ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

今週思ったこと

「蠢く」の擬態語筆頭じわじわ



宗教というワードに警戒心を抱くのは少なくとも私もそうだが、
繰り返しを求める企業なり何らかの団体なり個人なり、まああらゆる
他者に繰り返しを求め、その見返りの大きければ大きいほど嬉し楽しくなる。その構図は宗教と同じではないか。特にサービス業は、手に入る現物が目に見えない点でよりそのものに近いのではないだろうか。商売は21世紀の我々が宗教というワードに抱く感情と同じ構造上の欠陥を持っている。稼げ稼げは嘘、虚構。商売はあくどい。必要悪てやつか、国家の概念と同じく。
商売がいいことだなんて誰も言ったことなかった。何を怒ってるんだって。先回りしてm(._.)m



マティス イン モロッコ』という展覧会カタログ(from 大竹伸朗『カスバの男』)



2019/10/08、約1年半ぶりに髪を切る。軽い。意外にさらっと切って帰れた、勿論世間話もなしで。1200円カットは良い。



2700円+150円超(税込)のうな重を食べた。身の上からくる申し訳無さが先立つからか、味覚音痴からか、両親から漏れる「ふわふわだね美味しい〜」との感嘆の声ほど美味しさを感じられなかった。



weathernews
正午すぎビルに入ってOLやサラリーマンの昼休みの面構えや雰囲気を感じる。大学のキャンパスと何ら変わらない印象を受ける。授業終わって流れる人波と同じ形の人の流れをみた。勇気を出してエレベータに乗り9階まで、その後非常階段で10階まで行きフロアを回る。3号館や14号館、21号館での教室移動と同じ空気だった。同じ日本、オフィスは大体どこも変わらないことを発見する。何様、死ね引きこもり。



お菓子を食べて頭が痛くなる。止められない。まずい。



アイマスクをして全盲を体験する機会に恵まれた。
全盲体験は、日常のあらゆる動作行動が視覚によって支えられていることを思い知るものだった。他人に先導してもらいながら、やっと、移動や着席ができる。常日頃当たり前とも思わずにこなす動作に、必ず援助が必要だったのはショッキングだった。聞いた情報を体現するなど、ものを伝えられる方にも少なからぬエネルギーを要するのも実感した。
また、ブラインド状態のまま日常的な動作を少し超えた運動(音の出るボールや風船を用いた運動)もしてみたが、まるで動けない。目の見えない状態におけるスポーツの難度は、慣れがあるのを考慮しても、明らかにスペシャルだ。オリンピック競技と並置できるその競技性には、興行としての楽しみの可能性も感じる。これは伊集院の受け売り。



朝の通勤通学時間帯の駅前、人波の中で私も歩いていた。いつものように俯き加減であと2,3分で発車するホームへ早歩きで向かう途中、ふと銀色に光った丸く平べったいものが目に入る。まず小銭を疑う。銀色だから1円100円500円だが、大きさからして500円はない。1円か100円。だんだん近づく。あと一歩で真下のところまでくる。表になったこちら面に「1」が飛び込んだ。1円だった。一歩を踏み出した。どうする取る?取らない?後ろの人は少なくとも比較的広めにとった前の人との間隔くらいにはいるだろう。
取らなかった、通過した。取れたのに。あれほど金が無いのに結局周りの目を気にした、屈した。やはりそういう人間だ、やるときはやると息巻いておきながら実際はやれない奴だ。落ちてる金を拾わないほどには精神的余裕がある、嘘つき。何につけてもぬるい奴。金が無いとか言いくさるほど金が無いわけではない、口だけの奴。



帰り道に風雨にさらされ表面が黒くなった500円玉を拾う。3日経ってもほくほく。薄っすい。



通勤鬱学時間



目の不自由な人は移動、とりわけ前進は怖いから、移動に際してはサポーターの肩に手をかけてもらいサポーターが前に立ち先導するか、腕を組んで横で一緒に歩くと良い。というかマスト。



個人が変動相場の金を売り出す時代
海浜幕張近くの千葉のイオンの食品コーナーを巡っていて



チェーンシュガリング(お菓子中毒)



