ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

直近約2週間中にメモりたくてメモしたメモ

(2022/01/27更新)



 2022/01/11記す。「新・批評家育成サイト ゲンロン再生塾」のアーカイブを数本読み飛ばして、批判的物書きにはなれそうにないことを悟る。親指動かしてただけで挫折、である。本心だから別に書いていて恥ずかしくはない。
 読むとき、いわゆる入学試験で課されたタスクのように、否が応でもやらなければならない圧の存在を、内心の反発が押さえられる感覚を介して時間差で自覚した。性(サガ)である。経歴である。否定できないバックグラウンドを認め許したい。
 リテラシーを身につけたく臨んだ批評文にも常に素養が要ることを迫られ、何を言っているのかわからないのが苦しい。途方もなさに引き返す。界隈には磁場があって、親和的な対象を批評行為とは別の経緯でかつ独立して好くような、導かれるバックグラウンドの持ち主に開かれていた。
 完全に拒まれた。ので、今後文字や言葉とはまた別の、違う触れ合い方を模索したい。絶交するのは批判的思考を捨てるようなものだろう、あまりに悲しいし怖い。

 p.s.帰り道に独り言つ。文化を理路整然と語る気が起きない。それは寄り道でありただ無駄だから……。



私は激情型で、反分析頭で、鶏が先か卵が先か、板についたハードル下げで、飼われる犬の性格で、醜く、無口で、それでいて優しさは随時募集中で、多分もう3つ4つ出してリズム良くまとめるのが規定なのは分かってるけどパッと思いつかないし、無理に出すのも不自然だからそれくらいの、既視感あふれるイタいパッケージなのであります。




 上記記事「発達障害生徒への配慮」としての「文学読解の軽視」?「ポリコレ以降」の国語教育|矢野利裕」を読む。学習指導要領の変更によって変わる国語教育のあり方批判をしていこうよ、という文章。
 全体、国語教育の現状について憂う話で、内容は初めて聞くもので今を知れるから興味深かったが、その態度自体は、新しいものが入るときには必ず起こる/起こらなければならない現象だなぁ、くらいに冷めて読んだ。

 そのなかでとりわけ興味深かった内容は、終わりの方のポリコレと国語の話だ。文章中でも筆者の体重が一番乗ってるところ。一言で言うと、「ポリコレを考慮すると、国語の勉強で文学作品の読解には集中するべきではないと結論されうる現状について」だ。一言にしては長かったか。
 具体的には、発達障害を持つ生徒、とくに自閉症傾向にある生徒は、病気が原因で言外の意味を推量する力=文脈を読む能力を上げづらいから、その生徒らに配慮して、文脈を読解する従来の学習を強いない妥協点を見つけ、過剰な負担を減らすことが、時代に即した新たに正しい国語学習のあり方である、という話。
 ここで取り沙汰されるのは極端な例ではあるだろう。この問題についての意見を、部外者の一国民が率直に言うなら、自閉症傾向の生徒とそれ以外の生徒の利を、教室内で同時に満たせばいいんじゃね?だ。「キツかったらやらんでいいよ、キツくなかったら大事だから頑張ろうな。」こんな楽観は甘甘かな。
 自閉症傾向の生徒への「やらんでいいよ」を合理的配慮として通用させるとき、他方でおそらく多数のそれ以外の生徒の学習機会の損失を防ぐのも同じだけ合理的な配慮に違いない。だから親ポリコレ教育としても、双方が実現されるのが一番正しいはずなので、そうすればいいと考えてしまう。この問題に関しては、護送船団にならないよう文学作品の読解は行いながら、個別にそれが厳しい生徒に別の課題を提供すればいい。
 その際気になるのは、授業中の特別扱いによって、他のクラスメイトからその生徒が悪性に浮いてしまう可能性だ。こちらの方にむしろ、多様性の議論の本質に近い、かつ差し迫る難題があるような。

 この文章で危惧していたのは、世界で活性化する新しい正しさすら、喫緊で批判しなければならない複雑な構造をとる事態にあるということだった。現代においてグローバルスタンダードとされるポリコレ意識が学習指導要領に導入され、そのマニュアル通りに現場指導を進めると、ときに学習の機会損失を起こすかもしれない危険を警告している。それはただの新旧の対立、あるいは従来の国粋対リベラルの構図で片付けられないらしい。一般論〆。



