今週思ったこと
(2019/09/03更新)
芸人の年代別カラー分析
40代バナナ03アンジャッシュくりぃむ主張、30代オードリーキングコング南海生きざま、20代霜降り以下お笑い大好き純粋(ex.オークラに会えて泣く)(佐久間宣行ann0オークラ曰く)
今の20代、阿りの代、上に歯向かうのはダサい、歯向かってもしょうがない。所謂悟り世代は言い得ている?
言葉にしたら最後、口に出たら最後みたいなことがある
「生き様芸人」呼びは一つの達成、成熟の証しだけど、熟せば大体後は死ぬだけの気がする。まだ見ていたい気もあるが、そういうのはファン心理の卑しいところ、人間の悪い癖だろう。
というか黄金時代(世間評価=稼ぎの)が10年程度で万々歳だなんて、人生てそんなもんなのか。09〜19でしょ?
給仕王
64年生まれにはバカにされるだろうが
馬鹿力は録音したのを散歩中に聴く楽しみにしているんだが、精神状態によっては集中して聴けない、楽しめないときがあるのがわかった。
昨日聴いた8/6放送回では、作業部屋にファンザを持ち込む必要性を説く話の流れで、ハマっているAVのタイトルのレビューを誰に見せるでもなく仕事そっちのけで書き連ねている、とのフリートークが展開。いつもなら単純に面白いなぁで聞き流せそうなんだが、そのときは、誰に見せる訳でもないものをちゃんと形にして、しかもフリートークのネタにするバイタリティとセンスの良さ、その技能、流石だな〜それが出来なきゃ自由業で健康に生きられないよな〜凄えな〜、それに引き換えお前は愚鈍で小心で非力のくせに何もやろうとしないで寝るかラジオかロッテ戦見るかしか能がないゴミ屑以下……と以下類似の嫌悪が続き、耳を傾けられなくなった。
散歩中思いつきで、マンホールを通り過ぎるさい、円の上は絶対踏まずに、現れる円の右側、左側、右側の順で接線を引くようにギリギリを歩くというルールを課して道を蛇行していたところ、ふと「死にた」が頭を過る。(なるほどこうやって死への意識が現実味を帯びるらしい。おそらく何かを変えなければならないんだろう。)
夢:最近できた美味しいらしい近所のパン屋へ家族と車で行く。
店が小さいので父が代表して店頭へ行き、残りは車で待機していることに。
私は何を頼んだのか、こんがりカリカリに焼けた8枚切りの食パン1枚に、ケチャップに似た赤い汁が薄く塗られ、その上にベージュ色の何かが乗っているものが渡ってきた。
次の予定もあるのかすぐに車が出る。駐車場が狭く、道に出るのに2、3回切り返した。反対車線にふくらみながらも何とか出られたと思ったのも束の間、貨物トラックが迫って来、クラクションが鳴る。
次は、洗った後の食器にハエがこないようにする液を買いに行くらしい。おわり
格好いい・ダサいでものを決めることがダサいと思うパラドックスに苛まれる
¥現状まとめ¥
どうやって生きていいかわからない。
白い画用紙に手を入れるのが怖い。上手くいく自信がなくて偏執的に見切れるまでじっと待っている。が、実際は能がないから考えられていない(criticalではないにしろ前出のように偏執的と思っているし)、今や考えることさえ嫌で現実逃避を繰り返している。文字に起こすことで、知らぬまに人間の凡ゆる愚かさの内の一つの限界まで来ているような気を起こして自己嫌悪し、寝るまでの時間を潰す。伊集院の「死ねばいい、死ねばいい」の声を脳内再生、また迫る現実から目を背ける。こうして1年半を過ごしている。了
タイトル案:
クラクションは、鳴るるる
るの量/るを重ねることで音感を出す
電話のring ringと同じ
俺の主観なんて簡単に揺らぐ。伊集院に会いたいと言わしめた浜崎あゆみ彼女に対する視線はそれを聞く以前より多少は和らぐ。そんな主観なんて無いようなもの。大概の自分、自分とはなんて語るときの自分なんて居ないのと同じ。
「カブトムシの秘密」を言いたいとき、大体「ミツバチのささやき」の引き出しも一緒に開く
(馬鹿力2019/8/6放送回より)
キングオブコント一回戦の若手芸人は一本のネタのために衣装を揃えるか否かに煩悶する。金がないから。一回戦で衣装のせいで負けたらそれはネタに問題があると半ば言い訳に近い納得の仕方をする。完成形を自分ではわかっているのに妥協しているから、衣装に金をかけられなかった分の心の声が振りの台詞にムダに多くなる。