映画談義についていけない
難しいことは難しい、無理に近い



謹慎する芸人がゴミ拾いや高齢者の養老介護をしているとのニュースを聞いて、何かもやもやした気持ちになった。その晴れない気持ちを、ヤフークソ袋の一つのネタが一掃した。
社会的制裁の手段にゴミ拾いや介護仕事を使っているように見える。それらは何もしていない人でも従事する仕事なのに、彼らが申し訳で携わる慈善にそれらの仕事を用いることで、まるで私まで悪いことをした人間かのような気持ちにさせられる。腹立たしい、と。それだ、と膝を打った。その後すぐ、何でこんな単純な視点に気付けなかったんだろうと自己嫌悪でいっばいになり、今に至る。



「世の中には、好き嫌いはあっても良い悪いはないから、他人ヒトのやることに口出しすな」というのは一理あるけど、
それを口喧嘩の場で言うのはナシだよな〜、法廷ならいいけど

何かをやるのは何かの犠牲の上にある状況を特定の場所に限ってでもなんとかできる方策はないかな〜
それに法にもとる行為は犯罪だから悪いと断定できる



ナイトプールv.s.夜ラジオ体操



個人的に嫌いなのに、大きな物語で反論してくる人に対するのはキツい(from 馬鹿力)



郵便局はコンビニ的役割を追いかけるならただコンビニに取って代わられる落ちが待つだけではないか



6日前、仕事終わりのコンビニ酒はやめ!車買う金捻出する!と息巻いていたおやじ本人は、昨日今日と帰ってくるなり顔が赤かった
彼はリビングのテレビと電気を点けっぱなしで30分弱トイレに籠る。一度の篭りに4,5回flashする。
正直に言う。クズだ。心から遺伝を拒みたいこの体たらくさ、妥協の性格、発言の撤回癖、飯ばっか食う欲に溺れた白豚。みにくい部分ばかり目に付く。



最近はふけるまえから既に賢者タイムなことも



アフター6ジャンクションにてサバゲーを語る板倉俊之さんがとても幸せそうで、羨ましい。話上手で言葉使いも丁寧、才能がありそれが評価されてもいて人柄もいい……理想体。



人身売買=ある人間の行動を拘束する権利の売買
その新しい形
被験者ビジネス、おのれの個人情報売買、



ドゥとデュは違う



無口でバカ、力もないって最悪じゃん



桂馬のような人生
サクセスストーリー(安住紳一郎日曜天国)



TV…求められる要素が多すぎるせいもあり中途半端、消化不良に見える(bbccnnやラジオと比べて)。ニュースはネットの焼き増しでドラマは説明的過ぎる。各局足並み揃えるノリ(消費者の要請から)は全体的な退屈さの要因の一つ。

社会性と地域性のバランス、味付けのポリコレは絶対。他の価値も認めつつも、「素直・正直・綺麗・優しい」は絶対的正義。
↑相互が因果の関係↓
中高年需要が健在ゆえに国の主要メディアの位置付け

たくさんの人が見るから、間違いなく間違いではないことが何にも増して正しいという当然(=視聴率やインターネット上での話題になり具合(ex.炎上にならないこと)等から導かれる需要)を固執し保持せねばならない。視聴しやすさからくる安心をベッドに寝かせた後でいいから、大人の現実に向き合う時間ももう少し作ってほしいような。まあ出来事が起きないと変わらない、というか変えられないよな、金は生命イノチだから。淘汰が先かなぁ。



退所の所は出所の所



小銭に刻まれる発行年と傷つきや汚れ具合を照らし合わせて見、その見た目の差を加齢差とみなそうと思ったけど、
or
自分の生まれた年が刻印されている小銭を見つけて、他の小銭の年の差と汚れ具合の違いに加齢の宿命を見出そうとしたんだけど、どれも同じくらい傷つき汚れているようにしか見えない。年齢は関係ないと言われたorやっぱり年齢は関係ないのかなとも思った



昨日から勢いを増す台風19号のテレビ中継、職場より自宅待機の知らせ、外の防災アナウンス、朝の停電、臨時休業するスーパー、2日に渡る大量の食料買い出し、水や電気の供給ストップをケアする道具の準備。備えあれば憂いなしの大号令、今か今かと胸の前には合いの手「不謹慎」。下では、それら一連を不定期イベントとしてキャッキャ楽しんでいる。なびく市民、小市民。頭上、雨空に広がる思惑、金金金。ただの命。形が似ている、画数も同じ、末広。



すげえ変な空気、福本伸行で言うところのザワッ、ザワザワ(from 馬鹿力)



(敬称略)



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