芸人のYouTubeのコメント欄上位が大体ファンらしい全肯定意見に溢れていて、その文体が概ね皆同じ。文末の8〜9割が、「好き、嬉しい、良い、素晴らしい、草、〜して欲しい、〜に期待」で統一される。



案:架空日常系アニメの小ネタになるLINEの会話文面を作る遊びをするグループLINE



「「どうせ」って言うな」って、そういえばなかなか強く言われたな



昆虫嫌い奴は、わたしも根底では受け入れられないに違いない。昆虫嫌いはそのビジュアルが原因だろうから。倫理や道徳、人権由来の法律など政治的正しさによって感情の発露を抑制しているに過ぎない。ひとたび開けばもうカパカパである。価値観なんてすぐにひっくり返るなんて、マヂカルラブリーの漫才台詞でも出てきた。その日が来ればわたしもきっとすぐ生きがる。



クラブでは、酒踊り好きが音楽好きを排除している



コピー案:「ニートを社員にしませんか?」
ニートと社員の、矛盾した意味の単語が同居するのが奴ら好みそう



ところで、「一般社団法人」の音のリズム感が良い。「一般」から「社団」にかけての流暢な転がり方。促音便の溜めが、「社団」の特に拗音「しゃ」のローション的効能によってスムースに解放される。ケツは「法人」で押印。一般-社団-法人=テッテッ-テテッッ-テーェテのリズム。



やっていることは野球に従事していた時代と何ら変わらない。慣性に支配されている。考えることを放棄して変化を恐れている。それだけ。2022/01/09、斎場の席、市の備品シールが貼ってあるクッション性皆無の椅子の背もたれの曲線を眺めながら思う。



案:論文・実験サンプリング集め専門会社
→アンケートみたいな定点観察的調査から、期間を設けて中長期的に追う調査まで
○被験者にわかりやすく、記録する負担のハードルを限りなく下げる、小金稼げる仕組み


ニートです。役割を募集しています。
自宅にいて可能な役割。論文のサンプリングから、お仕事のご依頼まで。お願いします。」

この一筆書き感。世間一般のニートイメージに沿った舐めキャラ、2022年のリアルニートを表現するのに、絶妙な語数と言葉選びを果たした紹介文akaコピーライティング。



最新の小栗旬KREVAに似ていた
全能面(ともするとイキり顔)(なおイキり顔は板につくと意味が変容する)



 2022/01/09記す。数年ぶりか、他人と対面して外食する。外で飯を食べることはあったが、その際は嫌ならすぐ顔の角度を変えたりマスクを着けられるような環境(ex.病室)での食事だったから、今回とは明らかに勝手が違った。今回は歴とした逃げられない外食だった。情けないと思うべきか恥ずかしがるべきか、このときの羞恥心と居た堪れない気持ちが今、振り返り記しながら懐かしい。とても久しぶりだった。
 「マスクを外した顔を見られたく無い、肩書きがないので会話(概ね世間話)ができない、腫れ物扱いさせることによる相手の内心に違和感・嫌悪感を抱かせることへの嫌悪、どうしても下向きっぱなし」が健在。萎える。が、しかしそれが今回萎えずに済むほど上手く会話できたとして、それがきっかけで何かが好転したとして、どこかでこれが原因の思い上がりによるツケを喰らわないと言えるか。だとしたら今日の自己評価に凹もうが上がろうが関係ない、とまで考える。



夢:庭、車の入り口にて彼女に鍵を投げる
忘れ物をしたのを思い出しドア前まで来るが、車がまだ開いてないのに気づき、入っててもらうのに鍵を投げた(遠隔ロックがなかった?)
鍵を手から離す直前、勢いよく投げてキャッチできず怪我する可能性を恐れて、鍵を手前に落とそうと、はなから地面に落ちる軌跡を選んだ
下に落ちる
拾おうと膝を曲げつつ屈む
脚力が耐えられず崩れる
ごめんごめんと泣き言に近く



目を瞑って海沿いを運転する
開放感にゾクゾクする



出来事に対して、気持ちがどうしても上ずる現象を抑えたい。持て余す感覚に襲われて、お手玉せずにはいられなくなる私的内面が、行為全般に邪魔。



byAマッソ加納
受験
「志望校は凄いところではありません」メールに対し、「主観でええよ、基本的には受験当日は比べなあかんけど、それ以外はいかに自分がジャンプアップするかだから」(意訳)



