ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

今週思ったこと

お金持ちと呼ばれる人もそうでない人も働く。ある人にとってはお金持ちで、もう働かなくでもいいだろうにと思われる人でも、往々にして、お金で整えた環境を変化させたくない(=シュリンクさせたくない)心が作用して働く。もちろんお金持ちでないと自負する人も、お金持ちを目指しつつ生きるために働く。結局、お金の多寡にカンケーなく自分の受け持ちの範囲で皆働いている。のか。ソースは南果歩
てことは、労働に勤しむ仕組み(=金で衣食住が交換できる〜人間心理の傾向)ができていることからなる平等、つまりみんな働かなければならない、働くストレスを被る平等、これは言えてるのか?でも労働環境の優劣は存在するから、皆働かないといけないから平等、とは言えないか、な。はたらくストレスを数値にしようにも、耐性や得手不得手、好みが違ったりしてレギュレーションがバラバラでしょうから。そんだけ
→金銭欲の膨らみ具合に応じて働こう



金をお金って言い換えるだけで、(いくらか同情票を誘えるくらいには)発言をマイルドにできていると思うんですが、いかが思われますでしょう。金をめぐるあれこれがシビアに捉えられていることの裏返しなことがよくわかるのう



おさらうな(おさらいすな)



見目より心、見目(外見)を無視してる訳でも心(内面)を崇めてる訳でもないから、使いどころがないわけじゃない



夢:居酒屋のテーブル席で入学試験。申し込みも。さも当たり前かのように。集中しづらく非常にやりづらい。試験当日。入店。開き戸を開けると、正面にちょうど目線の高さに合わせられた小さめのモニター(回転すし屋にある注文に使うアレくらい)が。いわく、小中の同窓の板井(サッカー部)はその店の従業員、背番号8のtoday's chiefだそう。
とんで、試験の最中に中学の同窓、長谷(サッカー部)が途中入室してきた。
私は多分落ちた。全体が何かの暗示、啓示か。行く末辛いマジョリティに対して、選択を求められているのか。居酒屋テーブル席での入試は社会か。



「無駄なく生きる」「有益な情報を待っています」、最終駅で、無駄だった(のかも)と思ってしまったときの悲しさを思うととても怖い。
だから定期的に褒められていたい。承認欲求の一面。もし褒めが麻酔なら、その承認欲求は、砂糖のような麻薬(=嗜好品として認められるけど度が過ぎると中毒にもなりうるもの)に近いのかも。麻薬を囲むあらゆる機関がカルテル状と認められる。Twitter・東京という街・就活(≠就職活動)、お前らだ。麻酔は何かを得るための措置であるべきで、また褒めは姑息であってはならない。麻酔は麻薬になってはならないと思うが、気持ちいいまま死ねるならそれも一興、安楽死への階段(ある人にとっては生きたまま死んでいる状態。ある人にとっては生きながら死んでいる、いわば仮死状態のこと。)を歩く(※)選択肢は肯定する。北山先生は批判したけど。以上よりカネ(=お金に派生するあらゆるもの)は肯定するしかないと思う。褒めとしてのお金はいい、麻薬としてのお金はだめだ。(矛盾してるかな? 出来事は可変的だから見極めがときに必要。
ある人にとっての正しさが、ある人にとっての間違いになることは、考え方の違いが認められる裏付けとして存在しなければならないと思う。が、例えば殺しはどうか(この手の話題にとって死は一番キャッチー且つ象徴的)。自他殺は絶対的に不正か。安楽死という選択肢が存在するなら、自動的にこの問題が浮上してくる。なぜなら安楽死は自殺でもあり他殺でもあ(りう)るから。個人の意思はその個人の正しさを保障するわけではない
じゃあ何に正否を委ねればいいのか、ときたときに、一つには宗教心や対象への信心、一つには個人の意思、一つにはロボットとして意思を持たない、などとなる。正否の委ね方の一つとして個人の意思がある。
死にたくないのに殺されるのは不正だと思う。安楽死のカードを選ぶ死に方は、無理矢理首を絞められて苦しむわけではないから、これとは違うだろう。ただの他殺と区別して、安楽死的他殺くらいに名付けられる。問題は自殺だ。現状答えが出ない、自殺の正否。出ていないから10代が自殺している向きもある。安楽死と自殺の違いをはっきりさせたい。
(※)Q.死への階段て、上り?下り?安楽死への階段の個人的なイメージは下り。階段を上った先に死ってかっけーな



