ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

メモ1/5

その他

色は匂へど散りぬるを
AOR adult-oriented rock/album-oriented rock


なんとはなしに

説得力って、フリオチでいうフリの部分をいうの?
というのも学術論文とエンタメで説得力の語句の意味が違うと思ったから
同じ詩を書いても、たとえばエンタメ界を念頭に言うと、フリとしての説得力があるほうが、(たとえば事前に「あらかじめいろんな手札があってその中から敢えて今はこれを出すんですわ」っていう多芸多才であるという情報が共有されていればされているほど)よりたくさんの人が注目しフォローする
嗚呼、わかった、相手どる対象の違いで説得の意味が変わるんだ。相手が違えば説得する方法が違う、だから説得力の語句の意味、学術論文とエンタメで説得力の意味が違うんだ。説得力は本当だね。間違えていました。その上でフリとしての説得力って言葉は嘘だ!いやさ、胡散臭い!って言いたいよな。だって好き嫌いとごっちゃになっちゃうから。そいつしか書けない詩なんて、言葉綴りでしかないんだから、無いはずなのに、もしも、同じ言葉でもそいつが書いた言葉だから説得力をもって受け入れられて結果として多くの命を救ったって意味でキラキラ光る言葉になるってことがありえるならば、ただ好きか嫌いか、あるいは知ってるか知ってないかつまり知名度の高低が説得力としてその詩を飾りつけしているんだろうと。だからそいつは謙虚にやるんでしょうが。そしてその謙虚が、また説得力をamplifyするんでしょうが。
結局言葉自体や作品自体は空虚で、信頼や信用・好き嫌い・知名度っていう目に見えないもの・関係性と呼ばれそうなものが、結果に直接コミットする要素なことがはっきりする。信頼・信用・好き嫌い・知名度が(先付けか後付けかにかかわらず)作品を彩る。いや色即是空!(千鳥ノブ風)
表現に実効性をもたせたいこと・表現を結果にコミットさせたいことが表現に先んずる人より、表現はただ表現として自己完結させる、その後結果がついてくる(正確には、ついてきて'いそう'な)人の方が個人的には魅力的なんだな(←ほらきた好き嫌い!)。人に知られないと表現の意味がなくなるこの矛盾はどう片付ければいい?表現を金にするには上でいう関係性を前提にしないといけないという矛盾ね。
てか、え、人に知られないと表現の意味がなくなるって本当?自分のストレスのために表現しろよ。自分の隣人のために表現しろよ(=それは金稼いで養うための表現じゃなくてその表現で喜怒哀楽幸せを直接に伝えろよ)。

インスタにはまったく無頓着だったのですが、中には興味が湧く内容のアカウントもあるものですの