ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったこと

(2019/11/06更新)

まとめ癖、評価病
思考を、まとめるほどの知識やその技術を伴わずにまとめたり評価したりする行為は、やはり駄目。少ない経験に基づくゆえバイアスがかかった結果の産物に過ぎない上に、大きな流れに便乗している事実しかその行為に確たるものが含まれない。実際、行為に何の手応えも感じず、またそもそも感じようともせず、結果その産物が何の価値も生んでいない。ここまで空虚だと有る意味が無い。
何の価値もないことでも、意味があることは十分あるものだ。というのも価値がないとは、ある特定の視点で見た対象を指して初めて言うことができる断定、いわば主張に過ぎないからだ。つまりあらゆる事物が、ある人には価値がないけど他方では価値がある状態であるしかない。世の中に価値がないものは無い、逆に価値のあるものも無いということだ。その理屈ではだから、それ自体に価値がないわけではないし、また全てのものが価値がないのだからこれも周りの全てのものと同等の意味があるのだ。ただ、それをする行為者が何故それをするのか、理由ははっきりさせておきたいものだ。行う理由はなく、また行った結果にも価値が無いと考える行為、物的見返りもない。そんな行為にどうして行為者は従事するのだろう、囚われるがごとく。
民衆の政治運動、たとえば嘆願書への署名と同じようなことか。小さな声を集めて大声にする。そんなような民主主義的な色の行いか。遠く遠くの理想への一歩になることに一抹の期待を込める、そこに価値を見出しているということなのか。→
即時的な私利私欲・私有財産への渇望がない点で資本主義的行為と相反する行為と考えるなら、どうだろう、許せるかな。でもあまりに無邪気なことでもあるよな。無駄は覚悟で身を切る=時間を捨てているのだもの。しかもその無邪気が、どこぞの同種の生き物の私腹を肥やす種になることも忘れて。
→でも、本当か。周りに流されているだけじゃないのか。そんな高邁な自覚があるのか。自分の及ぶ行為にそんなに合理的な根拠を持っているとは思えない。ただノリでわけもわからずツイートしているだけじゃないのか。そんなに合理的に考えられる頭なら、もっと動物的に、即時的な利得に走るだろうに。やっぱり最初の見立てが正しい気がする。

例えばよく聴くラジオに呼ばれるゲストとのトークフェイズには、必ず生い立ち、活動のきっかけ、今後の目標orやりたいことが質問される。気になる人の話ならと嬉々として聴いていたけれど、これもまとめ・評価眼を強いている。
UR LIFESTYLE COLLEGE @J WAVE。同じような質問が含まれる上さらに、キャスティングされるゲストの年齢がとりわけ若い。というか、若いといっても同年代なんだが、同年代だからこそ、同年代で身の上を語れるほど社会に開けていて、おのれの活動が軌道に乗っており、仮に順風満帆ではなくとも自信があって(でないとあれだけ饒舌に喋れない)、事実稼いだ分で飯が食えているらしいのが窺える一連のトークが非現実的に感じられるだけ、それが翻るのがあまりに恐ろしく、絵に描いたように立ち竦んでしまい、まぁチラ見すらできず。だからその現実に目を背けたいがために20代までによるまとめ行為を批判するのかもしれない。(すぐ裏側の真っ黒い「つまり〜」が恐ろしく、すくみあがること間違いない。きつくてチラ見すらできず、だから〜/〜が堪らなく恐ろしく、キツくてチラ見〜)いや間違いない、確かに自分を守ることが念頭にある。
その上で論を進める(論笑)と、以下ももちろん私感だが、そもそもパーソナリティ(あJではこう言わないんだっけ忘れた)の吉岡里帆が若ェ。20代中盤によるまとめ・評価・総括仕事なんて信用なるのかな。でも聞き手には関係ないか。
いや聞き手が欲しがっているんだ、吉岡里帆を。童顔で胸が大きい…見目◯。声は艶やかでASMR的によく耳映えする、でもおしとやか、我が国のショウビズアクトに必携のカード「謙虚」は忘れない…声ならびに性能◯。本業の露出も順調…外聞◯。アートチャージ完了済で知的なお話もできる…性能◎。言うことはちゃんと聞く子で要領がよく、実際まとめ業もさまになっている…性格ならびに成果◯。リスナーも同じように評価しているからだろう、レイティングもno問題…成果◎。結論聞くに足る。てか聞いている事実が恥ずかしくない。ゆえに(我が国の風土を考慮の上で)信用できる。快感もくれる。間違いなし、最高。
彼女に限らず認められるのは最高評価ばかりだ。当然だな。その領域で台頭するには外見中身に殆ど欠陥のないJAPANESE QUALITY・完成品でないとならない。欠けがあってもそれの言い訳なり何なりが用意されヘッジされていなければならない。確実に均されていないと審査に通らない。一度通ってもすぐ弾かれる。
10台後半〜20台後半=若い芽を摘んではいないか、団塊Jr.=上司年代が。欲にまかせて食い散らかしているんだ。数の論理で押し切る決して褒められない合法且つ遵法的な買春的行為。
それより何よりなにが一番キツい現実かって、「それでいくつ?」と聞かれたとき20代中盤って答えるとすぐさま、「まだまだ大丈夫よ」と返ってくるのを期待している、またそれを確信している自分の存在だ。まだ大丈夫と現実を見られないおのれを肯定する声をかけてもらって現状に安心したい、畢竟他人様に存在を肯定されたい頭の未熟なこと、予想される露見した弱さに目を背ける頭の未熟なこと。そしてここに書くことで見切った面をみせて良い子面してさらに肯定評価を確かなものにしようとする卑しさ、絶えることない承認欲求、文科省産鋳型通りの。満足する心よ。末期?



