ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

ここ3週間の内に思ったことなど

(2021/01/20更新)


接続詞とか副詞の呼応が悉く裏切られる
息継ぎの場所が文章の読点の役割ではない
ところがラップに慣れるまで時間を要するところ



シュウマイの肉肉しさ、俺肉塊!って主張が苦手。例えるなら、昭和時代の、体育会出身をアイデンティティの核に据えたエリートサラリーマン像から抽出できる熱さや露骨さ、身も蓋もなさみたいなのに通ずるイメージ。それがどうも想起されて、現状中華料理のワーストはシュウマイ。モテることに味を占めて裸をひけらかせる(場合によっちゃひけらかすことができますよの)イメージというか。つまりは、シュウマイ弁当の匂いを新幹線車内にまき散らすのを、周知の出来事としてそのあるあるに胡坐をかいている事実。匂いをまき散らすことは正しいわけではないが、しかし吝かではないという態度。シュウマイをこの世から無くすべき!とは言えやしないけど、そういうとこが苦手。もうシュウマイってカタカナの字面からきつい。焼売ならまだいい。しゅうまい・しゅーまい・シウマイとかは本質(=肉塊たるシュウマイ)を隠そうとする下心が明らかなのが駄目。餃子は大好き。



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大きなお腹を披露「ママ
の顔」の声
これは差別ではない?



夢:急に監督がやけくそらしく(見捨てるように)肌年齢とか計れみたいなことを言いはじめ、一斉に並ばされる。肌年齢と聞いて嫌な気持ちになる。徐々に前が空いていき私の番が近づく。周囲から聞こえるのは「◯◯歳だ◯◯歳」みたいな年齢に対する一喜一憂ではなく、代わりに「イージーだ」とか「お前はハードか」とかいう声。よくわからない、何をされるんだ?そう戸惑い、また訝しむうちに一番前に着くと、前方に白い桐の箱が開いて置いており、その中に、おみくじ大の長方形に折り畳まれた紙の表面に黒い字で名前が書かれて点在していた。箱の素材がおそらく桐だと思ったのは、木箱の白が美しく、軽い素材でできていそうだと直感したことから、世にいう桐箪笥と同じアレだろうと逆算した結果だ。自分の名前はすぐに見つかり手を伸ばすと、左前から高橋が出てきて「弟はどうなんだろうな?」と声をかけてきた。彼は残りわずかな紙の中から私の弟の名前を攫い、両手で中を抉じ開けた。私は反射的に高橋のその行為がその場で悪い感じになるのを嫌って、さもそれが自然の流れに順であるかのように彼の会話のターンが2連続になる前に私が声を発そう、と紙を開いたそのとき。願い虚しく「あーベリーハードだ、真逆だね」と無神経な剛腕。私の紙にはベリーイージーとカタカナで書かれており、彼の手の中には確かにベリーハードとあった。私は弟がベリーハードなことが居た堪れなかった。そしてこの抽象的で具体的な、いや、雑に業を断定するお導きとはなんだと腹が立った。それと合わせて、自分のベリーイージーに、一抹の物足りなさが包み隠されるようにして、安堵が胸中に広がった。



死刑としての意に反する過労、という労働の見方



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「賢」が誰なのか



精密機器と言うのか、ポッドキャストのrebuildみたいなコンピューターエンジニアリング?みたいな話題は、気の弱い無知にとっては確実に迷子になる迷路に蹴り入れられるようでとても怖い。全く理解できない内容とそれを嬉々として喋る話し手のコンボに底知れなさを察知しては、毎度怖気付く。
このままでは一生溝は埋まらない。ので、まず気持ちを整えたい。そこでポッドキャストを聴いていて思ったのは、彼らがゲームを躊躇わずにイージーモードで楽しむように、私もエンジニア然とするその手の領域に完全網羅or完全無知というゼロサムの理解を念頭に挑むのではなく、つまみ食いで嗜む程度の厚かましさをもって踏み込んでいけばいい、ということ。grabな感じ。こういう心持ちでいたところで誰かが害を被るわけではないよね、と。
どこか高尚なんだよね、義務教育で触れたわけでもない歴史が20年そこらと浅い先端な領域で、且つ従事者の金稼ぎの定番手段だから。知らない立場からは、そのブラックボックスを操ってるってすごいなぁすごいなぁって反射的にへーコラしている。専門性が高そうなイメージなのが既得権益的であるからして、カモられ嫌いに火をつける。ただ想像するに数学で触れたような合理や整然さが求められる世界で、実際突き詰めるほどより専門的にはなるんだろうが、それはどの領域にも言えることだからな。公園で遊ぶ小学生たちの輪の中に手を挙げて入りに行く、そういう気持ちだ。



