直近2週間のうちに思ったことなどの記録
(2021/04/17更新)
声優はソルジャー
目を瞑っている最中に、たまに脳内で根生姜をみじん切りする映像が自動再生されて、それが気持ちいい
ニュースサイトYahoo!ニュースにて、報ステWEBCM炎上とのニュースを時間差で知る。そうして今は削除されているという当該CMをYouTubeで見る。一見して、なぜ炎上したのかが理解できない。ネット記事によるとどうやら女性蔑視や作り手のジェンダー平等に関する認識不足との批判があるらしい。もう一度動画を見直し、批判されている文言が文字起こしされた記事を読む。炎上した理由、その筋道はなんとなく辿れた気がしたが、その上でそれでもこのCMが批判され炎上するだけの問題があるかどうか、私には疑問だった。
そもそもCM全体の作られ方から、箇条書きのように一つ一つ独立した内容の主張を並べている(とも読み取れる)ので、批判される箇所(以下に問題のセリフ群として太字斜体で抜粋している)、つまり前の話を踏まえた直後の話がおかしい、とするのはやや的を外していると言える。ただここで言いたいのはCMの見方についての反論ではない。私はCM内の発言内容それ自体への批判に対して意見したい。というのも、批判されるCM内の発言に、当該話題の記事3つ程を読んでもなお私は同感だったからだ。問題のセリフ群「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけれど、すっごくかわいくって。どっかの政治家が「ジェンダー平等」ってスローガン的に掲げている時点で、何それ、時代遅れって感じ」の一部「時代遅れって感じ」は、私には端的に言って、「あ〜あ日本終わってるな〜」って意味合いで受け取れて、自身も日常的に同じような思考をするから違和感はなかった。そしてその違和感がないことについて、この感覚はジェンダー平等という価値観に照らして間違っているのかを考えたが、冷笑的という現代人に典型の愚かさはあっても、別に間違っているとは思っていない。以下に間違っていないと思う脳内の声を一部抜粋する。
自分らは先進国とか言ってるけど、ムーブメントから価値観まで全部欧米発信のを受信してるだけだし、景気の先行き多分右肩下がりだし、少子高齢化だし。だからそれで言ったらもはや先進国的価値観を追っかけてるけど追いつけてない、つまり虚勢を張りたいだけの元先進国=発展途上国じゃん、みたいな。最近流行りのカーボンレス社会とかジェンダー平等とかって、子供の頃から教科書で読んでたような言うまでもない正しさがあるけど、ここに来て政治家が急に声高に叫び始めるのはただ欧米諸大国様がそう言いはじめたからに他ならないでしょ。大きな金が動くゾ〜と分かってからそれに追随するばかりの、なるだけノンリスクで旨味だけを吸いたいミラー枠的資本主義国家。だから今、女性は基本家内にいるべきだった時代に生きた男性から女性蔑視発言が漏れ出ちゃったりするんでしょ。個人の価値観の転換には時間がかかるし、ましてや年を追うほどそれは余計にかかるだろうから。
そういうわけで「どっかの政治家が「ジェンダー平等」とかってスローガン的にかかげてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」って発言に私は同意している。文字通り今更遅、古、ださって意味で。
「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけれど、すっごくかわいくって。どっかの政治家が「ジェンダー平等」ってスローガン的に掲げている時点で、何それ、時代遅れって感じ」。これの意味を「赤ちゃんがかわいいならそれでいいじゃん」「ジェンダー平等とかどうでもいいしこのままでいい」とは私には自然に読めない。だから批判する気になれないし、あくまでそう(=女性蔑視や作り手のジェンダー平等に関する認識不足)とも読めるという域を出ない、つまり解釈の幅があるCMとして個性・主張とみなし、削除する必要もないと思った。この問題についての議論のためにも。
世の中に人好きが多すぎる。
メディアに乗るのが人間好きな人間が多いから、自分もこうあるべきなのだと頭がそれへの適応に振れるが、これ(=私が目にする耳にするメディアが作る世界)が世界の全てではないだろう。
自分が人間だからって人間ばかりに関心を寄せるのが当然で正しいとは限らない、と信じたい。
「ごめんだけど〜」は流行語?砕けた申し訳ないけど。日本の慮り文化もカバーする優良なブロークンな言葉遣い?