人はなぜ主張しなければならないのか
人はなぜ主張するのか
高橋源一郎のゲストトーク中の主張、「私はね、〜」あるいは伊集院のゲストトーク最後の、「僕簡単に「見ます」とか「読みます」とか言わないようにしてるんだけど、これ絶対読みますね〜」がすごく気持ち悪い。聞いてて。汚らわしいって感じ。傲慢に聞こえる。



高橋優とさかいゆうが被る



おのれをコントロールするためにも、恥ずかしさを恐れず部屋を敷衍していこうと思い立ち、歩きさやえんどうをかます。久々に外で食べるお菓子、それもさやえんどうというわけで、一口目は、それを砂浜で食べたときの味だった。小学3年の時分までの館山の海を脳内に広げる。人のほとんどいない穴場空間だった砂浜、一家族分にちょうどいい広さのミニマムな砂浜。



伊集院の「鳩の死骸in原宿」話の最中は帰り道だったのだが、ちょうど車道脇に腹から出た赤と黄白色の汁がみにくい潰れたカマキリが目に入り、シンクロニシティ。ハイキング中に録音したラジオを聴いていると突然目の前に耳元で喋る主a.k.a.伊集院光その本人が現れた感動を勢いそのまま直接打ち明けられた、といういつかのフリートークの記憶も手伝い、ちょっとした感動を覚えながら通りすぎるも、いやこれは?と思い(直し)、踵を返す。私は耳元の実況通り、持ち合わせのビニール袋の中に手を突っ込んでビニール越しにブツ(仏)を捕捉、UFOキャッチャーの腕よろしく掴んでそのまま100m弱先の自宅庭の端、草陰の目立たない場所に寝かせた。面倒で、埋めはしなかった。
結果として特段良いことをした気分にはならなかった。また手に残った感触も決して良いものではなかった。



人間社会のいけないこととは?
無断
分からない(ex.行為の理由がわからない)
騙し




『Almond Eyes feat.鎮座DOPENESS』 / KIRINJI より一部引用
瞬き一つ
バタフライエフェクト
僕の感情に
竜巻を起こして
抗う事は出来ない
抗う事は出来ない
抗う事は出来ない
竜巻を起こして
僕の感情に
バタフライエフェクト
瞬き一つで



2019/10/31 午後12:00前のサンルームにて。洗濯物を干す。洗濯機を回す前、室内外の気温差からか、洗剤の容器が汗をかいていたのに気が触れて、夏ぶり(9月の第1週くらいぶり)に左右対面の窓を少し開けておいたのだが、これが功を奏す。気温、湿度および通り抜ける風の温度、風量がとても心地良い。詳しくはわからないが、肌に感じる諸要素が私にとっての絶妙なバランスでもって室内を仕上げていた。例えがつたなくて恥ずかしいが、まさに清々しい朝。私には清々しいとしか言いようのない環境だった。それは、醜い顔を隠さず晒すことを第三者が「その方がよっぽど清々しい」と評するときに、その発言に込められうる清々しい気持ちのレベルの上限をはるかに上回る、量質ともに程度の上がった、原初的であり直接的な清々しさ。いつものどこか陰鬱な気分ーータスク気分は一掃された。
洗濯物を取り出しながら、これこそ一生続けばいい平和そのものだと思った。生きる=肉体の平和のためには常に変化しなければならないとは、なんと矛盾極まりない言説、残酷なテーゼだろうか。恨めしかったが、殺し合いの惨さのもっと恨めしいだろうことを思うと、こういった必要悪と呼ばれるものが現実には欠かせないんだと、またいつもの虚無感に苛まれる。



