ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

直近2週間中にとりとめもなく頭に浮かんだことを箇条書きする

(2021/07/31更新)


ケニア人選手の名前がわくわくする。まだ知らない美しい響きがある。例えば(coming soon...)



「付き合っている女の子」と聞いて連想するのは、凛と鳴る音とシロツメクサのイメージ



何となく楽しみになっていた東京五輪女子サッカー予選、日本対イギリスを後半からLIVEで観た。素人目ゆえ説得力はそもそもなく、また説得する気はないから思ったことを率直に綴る。体の大きさが一回りでかい相手にパワーとスピード、高さといったサッカーに重要だろう要素の多くが圧倒されていた。さらに足が止まって、プレスに急いてパスミスをし、ほとんど敵陣にボールを運べていなかった。
結果日本チームは0-1で負けたのだが、なぜか想像以上に気分が下がり、その気分が下がった時間が持続している。
負けるのはいいが、何か、やる気がなく見えた。観客がいないせいもあるだろうか。直前まで開催自体も危ぶまれたから調整も難航したのかもしれない。ただそれが原因で負けるとしても、精神的に萎えて終戦して欲しくはなかった。ボールにがっつくテンションを一人ずつの当番制で順繰り回しながらでいいから見せてほしかった。実際45分ハーフを走り続けることには私の想像を絶する苦しさがあるに違いない。だが個人的にはその苦しさに抗う顔が見たかった。それが見られていたら、今の今までダウナーテンションが持続することはなかった可能性がある。負けに悔しい気持ちというより、画面を通して見た不平不満と肉体的疲労に負けたような、試合中の代表諸氏の振る舞いに気分が落ちたのだと踏んでいる。こんなにわかファン以下の一国民の時々の気分に影響を与える人達は凄い、感服する。



タイトル案:闊歩しよう



2021/07/24東京五輪スマホNHK提供の自転車ロードレース競技をストリーミング視聴する。
アブラセミが鳴いて、子どもが声援を送っていた。低い屋根の民家があって、緑で、触ると白い汚れがつく手すりがあって、ガードレール、通学路の標識、山道は勾配がついてくねくね曲がり、薄汚れた赤いパイロンと危険注意のしましま棒はコースの端で役を終えている。市街地はチェーン店の看板と対向車、ドローンカメラが団地群、青色タータンの陸上競技場、同じく青いテニスコート、今時大量生産型の一軒家、歩道にマスクの人々が連なるのを映した。ありふれた馴染みのある景色が、沿道と道路を区切って一般道で大人数に自転車を漕がせるだけで、真ん中に据えた非日常を立派に盛り立てているのがわかる。それはさながらアニメーション映画で風景描写がすごい再現度なのを観た感動ーーリアリティの追求によって実際の現実と比較する視線のハードルがぐんと上がったのを悉く超えてきたときに覚える「うーわ」って感動と似た心の動きで、日常がありがたく見える。



夢:野良の凶暴さをもつ犬をあやす弟。グルルルして何度か噛まれかけるも、なんとか事なきを得ていた。続く母。躊躇わずいきなり顔の両側を手でわしゃわしゃする。一瞬明らかに犬の顔がこわばったが、1秒、2秒と時間が経過するのに呼応して徐々に攻撃性は解けていくよう。そして笑顔になった。気持ちよさそうな笑顔は、しかし映りの悪いテレビのように途切れ途切れに真顔に返る。丸い目の黒色は終始奥が深かった。野生だった。安堵ゆえの直接的な笑顔では決してなく、いつ掌を返されるかを身構えて待つ訝しむ態度、反撃準備の周到さを勘づかれまいと平静を装うそれだった。笑顔を見せてやろうとして作った笑顔のように見えた。笑い方を知らない不器用な笑顔なのかも、との純朴な見方は捨ててよろしいと思えるほど、気づけば目の奥が深かった。とまれ、母のわしゃわしゃはずーっと続いている。



漫画家にはぜひ、私のような所謂ビジュアルショックな顔面をした人物(=皮膚の色や皮脂腺、凹凸等の忠実な再現を実行した絵)を主要キャラに据えるマンガに挑戦して、マネタイズを果たしてほしい。もしくは擬人化でない動植物のみが主要のマンガ。物語でなくてもいい。それでは絵画化するのか?マンガではないかもしれない。物語が苦手だからむしろ私的にはその方がいいが、でもそれだと金にならないっぽい。この願望の内実は、展開されるビジュアルが受容されることが第一でなければならない。