踊りを踊る、リフレインする語呂が気持ちいい。(韻?
「踊り」の時点で踊る画は出るから、以降に「踊る」なんて置くは明らかにダブついて邪魔、完全アウト、タブー、などと言うことなかれ。そちらは戦後成長病の症候。成長のために捨ててきたものを拾いにかえる楽しみ、これがわかるのが粋ですぞ兄さん。さあ、クルマやバイクは捨てて、踊りを踊るのがとれんでぃ。すにぃかあぶる〜す。甘々。
思い出したのは、聾者の音楽体験のためのジャケットONE OK ROCKとコラボして作ったってニュースザップで話してた落合陽一氏の言葉。その受け売り。



退職代行イグジットのCMが非常に耳障りで不快だ。
いつか中国であったそうな謝罪代行と何が違うんだろ。
舐められてるようにも聞こえる。これに対して、「職業選択の自由の推進です」「よりあなたらしく生きるためのお手伝い」「転職をもっとポピュラーに、もっとフレキシブルな社会に」みたいな、転職の何が悪いの?顔の反論がくるだろうが、これは変だと思う。というのも、気軽に転職できる社会が生む幸せを推奨するなら、退職代行サービスを立ち上げることは理にかなっていない、むしろサービスの存在自体が理想と相反しているような気がするから。
風土を変えなきゃいけない、労働環境に係る法律を変えなきゃいけない、延いては日本に生まれ育った一人一人の個人のメンタリティすら刷新を迫られるだろう。
一般に、日本社会において気軽に転職するメリットはどこにある。能力があればいいだろう、コネがあればいいだろう、ゆえに(俺に言わせりゃ)厚顔無恥であればいいだろう。どんな人がラジオリスナーなのかデータもないからわからないけど、自分の身の上から想像するに、アメリカナイズされた人間とは到底思えない性格のリスナーが多いと思うしだな。だから明らかに舐めているんですよ、マイナスなんです、その広告は。
年功序列、人材の採用システムおよび賃金年金社会保障自由主義化。金がないんだぜ。しかも超高齢化社会と呼ばれ久しい人口構造だ、お前ら個人の能力別に賃金支払い・年金額設定されたいかね。断固反対だろうきっと。老後の心配とか終活とか言い出すからにはメンタリティの刷新なんてできないだろう。あなたたちお国のために死にたいんですかって。マンガで見た日本昔話だわ。カミカゼにはなりたくないけど、人材が流動的にあってほしいは戯言だよ。
自由主義個人主義が根付くアメリカと、清廉潔白・謙虚・はんなりずむが美しい日本では風土が違う。まあまあまあまあ、番組提供はありがたい。



キウイ🥝の果汁を一部分吸ったティッシュを冷蔵庫に入れておいたら、約2時間後、全体がキウイ汁で生乾きになった、くしゃくしゃのティッシュに様変わりした。びっくりした。



「一昔前」って言われれば、漠然と時代の隔たりを指してるんだな〜くらいで理解してたけど、
「ふた昔も前だ」ってなると、「昔(=1昔)」が過去の10年間の一単位になって、具体的に20年前(two decades ago)を意味するってのは初めて知ったよ



説得力なんて、審美眼と同じくらい曖昧だよ
だって説得に力ついちゃうんだよ、流行り言葉みたい
目を見開く方が個人レベルでは大事だろう
組織も個人の集まりだからね、きっとパワハラしないでね、My sweet-unsure-grand-old♡ #MeToo



説明が丁寧になればなるほど、説明以外の解釈ができなくなってくるから、そんな脚本、相当自信がないと出せないよなぁ……違うか



変化することなんてそんな簡単じゃないゾ
変化を恐れないなんて、いかにも留まらないことが是みたいに言うけどさ
だって、3歳くらいから親が酒の席で仲間とパーっとやってて楽しそうなの見てたら、自分も形は違えどパーっとするの好きになるじゃん、それと引き換えに図書館とかあんま足向かないじゃん、部屋で一人でいるのとか好まなそうじゃん。例えが下手なのはいわないことん
変化変化て、変化しろに聞こえてくるけど、変化しろなんて誰が言ったよ、なんてしらを切られるんだろうな。集合知くんには。
変化を恐れるなっていうなら、外資系勤務は引きこもれ、ゲーマーは草野球しにいけ、酒飲みは断酒して机に向かって勉強しろ……って遠吠え。でも的外れでもないよ。矢印を逆にしたら、説教として不自然じゃないじゃん。つまり、引きこもりは「変化を恐れるな!」→外資系で金に囲まれる囲われる毎日に憧れろ、草野球のエースは「変化を恐れるな!」→fallout76大分おもしろいよ絶対ハマるからやってみて、ガリ勉教授は「変化を恐れるな!」→酒飲め坂本!ンな感じ。←これに対して一言
変化の先に甘い果実があること前提で変化を恐れるなって言うけど、甘いの苦手ならどうすんのよ
つまるところ、変化しようがしまいが楽しくやっていけってことやろ、つらくて泣くけど楽しく