雪解けの日中、木などから前触れなく雪がどさっと落ちるさまが、何か風物詩の良さがあって好き。



タイトル案:お風呂で小がやめられない



すれ違う小中高生の会話を聞きたくて一時停止を押す



雪解けの2022/01/07午後15:54、心地よい寒気。天気アプリではたしか6℃くらいだったかな。



友達と遊ぶのを避けていた
ストレスだったようだ
学校には規則があり行動が制限されている
その中の立ち居振る舞いがキャラクターを規定した
遊ぶと学校の外に出たパーソナリティが露見する
それを無意識に嫌った
分人が崩れるのを恐れた
避けていた



免許の更新に行くのに車に乗っけてってもらうの、うっすら本末転倒感がある



くしゃみは何故、起きているときにしか出ないの?



夢:少年野球のグラウンド、野球、◯二郎
シートバッティング
木製
手を抜いたら退部迫ると怒鳴り
陸ライトめっちゃ走る
内山弟?が習志野◯◯大らしい
私は三塁ベンチ側で休み
こんなのもう嫌だ



シャワー中の専らの脳内は何をしようである。ドラッグの摂り過ぎ(毎日食事の他に、ポテチ170gとキャラメルコーン160gくらい余裕で食っている)もあろう、就寝前只今2022/01/06 2:07、一年振りくらいだろうか、2日連続で入浴したベッドの上、胸が痛い。



剃り残る髭や赤く醜い顔面は、仕方なく携えているのに、表に出れば他人が嫌らしい目をして蔑みをくれる。わかってんだよそんなもん、と言える。わたしはこの苦痛を、今時の、「女性が生理で心身に支障が出たときの、その個人対社会の闘い」と同じ構図に当てはめる。
もはや手の施しようがなく(正確には手は施しているが、高望みして現状維持が限界であると7年ほど前の挫折後に悟った)、この人生をやっていくしかないと運命づけた。



俳優「あなた(芸人)とわたしでは、何を良しとするかの価値観に明確な違いがあって、双方そこに高いプライドを持ってるから、端的に言って仲が悪くなるしか無いんですよもう。」



スタイルウォーズってワードに膝を打つ
RHYMESTERって、以前からそういうこと(=ある事象を象徴的に取り上げる文言一言を、机にバシンと叩きつけるように言う)よくする感も出てて、そこでのスタイルウォーズ。鮮やかに切り取る。そういうのを殊更目立たせてやってやったぞ感も出さずしれっとし続けるから、底知れなさを感じさせている。



2022/01/04記す。彼休み。頂き物の鰤の腹身?に塩を振って置いてフライパンで焼く。賞味期限一日切れたもやし1袋を茹で塩とごま油を和え白胡麻振ってナムル。散歩を兼ね買い物。cookdo四川風麻婆豆腐108円4つ、ぶなしめじ58円1個、焼きそば3袋98円1個。3日程振り風呂、慣れた。以上。



 2022/01/04記す。朝日新聞デジタル×LINE NEWSコラボ企画、遠隔カフェ店員として従業するALS患者 藤田美佳子さんの記事を読む。埋め込まれた動画では、彼女の接客する声が分身たるロボットから聞こえ、呼応して手を振る映像が流れた。想像よりも明るく抑揚のついた声に、迫るものがあった。奪われる恐怖や残酷な当然を啓発される意識がする。
 感想は同様の記事を読んだ場合とさして変わらないだろう。その点では、日本テレビ系列にて年一で放送される24時間テレビに対する典型的な批判「お涙頂戴ビジネス」と同根のクサさ由来の感情であると言える。強度の優れたキラーコンテンツ「病と人」にナイーブに煽られた気持ち。



引きこもるように飲み会に参加する



機械作る会社が農業やった方が効率良くね?
個人農家って危険じゃね?稼げなくね?



夢:悪巧みをする彼女に医者が勘づいて、仰向けのベッドの上、片足に跨って注射を打たんとする



 ラジオ贔屓かな、TBSのお笑い番組「ドリーム東西ネタ合戦2022」にて、‘今見るとちょうどいい芸人’で括られた枠で出た髭男爵のお漫才が、メインに引けをとらない仕上がりだった。冒頭の「貴族のお漫才 狐狩りに訪れた森で、不思議な妖精とでーあう、の巻」から目新しくて面白い。狐狩りに訪れた森って何だそれ、の巻とかもはや今聞かねえっていう。
 あと座王SPのお題「メンチ」で、松本に噛み付く平子と粗品が面白かった。新鮮だった。