タスクはなぜ人間を陰鬱にするんだろう?
タスク気分だからかな。気分。課されている拘束感、息苦しさみたいなところ。タスク自体は本来的に陰鬱質ではないだろうし。好きなタスクは負担に感じられないなんてよく聞く話、私は多分実感したことないけど。



あの機会に蟷螂を拾ってからというもの、ここ最近路上で潰れた蟷螂をよく見る。もう5,6匹は数えた。秋あるある?



論文は確かなことを証明するものだから、論旨にあやふやな点は一つもあってはいけないんだね。
アカデミックには向かない、な



6年使って満足に論文の書き方すら身につけられませんでした



私のみた韓国のミュージックビデオ、画面から見受ける配色というのか採光具合というのか、とにかく色の効果がどのミュージシャンも同じよう。パステルカラーとは真逆のイメージだけど、非現実的・不自然である点では全く同じ向きの色合い。特に青が顕著だった。淡いとは違う褪せたような青色or水色というか。で、そうだ、目がチカチカする。これが共通した。目に入るなりすぐチカチカするから、どうしても生理的には拒絶のフェイズにある。(なお以上は感想。あくまでジェーンスーのラジオで紹介されてた曲のPVでは、それも私の見た数少ない(3〜4曲)限りの。だから感想以下の雑記、日記だよね。)



1日1回壁を使って倒立する習慣が1年半くらい続いているのですが、そこではなるべく乳酸蓄積の限界まで倒立し続けたいんです。限界前に気持ちが途切れることもままあるヘタレがなんとか限界まで倒立し続けたい。そのためのポイントを、今倒立しながら見つけました。それがちょっと他にも通ずるようで、深い気がしましたのでメモしています。
ポイントは、断続的に息を止めること。断続的ということでもちろん息継ぎもしますが、その後続けて息を止める。腕が張るのに加え器官にも苦しい状態を強いるので肉体的な負担は増えているのですが、なぜか、これは矛盾した説明で申し訳ないのですが、(苦しみから)楽になるんです、体が。結果、体力が持続して自己記録の2分08秒に近づくことができています。息を止めて苦しさを上増しすることが、限界まで倒立し続けることを促している自覚がありました。
倒立中これを発見して、同時にここに何か別の物事、私の頭の片隅にあったある問題意識にも通ずるものがあるような気がしてしまいました。それは、息を止めるのが息を止めるほど苦しくないときが存在するという状況に見出しました。正確には、「実はある場面で息を止めると、いつもの、あるいは一般的に思われる息を止める苦しみほど、息を止める行為が苦しくない状況が発生するのではないか」という現在進行中の経験から立てられた仮説に基づいて、別の物事へ引用できる可能性を勘付きました。
つまりこれは、(ツラい中感覚的に思ったことで以下道理がめちゃくちゃになるかもしれないので話半分で聞いてほしいのですが、)安易な安住態度が、将来的に逆に当事者を苦しめる場合もあるんではないのかという疑惑を明らかにしました。もう少し範囲を狭めて言いますと、ポリコレを笠に着た意識で自己正当化を図るのはドーピング的に幸福度を高める行為であり、最終的には不幸せな結末にたどり着く恐れがあるという疑いを強めました。文字に起こすといっそう詭弁らしく読めますが、冒頭から一貫して甚だ主観的な物言いに尽きる文章なので悪しからず。

(×息を止めたのになぜ苦しさに拍車がかからなかったのかと言えば、一つには目標達成が近づいていたことが原因だと思います。達成に近づく1秒1秒に成功意識、自己肯定感、振り切ると全能感が生じ、乳酸蓄積に堪える肩や背中や前腕にポーションを注入、心に弾力を与えます。各部の乳酸を揮発させている感覚に陥ります。その効能が苦しさの蓄積速度をほんの少し上回る間が、一時的に苦しさが和らいだと感じるランナーズハイ的な状態だと考えられます。×)
なぜ苦しさに拍車がかからなかったのか。(×もう少し理に寄せようと考えるなら、×)それは苦しさが筋肉の疲労と呼吸できない辛さの両方向に分散するという理由に加えて、息を止める苦しみへの慣れ要素(=何度も経験している/身に覚えのありまくる肉体的苦痛)が相乗するおかげで、筋疲労単品より苦しくなく感じる状態が発生するのかもしれません。
あとは性格もあります。思考停止して耐える作業に長年(といっても8年程)従事していたせいもあり、自主的な行動(元はといえば抜け毛を気にして頭皮の血管にも血をよく巡らせるにはどうすればいいのか考えていたら、そうだ、逆さになればいいんだと思い付いたのがはじまり)に取り組むためには、思考停止しながら行動できる程度の苦しさを重ねることが大事な要素になっている面は間違いなくあります。そうしないと形になりません。肉体的苦痛は有効で、知らぬまに取り付けてしまった忍耐スイッチを押すトリガーとしては現時点では最適です。