気分や時間帯、TPO(先に言え で聴きたいラジオが変わる。いくら伊集院や松之丞が大嫌いと叫んでも、そしてそのトークにたしかに爆笑しても、翌晩、声がいいからという理由で俳優やモデルのラジオを進んで聴く。ハードコアになれないのが悔しいけど、ここに健全な精神が残ってると思いたいところ。(健全以下ネタ、既に健全に決まってるから)



YouTubeやニコニコその他動画共有サイトの検索窓にラジオって入れて期限を今日に縛って検索して掘り出し物をさがすのが楽しい。おのれが気分屋で移り気だから尚更。いつまで続くんだろうなこの趣味この行為この感情



金を稼いで金を使って楽しむ以外に、人生のやり方を増やせないもんかね→金が社会を動かしてるから仕方ないやん→じゃあ金を使わないで楽しめる方法を考えよう1、金稼ぐために楽しいことしてる人(テレビラジオ図書館)に寄生する(広告みれば大体無料だし)
2、



今、ありがとうございましたんこぶ、ナシよりのアリ、よりのナシ(西南西的な理解)



おためごかしを覚えたい。
(ex.)資本主義なんておためごかしの言い換えじゃんそもそも、なにを今さら。あの藤くんも謝ってたんだから



ニューヨークでヨイトマケ



YouTubeなんかでよく音楽とか聴いちゃうんですが、開始5秒で駄目だなって聴くのやめたくなったり、途中でシークの丸動かしてこの先どんな感じなんだろとかやりたくなったりすると、我ながらすげぇ失礼だなって良心の抵抗に遭います。たいてい、この感情が現れたら、手を動かすのをやめて再生が終わるまで強引に聞くことにしているんですけど、それでも衝動に押し切られるときもあって、そのときは、時代に甘えてしまったなと後味悪くなります。それだけ



「あいつは口先だけ達者なこと言いやがるフェイク野郎だ〜」「ありがとう、感謝感謝、させていただきます、よろしくお願いいたします……ッて毎度毎度流暢に祝詞を唱えるがごとくでまかせを〜」って指摘は都度本当に的を射ているか。
清廉潔白が世評のおよそ40%(妄想ソースの推計)を占める、一人一人がオンリーワンとみなされる(またはオンリーワンを強いられる、あるいはオンリーワンを自認するもしくはオンリーワンを夢みるないしはオンリーワ)インターネット監視社会、本人は本当に感謝人・謙虚人になり切っているのではないか。発する言葉は真に心の底から出るもので、その言葉が単に賞味期限30分なだけなのではないか。要はそれらの言葉は自分に言い聞かせ/言い浴びせているだけのものではないのか、まさに祝詞のごとく。だとしたらその所業を論ってフェイク野郎と罵るのは見当違いだろう。なぜならその指摘の裏にある主張、つまりヒップホップMCが言うところのリアルな言葉・言葉の重み・どの口で何いうか、すなわち「感謝と言うからには感謝をしろ」(←トートロジー/同語反復というなかれ、なぜなら……〜かんがえちう〜……。この社会に生きてればなんとなくでもわかるでしょこのノリ)との要望は達成されている/満たされているから。そのありがとうございますやさせていただきますは、本当に「ありがとうございます」だし、「させていただい」ているのだ。けっして虚言ではないのだ。
じゃあこの違和感はなんだ。何がダメなのか。思うに単純。ありがとう言いすぎ、謙虚示しすぎ、なのではないか。世がインターネット黎明期の衆人環視社会+多くを巻き込むが勝ち(価値)の資本主義なだけに、個人は毎日毎時間毎分毎秒ありがとうを言わなければならない。ありがとう、まだまだですと言い続ける(キーボードで打つあああああああああああああああああと同義。乱射し続ける(乱射ではない、乱射をし続けるのだ)とも言い換え可)ことが理想であり仕事なのだ。多くの人にありがとうを届けるために。更にこのノリに拍車をかけて(しまって)いるのが日本の風土、つまり清廉潔白の美、謙虚なこころだろう。いつ何時ググっても黒色の記事・グレー色な文言さえhitしない、これが美しい。名刺は下から下から下から下から出す、これが美しい(※)。いかに。
奥ゆかしさは恐らく、この姿勢にはない。奥ゆかしさは今のインターネットにはない。そもそも奥ゆかしさとは何か。どうすればいいのかああああああああああ(嘘)。疲れた。体力ない、運動しよう。
p.s.感謝や反省は読経とは違う。何事もやりすぎ厳禁!浴びすぎるとバカんなっちゃうからさ〜
(※「謙虚は謙虚であればあるほどいい。謙虚に謙虚すぎるということはなく、謙虚に終わりはない。」これがダメだと思っている。やりすぎって意味で。その例えを下からの被せで表そうとした。名刺を下から出すこと、もっというと下から出す(さんとする)態度/姿勢は美しいと思う。)