抜き初め01/02(厳密には01/03の1時前頃)
引きこもりにして、暗くならなければ損する運命にあるかどうかは分からない



タイトル案:Kiss & Turn



 私に言うようで、自覚的なのかは定かでは無いが、言い聞かせているようだ。
 「いい主婦になるよ。」と嘲り気味に言った。



案:才能見つける場の提供。「今からでも何ら遅く無い」触れ込み。野球やサッカーは一旦みんなやって、上手いひとだけ続けているから、プロ野球プロサッカー選手は才能ある人だけが集まっているのがわかるが、例えばアイスホッケーは、野球サッカーに比べて才能より努力の割合が高い選手が多いだろう。アイスホッケーに触れることなく人生を進めた結果、アイスホッケーの才能に気づいていないラーメン屋さんがいたとして、それは残念だ。だからラーメン屋さんに自分のアイスホッケーの才能に気づいてもらうための仕組みを提供しよう。
AIや、医療における医者的役割の専門家がいて、こういう人にはこの競技に適性があった例があると情報を提供したり、中にはこんな人がいたと教えたりすることで、参加者の人生の充実に寄与する。
→大きくは学校施設がそうではないか。モラトリアムを社会的に与える期間であり、満遍なく学べ、且つ以降の人生と比較して自由に活動できることが許される機関。
→目指すは「実務的な学校」?機会提供サービス。ユーキャンと何が違うかって?
◯例えば税制控除を受けられる。
◯成功例が多い。=具体的なキャリアに繋がる例。
→興した理由は、恥ずかしながら俺も……って意識を改めよ。



案:投げ銭の税控除の証明アプリ



差別意識。金を持つ人、広告代理業者、政治家、宗教家、起業家、中国共産党北朝鮮朝鮮労働党



2022/01/01記す。正月に洗濯を外に干してはいけないらしいことを初めて知る。
ググると、そもそも洗濯をするなとか包丁で物切るなとか、なんか色々あった年末に掃除しろとか。うーん……、不都合な迷信。縁起は他で担ぎたい。



文言「乗り越える」が大好きなテレビやスポーツ紙



夢:隠れた風俗
エレベーターで12階に上がってそこから別のエレベーターで1階に降りると、◯◯◯◯駅前
ふかわりょうが自殺した知らせを教室の後ろの張り紙で知る。私は古い張り紙をファイルに移す仕事を担っていたので、その紙だけ更新を早めて剥がした
知り合いが出てきて嫌だ
後ろから上戸彩が迫ってきて、余裕で先に私が捕まる

木々に囲まれた暗い場所に出て憂う
スマホで検索しようと考えるも、2人がいちゃ着けないから帰ろう



決まり事の一つとしての死や病



目の色変えるのって格好良いよね
目の色変えて演技したいし、目の色変えて笑かしたいし、目の色変えてセックスしたい人生だよね
目の色変える必死さで相応の対価も得られるから、よりよく疲れてよりよく遊べる、浸っていて楽しい人生



曲がり角を、軽く膝を曲げた中腰の立ち乗り姿勢で曲がる、大きめのパーカーと余裕のあるジーンズを履いたチャリの女性がタイプ



 BSテレ東にて、2021/12/27〜の四夜連続放送「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」をビリビリで視聴。

 2人の新婚オープニングトークと、金田翔子さんが登場した時点で一旦観るのをやめてしまった。2分と持たなかった。
 というのもこの番組がどうやら、モキュメンタリーチックなホラー要素を含むらしいのが、本編とは別の配信コンテンツ(Tver)の存在と、公式HPの番組説明文にしれっと挿入された「この番組は不自然です」との文言で明らかになった。それでつまらない冒頭がフリだと分かって、やっと見るに堪えるようになったので後追いした。(その後、番組最初の5秒間に黒バック白文字で「この番組は不自然です」とあったり、YouTubeの番宣動画にある明らかな異質さを見逃したのが判明する。)

 話題先行で鑑賞するやる気と体力が無い私が悪いのか、それとも強欲にも、フリのVTRを途中から観た私のような既存のAマッソファンですら引っかける「両面で面白い」作りを制作に求めるべきなのか。



