ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

直近2週間中に正直に思ったことなどの記録

(2021/06/03更新)


夢:聞き間違いで野上さんと呼ばれ、路上で男2人にスカウトされる。両者とも明らかに年上。背丈は凹凸で、低い方が年上の上司。少し横がある。サングラスをつけ、黒いスカジャンのような生地の外套を羽織っている。背が高い部下は、とはいえ180cmそこそこ。浮かない顔をしている。しっかり顔を見ていないから、人間の特徴はシルエットを一見して網膜に焼き付いたのを頼りに言っている。2人ともやたら野上さん、野上さんと名前を口にする。
よくわからないながら2人が何をやっているのかを見ていたところ、部下の両腕がばっちり刺青なのを目にした。多分イリーガルだと察し(≒見做し)、逃げる。が失敗する。また逃げる。捕まる。こうして逃げては何度も捕まる。商店街から抜け出せない。真ん中に太い道路が走る片側の歩道。反対側の歩道を歩く人には手を振って連絡を取り合えるくらいの、向こう岸の遠さ。高田馬場駅周辺のような風。
足が前に進まない。爆発しない。うまく走れない。捕まっては、彼なりの言葉で訥々と、身の上の切実さや逃げられては困ることを話される。ただ何をしているのかなど核心には全く触れない。



私的異性の萌えポイント:白いノースリーブ、猫背気味かつ片手離しでチャリを漕ぐ姿



人間がサムネイルに映るとその目を見がちだけど、趣向を変えて鼻に注目するとおもろい。大体皆同じ形をしている。たまに違う形をみかけると、それがシュッとしたイメージの人のものだったりして、私的印象を再定義できる。鼻見楽しい。



「エロ!」ってツッコミ、懐かしいキモさがある



合理的とは、一般に普及した任意のルールの、高い忠実度合いを言っている。時代によって・人によって・コミュニティによって、つまりそれが語られる文脈によって何が合理か非合理かが変わる。下手したら両者は入れ替わりさえする。
導入するルールが異なる二者の言う「合理的」は、それぞれのルールに基づいた合理を言うから、それぞれ「合理的」が示す意味が異なり、また場合によっては両者の合理が相容れない状況に陥ることもあるということだ。



売名のためか、国のコロナにまつわる各種対応(ワクチン接種や五輪ネタ中心)に地方の県知事が各々の自由に物申すくだり、赤信号皆で渡れば怖くない精神を察せられてダサい



群青色よりちょっと明るい、中日の青



夢:スーパーで巨人対人間。巨人は敗走中。始祖はいない。何回も何回も、1000回以上は食っている無垢の巨人は、動きが素早く単純に強い。彼らが人語を喋りかけているのが素人の耳にもわかり、同情の余地がある。ぐるっと周ってエントランスまで来た。外は豪雨。「どいつもこいつも『俺はやっている』ばっかで(男は)名誉欲にうるせえんだよ。」主人公が叫ぶ。走ってコンビニに逃げる2人、捕らえられかけた2人、逃げている2人。
「このまま巨人に踏み潰されるなら死ぬわ」と悲壮を口にした母親は、我に返るように/思い直すようにその瞬間必死でまだやり直せることを説く。TVニュースのアンカーの女性だった。



正しいアイドルとの付き合い方とは〜彼や彼女たちの自由を考慮して〜
自分の恋愛を犠牲にして初めてファンとの擬似恋愛が成り立つというアイドルという商売の構造上、犠牲は仕方ないのか。それでファンはアイドルに犠牲を強いているという責め苦に悩まなくてもよくなるのか。アイドルを推す目を育みつつあって初めて考える。



歌詞案:金が欲しいから作る、金が欲しいから真似る、金が欲しいから頷き、金が欲しいから前向きに笑う



正直、蛙亭東京03より、なかやまきんに君やもう中学生の方がずっと好き。回り込まないで言う。ピン芸人が好きと言うわけではない。



あからさまに餌を目の前に吊るされるのが嫌い。つまりカモられるのが嫌い。明らかに自覚して美脚を露出する衣装を着る、(美人とは周りからもはや言われない)美人の画が嫌い。衣装を用意する人間とそれを着る人間の、ホレホレと言わんばかりの魂胆は、カモられ嫌いのセンサーをことごとく無視する。唾を吐いて、目の前をゆっくりガニ股で横切る。その傲慢さが受け付けられない。
またその傲慢な煽りを承知の上で乗っかってます、っていう衆人の態度も寒い。「大正義・眼福・ありがたく頂戴します」の類いを言うやつ。回り込めば安心、じゃねえんだよ。