以上個人的な経験から導かれた理屈による意見でした。筋トレが由来なことからいわゆるマッチョな考え方に該当し、ゆえに不道理と扱われるべき戯言とみなして間違いないでしょう。
普通苦しいのに、場合によってまたは人によって苦しくないことがある。目の前の居心地の良さこそが最も尊重されるべきではないという考え方が採用される局面もあるのではないか。私が倒立中息を止めながら思い付いたのは、要するにこれです。適材適所という考え方を前提に大目にみてください。



設楽悠太、五輪より1億!日本記録超えで五輪切符獲得でも辞退示唆「大迫選手の方が」
この精神的余裕、あるいは成熟というべきか。
性格?金?社会的評価?自信?矜持?ファッション?何れにせヨ



彼女とハメ撮りと彼女をハメ撮りの大違いなこと



心のより心的の方が大衆に(少なくとも私に)説得的な気がする。わいだけ?



なぜ吐気は「はきけ」としか読めなくて、吸気の反対は呼気?空気を呼ぶって空気をこっちこっち(手招きする図)してるイメージで、吸気とカブるんですけど



ある行為の理由は、その個人の行為に対する思いの強さや切実さで決まるのが正しいと思うなよ
私の今まではわけもなくやった行いばかり
理由を明快に説明できる行為は褒めそやされるけど、第一は理由より結果



真逆の詞を書こう
例えば『connection』 / Rei、真逆の歌詞を歌っても作品として成立しそう。どっちでもいいってことはつまり何も言っていない。ここから想起



牛肉の油と醤油、ガーリックソルトで米を炒めると、ウケる



長ネギの処理
輪切り等にする前に、繊維に沿って(モノと並行に)表面にスーッと切れ目を入れ、表面の1枚はめくり捨てる。外気にふれており、また触れられているものなので一応。



◇JUNK! そばめしの作り方
大きい鍋のようなフライパンを準備。でないと中身が圧倒的にかき混ぜづらい!
豚ひき肉適量(and,orウインナー5本輪切り)
→ざく切りにしたキャベツ半玉
→焼きそばの麺3〜4袋(小袋の上から包丁で縦横に切れ目を入れておくと炒めやすい)
→焼きそば付属の粉ソース1or2袋
→ご飯適量
→缶入りのスイートコーン(ざるに出して水を切っておく)
→塩胡椒・おたふくソースをお好みで適量入れて完成。香ばしさを出すには、ソースを入れた後も焦げることを厭わず強火で炒めるアグレッシブさが要る(ソース入れると更に焦げやすくなるから)。



◇味噌汁
鍋に水を入れ沸騰させたら、適当な大きさにした葉物野菜(白菜など)→賽の目状に切った豆腐→ワカメ(塩漬けのワカメは塩を予め洗い流す)の順で具を入れる。ワカメは茹ですぎるとグニャグニャになるため最後。
具が煮立ったら本だしをパラパラ程度入れ、火を一旦止める。赤味噌(大さじ一杯程、適当)をおたまで掬い、その上で箸を使って溶かす。溶け切ったら火を中火ほどにして全体に行き渡るようにかき混ぜつつ、味見。味噌or醤油で調整して完成。



◇茄子・人参・玉ねぎ・胡瓜(きゅうり)・パプリカの酢の物
すし酢とポン酢と普通の酢。ナスと人参は油を少し敷き焼く。胡瓜は塩もみか。詳細は忘れたので今度また追記する。
追記:すし酢は砂糖入り酢、ポン酢は味付き酢。通常の酢は酸味。酢酸。好みでブレンドは調整すれば良いが基本的にはすし酢の比が高め。
ナス(2、3本)やキュウリ(1本)、パプリカ(1個)は火を通して漬ける方が味が染み込みやすい。玉ねぎ(半個〜1/4個)はスライサーで薄めに切って水を切って入れる。水気が入ると薄まるので、なるべく水は切る。(そういう理由でキュウリを焼くという意味もある、焼かなくてもいい。)