ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったことなど

2020/01/06、彼女が病院から帰って来、買ってきた餅を食べたいと言った。それを準備するとき、「あ、これ大丈夫な餅……」と思ったことを口に出してしまったがために、彼女に「もう餅ストップするのはやめにしたの」と言わせてしまった。何度も何度も何度も繰り返す、配慮のない振る舞いや言動。やってしまう。気を抜いているから、本当の本当は彼女を大切にしていないから、この至らなさが表出するんだろう。



体からなるべく離れた位置で拳をつくったガッツポーズができるようになるのが夢
性格からか、どうしても所作も内々に寄ってくるから
ガッツポーズもその限り



2020/01/07
じいちゃんの墓参りの道中(お供えコーヒーを待つ車窓から)
彼女が私の鳥好きを知り、驚いたように弟もそうだと言い添えた。どこがいいのかと聞かれたので、私はシルエット、たとえば冬場の丸っこい姿が可愛いと答えた。



野党の政治家が「〜と言わざるを得ない」を多用しているのを覚えて、なるべく使わないようにしようと思う。言わざるを得ない状況は、人生中、そんなに多く出くわさないだろう。ぺこぱの漫才ではないが、正確で正直な言葉選びを心がけよう。



中2のいとこの塾通いの話にて。私の塾の選び方をおばが母に問う。母曰く、「上のクラスだと上すぎて、下のクラスだとしたすぎるのが合わなくて、別の塾に行った。そこは割と馴染んだからそこにした。前者に比べて後者はカーペットが敷いてあるあったかみを感じる雰囲気だった。私はフィーリングで感じるタイプだからそういう捉え方になるけど。そんな風だった」と。
確かにそうだと思った。総に比べてKの教場は見た目が整って温かい雰囲気があった。元から親しい仲の友だちがいたからというのも温かみを構成する要素に入ったのかもしれないが、だとしても側が整っていた方に惹かれたのは事実だ。前者は後者に比べ教室は雑居ビルなことから明確に質素で、成り上がりを期す雰囲気を醸していた。指摘された通りだった。また小中学校からの縁を引き継いだ、それなりに楽しく会話できる間柄の友だちもいなかったから、人見知りの質からすると、選択肢としての前者は更に弱くなり、相対的に後者に進む理由が強まった。ここから思ったことが以下だ。
つまり私は側を気にする、見た目雰囲気が精神に大きく作用する性格なことに気づく。甘えん坊で柔な体、褒められて伸びる、冷たさ、成り上がり、努力などとは対極にある性格。金持ち的なブランドに従順で無批判的な性格。言われてみればそうかもしれない。図星かもしれない。そこから目を逸らしてきた。この見た目からしてその性格、今まで好いてきたラジオの声の主とは真っ向から対立する生き方が自然になる現実が怖くて。彼らに叩かれるのが怖い。ヒルナンデス気質というか、表参道闊歩型気質というか。何だかんだそうだったんだやっぱり。強がりだったんだ、芸人やミュージシャンの性格に共鳴するのは。似非だったんだ。田舎にいても金持ち的性格というか、穏やかな、平和を望む性格なんだ。綺麗好きで不和は見ないふりをする。汚い所はなかったことにする。そういう政治家的な性格だったんだ。
これは由々しき事態だ。やはり末は会社員か公務員が正しいのか。何も生もうとしない、だから生めない人間。生もうとする段階で自分を信じきれなくてすぐ断念する連続。周りと一時的にでも対立あるいは距離ができてしまうのが怖くて怖くて耐えられなくて、結局大勢に安住することで落ち着きを取り戻す、100年そこら前の体制翼賛人間だ。赤狩りだ。結局ダイバーシティに寛容というのもファッションで、自分で金稼がなくでも大学に通ってる金に余裕のある人間の遊戯的な思想に過ぎなかったんだ。寛容の装飾をしてるだけだし、それが大勢だから寛容なだけなんだ。マイナーが怖いだけなんだ。どうしよう。



改善、補正、鍛錬、成長、積み上げということに私は向かない性格かもしれない。所与の条件の中で生きるしかできない性格。現状を打開するタフネスはもう培えない人間だということを認めて人生を進めた方が素直で有効で上手くいく、ゆえに正しい選択なのかもしれない。これは私が大学入学以降に知り、声を聞き、憧れた人間たちー例えばオードリー若林、ビートたけし、XYOSHIKIーが批判し、そして対立する人間、ゆえに大学入学以降の私が嫌う人間像だ。もうこの現状を認める段階なのかもしれない、奇しくも上に挙げたように真逆の生き方になる彼ら、つまりキャラ漫才に辿り着いた26歳のオードリーのように。