人間に向き合うか、捨てて別の対象に没入するのに振り切るか。「佐倉としたい大西」最新回(2021/03/30)を聞いて。
誰々に似てるとか誰々になりたいとか、イケメンとか女子アナとか、変顔とかJKとか、そういうワードが飛び交う所謂女子会(?)らしいドライブする会話を聞いて、ああ人間社会、恋愛、結婚とは、となる。居た堪れず、苦しい。人の見た目について他人同士で明け透けに話すさまにアレルギー反応が起こる。自分が女性一般から受け入れられない、また感性も相容れない人間なことを突きつけられるような例の感情。訓練が足らず重いパンチに慣れていないからキツい。過敏であるのは自覚している。ルッキズムを拗らせている。
アレルギー中の顔はどんなものかを知りたくなり、洗面所に行って鏡を見る。やはり汚い。これに関しては見慣れているせいでショックは軽い。
「「私って◯◯なタイプの人間で〜」って言う人が苦手」と言う人が何が苦手なのかを、本当に人がそれを言っているのを聞いてやっとなんとなくわかったような。くどいってことかも。「私って◯◯なタイプで〜」じゃなくて「私は◯◯だから〜」で済むじゃんって。文章中の「〜と思う」がいらねえよって言われるのと同じで。そいつが書いた文章なんだから「〜と思う」はもうその文章に織り込み済みだろって。だから思った行為を強調したい場合とかの例外を除いて書かなくていいだろって。その考え方と同じなのかも。
愛す可きで可愛いだなそういえば
ところで愛すべきって強烈だな
夢:弟を正面に、得意げにムーンウォークを披露するも、俺もできると言われ、虚栄心が満たされなかった
スマホで手ブレする動画を見るとき、自分の持ってるスマホも手ブレさせながら見ると、一瞬自分の手ブレと動画の手ブレがシンクロすることがあり、それによってあたかも自分が被写体を撮ってる(もしくは撮ってたかのような)体感を得られる、という遊びがある。画面縦向きのロックをオフにして横長大画面でそれをやるとよりシンクロ感を得られやすいかも。
親や先生など身近な人のいちゃいちゃを見たくない(なかった)気持ちは、言わば熱心に推しているアイドルが同業者との熱愛をスクープされたときの落胆と同じ心の動きなのか?これまでの認識が揺さぶられる・作った像が壊れるのを嫌う気持ち。裏切られたくない、背信だって喚きたくなるのと同じか?
言ったら交際ってレジャーだよね?結婚はそれよりちょっとシビアみが加わるイメージ
動画真ん中の横三角形の再生ボタンがサムネイルの画像にある女性の胸の位置にあったら、ちょっと押すの躊躇われるね
「君とならしてみてもいいよ」とか言われてみてェ〜思われてみてェ〜(久々FINAL DISTANCE)
みちょぱのあっけらかんとした交際宣言が良い。アイドルのようにプライベートが隠された状態にあることによってタレントとしての神々しさが一層増すって利点はあるけど、全員が全員そうでないといけないというのも歪んでいる。隠すのも一長一短。メディアの上で異世界的な輝きを放つわけではない、親しみやすい芸能人像はすでに求められているのだから、交際云々のあり方も同じように庶民に近づけば良い。パパラッチによる不当な干渉も抑制されれば一石二鳥。ただこれまでの芸能人然とした目立ちぶり・輝きはなくなる。ただもし見た目の華やかさが一般人から図抜けていれば庶民派ブランディングのマイナスもカバーできるかもしれない。自身の承認欲求も満たしつつ、プライベートの自由もある程度謳歌できる芸能仕事、最高!(亀田父)
俳優のインタビューには基本惹かれない。洒落臭いことしか言わ/えなさそうと思うから。彼らの話を聞いて良かったと思ったことがないかもしれない。話に裏切りがない。語彙に乏しい。好きなラジオパーソナリティ(概ねそれはお笑い芸人)による俳優の洒落臭さを揶揄するネタ話をよく聞くから、というのもあるかも。もちろん、トークが生業なわけではないから全く構わないんだけど。「伊集院光とらじおと」のゲストゾーンが俳優の回はほぼ聞かない。シン・ゴジラ話をしてた野村萬斎の回は私的結構面白かった覚えがある。
歌詞って正確に知らない良さもあると思うから、見ないものは見ない。一聴してなんて言ってるかわかんないまま耳コピで感じる聞き方。一度歌詞カードやWebサイトで活字を追うと、その上書きでもう初めの聞き方は二度とできないという。集合知が日に日に大きくなるほど独自を大切にしたい。