野球教
 プロアマ問わず、日本の野球経験者は現役引退後の生活でも、野球に固執する例が多い気がする。固執と言っても全く過言ではない。プロ野球や甲子園に注目したり、草野球を続けたり、あるいは部活動や少年野球のコーチになったりする人らが、野球経験者中で数でも意識の上でも優位に立っているような。現にわたしが野球の呪縛から逃れられていない。なお、ここでの野球とは日本での野球を指して、アメリカその他の国々における野球ではない。またここで示す見解は、裏取りや検証を全くしていない、一人の想像であり譫言の域を出ない。

 振り返ると、野球競技従事者には「一筋に打ち込む」ことの正義が支配的で、プレーヤーには「生活中では野球第一を是とする」思想を植え付ける傾向にあった。それが上達には必須であるからと。
 全体練習中にサボるのは良かったが、部活を休むのは悪だった。授業中に寝るのは良かった(むしろ褒められる視線を受けた)が、移動教室の廊下で対面する監督や先輩に立ち止まって挨拶しないのは絶対悪だった。ああこれは全体主義だ……。
 それを自覚しなかったから、引退後もずっと頭が野球から抜け出せない。野球に限らず他のスポーツ、延いては人が従事するあらゆる対象でこの現象はあり得、対象にのめり込む程その色は濃くなりやすいだろう。しかし野球は特別、競技の科学的分析とは別個に、コミュニティ内の人間関係において、個人的意思(≠個人主義。日本にあって、最終的な辞める辞めないの自由はあったので、個人主義を許容していないとは言えなかった。ここではコミュニティ内で意思を表明するフェイズにおいて、個人的な意思の芽は摘まれていたことを指摘したかった。)や相対化を拒む文化が根差していて、否定は罪な風土があった。同期は仲間であり、後輩は慕い、先輩と監督とコーチは畏敬する人間であるとの認識が正常とされている。
 その文化の洗礼を受けた頭が無意識に後進を指導するので、界隈が全体主義的に規定され、その影響下にわたしもあったのだとすれば、このふとした拘束感に合点がいく。
 この仮説が正しければ、宗教的意識に無頓着である点でこの野球教は悪である。

 一つ厄介事があるとすれば、それは野球を競技的に極めようとすると、この全体主義的思想は有効であると証明されている点である。事実、日本の野球の強さは世界屈指ではあり(競技国や競技人口が少ないので正しさの更新を望めていない問題はあるが)、世界的名選手すら輩出している誇りがある。
 しかし国内の競技人口は減少し、またSNSの隆興や欧米発の自由主義的な価値観の流入などで指導方法のアップデートが強要されている今日、これまでの正義が岐路に立たされているのは間違いない。



みんなが捨てるものを愛好できたら、愛好する意識に気づけたら、それだいぶラッキーだな。その幸福はそこそこ独り占めできる。



内容によっては助詞を省いて口語調に文字を綴ると、そのラフさでもって文章が親しまれやすくなる結果を得られるかもしれないのは分かるが、あえて助詞を丁寧に補った上で同じ内容を書くことで、一見真面目なのに何だそれ?の視点がうまれる可能性もあるだろう。いわゆるユーモアと呼ぶような、その爆発力に期待している節がある。



のりを食べた後の歯磨きで、口をゆすいだらそれが出てくるのがなんとなく楽しい。



2021/12/29 10:47記す。今この瞬間、bilibili動画で「芸人街ぶらリサーチャーズ」を見ている時間も、枯葉のように乾びて無くなるんだろう。無駄こそ全てとは言うが、そいつは有意義を極めんとした奴が一周回って気づいた思想であって、わたしに効果は無い。



先生たるもの、日常はより合理的に行動するものであるとの考え方は正しいか。
自分を否定するために用意されたお告げなのか。
ある考えに対して半ば自動的に否定意見をぶつけることは、合理的で悪くない。



初めてカメラの前で時事に言及するとき、それを意識するほど口が重い



ラーメン・動物・散歩番組のほとんどに芸人が起用されるが、それらの番組を見ていては決して芸人になれない(正確には、おそらく芸人としては絶対に起用されない)という矛盾が気になる



99岡村の笑顔が霜降せいやのそれに見えた



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 顔の上に灰色の文字が横書きで沢山乗っかっているさまが、とても気持ち悪くて見ていられない。
 この症状は何だろう。集合恐怖みたいなのの一種?だからかな、1年くらい前に朝方散歩していたら、向こうにクラブ帰りの顔面タトゥーの男が2人組で歩いてくるのを不意に見つけてゾッとした経験がある。初めて視認して面食らった。



(一部敬称略)



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