選ぶ、志す、そして私的に納得できるつまり幸福な人生に憧れる。有意義と思える人生。スマホ越しに映るエンターテイナー(芸人俳優声優YouTuberラジオパーソナリティ他)は皆が皆そうだ。選んでその仕事に就き、大なり小なり目的をもって仕事をし、多忙で疲労しながらも楽しそうに見える/聞こえる。少なくとも私の耳目に触れるエンターテイナーはそうなるべくしてなっている。私はエンターテイナーにはなれないが、彼ら彼女らのまとう正の雰囲気に憧れる。



「凄いことになっています」の胡散臭さ



起きたとき一瞬目に見えたイメージ:銅色の焦げた回線が目の前に縦線のように何本も重なり並んでいて、上下の端は全て断線してチリチリになっている絵。



次失敗したら、もう、立ち直れない。だからここでは絶対に失敗しない関係を築きたい。



種の生存という生き物の繁殖に関する大前提すら否定されうるとしたら?生存戦略などない、反出生主義。



冒頭歌詞(朗読)案:そこに戦争がある。それを見ている。こっちに来たので後退りする。幸いそれ以上は踏み込んで来なかった。



友達以上恋人未満の感情を抱かせるのがとても上手な声優ラジオ。アイドル商売を成り立たせる根本「擬似的な恋愛感情」とは違う、恋愛には届かない程度の、いわば愛でる気持ちをくすぐる商売。(仮に本人ら(スタッフ含むから'ら')にその気はないにしろ、その側面があるのは否定できない筈だ。以下私の仮説。その証拠としてよく感謝の気持ちを口にする。聞いてくれてありがとうありがとうと言う。それは良心の呵責からくるのだろうか。その愛でる感情というのは、具体的に恋愛的に成就することも友達関係のように構築されていくこともない、何に結実するでもない感情なのだけど、それでも私がふりまく愛らしさ由来の感情のまま、この虚構に盲目的についてきてくれてありがとう、と。そのおかげで飯食えてます、と。私なら自然とこういう思考をたどって感謝の言葉をやたら口にするに至るはずだ。)
#2〜300はザラにある。オタクのぞっこん気質を味方につける旨味、そのインセンティブを与えて(しまって)いる。
声優の彼や彼女を好きになるには、まずその本職たる声を当てる仕事に惚れるのが、その人をクリティカルに好く最短距離であるのは間違いない。("声優の彼や彼女を好きになるには"というのがポイントで、それは例えば、「声優を仕事にしている彼や彼女」と言ったときの意味「仕事は声優だけど、その仕事ぶりとは切り離してみた人間としての彼や彼女」とは違う。あくまで声優の彼や彼女を好きになるには、彼や彼女の声優仕事を好きにならずしてどう好きになれるだろうか、それが一番の近道に決まってる、と言っている。)
端的に言って、その人が出演したアニメを見ずに、ラジオーー声優ならではのコーナーもない、ゆるいトークで素のパーソナリティをお届けするコンセプトのラジオ番組(仕事の裏話や話せるレベルのプライベートの話が中心)ーーだけを聴いているのは、そうだ、ただの素人が近況を話すのを聴くのと何も変わらない。
ただ、たとえトーク内容がゆるいだけだったとしても、その声が一貫して声優然とした体重の乗った声だったり、あるいはその金を取れる声が毎回要所で使われたりしていれば(その最たる例はCM前の提供クレジット読みだ。私はあの、番組本編中の普通の喋り声から唐突に技を見せつけてくるような、職人らしく綺麗に研磨された声で読まれる提供読みが好きだ。見せつけてくる嫌味を受け取るより前に、その声を耳にして即、「私には真似できない」と感じさせる専門技術の高さとそこに垣間見えるプライドに圧倒される次第。)、それは声優特有のラジオ番組といえる点だ。声が素人と圧倒的に違えば、そこで差別化は果たされているともいえる。



現代、金を稼ぐのに色んな手法がある。芸能人もそうで、本職の他に色んな仕事を持って金を得るのは自然になっている。そこで起こるのは、力を入れる・力を抜く仕事が出来上がることだ。
最近、力を抜く仕事に金を払うのは、余程自分に自信があるか、あるいは確信を持ってそれの魅力を自覚しているかでなければ、もったいないのではないか、無駄な時間なのではないか、と思ってきた。たとえば芸能人の仕事:テレビ、執筆、作曲、撮影、ラジオ、インターネットメディアなどなどあるうち、ラジオは特に、素に近いパーソナリティを届けるという触れ込みが多くなされる。それは言い換えると、他の本職の仕事の合間を縫う、休息の意味が比較的強い仕事であり、力を抜く類いの仕事である。力を抜くのだが、その力を抜くさまがウケるのであれば、こんな楽なことはない。つまり、ラジオが比較的力を抜く類いの仕事になりがちなのは、需要側と供給側両者にとってwin-winであるからだ。それが手っ取り早いからだ。「好きな芸能人◯◯の本職の様子はあんなにキレキレなのに、ラジオで見せるおとぼけぶり・抜けてるのがギャップで愛らしくて、さらにその人の虜になる」とこういう風だ。相当その人が好きでそれを自覚しているか、あるいはその力を抜いたトークのどこが明らかに革新的でどこに惹かれるのかを言語化できるならまだしも、ラジオが好きだからとかそういう大雑把な理由でその番組の聴取率に寄与するのは、いささか愚かで時間の無駄なのではないか。そういった番組を聴く場合は、原理的に少なからず仕事を抜くことを肯定しているということを自覚しなくてはならない。