伊集院のカフカ話が好き。ああいう話が好き。最近ちょっと離れてたけど、離れ終わりの初っ端がその回だったから、そりゃ株上がる。また聴こうと思う。これだから長寿なんだろうなと私的に合点する。



twitter発の論争
終わりはいつ?結局時の流れで参加者が飽きるまで?



01/03、気温0℃前後の夜9時前、日曜日
ゴミ捨て場にある、泥が乾いて黄土色になった長靴を舐めろと言われて舐める気持ちは、最愛の人を失っても戦争や紛争から逃げる政治難民の心と同じだ。いやわからない。近い、近い気がするとしておこう。
ふと思いついた。胸に鉛玉がめり込んで痺れるような差し迫った痛さと屈辱、それがほどなくして怒りに変わるんだろう。冷たい空気の中、流石に固く拳を握る。握って心臓にぐっと押し当て、自分に誓うことだろう。



夢:「高二の頃病気になって、夜学校行くようになって。そうそう定時制。そこで友達になって。」と、クイズの出題者だった荻野がこの中で友達は誰でしょう的な問題の答えに、たまたま近場にいた私を指さした。そのとき全体で一斉に不満が漏れる声がした。それはテレフォンショッキングでゲストとのトークが終わる合図になる、次回ゲストの紹介に進むときのお決まりだった、会場の客が声を揃えて言う「え〜〜〜〜」と声量と長音の長さが同じ、ただ意味合いは反対のそれだった。人間たちの不満の中心にいる、しかしそんなことより嬉しかった。



立木りゅうぼく=不動産



歌詞案:代行ばっか代行ばっか代行ばっか代行ばっか代行ばっか
欲望が拡大しすぎっ



太平な、否定を嫌う価値観の浸透によって、自分自身の意識が埋もれる。見えているはずの視界がぼやける。誰のせいにもできない以上はこの現象は避けられる必要がある。浸透圧



タイトル案:歪んだ丸の作り方



タイトル案:ゲシュタルトが迫ってる
早く進まなきゃ



投資すべきは、来たる日経平均暴落後の世界に生き残る企業、もしくは新しく生まれる企業つまり次世代に求められる価値を生む私自身



スポーツ選手のオンラインインタビューが不細工。画も音声も前時代。遠隔で話ができて喜ぶのは20年前。



あかぎれの隙間に入って落ちない土
牛蒡と里芋の



私は同時に二つのことを考えたり無駄なことをするから思考スピードが鈍るんだ



なぜ相続税が100%にならないかというと、それはたとえある個人がその能力で財を成したとしても、その財は、その個人とその個人のパートナーや子、その他任意の親類等が共有する私有財産であるとみなされるため。そしてその世襲が一国の経済力を高めたとする歴史的認識があるため。端的にいうと例えばトヨタがあるため。
ただそれは優生思想とは言えないか。金は持っている人間の方が歴史的にもっと金を持つようになるという仮説が正しいとして、金を持つ者を生きながらえさせて、持たざる者を殺すという選択を肯定するのか。ごく少数の死にゆく持たざる能力者がいるとして、どうして持つ者がその者に優先されなければならないのか。金を持てば誰でももっと金を持てるようになるだけだというのに。
学びは横一線ではないか、と異を唱える人がいるかもしれない。公平な学校教育中の競争で勝ち上がる子供が有能、そうでない篩い落とされる子供は学びの競争とは別の領域に向いている、学問というものさしで測る場合においては無能と言わざるを得ない人間だ、と。
しかし学びの経済拡大力をその本人が自覚する前にドロップアウトする理由は、その生育環境と隣人の影響が大きいというのは多くのひとが頷くことだろう。つまり金を持たざる者の子供が学問を修めるのには、金を持たない親が学びの経済拡大力を認知し、それを子供に教え、それに子供が乗り、実益を得るという段階が必要になる。どこかで一回でも踏み外せば、この計画はおじゃんである。
さて、金を持たざる者がその地味で遠大な構想に、自分の意のままに操れる利害関係者たる子供を生育初期から乗せることができるだろうか。一体何人の精神的タフネスがそれに耐えることができるだろうか。ある人にはもはやそれは夢を見ることと同意かもしれない。
つまりそれは選ばれし者に他ならないではないか。金を持たざる者が金を持つには、強力な精神的タフネスを備えた禁欲者兼功利主義者でなくてはならないからだ。
よって、金を持たなければ選ばれし者にならなければならないことを国が要請するのが現行の私有財産制度である、とは言い過ぎだろうか。