2021/07/23午後17時過ぎから18時半前まで、『映像研には手を出すな!』の大童澄瞳氏のTwitterを数日分たどる。ツイートが多くてまだ3日前?!となる。Twitter適者だ。
よくある思考かな。リツイートされた、創作物に感化された人の感想ツイートを読んで、私は創作物に感化されたことがないな、もう少し正確に言えば、私が創作物に感動したと思った体験は、感動直前までの私の思考や行動様式を、それを境に変化・更新させるまでには至らしめず終いだった記憶を思う。思って、感化され行動する人が羨ましい。感受性とやらをインストール、否(インストールは爺くさいかも恥ずかしい替える)、感受性とやらを……、(10分後)ほら、ガジェットみたいに組み入れる、そう感受性ソフトを組み入れたい。

ところでツイートって、数十年後の懐かし用語筆頭の響きがする。



テレビで見る蛙亭かが屋のコントは日常の機微を抽出して、場合によってはそれを増幅して面白を仕立てるの(が多い?)に対して、さらば青春の光やAマッソは日常的には中々ありえない設定から〜という違いがある?



ラジオを聴いてて、ちょっとした一言が気になってシークバーを戻すことがよくある。戻って聞いても聞き取れない場合は音量を上げて再度聞くがそれでも聞き取れなくて諦めるときがある、までが私的あるある。



案:別れる以前にそもそも出会いを知らない/出会ったことのない立場からのラブソング



広告に偏見を持っているから、どこか無料のコンテンツに挟まれる広告で宣伝する商品を買いたくない気持ちがある



前置きで「批評じゃありませんよ、あくまで感想文っすよ」っつって未来の批判を見当違いとして流そうとする態度、ダサくない?批評を学ぼう



referred to 黒く塗れ!
汚しちまった顔面も〜



ロゴデザインの知的財産権って、然るべきところに登録してれば主張できるのかな。よくYouTubeで何かをもじった企画をやるときに、その企画の元ネタのロゴがサムネイルで堂々と使われているのを目にするから。



不言実行する、キャンバスに筆を入れるのをためらわない人が魅力的。



既存の作品と新作を許可を得て別の作家が接続する試み。MCUみたいな世界の構築を前提にするんではなくて、さらっと入れるだけのもあり(MCU作品は見たことがない)



LINEニュース経由、週刊女性PRIME記事のタイトル「伊藤健太郎山本舞香がひっそり破局」。ひっそり破局ってなんや。ひっそりしない破局=あからさまな破局が既定なんか。



2021/07/19 21時過ぎ、閉店前のスーパーのレジにて。スマホ画面でポイントカードのバーコードを提示する際、手持ち用の読み取り機を画面にカツカツ当ててくる。パート職員と思しき見た目が5〜60代の女性。隠しきれないくたびれは、退勤直前のスパートでなんとか誤魔化している様。うまく読み取れなくて「できないな〜困りましたね〜」と鳴き声を上げた後、商品のバーコード読みに使う固定の本体機の方で試すからと、真っ黄色な汚れが目立つ摩耗したゴム手袋を着けた両手を広げて、スマホを渡せとうながす。体感で10秒弱くらいだろうか、便器を洗ってすぐのような黄土色と黒い斑点、その向こうに濁って透ける肌色をした掌から目を背けられないまま、固まった。マスタードのありかを聞くのすらできなかった小心者には嫌とは言えず、スマホはその手に渡った。しかし結局その後、画面表示のバーコードはいつも通りに手持ち用の読み取り機で反応することになる。「あ、できた。」と頓狂に鳴いた声が、引きこもる部屋に残響して仕方ないので記録する。



疲労感とくたびれ
前者は客観的にどうしようもなく疲れているさま、後者は主観も孕んで疲れているさま、な印象を受ける言葉。休日出勤から帰る電車のサラリーマンと、飲食店のホールで勤務中の学生アルバイトの疲れているさまの違いがある。



古いから、歳をとっているからその意見はダメ、と言うのはあまりに雑な否定だし、差別に近いのでは。



LINEニュース経由 中京テレビNEWS「窃盗へずまりゅう”に懲役1年6か月求刑 名古屋地裁岡崎支部」より一部抜粋
スーパーで「魚の切り身」を会計前に食べて盗んだなどの罪に問われている元ユーチューバー「へずまりゅう」こと原田将大被告(30)の裁判が19日、名古屋地裁岡崎支部で開かれ、検察側は懲役1年6か月を求刑しました。
元ユーチューバーって言うのね