車の後部座席に約12時間座って疲れる。座ってるだけで。もちろん体位を変えたり足も曲げ伸ばしできていたのに。体力の衰えには抗いたい気持ちがある。
ピッチャーの、海のような鮮やかな青のグラブってプロのやって感じですき
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」のマリーアントワネットの名前が思い出せない頻出人名になりつつある。かろうじでまだ引き出せている。
優等生の子供は、優等生らしい行動を大人に褒められるのが嬉しいだけ
無料乞食
無料の申し子
病院に向かう車から見えた野桜の美しさ
人の手が入っていない(ように見える)山の緑や茶色の中の薄桃色が、明らかに周りから突出して映えている。多くの中の異質であれば、薄桃色の質が名所の桜の鮮やかなピンク色と見比べて圧倒的に負けるとしても価値がある。条件は唯一、人目に触れる場所にあること。これは絶対。道路から見える箇所や緑道沿いなど人目に触れなければ、映える以前の段階で自動的に存在がないのと等しくなる。人目に触れる場所にあることと、周りの様子からしたらありえない絶対的な魅力を持つこと。これが、人が価値を見出しうる条件の組み合わせの一つ。
夢:ひな壇の1人。有吉と熱愛報道のみちょぱ、大倉氏がいる。このラジオは早くやめて向こう行きなよ的なことをガヤとして言う。大倉氏は、曰く「退所して自分の強みは何かと模索していても次々自分を上回る人間が出てきて、どうしようってときに付き合った」と。何年もよく付き合ってたね〜、と有吉が優しい相槌。
ものに人間をあしらう(イラスト含む)の好きじゃない。いくら美形でも。「うわっ人間が物になってる、自分も同じ人間なのに」ってなる。落ち着かない。
YouTubeのチャンネル名がタイ語のチャンネルは無二の高画質でフル尺のバラエティ動画を上げがち、そして数日後チャンネルごと消されがち
完全な偏見による妄言だが、経済畑のおじ(い)さんやおば(あ)さんの顔つきが皆一様に怖い。醜いに近い。'怖い人'を描写する漫画の登場人物らしい。Stock VoiceのYouTubeチャンネルに上がる動画のサムネイルの面々を見るにつけ思う。笑顔を知らなさそうな、皺が深くて業が深そうな面構えである印象を受けてしまう。説得力のないふわっとした感じの上記の理由で、憧れない。
自分の気持ち悪いところ、非常なところを受け入れていく
右足外側の脛毛だけ短い(心当たりあり…ズボンか何かを脱ぎ着したときにパチパチっと毛が切れたときがあってからそのまま)
無職実家暮らし
ここぞというときに確実に頭の中の計画を遂行できる状態でいたい=買ったばかりの良いフライパンは餃子とかくっつくと厄介な料理でのみ使いたい思考
宝の持ち腐れに陥りやすい
文脈に自然な流れでサラッと最近耳にしていなかったワードや文脈から推測できる範囲の知らない言葉を口にする人に惹かれる。佐倉としたい大西での佐倉氏。
知らないことを知るには、知らない単語が連続して使われたり難解なテーマを扱われたりしてはならない。なぜならそれでは聞く耳を持た/てないからだ。ある程度内容を追える'知った話'の中などで、所々に知らないことが散りばめられていると、知らないことを知る快楽が生まれる。
異性愛者の私的異性の萌えポイント:動きに合わせて揺れる髪、自然にポケットに手を突っ込む姿・いでたち、紙パックとかの飲み物をコップに注ぐときに気持ち怒った肩
なにかを言い返すのに語気を荒げたり言葉遣いが悪くなる人のそれは、おおむね自分にとって都合の良い解釈に基づく感情的な反論であることが多い印象。ざっくり言えばキレてる嫌いがあるように聞こえるということ。言い返す行為自体に意味があり、そうして不満の解消を実現しているような。(堀江貴文氏を念頭におく)
人の習慣や日課についての話が好き
前向きなことが多いからかも
人間ドックデート
遠回りだけど左折したら夕焼け見える」by又吉
https://m.youtube.com/watch?v=0MqaBu1rbmA&list=PL5wu9XY_kluhvFzmuVlZf1RqjjT4cGE6e&index=21
ビジネスって威勢を張ることを求めることが多いのでは?私はそこが嫌なのでは?