将来の金がなくなった日本では、金持ちに最低限の道徳ルールを課した上で好き勝手にやれる権利が与えられる、と



持たざる者が持つ者に対抗できる手段には絶対の価値がある。
メルカリは持たざる者がまだ手をつけていなかった箪笥の肥やしに目を付けて小銭ではあるが金を稼ぐのを許したから流行る。
持ってるやつと持ってないやつが同じルールで戦う土俵の整備。
金稼ぎ:持たざる者がもっていて、手持ち無沙汰にしているもの(メルカリの場合は箪笥の肥やし)へ光を当てる
持たざる者でも手に入る技能



緩和マネーが生むバブルの崩壊後(←崩壊は株式市場だけのことだろ、つまり時代に追いつけない大企業の解体)に残る価値は何だ。
・環境
・老人にも現役世代にもつまり人間にフォローされる価値、より絶対的な価値
・日本人が海外で稼いだ金を日本に落とすことで日本の税収確保が叶う仕組み、つまり国内だろうが国外だろうが稼いだ金を日本で使ってもらうために個別で付与するメリット法人税減税や所得税減税
・医療の進歩つまり治らないとされてきた病が治る技術や知見の発見
・人種信条性別社会的身分または門地の'実際的な'平等
・これまでと一線を画す全く新しい価値観から生まれる価値。
→長生きしなくていい、ARVRで一生を過ごす、パスポートが無くなってEU内みたいに自由移動ができる=世界の不動産屋で部屋探し、一職業での収入に上限があるから副業もしくは金稼ぎ以外の価値探しに奔走




→今後予想される人口構造や人々の思考や嗜好から、価値があると認められそうなものと認められず淘汰されそうなもの
×飲食チェーン店、漠然と)ゲーム、漠然と)スマホアプリ(ゲーム)、



tokyofmの朝の番組には清々しさを得られるという効用があるが、一方でその代わりに何か大事なものを捨てる感覚がある。言うなればブルドーザー、都市開発あるいは埋め立てといった単語に付随する趣き。番組を聞いて思い描ける生活は魅力だが、上記の理由でどうも躊躇う。所詮ショールームで提案される、外行きの、頭の中にだけある理想というか、多くの人々に一応の了承は取り付けられる最大公約数の生活様式に過ぎないというか。そう思うとビジネスって感じよね。「日常をちょっとだけ贅沢に。私らしい生活。」を他人からレコメンドされているのに気づくと冷める心に似ている。



本音でコミュニケーションできる人が人生で1人いると違うbyマンボウやしろ schooloflockuniversity2019/09/20放送分より
愛情でぶつかり合う
小中学校で喧嘩をよくしていた人の方が殴り方を知ってる
本音コミュニケーションaka愛情のぶつかり合いは、人間関係を構築するのに時間はどの程度経過する必要があるかなど、要素を可視化できれば、不特定多数の人に引用できる。可視化とは一つには数値化かもしれない。
引きこもり、無口、人見知り、社交不安障害者が親友を獲得するには。私が親友と出会うには。
親友は出会うものではなく育てる、関係を育むことで誕生する?あくまで趣味身体価値観美意識行動規範道徳観が合うというのは、関係を育む前提条件・とっかかりの小要素、だがとても重要な基盤である。



nisa口座での年末取引には注意。NISAの年間投資可能枠120万円の期間は、受け渡し日ベースで1/1〜12/31だ。よって12/27に約定した売買までが、約定日から起算して4営業日目つまり年内最後の取引所営業日12/30の受け渡しとなり、その年の最後の枠使用可能日となる。したがって12/28が約定日の場合は、受け渡し日は約定日から4営業日目の翌年1/4になり、翌年の新しい投資可能枠を使用することになる。織り込むべき当たり前のことなんだろうが私は知らなかった。自分は自分が思った以上に抜けている。気をつけろ。



(敬称略)



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