ダルビッシュが喋っているYouTubeを見る。多分野球脳は本物そう。賢い。そして純粋。本当に思っていることを他意なく言っていると信じてしまう。これが何か言っていることの裏で別の利益目的などがあるとしたら、相当喋りが達者だ。官房長官とか広報官とかいうスポークスマンになれる資質だろう。



しんどくなって傾きかけた屋根



向こうで煌々と照る白いLEDライト越しのスマホの黒い画面は私を映し、/黒い画面に映るものは、私の至らなさを物語っている。全私の履歴をたたえる醜い顔があり、それはきっと私にしか見えない。



物語を俯瞰する視点は、そもそも物語中にあるのではなく、自分の方に備えるものなのではないか。
どこか勘違いしていなかったか、純粋な目との評価を盾に、物語はそこで語られることが全てであると信じてはいなかったか。そこから逸脱するのはただ誤読であると。ハッピーエンドならハッピーに読み終えなくてはならないと。今更ながらそれは、批判的態度を去勢されているのではないか。受験勉強の悪い影響か。



現実世界にある答えのない問題を主題にすることで、オーディエンスから「深いな〜」と言わせる手法の流行。例えば戦争、人同士の争いをテーマにする進撃の巨人。深いな〜や考えさせられる〜は、ただの鳴き声であり、別に考えてもいないこともままある。その点で、この手法はその現実問題を具体的な解決には導かない。



タイトル案:阿り
歌詞…日本のニュースを見てエルサレムを憂う



安楽死計画って聞いて急に幼いネーミング!と思った



(つまらない:)放送が10年を超える長寿とよばれるラジオ番組は、決まってその番組の空気感やリズムみたいなものが通底していて、それを味見するのがラジオの楽しみの一つ。



成熟ーやわー合理ー正義ー建前
声優業界の昔と今の比較を妄想したとき、昔から見た今を思って



いつになったら春の日差しのような明るいアコースティックギターが主旋律を担う前向きソングを聴いても、私の実際の人生に悪影響が及ばずに済むんだろう。



一生懸命性を探そうとするコメント主たちとむっつり助兵衛はどっちが嫌われるんだろう。結局は顔面か。



車窓から流れる景色をぼーっと眺めるように、目に見えるものを漠然と見ている人間。何が好きで何が嫌いか、何が綺麗で何が醜いかなどを意識すること、自分が判定することを避けて生きてきた。だから意識することの(怖さもあるのを承知で)(唯一性の)面白さを知った今、あるものを目にしたとき、記憶を振り返って、「そういえばあの折り紙の光沢づいたエメラルドグリーンは綺麗だったな、今見ても綺麗だ、だから綺麗だ」などと改めて記憶を脚色する営みに興じることがままある。ぼーっとしているときは、妄想で人と会話したりこういうことをしている。
挿絵:泳ぐ人一人の絵



今まであったものが無くなることを、それが大していらないものであっても恐れる性はなんとかならないか。



NGってnot goodって感じがしない。良くないよりもっとダメなニュアンスを受ける。良くないじゃなくて悪い。



DJでも何でも、ステージを少人数で悠々仕切っているのをぎゅうぎゅう詰めの客席側から見ていられない。お前(ら)だけ豪勢に……ってムカついちゃって聞いていられない。オーディエンスになりきれない。人間草であるのを認められない。


 
バズった楽曲はすぐガレージバンドで弾いてみるのね



役者は役者でも、声優の方が俳優より素人にとっては技量がわかりやすい。キャラクターごとに声が明らかに違うのは、わかりやすく特殊能力的で職人芸だなと感嘆する。俳優の演技は、明確に何が良いのかを判別する基準を持ちづらくて素人には難しい。自然な演技というけど、その自然に俳優自身のパーソナリティが合致していれば、演技でなくとも正解の絵が撮れるはずだろうから。引き出しが多い人が上手い役者って点で両者は共通するのかな。ただ声優の演技の方が、やっぱり素人が明らかに真似できない技だと思えるから凄さがわかりやすい。