予測できない未来を確約しようとする圧力が、ビジネス界の構造に既に存在している?
ピース又吉直樹の【渦】公式チャンネルの投稿動画「新社会人のために語り出して8時間経過…又吉本人にまさかの変化が!【#21 百の三】」内で、知ったかぶりは自分の魂を奪いかねないとの話を聞いて、ふと「又吉氏に知ったかぶりをしたインタビュアーは、そういう風に(=ときには曖昧な知識でも知ったような口を聞いて強引にではあるが一応形にはする)仕事をしないとその人の能力では回せない労働量を、世界から求められており、その又吉からみた雑な理解と仕事ぶりが習慣化した結果なのではないか。能力と仕事の質とのギャップが知ったかぶりとして漏れ出てしまっているだけなのではないか。
褒められる・評価されることへの期待について
2021/03/29記す。私は、自分の70%の力で接した結果、沢山の人のうちの2,3人に評価されることを期待するのではなくて、目の前の1人に120%の力を費やしてその人に評価されることを目指す方を理想とする傾向にある。前者の、自分の継続のために意図的に/進んで力を抜いて、他人の感受性や資質・相性などの運要素に自分の評価を依存する割合が高いやり方が受け入れがたい。なぜなら、生きながらえるために出せる力を出さない点と、意図して(「忙しいから仕方ない、全員に受け入れられることはできない」と口をついて)評価を運任せにして、でも評価はされたいと思っている点が浅ましいというか不誠実というか、そういう気持ちに苛まれるから。現代では前者がクールで美しい仕事人(割り切れる・仕事が早い・客観的・合理的)と評価されるが、本当は前者と後者のどちらも良し悪しであり、どちらも正しい五分五分で対立する価値観だろうに。現実が、効率を大事に、少人数・短時間で高い金を稼ぐのを理想とする思想をメインに据えるので、後者が非効率で醜い・ダサい・嘘くさいとして過剰に嫌われているとみる。いかに。
金を払うと気に留まる
「あれ買ったんだ楽しみだな」ってボーナスのような楽しみが心に生じる。
だから、無料でも自家発電的に比較的長く楽しめる対象は、自分が真に好きと呼べるものの可能性がある。有料だとなんでも気に留まるから。
自分自身を調べることに関して、有料と無料の有効な使い方の一つ。
2021/03/27 19:16入院明けの自宅にて彼女の寝言「来ちゃダメとは言わないけど、言い方があるでしょ」(語気強め)
スポーツ紙の野球面は、新記録をなかば強引に作ってメモリアルを演出しがち
画角いっぱいの顔写真は怖い。且つ画像の解像度が2000年代後半並みだと、事件の被害者性が加わる。思いつく理由の一つは、未解決事件を取り上げるニュース番組で使われる一昔前の被害者の顔写真がそんな風だから。
帰納と演繹をすぐ見失う。
帰納は個別具体から一般的法則を導くこと。演繹は諸前提から法則に従って結論を導くこと。帰納がinduction、演繹がdeduction。
cf.)数学的帰納法
ラジオの技術
添えるツッコミ=常識目線からの指摘・意見、訂正、補足説明
頷き、同意
美味い肉とは何かをいまいちよくわかっていない。脂身の多寡を基準に安いのか高いのかを判断できるのは、スーパーのトレーに入った肉に限られる。だって脂身のよく乗った高価な肉があるのは知ってるから。脂が甘〜いとか言うやつ。口の中で溶ける〜とかのやつ。
声優業界には完成形=ゴール=誰の目にも明らかな、誰もが目指す絶対的な答えがない。
ゴールを自分で設定しないといけない。
正解と不正解が沢山あって、正解が不正解になったりまたその逆も然りだったりする。by佐倉綾音
あなたの選択の厳しさや闘病の道のりを自分のことに置きかえようとしますが、いつもうまく想像できないのが正直なところです。だから今、私はどちらの選択が良いと思うかが判断できていません。
