ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

今週思ったことなど

(2019/12/24更新)


今の時代は、明け透けに話せる自由な社会なのか、それともなんでも話すことが難しい狭苦しい社会なのか
その線引きとは
→これは言わなければならない、言わなくてもよい、言うに足りないと判断するのは誰か。
一つ、個々人:個々のモラルと相談する必要が求められている。人によっては対話に時間をかけることも必要だろう。
一つ、規範
一つ、言われる相手・メッセージの受け手
一つ、



好きなことを仕事にしたのに、いつしか義務化してどこか嫌になってしまう。これを避けるには。
◯人を増やす。同じ仕事をできる人数を増やす。ただ、この悩みを抱える人はその人独自のスキルを持っていて、それが需要過多になって忙しい、っていう場合が多いし、事実今私もそういった人を考慮している。具体的に頭にある人を挙げると、例えばピースの又吉直樹氏とか。
◯受け手の受け取り方、認識を改める。つまり毎日毎日接しなくてもいいでしょって。空白の時間、待つ時間も価値でしょって。飯食うときもよく、空腹は最高のスパイスだって言うでしょって。



会社にONE TEAMなんてないんだよ
使う側と使われる側だから from kwann



考えすぎない方法が書いている本は少ない
考えすぎない方法が知りたくて本を読んでんのに、考えすぎないようにで終わる本は投げ捨てたくなる from kwann



一体私は何をしているんだろう
悪夢の中にいるみたいだ、かれこれ7年、表出して2年程
本当に私は一体何をしているんだろう
理由がない



J WAVE『TOKYO MADD SPIN』。Licaxxx出過ぎじゃね?




先輩のイジりに後輩が呼応する「やめてくださいよ〜」。それの語尾「よ〜」を抜くだけで、結構趣きが変わる。のではないか?
「やめてくださいよ〜」はあまりに使われすぎた常套句だから、その一言を聞かれるだけで、発話者が無思慮な言葉選びをするキャラになり、そこから一連のやりとりが一括りにつまんねぇ会話とみなされ、最後はなかば自動的に非生産的な人間関係の有り様として分類されてしまう。だからそれに抗うために、語尾の「よ〜」を抜いてみる。「やめてください」にする。顔はやめてくださいよ〜と同じ負け顔で。すると会話の相手には、「やめてくださいよ〜」と同じニュアンスを引き続き伝えられ、また外野に対しては、「やめてくださいよ〜」から今や反射的に導かれる批判する目線を撹乱、揺さぶることができる。



ロッテ佐々木朗希選手の目が、写真で見るに、心なしかイチローの若い頃に似てる



アーバン・イノシシ



「(私に)心の中指を立ててください」なんて言えない



リアルとは合理、か?



色々な共同体があって、その共同体が各々掲げる正しさがある。共同体は一定数人がいないと成立しない。一定数とは具体的に何人以上なのかはわからない、ただここで言う共同体は少なくとも一人ではない。
ある個人にとって自分の正しさを突き詰めることは正しい。一方でその個人の正しさを揺るがす他者=共同体が存在する。共同体はいわば資本主義社会における会社のようなもの。同調する人が増えて社員が増えれば、存在感や影響力が増して金が集まる(広告資本主義的)。
2019/12/19現在、正しさを考える上で金が一つの指標になる。なぜなら人は金がないと生きられないからだ。人は金がないと、もしくは金がなくなる恐怖が原動力になって、自分の正しさをリロードし定期的な整備と改変をする。リロードが現実に追いつかないと、その人の正しさはなくなる。正しさはなくなるとは、人によって表現がさまざまで、「歪められる・消える・死ぬ・分からなくなる」などがあるが、一様に言えるのはその時点で他者に対する自分がなくなるということ。その時点でとしたのは、稀なケースだと思われるが、自分が消えてなくなった暗中をそのまま走っていたら、途中で奇跡的に新たな自分を見つけた場合を考慮した。
自分=個人と全体=他者=共同体間に生じる軋轢や葛藤の構図など、そもそも頭にない、考えない、もしくは知らないまま生きる人もいる。そういった人は金の多寡が自分の正しさになっている。金があるから生きていける、生きていけているから自分を肯定できる。逆も然り。それは一つの純粋であり、健康体だ。しかし金という世界中に共有された、だからこそ生命とも強く結びついた価値に行動原理を支配されるゆえに、犯罪は犯しやすい。純粋で健康であるほど、金のために奔走できるのだ。



金は命と結びついているから、金がいらやしい話、下世話な話とみなされるのは健康なことではないか?
莫大な金を稼いで豪奢に振る舞う人が正義、ホームレスや難民は悪というイメージは、選民思想に結びつくのではないか?



人が求める価値…新規性独自性、希少性、(評価)
具体的な要素としては
一貫性
人間性



今までモンロー主義ってマリリンモンローから来てんのかと思ってた



相変わらずオレは何をやっているんだろう。どろだんご日記のアーカイブなんか読んで。1/15提出の40000字課題は1文字も書かずに。2019/12/19記す。



2019/12/19記す、続けて。
明日、鴨川へお腹の水分を注射で抜きに行くという話。一気に抜くと血圧が急激に下がるなどするから、処置には入院は必ずだそうだ。膨満感で眠れないのは辛いな。和らげてあげたい。金はいくらかかるんだ。始まった介護に彼は疲弊してはいないだろうか。
進んでいる。私も行かなければ。



目の前にそれが現れないと心が動かない、想像力の欠如したクソにきび面。別れが目の前にないと切なくならない。もっというと、今死んでくれたらこれからどうなるんだろう、私はどうしていこうか、などとありもしない近々の未来(実際に動けやしないんだから)を想像し始める。今そこにいる、そしてだから今こそそこにいることを貴ぶべき相手を、臆面もなく脳内で殺す。頭のどこかにあった私は優しい人間だとする認識は、今こそ改めなければならない。自分のことしか考えない見た目も中身も醜い、どうしようもなく愚かな動物だ。最低だ。クズだ。



ごめんとありがとうをカツアゲしている。気持ちよくはない。そうさせてしまっている、また(年齢なんてと言いながら、正直)こんな歳にもなって、と感じている程には罪意識がある。言い出すことも野暮ったく、というか面倒臭く、放っておいている。放っておくばかりの人生だな。決めることを、やることを怠って。歪みは感じているが、これくらいの距離感がこれまで通りだったから、これまで通り特段何もアクションを起こさない、と半ば反射的な思考。波風が立つのを自然に嫌って。いまだに「夜ご飯何がいい?」に対して口をつく「何でもいい」。無い物ねだりな風でもある。何もしていない自分への苛立ちの八つ当たりにも今思えた。だって社会に出て金稼ぐなど、生きることをやっていれば、おそらく昨年から1年位散々書いてきたこの手の懺悔・言い訳は出てこないだろうから。ただ生きようとしていない罪意識は強い。そこははっきりしている。ところでいつも語頭おそらく語尾だろうばっかだな?ビビってばっか。決められない病。



小学生の子供が2人いる一軒家に、その時季になると
小さな電球の連なった家庭用の電飾の輝き、青や赤や緑や黄色のキラキラを見て、胸がぎゅーっとなる。



テレ東の公式Youtubeチャンネル、たぶんサクラが視聴数水増ししてる



(敬称略)