ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

直近3週間中に思ったことなど

(2022/01/27更新)


2021/12/08放送のTBSテレビ「水曜日のダウンタウン」の企画「売れない芸人対抗 楽屋の弁当持って帰り王決定戦」にて、出場者の一人、マシンガンズ滝沢のモニター役、相方のマシンガンズ西堀の解説(ツッコミ)が素晴らしい。
状況説明と指摘が、スタジオでVTRを見る人と我々一般視聴者の代弁を果たしつつ、且つ見る人の思考を1歩先から先導するツッコミも挟んでいた。少なくとも編集を経て放送された彼の言葉選びと文字数は、端的で適切で、ことごとく見る者を刺していた。ここ1,2年は毎週ネガポジを楽しく聴いている身だから贔屓目があるのは否めないが、それにしても企画内の他の芸人の中でも群を抜いて秀逸だった。
 以下VTRから彼の文言を引用し、私的膝を打った箇所を説明する。


◯VTR始め、出場者滝沢のキャラ説明

滝沢ってタダへの執着がスゴいんですよ
身銭を切らないって事にもう最上級の喜びを見出してるんですよね
だからそのお金がないというよりは得をしたいんですよね

端的。私的には「身銭を切らない」「最上級の喜びを見出す」の言葉選びが、ちょうどいい日本語の流暢さ加減で好き。



◯楽屋を出て別室でモニター役に移った後、隠しカメラ映像を見ながら

やったやった やりましたね

これまでのVTR中のどの芸人も使わなかったワード「やる」は、端的に万引き犯とそれを取り締まる万引きGメンを彷彿とさせる、笑える=秀逸な言葉。(事実、この直後にワイプ中のしずる池田がスッと「やるって笑」とこのワードを指摘し、浜田が笑う。)


いやスゴいな」「食べながらやってますもんね
食べながらやってんじゃなくてやりながら食べてますね

見る人が気づいていない、でも確かにその通りだと頷ける、視聴者を1歩先から先導する状況説明。出場者滝沢の特殊さを際立たせて笑いを増幅させる。


これひょっとして 俺がいる時ここまでやらないから 何気に俺の目も気にしてんのかもしれないですね

西堀の体重が乗っかった指摘。VTR、延いては企画のドキュメンタリーみ、ガチ感を演出。「これひょっとして」という枕詞が、以降の文言に丁寧にガチ感を付与する。



◯ネタばらし(廊下)

(楽屋ドアから出てきた滝沢に正面から歩いて近寄りながら)
やったな」「お前どっかに逃げんのか?

序盤の秀逸ワード「やる」を引き継ぎ、さらに手ブレするカメラ映像と相まって、戸惑う滝沢がまさに万引き犯の姿に仕上がる。笑える。



◯ネタばらし(事務用長机を置いた一室)

背負ってるもん下ろせ
(滝沢「これ…」「やってるって なな何すか だ…だって別に悪い事でもないでしょ」)

万引き犯と取締役(万引きGメン)の立場が明瞭。


いや悪い事じゃないよ」「いやだから俺はお前はやると思ってたし 実際その想像の上いってくれた
(滝沢「えっ何ですか?なんかみんなお…怒ってるんすか?」)
いや怒ってないよ
みんなビビってんだよ

見る人の代弁をし且つ先導するツッコミ。企画の趣旨に沿いガチ感を演出。


(滝沢が「これ事務所から貰ったやつだから今回関係ない」と言ったティッシュの量が袋いっぱいなのをカメラに見せて)
ちょっとこれ事務所からこんなにティッシュ貰ってきたの?
(滝沢「いらないって言うから…」)
お前これ事務所の備品だろ!
(滝沢「違う違う違う 違うよ」)


これでもどうやって…食べれないんじゃない?持って帰っても
(滝沢「これね あの〜例えばひじきだったらひじきでまとめておくのよ1個ずつ で冷凍しとくの」)
「あっあっ、弁当1回全部開けて…」

繰り返して、よりわかりやすい解説に誘導。


(滝沢「全部1回開けて分解して ひじきだったらひじき集めて それタッパーに入れて冷凍すんの」「そうするといつでもいけるだろ チンすれば」)
「いつでもいけるだろ」じゃないけど笑(机に両手をついてうなだれる格好)