マイノリティを誇りたい、という時点で大勢的な人間というどうしようもないこと
マイノリティから脱してメジャーの自身を築きたいの意。その味気なさ、ダサさ、精神的弱さ。
マイノリティはあるだけ、マジョリティもあるだけ。それだけ。



ここまで生きてきて何度か将来の仕事について考えるタイミングがあったが、悉くスルーしたから、何としてもやりたいことなんてもう見当たらないとみなすのが適切だろう。すると将来の仕事を選ぶ指標はこれに限られる。つまり現時点でこの私に何ができるかを問うのが必要だ。欲を言えば次のチェック事項も問うべきだ。将来性(展望を描けるか、その大きさ)・政治的正しさ・最後に自分のフィルター



やりたくないこと、単語
初対面の人と話して何かを作り上げること
カフェや居酒屋の距離が近い座席
面接室
スーツ
ああ、何もない。上の項目全てが表面的だ。やっぱり私にできることが第一に優先される事項だ。



面接室でググった画像を壁紙設定する私的ライフハック(ここに行くのは嫌だの感情を掻き立てる)



3・3・7のリズムをずらして3・7・3のリズム、アリ



2020年にもなって、つくづく気を使わせてしまう人間であることを意識する。悩む。呪いたくなる(また自虐に逃げた。第一、呪いたくなるって何だよ。「呪うと言う勇気がなくて呪いたい→さらに呪いたい訳でもない、でも呪わしい気持ちは無くはない→じゃあ呪いたくなるとでも言おうか、これなら決して嘘はついていない」この一連の曖昧さ、A(呪いたい)かB(呪いたくない)かはっきりさせない性格、考えつめるのを避け後回しにするフリをして結局有耶無耶にする性根、楽したがりを隠す醜悪さが表れている。自分可愛さがまだ残っているから呪えないという幼さを隠して、でもちょっと呪いって言ってみたい、みたいな、入れ子構造になった幼い性格それは深刻だ。)。
隣の彼女が薬を飲めないのを素直に励ませなかった。元から心を開いていないから、大事な場面でもうまく会話できない。あってないようなおのれのキャラクターや、これまでのおのれの発言との整合性を最優先して言葉を選ばなければならない、とどこか勝手に気負い固執して、「本当に辛かったら今日はやめとこうか。やめとかない?」を言えなかった。その自覚がある、席を外すしか彼女を解放できないと判断し、隣に居るのをやめ席を立った末の今。ベッドの上で横になりながら。放置した提出まで1週間を切った2万字がもうじきみぞおち奥の受け皿に血を溢れさせて。
死ぬまで大人になれないのではないかと不安になる。教え導く立場になんか立ってはならない。



ビビりのくせに仕事を後回しにする。そのときの心模様は、例えるなら次のよう。期間中、真っ暗で胸がざわつくおばけ屋敷からずーっと抜け出せないような心理状態。長い時間浸りすぎてそれはスリルとかそういう爽快感の類いではなく、ただの不安・恐怖・怯えに該当する心理状態。自傷行為でもあるから特殊。



街のパラメータ化
…つまり市区町村の項目別パラメータをネットで示して、人口移動が今以上に速やかになることを目論むサービス。ゲームみたいに、「この都市はこういう色をしていて、こういうことに長けている、みんな来てきて」を促すサービス。
↑あまりにぼんやりしすぎ、夢想的にすぎない。何のパラメータがあるとよいのか。



家って、コンクリじゃないとやっぱダメ?建設業者が建てないと心配?ゲルみたいなのだと日本人は納得できない?



御霊前の包みの字は、掠れていた方がいいらしい



わざと誤植をつくって推敲の跡を残すブランディングを試みるスポーツ新聞



色を作る
白い画面に色を作る。絵の具とかで。色の絵画を作る。全面が色の絵。色は特許申請できる。



ラジオ生出演あるある
曲中に深い会話ができる



詩ってこういう風に書くのかな、と。



タイトル案:私は戦争 i'm war



(敬称略)