棒付きの四角い国旗みたいな形の敷地だ。
入り口の左には崖のような急な斜面があるが、そこに10人×3列くらい並んだ保護者、主に父兄連中が白装束で立っていた。その様はある種壮観だった。何かの信者のようで、一目見てうすら怖い奇妙な光景だったが、そこにいる私はそんなはずはないと心のざわつきを抑える仕様が施されているので例によってそれが発動した。あそこにいるのは父兄連中であるのは顔を見てわかるのだから、あの姿で大人数が立ち並んでいるのは、なにも怖い光景ではない、と。そこを疑ってはいけない、なぜなら認識がブレるから、と。
そういえば駐車場での車上荒らしが複数回起こり、見張り役を作ることになったなどと親が口にするのを聞いた。チームを運営する上(うえ、かみ)が企図した策が下達され、現場で実行されるまでの間に、生の意思や思惑がぶつかりあった結果こんな形に変形したんだろう。なんでこんな人数多いんだよ、こんないらねえだろ、見張りは今日一日やればいいわけじゃねえだろうに。ローテはどう組んだんだろ、大丈夫かな。覚醒後の私はそう思った。
女子2人が来て、ノートPCを持っているかと問われた。持ってはいるけどと答えたら、貸してくれない?と言う。怖かったので「何に使うの?」と返すと、「動物の写真みるの」。何か嫌だったが会話のラリーを先導してしまって引くにも引けなかったので、「もう少しで出るからそれまでなら」と答えた。貸す前に起きる。



芸能人じゃない、でもメディアに出る人(ex.経済評論家)の宣材写真でキメてるのを見ると、悪気なく、「お、猿が粋がってるな〜」と思う。厳密には猿の仲間。



誰が考えた?「開口一番」。開口と一番、この絶妙な連語!



夢:コウモリがたくさん。ネズミも食った。追い払ったあと外に出ると、辺りは荒廃していた。砂埃が舞って視界が白んだ。穴から顔を出した白髪の一人はよろついて、もう先が短そうだった。



歌の歌詞が入ってこない。リリカルな詞なら活字で読みたい。節回しやメロディが理解を邪魔する。リスニングが苦手。


料理

ガーリックトーストの作り方
フランスパンを断面斜めに切る→溶かしたバター・オリーブオイル・塩適量と胡椒少々を混ぜたのを断面に塗る→ニンニクを擦るor微塵切りを断面中央に塗る→焦げない程度に焼いて完成



◯鰹の太巻きについて(スシローで食べたものを参考)
大葉で鰹を巻く、みじん切りした玉ねぎ(の酢漬け?)、揚げたニンニクのみじん切り、長葱の緑の部分の輪切り



◯玉子サンドの具について
潰したゆで卵に和えるマヨネーズのほかに、砂糖(食パン4枚分・卵4個に対して小さじ1)、塩・黒胡椒少々、ほんの少しの麺つゆを混ぜる



◯田作りについて
砂糖は多めに



明太フランスの作り方
バター20g(2欠片くらい)を皿に入れレンジで20秒で溶かす。そこにマヨネーズ大匙2、(辛子)明太子適量を解し入れて混ぜる。ソース完成。
フランスパンを縦に切る。切り口になる断面の白い部分にソースを塗って、オーブンで焦げない程度に焼く。刻み海苔を上からまぶして完成。



◯アスパラの豚バラ肉巻きについて
細長くて四角い豚バラ肉を一生懸命アスパラに巻く。重ねながら斜めに巻き上げる。肉を置いて、アスパラを巻き込みながらの方が巻きやすかった気が。
解けやすい巻き始めを下にして、油を敷いたフライパンで焼く。味付けは塩胡椒を適量振りかけるのみ。ひっくり返して肉全体が変色して一部に焼き目がつくくらいで完成。



◯煮卵について



◯シチューの具であるところの火の通りづらい人参やじゃがいもは、予め耐熱皿にいれて電子レンジで熱を通しておくと楽。鶏肉は焼いて切ってから鍋に入れると香ばしい。



◯新玉ねぎの冷製スープは、新玉ねぎを大根おろしを作るようにおろし金で只管擦る。牛乳を入れる。あとは上から刻んだ緑とブラックペッパーを適量まぶすと様になる。
新玉葱2個を擦る。半分に切って断面から擦ると崩れにくい。
→炒める(≒煮る)水分を飛ばす。
→ほんのり色づき始めたら、水200ml、コンソメ・塩胡椒適量を入れる。混ぜる。
→沸騰しかけたら、牛乳400ml、バター適量を入れる。混ぜる。
→再度沸騰しかけたら火を止める。余熱が取れたら冷蔵庫へ。→ブラックペッパーと刻んだパセリを振りかけて完成。よく冷えていた方が美味しいそう。



◯ねぎのみじん切り入りピリ辛ソース(茹で鶏などにかける濃い味のたれ)
酢、醤油、生姜、ラー油、蜂蜜、レモン汁などを混ぜるらしい。分量などはよく調べて。



◯茄子とピーマンの甘味噌炒めの作り方

砂糖の代わりに味醂を使っても良い。味噌を伸ばす。



(一部敬称略)



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