何饒舌に言うてんねんの言い換え。
また滝沢も詰問される側の焦り顔は保ちつつ、ワード「いける」を使い乗っかる。


(スタッフ「缶を入れるのがものスゴくスピードが早かったというか」)
(滝沢「はいはい」「人目がないときにいい いい いいけ いける時にいっちゃおうかなと」)
(スタッフ「人目はやっぱ気になるんですか?」)
(滝沢「なんかやっぱ咎められたらちょっとやっぱ僕も心苦しいと所がありますね」)
あるんだ
オチる
おわり


キャラが乗っかった、いわゆる良いコントに仕上がっている。企画と人がマッチした。



病気の名前を見聞きすると、後悔しないようにしようとは思う



テレビ番組で、「まもなく始まります」とか「チャンネルはそのまま」とかじゃなくて具体的な数字を直接出した「5秒後スタート!」の煽りが新鮮で良い



2021/12/23放送のTBSラジオ「ハライチのターン」。岩井のM-1グランプリ観を聞き、羨ましい。彼にとってのM-1延いては漫才のような対象が欲しい。



案:誰が書いたか分からない文章を列挙した本。娯楽からドキュメンタリーな告発文まで。郵送で(あるいはメールフォームで)公開元に募集する。



車に轢かれれば金になると思いながら、左右を確認して道路を横切る。「クソみたいな人生」と粗品が例の語気でツッコむ。反芻。そうだ、狡い人生だ。



なぜ褒めているのか分かる、人が褒めているさまを見ると、人が褒めているものが自分にとっても素晴らしいものであると錯覚して鳥肌が立つことがある。



がんという言葉を見て、後悔の無いように生きたいと思う。でも屈しそうだ。面倒で、易きに流れそうだ。



名前トウバルナギサの音の響きが良い。



行方不明者を探す市内アナウンスが「73歳の女性〜」と。73まで生きれば十分やろと思いながら、2021/12/23 17:13、向こうの家と家の間に沈みかけて輝くオレンジ色の名残を惜しみつつ勢いよく雨戸を閉めた。
かつてわたしは自分ルールで、「陽が沈みきってから雨戸を閉めなければならない」決まりを課していた。それがいつからか、面倒くささに疲れて頭の片隅に追いやられてきた。そういう経緯が名残惜しい気持ちに含まれている。



何もしたくない。最近は毎日の習慣だった壁倒立もサボっている。体が弱ると心も落ちるというのは、体を信用している人ほど顕著であるようだ。



2021/12/21記す。
ここ2,3日、殊更に違法アップロード含めバラエティ番組を見聴きしている。逃避癖。



2021/12/18 kwannより想起
まっすぐに向き合う奴は辞めてしまう
消費者金融で金借りながらパチスロ行ってる奴は続けてる
その点でいえは今真面目が多いから、数が多くなったぶん自然に淘汰される人も増える



羊文学、1999年を世紀末とした曲及び曲名の真意について、当時の人々がそう意識していたからとの説明がいまいち腑に落ちなくて、そこからあまり好かない。しかしその気持ちの更新がないのは何より、それを上回る音楽的魅力が無かったからということは確かだ。



沙より紗だった。しかし最近はどちらも良し。



自分のロールモデルの先ではないけど格好いいなと思わせるのってすごいよねえ、Awich。



YOASOBIのオールナイトニッポンにて、Ayase氏の口調が所々作家の朝井リョウと被る。言葉選びと語調。



東京03飯塚の、ゲストをもてなす平場の会話が面白くなくて、よく見るオードリー若林や千鳥両人の能力の高さに気づく。たまたま見た番組「東京03 in UNDERDOGS -今日は負けたけど、明日は絶対勝つ-」。