妥協して金をケチっている負い目が原因で失敗する場合もある。…完成形がどの程度のレベルかもわからないのに勝手に完成形に届かない負い目を背負うのは無駄な気苦労ともとれる。しかしだからといってその無駄が成功に結びつく場合もあるから、気苦労が無駄ではない可能性、むしろ結果オーライで良かったことに転じる可能性も大いにある。アメリカ人のようにあっけらかんとしている方が日本では受けない場合が多いように思う。
常にありがたみを感じようとすれば、現状に満足することになる。欲はなくなる。欲は資本主義の駆動力だから、ありがたみを感じることは金を稼ぐことと相容れない。ありがたみを感じながら欲深くなるには、或いは金を稼ぐにはどういう気分で居ればいいのか。
『金曜プラチナイト 新・日本男児と中居【 前田社長が悩める現代人に贈る新・生き方論】』8月30日放送回、「▼恋愛が苦手な人、やりたい事が出来ない人、本当の自分の見つけ方を指南!」の触れ込みに釣られて観たところ、案の定当てが外れる。綺麗な面した人間を見せつけられるだけで期待したものは得られなかった。
三四郎小宮のツッコミ「思ってた展開/流れ/プランと違う」を多用
2019/08/30スペシャルウィークのオールナイトニッポンの前半おわりの選曲・『夢で逢えたら』 / 銀杏BOYZの、これかけときゃ満足だろ的な思惑が透ける、舐められ感。しかもフルでかけない。
最近堰を切ったように悪口が多くなっている。不満の当てつけを無くすには、不満を解消することが最もオーソドックス且つcriticalな策だが、それ以外に方法はないものか。
ダイアンユースケがエピソードトークするときの、両手のグーを腹の前あたりでくりくりと動かす癖
毎日お菓子を買いに行ってしまう。散歩に行くにも、あくまでお菓子を買うあたまで髪を縛る/鍵を閉める/玄関を出る/身体を起こす/準備する/靴下をはく/歩みを進める/道順を決める/◯行き先を決めることが殆ど。自然とお菓子へのモチベーションが生まれてしまう外出。ベッド脇にある燃えるゴミの大袋が当たり前に満杯で醜い。
毎晩夕食を食べてから腹が膨れて動くのが億劫になるまでお菓子にのめり込むのは、懐にも体にもまずい。必ずガタがくるのが分かっていても、でも辞められない、辞められていない、引きこもりと同じく。
1日離れると「あー食べたい」と頭を擡げるのはドラッグ-ライクだからだ。名誉のためにライクを付けたけど個人的な感覚では酒タバコパチンコや大麻と同様、まさしく依存性のある嗜好品に値する、年齢別で量制限があっても不思議に思わないシロモノ。食欲だからね。このまま不況みたいな何かが続いてあるいはドライブしてこの国でも貧富の差が谷を隔てるくらいにハッキリ現れだしたら、自然と公による嗜好品扱いや量制限は始まりそう、ぬるっと。金で釣って健康管理させられる流れでお菓子税とか。ホリエモンは好きなだけ食うのがいいって言うんだろうな、ダサい。またダサいって思っちゃった。辞めたい、お菓子を。
衝動のカテゴライズ × ソング
正確な自己評価のすすめ
ハードル下げをしてプラスの差分を狙う生き方は、褒められたときに弱い。抑えが利かなくなるため。調子に乗ってこんなもんかって思いがちになる。どうしても自分を甘やかしてしまう。上ずった気持ちは結果、どこかのタイミングで再び地へ叩き落される。その繰り返しに終始して人生を終えるから、高評価をもらったときに湧くこんなもんか以上の成果は、心の仕組み上、必ず収められない。
だったら恐ろしいが、確固たる自己評価を持って(つまり客観性の高い自己評価をして)日常的なマイナスショックに耐えながら上を目指した方が、最後にいい思いをできるんじゃないか。
より客観的で正確な評価でなければならないから、単純に他己評価が必ず自己評価の上空を通過するように伏せっていればいいハードル下げよりも、自分を高評価する必要も生じるだけ難易度は高い。
正確な自己評価をする際に不可欠なのが自分に対すること、自分との戦い。甘える自分にいかに鞭を打てるかにかかる。対人においてその場を穏便に済ませたい意識が基底にある私にとって、対自分は、人生を有意義にする上では向いている'縛り'(行為)だし、その点(=有意義な人生を送るということにおいて)で避けられない課題になる。
中止になったらperfumeが代打やるってボケ、そこもカバーしてんのかって鳥肌たった(2019/08/31kwann)
ラジオではラジオボケ、漫画では漫画ボケ、同じく小説ボケ、映画ボケ、プロレスボケなどなどその世界にはその世界に漬かって気づくネタを使うのが有効?ラジオに関しては、ラジオリスナーは他のラジオも聴いてるからっていう前提が確定的だからラジオボケを使いやすい。
人の幸せを見るにつけ胸がキュッとなるのはなんで
結婚の字とか
(敬称略)