運動しよう、と、運動をしよう、前者の方が運動し慣れてそうだし運動に前向きそうだよね、をの存在が鈍重なのよ、だから↑は言い聞かせる意味もこめてをなし(?)



ありがとうさせていただく・感謝させていただく、もう言葉の暴力&濫用。考えただけでも未遂罪で。



アトロクを初めて通しで聴いた。おもしろいけど、通底する文化おじさんホイホイの香りが、くそ〜っとはなる。くそ資本主義!おもしろいけど。綺麗ア・ラ・モード最高!



しょこたんの新曲『blue moon』、いきものがかりぽさがあった気がした



さしずめ(差し詰め)、さしづめではないのかな(現代仮名遣いならよかった



三四郎小宮さんに最も似合うと思われるワード…バトる



言葉って勝手に敷衍して使うもんなのかな
辞書で調べたときに意味が①、②とあってそれぞれの後ろに例文として鷗外やら漱石やら独歩やらの一節が引用されてるけど、彼らは元々の語の意味の範囲に忠実に使ってたのかね。でもそしたら法律の条文みたいになるよね。創作なんだからきっと逸脱はするよね。
揺蕩うって引くと、

たゆたう【揺蕩う】

( 動ワ五[ハ四] )

① 物がゆらゆら動いて定まらない。ただよう。 「波間に-・う小舟」
② 心が動揺する。ためらう。 「父はあまりの事に、しばし-・ひしが/うたかたの記 鷗外」 「今は逢はじと-・ひぬらし/万葉集 542」 〔終止形・連体形は「たゆとう」とも発音される〕

(大辞林 第三版の解説)

って出るんだけど、②番の鷗外ちゃんの例文、①ありきで使った臭すごいよね。物がゆらゆらする意味を心の動きに引っ張ってきただけだよね?揺蕩うって言えばみんな分かるだろっつって。だからそこまで、語を使う対象にまで厳密にならなくてもいい場合はままあるよね。そんだけ



なんか今週書いてること振り返ってみてると、語彙が少なくて言葉ヘロヘロんなってるのに使い回してるのと(それゆえか)言ってることが大体同じとこに帰る(逆か?)のが目に余って、なんか痛いしシケてるな
切実な感じ、リアルに思ってる感じはあるだろうけど、それにしても思想意識性格の歪みがみえみえだし面白くないあと括弧多すぎ
なんかねえかな初心者にやさしい食いつけそうな面白いネタ



※以下、ネタバレ有 呉中医





『虹のプレリュード』。一番は、ラストの革命作曲シーンだね。銃口や剣先のイメージが楽譜の背後からガガガガガっと出てくるような、鬼気迫る画ね。つい、実際も……と想像してしまうね。創作ってこういうことだ。
あとは、クッキーと小道具屋の猫、かわいかった。また、ところどころの(おそらく)元祖・少女漫画然とした胸キュン描写は、時代が合わなかったのか、シンプルに個人の興味関心の問題だったのかわかりかねるものの、とりま私は対象外そうだった(2人のキスシーンは例外、画のタッチにも違和感はなかった)。付属のCDは寄稿ゾーンを読みながら聞いた。やっぱり、少しコンテクストが乗っかるだけで聞こえ方、いや聴き方が変わった。これ書きながら、所詮その程度の耳なんだなと察する。以上






(敬称略)



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