テレビと芸人
芸人はネタが良いと評価されるという不文律がある。その人の頭が反映されるネタが面白ければその人は面白いと判定するのは、最も確度の高い方法である。
界隈はそういう思想が支配的だから、ネタで世に出るということがオーソドックスかつ確実、先の安定を見込める。世に出ると、例えば自分が面白いと思わないテレビにも出る。自分のネタが評価を得て世に出たのに、この何にも面白くない現場はなんだと舐める。
一方その面白くない現場込みでテレビを主戦場とする人間がいる。
「彼らはなぜ面白くないと舐めるのか。ふざけるな。じゃあ我々にしかできない、彼らにギャフンと言わせる、彼らにとっての至上の命題であり面白の源泉であるところのネタを、我々も持とうじゃないか。」
面白い番組を作るためにテレビ制作に重宝され続けた芸人に対し、その立場を貶められ、場を奪われ続けた一般タレントの反旗がここに掲げられた。テレビという戦場で起こった対立、乱である。



ベッドの引力が凄い。外に出よう。
根本的に性格が変わらなければわたしはいつまで経っても



金をたくさん持つことが非難されているのに、金を稼いだ方がいい、あるいは金を稼ぎたい、金を稼がなければとヒトが思うルール設定になっている(とみなせる)のが、矛盾していて甚だおかしい。金稼ぎに憧れられないほど、金の囲い込みや私有財産化が悪事に映る。だからルールに馬鹿正直に起業なぞする気が起きないのである。



気づけば風呂に3〜4日入らない習慣になっていた。入浴週2。前頭葉がかゆいのが板についた。頭皮に良くないだろうからそこだけがネック。非社会的なことは知っている。 入浴は最低1時間で、スクワット50×3と歯磨きをストレスなく時間をかけてこなした場合は2時間前後になる。さらにここに髭剃りの工程を加わると、これが2時間半以上になることも。シャワーの感触と音が大好きで、洗髪、体洗い、髭剃り、洗顔、歯磨き、スクワットの工程間のバッファ時間をどうしても削れない。なので彼女には、これで毎日入っては水道代が堪らないので、という理由でこの頻度を正当化していた。
環境や習慣が身体を支配していった。気づけば風呂に3〜4日入らない生活サイクルになっていた。入浴が、手順を踏みかつ疲労する生活習慣であると刷り込まれ、毎日こなすことから遠ざけられた。ただこれについてははなから自覚している。スクワットは生活中入浴時だけに限り、入ったときには必ずやれと設定したのは、水道代節約のために毎日風呂に入らせないようにするための自分ルールだった。わたしは思惑通り、自分ルールによって欲求主導の自分をコントロールさせることができていた。
次は、社会生活を送る上で毎日風呂に入らないのは不衛生で倫理違反ゆえに悪だから、毎日風呂に入らせるために誘導しないといけなくなった。そこでスクワットルールはやめたが、現状効き目は薄い。外出と発汗かなぁ。必要に駆られる必要がある。毎日入らないのが習慣化した身としては、自分のためだけにはどうも入れない。



2021/12/15記す。誕生日。レバニラ、ピザパン、さつまいものマヨネーズ和えサラダを担当。炒飯、玉ねぎにんじんエリンギ入りのブラックペッパーを最後にかけたホワイトスープ、太め(モスバーガーのそれのような)フライドポテトを彼が担当した。19時前に出て20時半に着いたら既に食べられ始めていた。急いで買ってきた胡瓜の輪切りとベーコンを炒め、焼き鳥(つくね2レバー1砂肝1)を温め供した。
朝作ったレバニラがあまりうまくなかった。下処理から焼く順番とタイミングまでをそつなくこなさなければならないことと、あとそのときの精神状態が影響するのだろうことを思い知る。何もやりたくない、いや正確には何をしたいのかわからないのと、今後の仕事と将来とを何も決めていないのに、またしても呆然とする。働けバーカか。



科学的に対する非科学的なことを、人はスピリチュアルwと言って一笑に付すが、新しく発見される科学的知見は、発見される前の隠れた状態のとき、非科学的領域にあるとは言えないか。通説、常識、既知が事実として科学の名が冠され、それ以外は科学でないもの、すなわち非科学とされるのであれば、まだ見ぬ新事実はすべて非科学ではないか。スピリチュアルと笑われる内のごくわずかのうちに科学があったらどうしよう。