たしか小学5年の頃の、道徳の授業中の話です。題材は忘れてしまいましたが、ディスカッション形式の授業で特殊な座席配置をとっていました。窓側2列と廊下側2列で席を二分して、イギリス議会のように真ん中を空けて互いが向かい合う形です。

予め配られていたプリントに書かれた問いの一つ、「あなたはたとえば、どんなときに幸せを感じますか?」のとき、私は指名されました。私はシンキングタイム中に書いた答えをそのまま素直に言いました。「物事が思うようにいったとき。」
一瞬の間の後、向こう側のおてんば系素朴女子・◯村さんから、「え、なんか大人っぽい〜」と声が上がりました。先生はそれに応答して曰く「確かに大人みたいだね」と相槌を打ちました。

あれから幾星霜、私は現在実家にて引きこもっています。



対人難。わずかながらの経験から導く体感と推測では、気を遣いすぎたり、気を遣う言葉使いを用いすぎても、反対にほとんど気を遣わない場合と同じ愚かさの絶対値をとる。他人は完全に理解できないし分かり合えもしない前提で、さらに個人主義に立って他人の心や体をコントロールしたくもないとして、何と言えば相手が快いのか、あるいは好感するのかを考えるのがとてもエネルギーが要って面倒になる、というのは道理が通っていると言えるだろうか。この駄々に果たして共感は得られるだろうか。
冷静に考えれば人格が否定されている訳ではないのはわかるのだが、しかし少なくとも私のとった行動や言辞が完全に否定されている事実はあって、それだけでも十分ショックを受ける。否定されることには慣れていない。
新たな人間関係を作るのには、今の私には革命に近い飛躍が必要になりそうだ。一線を引き直すか、そもそも他人の見方を改めるか、あるいは他のやり方が見つかるか。いずれにしろ今から飛躍するエネルギーが必要になるのには違いない。
人間関係の構築にはクリエイティヴィティを要すると見える。ただでさえクリエイティヴィティに乏しいのなら、わざわざそこに割かんでも……などと頭を回らす。



ミュージシャンのYouTubeに上がるPVのBehind the Sceneってやつ、Behind the Sceneってクリエイティブなネーミングの割には結構安直な発想でやってる人多そう、まあこれやっときゃ〜って。



個人の手元で完結
安定
ひげ



根も葉もないことも含めてここまでいろんな言説が飛び交うのに、どうして信じ切れるんだろう。例えばAmazon社員は、自分の営利活動は自分の私腹を肥やすためだけにやっているんだろうか、多分だろうな。ある種の宗教ではないか。信じ切るのに、あらかじめ自分を理論立てて追い込んでおくのかな。



アニメーションにあるあるのメタ視点を採用した、タイトル案:「金くれ」「売れたいねん」「次作は力作ですっ」



はかりめ丼なるもの。量が多い。甘辛いタレがよくよくかかっていて濃い。ご飯がすすむ。



2021/07/16 11時49分、今季初ミンミンゼミの鳴き声。



夢:下り坂の途中に、斜面に沿って背もたれのない丸椅子を3つ並べた茶屋に見立てた空間がある。客が2人、真ん中の席を空けて両端に座っている。そこを横切る際に下るスピードを少し緩めて様子を見ていると、坂下側の席に座る客に、アイスクリームを盛るサイズの深さが浅めの透明なコップに、チョコレート色のマカロンの少し溶けたようなものが2個無造作に縦に並んで入って、坂の上から流れてきた。次いで坂上の客にも、同じ容器で色違い(記憶が確かなら明るいライム色)の溶けマカロンが届いた。アイスだあれは。甘そうな見た目だ。そう思った矢先だった。真ん中の空席部にやはり同じ容器の色違いが流れ止まった。浅煎りのコーヒー色(=チョコレート色より薄い明るい茶色)で、自意識過剰か、私に向けられているアイスと察した。期せずして急に当事者にされると、立ち居振る舞いに焦った。



古田新太が舞台の宣伝で、音楽担当をしたいきものがかり水野良樹をボケのニュアンスを込めて、「あいつは売れることしか考えてない」と言っていた。ここまで資本主義の弊害が取り沙汰されている現代において、なぜ(我を通しても)売れたいのか。



(一部敬称略)



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