なので、「あなたの選んだ方を尊重する」と言うのは考えることから逃げた末の判断です。でも一方で本人の意思を尊重することに関しては正しいと思っています。
だからどういう選択をしても、その選択を尊重してあなたを応援しますとなります。
アフターシックスジャンクション「クソLINE特集」を聞いて。以下、現時点(2021/03/25)で導いた問題の解決策を含めた文章を記す。
心当たりのある思考であるゆえ、笑えない。中3時に同じクラスの異性に2日に一回の等間隔で放課後、中身のないeメールを送り数ターンやり取りすることを続け(なお日中のクラスでは話さない)、あるとき朝登校してすぐの教室で公に罵詈雑言を浴びて明確に嫌われた体験をしたため。
性欲に駆られて22〜23時頃に脈絡なく送るLINEは暴力的。そこには昨今熱を帯びて取り沙汰されるセクハラ・パワハラ事案やコンプライアンス違反だからアウトという以前に、道徳的・倫理的な悪質さがある。他者に対するある一人の個人の本質、人格的な愚かさ。そこを改めよう。でなければ同様の局面で何度も過ちを繰り返してしまうだろうことが想像できるから。
件のLINE上でのやり取りは、まず相手に対する敬意に欠ける点で低い。失礼。双方が友達の間柄であるのを認め合っていたとしても、成人済みの社会人同士である、夜中に唐突にチャットで会話を始めるのはそもそも配慮に欠ける。
また人間関係について、間柄の親密さを誤って認識・定義している恐れがある。親密だから急な連絡をしてもいい、逆に急な連絡をできることが親密な証である、と考えるのはナイーブな価値観だろう。他者との親密さを、相手に無理を求める度合いによって計ろうとするのが間違っている。親しい仲であっても、相手は当然生活をしていて、こちらと同じ時間の経過スピードの中に生きている。相手の生活の計画を強引に壊して時間を共有することは、相手が誰であっても愚かしい。言うまでもなく関係が構築できていない他者に対しても同様であり、シンプルに無礼で頭が悪いとみなされる。時間の無理が通ることよりも、利害の得失なしに話を聞いてくれたりアドバイスをくれたり、ときに一緒に行動してくれたりすることに親密度を計る基準を置いたほうが、本質的に仲が良いと呼べる気がする。そのためには相手の生活を尊重する必要がある。
だから、チャットの会話であってもアポイントメントを取れ。言葉遣いを心得よ。相手には確実に相手の人生があるんだ、限りある人生が。時間を何に使うかを選ぶ権利を、「社会って・人間関係ってそういうもんだからな〜そうでしょ〜」とか不文律をわかったような口で言い訳して、都合よく簡単に侵してはならない。
そして社会的立場の格差を利用したとみなせる要求の類い。上から下に要求するのには、仕事の命令など公に胸を張れる明確な理由がなければならないに違いない。私欲のための会話などは別になくてもいいコミュニケーションなのだから、親密度と反比例させる意識で、仕事の命令よりもきつい判断基準で話さなければならないだろう。立場の差がある人間間の会話に圧力がかかるのは避けられないと考え、たとえ相手の顔が見えないLINE上であっても、いやだからこそそれを言うことが正しいとする明確な理由と、同じ人間に対する敬意を持った態度および言葉遣いをもって相手に話すことだ。