2021/12/14 23:46記す。ファミリーヒストリーバカリズム編を視聴。ドキュメンタリーで、なんだかんだ最後の方は胸に迫るものがある。我が身を振り返る。ベタに恵まれているな、さっさと職業選択しよかななどと考える。止まったタイヤを転がすのに、そのきっかけは感情的でもいいのかな。



欲しい検索候補が出てきても、自分で打ち込みたい質。わざわざ時間をかけて打ち込んででも、正しいつづりをスマホに学ばせておきたい魂胆。別のサイトで探すときに引き出せるから安心する。



本紹介を聞く見るのが好き。アメトーークの本大好き芸人、アトロクの推薦図書や日本翻訳家大賞発表を聞く。聞いて終わり。
アラカルトやバイキングの余裕を享受するのと同じかもしれない。バイキングへ行くのは、ある特定の料理を食べられるのがそこしかないから、仕方なくバイキング形式を受け入れているのではなく、バイキングしたいからバイキングへ行くのである。それはつまり、指を咥えてあるいはそのときその場で食べたいものを可能な限り用意された選択肢の中で選べる状態を買いに行くことであり、わたしが本を読む気がなくて本紹介に惹かれ続けるのは、このバイキングへの欲求の構造と同じ、いや言い切りは怖い、近いのではないかと考えた。つまり可能性に浸っていたいのである。可能性という余裕、安心、光、この形のない概念に知らぬ間に信頼を置いて、起きている間を過ごしている。



何かを本気で熱量をもって好きと言えるやつは、同じように何かを嫌いになって退けるはずだ。なぜならそもそも人間一人に全てを許容できるはずがないのと、好きの線引きを力を込めて行うなら、その線の外を(グラデーションはあるものの)好意の反転で嫌悪するのが自然だからだ。そいつは、嫌いなものをなかなか公にはしないだけで嫌いになるのを厭わない、豪胆で他人の目を気にしない、不躾なやつだ。



ダイアンはコンビだが、ピン芸人的な図太さがある。なかやまきんに君やもう中学生、バカリズムハリウッドザコシショウ、最近だとゆりやんレトリィバァや吉住のような、何はともあれこれっしょ?みたいな、あっけらかんとした強い芸風を認める。東京進出によって、かつてより明らかに寄る辺ない環境におかれても面白い、その逞しい芸人像が剛腕のピン芸人と被るのかもしれない。
ラジオの2人から窺える二面性も、例えばオードリーのそれとは違う。オードリーのラジオは彼らの活動=芸に一貫性をもたせる説得力としての機能を有しているけど、ダイアンのラジオには現状ではそういう機能はなく、'ただそういう面がある'ことを見せる場になっている。ラジオの彼ら、テレビの彼ら、YouTubeの彼らはセパレートしていて、それぞれが相互に作用する人らに比べて非商業的であり、だからこそそのあり方が固有の魅力になっている。
ただし、ラジオの彼らに魅了された人が、別のメディアで彼らを起用する事例も起こっており、完全な分立を果たしているわけではないことは言い添えておく。



カタカナ語って、なんかぼやかすために言葉をマイナーチェンジするよな、同じ意味で使われてても。ITがICTとか。



茨城放送「小倉良のAll That Music!〜US&UK Pops」2021/12/05放送分。そこで流れるおそらく7〜80年代の洋楽popsに特有の、リバーブや音全体のくぐもり、ゆっくりな曲調に、忙しい時代をドロップアウトして居心地の良いスローで鄙びた場所に安住する気分になる。さながら死に支度をする心地。



違法アップロードされた漫画や文芸をまた探っている。読む分はもう十分に積んであるのに。そうだ、ワクチン打ったんだからその副作用で明日死ぬかもしれないんだと思い出し、やめる。



「マジでどうでもいい」を使う人は、わりあいそのマジでどうでもいい対象寄りに生きていることを自覚すべきだ。昔と今とを比較して、一般的に人が苛立つ頻度や度合いは増えたのではないだろうか。「マジでどうでもいい」と口を衝いてしまう人が沢山現れているから。