プレトリアのイントネーション
ポドゴリツァブルガリア



部屋に蚊が飛んでいて眠れないとはなんて貧弱なんだ、との視点を採用して、急拵えの鈍感とともに無理に寝る



女性をやってる女性に怖気付く。洗練とか美麗とか言われる。



自分の持った視点なんて鼻から新しいとは思えないほどには自分の俗物ぶりは把握しているつもり



公の大きな手にルールが握られている市場とは。
頭いい奴らの正しい手によって、作為をもってオペレートされるものにどっぷり浸かりたいか
首輪を繋がれた猿扱いではないか。ゲームを高みから見物する奴らの正しいバランス感覚の中で、時に放し飼い、時に強引に連れ戻される動物扱いされるのを、金で買える自由に甘んじて受け入れるのはどうなんだ。そいつは万物の長・人間か?



noお蔵入り
noお蔵、no LIFE



タイトル案:鋭くなりたい
思考が鋭い人に憧れる。



一般的に使われる「〜しかない」は危うい。
本当は大抵〜しかないことはない。それが言われるのは人に考えを改めてもらいたい人から発せられたりするなど、恣意や主観を強く含んだ言葉、話法である。短い人生ヲ振り返っても、〜しかないと思ったときは、本当は別に〜しかないことはなかったし、ただ変化を厭う自分が変化するのに腹を決められないために発せられたワードだった。やるしかないは、やらない選択をとりたくないから発せられた。こうするしかないは、こうする以外のことを選ぶという強烈な転換を拒みたいから発せられた。私の場合、あの頃別にやらなくてもよかったし、こうするしかないことはなかった。過去、〜しかないことはないことだらけで、それはただの気合い入れ・檄だった。



鍵付きの引き出しに閉まってある昔の紙幣や今の新札を触りながら、ふと、貯金していた昔の自分が今の自分を見たらどう思うだろうか、こんな姿はまず想像していないし、多分この状況は私の本来の性格から逸脱しているからまずい。想定していた自分の姿なら、きっと今ここに貯金やピン札を保管していることなどすっかり忘れて、金を稼いでなんとかでも生きられているはずだろう、自立して。
選べ、進むには。



振込と振替の違い
振込は違う銀行間の口座への送金。振替は同行同支店内の送金。



タイトル案:脱ポップへの手筈
ポップ音楽を作る手法の説明文をそのまま歌詞にする



性欲が習慣に埋もれ始めたので、明らかに老化が進んでいる。欲情するから解消するんじゃなくて、とりあえずやっとくかで解消される日が増えている。途中でやっぱいーやってやめる日もある。これを続けた先にいつしか欲求が湧かなくなるというわけだ、と何となく察する程度の自覚だが、結構シビアに予想する。大事な変化だから。



さまぁ〜ずYouTubeがあんまりだった。メタお笑い番組は2つ3つ観れば十分かなあ。あちこちオードリー、しくじり学園お笑い研究部、たまにゴッドタン。ラジオは別腹。



ロッテ井口監督の定期的にゲームに熱くなる態度が好き。私的ちょうどいいスパンでゲーム中にキレる様がカメラに抜かれてる。



とんねるず石橋貴明がロッテ戦の始球式でマウンドの手前から球を投げたことがニュースになっていた。「気遣いがあって良い」と一部で称賛されているが、よくわからない。別に始球式者がマウンドに上がったからって、試合前にマウンドを使う点では気遣いがないというわけではないしだな。私みたいなつまんないやつに好感度稼ぎか?などと穿たれるから、マウンドから放れよ。



※以下、少しのネタバレも嫌な人にとってはご気分を害される恐れがある文章が11行程続くのでご注意を。
来月初めに単行本版(コミックス版って言うのが最近の普通かな?単行本って懐かしい響きって皆言うけど、私この言い方しか知らないから何とも。)も完結する(週刊誌連載は完結済み)『進撃の巨人』。その最新刊発売を待っている。終わり方については、ピースフルな願望らしい理想形はもちろんのこと、一つの希望の提示などグッドエンドで落ち着くのではなく、最後まで現実の戯画化を貫いてほしい。解決は絶対しないでほしい、多分ありえないだろうが。33巻までは私的に(想像通り)いい感じできている。



声優は、衒いもなく自身を役者と言うときがある
聞き慣れないからか、それは自身に言い聞かせているようにも聞こえる。プライドがちらつく。



持て余した自覚がある。資本が目に余った。私の目にはそれは絢爛すぎた。行きすぎていて、怖かった。怖くて、自ら手を離した、そんな心地。2014〜2020。



初勝利はお預け、って将来のいつかに必ず勝てるって言ってるようだけど



(一部敬称略)



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