またいうまでもなく性的な意味を伴う会話(ラフな会話を含め)は、最も厳しい判断基準でTPOと話す相手を選ばなければならない。また顔が見えない相手には、ニュアンスや気分などが対面に比べて明らかに伝わりづらいから、更に発言に規制基準を設ける必要がある。でないと、意図せず、あるいは知らぬ間に相手の心や品位を傷つけ、蔑めるかもしれないのだから。気持ちが昂る(=ムラムラする)ことは人間という動物として避けられないバイオリズムの一環だから良いとして、それを発散する欲に駆られて暗に(無自覚に)時間場所場面を無視して手頃な他者の肩を寄せにいくのは、通り魔あるいは自動車暴走事故と同じ形態の悪だ。ムラムラしたからといって許可もなく他人をつかまえていいはずがない。他人を絶対に傷つけない場所で発散するか、耐え忍ぶか、厳格な基準のもと相手と対等な立場で礼儀正しく交渉をし、許可を得て発散するか、のいずれかを選ぶことだ。
【アーカイブ】アフター6ジャンクション 特集:クソLINEとは何か(ゲスト:桃山商事、清田隆之さん、森田雄飛さん、ワッコさん)#ラジオクラウド #TBSラジオ
『佐倉綾音 Ayane*LDK』の魅力
自分の言葉(←聞き慣れない言葉選び(かと言って勿論ひけらかすようでもない)←豊富な語彙に由来)で内省、感情表現する点や、ある程度の制限がある中でも自分の意見を発することを怠らない点。易きに流れて定型文を繰り出さないところ。率直さや明け透けさ。そこ。不定期の推薦図書(概ね漫画)を書評するコーナーにとりわけこの魅力が明らかになる。今でいうアトロク出演者を思わせる熱量や評ずる角度や言葉選びで流暢に対象作品を語る。偏見(勝手に考えるアイドル兼声優という職業柄や10代という年齢から勝手に想像する未熟さ)から発生するギャップに株が上がる。ものの見事に現在第一線で活躍する女性声優たる彼女の虜になっている。としたいも平行して#1から追って聴いている。Radio Time PredatorとDaydream Believerもウォークマンに落とした。ここ数日日課の筋トレの最中に「あやねるなら多分ここでもう10回やる人を嫌いにはならないんじゃないか」と頭によぎると、余計に回数を増やしたりする。正直なところ、まだ結婚してほしくないなどと思ってしまっていて、今頃こんな10代みたいな考え方に陥るとは何ともキツい、不幸な人間になってしまった。自分の幼気さが呪わしい。
彼女発の色々な言葉は、年齢に比してませて聞こえることがあり、まただからこそ瑞々しくもあり、好き。18回分聞いた今のところ好きなラジオ番組だ。女性パーソナリティで好きな番組がなかったからそれも助けて新鮮に聞こえるのもある。(ex.「女性って〜女の子って〜」(2021年現在はこの手の発言はもう聞けないかなぁとも聴いてる))
オードリー若林や伊集院光、菊地成孔、ふかわりょう他私が好きになっていたラジオ番組のパーソナリティの共通点を探すきっかけになった。
話ぶりにおける言葉選びはしばしば読書経験の多寡に基づくような(ayane*LDKを聴いていて改めて想起)
帯文
一人一人のあなたとつながるラジオの世界
ラジオーーこの不完全なメディアを愛してやまない人々がいる
外側から攻めていくと、〜
2021/03/24、午後2時過ぎ、昼ご飯の後、近所の運動公園へ花見、散歩。雲一つない快晴、気温20℃。カバーをかけた白い車を運転して。ちょうど1年前の大学を卒業してすぐのときも来たのを思い出した。
駐車場から下り坂に入る手前にある桜がほぼ満開で他は普通。前日◯デへ墓参りに行ったときに持たせてもらったセブンイレブンの桜餅と桜風味のパフェを持ってきていたので、1人子連れの母らしき人たちが席を立った東屋に入り、座って、それを食べる。私はコンビニ飯はあまり食べたくなかったので断固として食べるのを断る。さっき歯を磨いたのでそれを口実に。振り返ると後ろ暗い。彼女と弟が食べる。子連れママさん3人組がキャッキャと桜と子どもとを写真に収める。写真を撮るには一番良さげな、枝垂れた桜。少しして芝生の方で写真を始めたのに合わせて立って、我々もそこで彼女のスマホで写真を撮る。彼女と桜だけのも私が撮る。ぐるっと一周するから向こうへ歩く。