夢:トイレにて、座って用を足す。勢い余って、便座の楕円の頂点の隙間から飛び散って、足を置く白い布マット全体に黄色が滲む。ああ最悪だと、とりあえずトイレットペーパーで水気を押さえてみるが、うーんそれほど効果がなさそう。吸収後の見た目は、見ようによってはかかったとも、またかからなかったともとれた。しかし私はかけたのを知っているので、これは洗わないと……と思いやるとああ面倒だ。急に洗い出すのだからそれは同居人にとって'かけた'比喩となり、声高なアナウンスである。恥ずかしい。
ペーパーで拭うとき、床に置かれた袋に残り2個のトイレットペーパーに目を遣ると、両方とも側面の白い円が黒に支配されていて、取り出したらカビで真っ黒なのに気がついた。個室は四隅にいくにつれて暗い陰が濃かった。



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輸入語大好き



壇上の有力者の「皆さんこんにちは」に対して「こんにちは」と返答するのが、何でか未だにダルい



今更花の名前なんて付けてんじゃねーよカッコつけて



布団の中、毛布越しに股間に手を当てて目を瞑る。生が愛しい。



パンサー向井が相方の尾形のスベった番組を指して、「あれで底値を叩いた」と表現した。「底値を叩く」。



意匠に対して「やばいね」ってワードを使うことが多い。意匠憧れるなぁ(ニート)。



rhymester blog|starplayers
2021/12/06記す。RHYMESTERのHPに記載のDIARY written by mummy-Dをたまたま読んでいる(Red Bull 64 Bars 2021.8.29更新の文章)途中に登場した、田ちゃんこと田我流氏をWikipediaにて検索したところ、正しい読み「デンガリュウ」を知る。より主観に正確に言うなら、正しい読み方に'確定させた'。これまで怪しみながらタガリュウorタガルと黙読していたのだが、なんか急にこれを検めたい気分に駆られ、実行したという経緯だ。

それにしてもD氏の'まめさ'がすごい。誰かの日記を読むにつけ、これは大げさでなく毎度著者に感服する。してしまう。私にできないから。それ自体難しくはないはずなのにどうしてもできないという絶妙な物事が、私にとっては日記という営みだ。どうにも続けられなかった記憶、その経験が尊敬という私的レアな感情に駆り立てる。

すると経験が足らない、この世の知らないことが多いだろうことを意識する。もったいないとも少し思う。
私のよく見聞きするメディアに乗る人らは、結構な頻度で尊敬(リスペクト)を表明しているが、彼らはその性格上、刺激的なライフタイムのうちに可能な限りの経験をし、知識を取り入れることを厭わないから、リスペクトが尽きないのだろうか。刺激的なライフタイムたらしめるのに、日常的に新しい何かに接触しまくっているという順番でも説明がつくから、ウロボロス的と言おうか螺旋状と言おうか、卵が先か云々の方がわかりやすいか、いずれにせよ彼らには刺激が尽きず、同様に尊敬も止まないという説を唱えよう。
とはいえまあ、そもそも彼らの口から出る尊敬は、私の想定ほど重い意味を含んでないか、あるいは嘘八百かもしれないのは、人によりけり、全然あり得るのだが。

閑話休題。DのD(IARY)は文体がライトで(ex.語尾で「〜しちゃった」と言ったり、「〜なのであった」みたいな背伸びするニュアンスを含んだ子どものナレーション原稿で使われそうな言葉使いだったりして、茶目っ気があふれている)、また軽妙なリズムが一貫していて、活字苦手のもやしっ子でも読みやすいのですよ。肩肘張らない等身大の筆致から親近感を抱かせる、金を取れるDIARYだ。現場のたたき上げのラッパーだって、カッコいい(流行病)。

以前から存在は知っていてぼんやりと楽しい文章だなぁとは思っていたのだが、意識づけなしではHPにアクセスするモチベーションは保てず、読めていなかった。これを機に週一くらいの習慣にしてもいいかもしれない。
こういう文章はきっと世の中にごまんとあって、しかもその中には進撃(の巨人)の雷槍のように、私的に突き刺さって電撃が走り爆破するはずの稀有な機会を内包しているけど、大抵はその起爆装置に触れることすらなく死ぬんだろうな。幸か不幸か。



(一部敬称略)



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