シートを広げて花見をするおばあさん3人組。「宴会はやめてね」の張り紙があったためか、お喋り程度で静か。緩やかな上り坂の手前から坂の上にむかって木が連なっているのを彼女が写真に収める。歩く。今度はピンク色が強い桜。これまでの白色基調の花弁とは種類が違う気がする。上手い具合に枝が垂れているのと写真。3人と1人と。青い空をバックにピンク色が映える。自然の魅力。自然が生み出し形作る、自然らしくない鮮やかな色彩。ここに人間が惹かれる大きな要因の一つがあるとみている。ここでは桜と空。淡い白や桃、ピンク色とスカイブルー、加えて眩しいくらいの太陽の光の暖い白色。
ゆっくりと坂を上り終わり、進入禁止のために立てたであろうパイロン位の高さ・大きさの石棒に腰掛け休憩。沼に白い鳥、おそらく鷺か、が去年と変わらずにいる。私は「(沼の)主がいる」と言った。
ゆっくり歩いて車に乗って帰る。バックで後ろのスペースに駐車する際、勢いが足らず石段をタイヤに巻き込んで四角い石と段差を無くす曲線面のステップを崩す。愚痴が口から排水のように溢れる。修復に2人が手伝ってくれた。愚痴ったことを数分後には申し訳なく思う。
私は散歩を兼ねて、100均に日付が書かれた手帳を買いにおつかいへ。
見たいけど見たくないみたいな鬩ぎ合いが、バイオリズムに合わせて起こっている。つまり見たくない日と、気づいたら検索している日がある。
夢:アルコール度数1%台だった。よく飲む。小籔千豊が居残っている。関係者の乗るLCCの飛行機の行方を、担任からの要請で級長がログインし調べる。隠れて私もログインした。聞こえてくる話では結構な数の他の人間もやっている模様。明日か明後日の搭乗の座席の割り振りを確認してキャッキャしている。ログインする前に、機密性の観点からフリーwifiで繋げるのは危険で責任が持てないとポップアップする。私は無視する、だって今繋ぐのにはフリーwifiしかないから。辺りの姦しい人らも同じ考えだろう。
若林が信用できるのは、見た目はとてもスターには見えないところにあるような
所謂10代の青春を謳歌できなかった人による青春像は、想像の中で美化している傾向にあるような。フィクションで拵えられる青春に影響されすぎているのでは。「失われた青春を取り戻す」とはコピーライト的・標語的で、言うなれば(例えるなら)◯◯◯◯◯
フィクション
抑も青春と思って青春することは青春なのか。青春はやろうと思ってやることはできない事象のことで、当時を振り返るのに用いる説明語に過ぎないので、自ら進んでやれる行為ではない。
青春できなかったことをコンプレックスに思う必要は全くなくて、傍からみて青春していた人の青春も、実際のところ猛烈に憧れるほど輝かしく実りあるものではなかったりするんだな。
好きな人
好きな人に好かれる、最高
好きな人
好きな人に好かれたい
好きな人
好きな人に好かれなかった、挫折
好きな人に好かれなかったときの恐怖
好かれる
好かれない
嫌われる
知られない
知らない人に知らないうちに好かれる
知らない人に知らないうちに嫌われる
誰も私を知らない
虚無
いない、知らない人にとってそこには誰もいない
私の好きな人は私を好きな人
私の嫌いな人は私を嫌う人
私にはかつて好きな人がいたけど、これを書いているのを機にその事実や名前を思い出す
だからもしや私は自然に好意が生まれづらく、しかも移り気な人なのかもしれない
とすれば、
私の好きは私の知らない人の好悪にひどく頼っている
ほとんど私にとっての虚無から私の好意が生まれる
およそ世界人口から70を引いた人数が私を知らない
世界人口から16を引いた人数が今現在の私を知らない
その宇宙規模の虚無にさらされる中、
たとえば残り26年で何をするだろう
好き、好かない、嫌い、知らない
(一部敬称略)