ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

今週思ったこと

人為的な行いでも、地球の歴史とか海の起源とかWikiった後だと、それも自然(な行い)としか思えなくて、だから「地球温暖化とかなんだよ、森林保護とかうるせぇよ」みたいなトランプマインドに寄ってくるんだけど、これいかに。
内心は単純に理性v.s.本能・人間のプライドv.s.人間の欲望の様相。さながらSTEM教育ばっちりのヒモを批判する金太郎親父(©︎師匠)みたいな図。



夢:ジャケットを忘れたので取りに戻る。入り口前、スモークガラスの扉の先に人間2人のシルエットが重なっている。男女の影だ。すると扉がこともなげに開き出した。開くではないか。対面は何かマズいと思い、咄嗟に顔を右に90度向け、呼応して上体ついで下半身を巻き付かせ、その場を離れる。2、3歩してすぐさま90度は応急に過ぎず、その角度では他人を装うのに十分ではないことを察知し、動きながらさらに30→45→70度と段階的に背を向ける。しばらくしても声はかけられず、また悲鳴等も聞かれない。無事に扉から離れられたらしく、ほっとした。
さて、最低30分は時間を空けなければならないだろう。その頭で目的なく辺りをぶらつき始めたその時、すぐだった。夢は展開が早い。左手から裸の男女が現れる。同じ敷地内の、入り口から直線距離で30m弱離れた引き戸からだった。生身で、社交ダンスよろしく手をとりながら軽快に飛び出してきた。なんだそりゃ。今回はどうしようもなかった。正面衝突はしないまでも、進行方向上、擦る程度には当たってしまう。私は、視界には入れど興味本位で見遣るなどデリカシーのない所業には及びませんぞ、と通りがかりを装い(事実通りがかり。ここではマインドセットの問題で、心して通行人になろうと決めたということ。)、さっと歩き過ぎることに神経を注ぐ。足に力が入り、遭遇前の1.5倍の速さになる。事なきを得たところで起きる



外人(がいじん)と聞くと少しざわっとする



『俺は綺麗なものが好き』←どういうことか掘れ
嫌なものは見過ごしたい
打算で会話をする
見捨てる



夢:母が泣いている、早いと。
会計帰りか会計に向かう途中か、あるいは外出する前だったか、とにかく病院1階の空間的な広がりのある廊下にて。勇猛果敢に歩く歩く。力強い歩みその姿を両脇の介助者の女性二人(一人は森三中の大島さん(に似た人?)だった)が称える目で見入っていた。そのとき、弾みで前方の誰か(二人のうちの一人もしくは通行人)と右脇腹あたりが接触して体勢を崩し、膝から倒れる。なんで、と、早い、と、叫び泣いている。起きる。
私はその一連を神の視点で、彼女の目線の斜め上、前方に3mほど開けた位置から対面して見ていた。暗示的・予言的なのが悲しくまた怖い。



2019/11/05にして(多義(といっても2義):作品出版から経過した時間の隔たりと、おのれの置かれた今現在の現状から導かれる以下のツッコミ「何を今更?今頃?この期に及んで?就職活動も将来像を描くこともせず?かといって何らかの希望を生むための手を動かすこともせず?残り約2ヶ月がデッドラインの卒論のテーマ設定にすら手をつけないで?つまり明らかに逃げおおせやしない現実に未だに目も向けられないまま?」を踏まえた)、アランムーア著『ウォッチメン』を読みながら
求めてはいけない
切り開いてはいけない。求めては侵す、の繰り返しの結果が貧富の差、異質分子の排斥、安全を求めてリスクから遠ざかる当然の反応、からの直近の国や州の分離・独立の流れを生んでいる。
より多くを求める欲望が原因だとすると、その欲を抑える法律(欲望を仕分け、上記のような社会問題に関与する程度に応じた拘束を義務づける法律)が今以上に強く敷かれないといけないのかもしれない。求めるな、さらば与えられん的な思想・主義の方策。



何か私にもできる、欲を言えば(言ったそばから欲深くて愚かしいが)、私に合う表現方法はないか。恥ずかしい。



多様性のためなら
合衆国的に、個々に独立・分裂した、故に異なるルールを敷いた共同体づくりを推奨するのが一つでは?ある共同体がある共同体のヒモになったり、または結婚/離婚したり(付いたり離れたり)、など。覚せい剤常用者による芸術作品を求める声は一般にあるだろう?



遊戯王 初期」で画像検索をかけ懐かしむ20代、末期



遊戯王カード画像を眺めていると、カードの効果記述文における修飾語の多さ、つまり法律の条文のような、対象を明示するために前出する語句でも重ねる'くどさ'を厭わない文章表現に、丁寧な仕事ぶりをみて心打たれる。また同時に、その読解が当時の日本語読解力向上に役立っていたのでは……!、とふとしたタイミングでかつての親心に気づいた子のような心境になる。



スポーツ大会開催中それを盛り上げるためにテレビ局が仕掛ける方策
SNSでバズらせるために・認知を広げるために、それに向くネタを丁寧にを拾う
ex.)ONE TEAM、歌、海外選手の挙動、等



世帯視聴率…世帯数減ってるからそもそもジリ貧
個人視聴率…親和…視聴者数



観客動員数=ローカルコンテンツでの成功があるから、視聴率のみで成否を語れない



『排』(仮)
「その通り」は枯渇に
見舞われそう
お前に絞り出したくないって
選んで「その通り」言いたい
線引きしたい白いキャンバス
それがせめてもの形、輪郭
理屈ではこう、でも現実は、
無口
痛さつらさ苦しさを逃れるジタバタする力
溜め込む無口
線を引くのはときたま
生かしてください

世界中の利益全体は考えられない
頭弱いし
あまりに趣向が異なって居り
脳内が、腕力が、時間の流れが
異なって居りませんで
失礼、居りますんでさ
任せますルール作り
でもジタバタします、つらければ
私は20℃の秋晴れの下
健やかな風に洗濯物
干して居ります
時間は不定ですが

生かしてください



社会不適合者の受け皿感を出す深夜ラジオのパーソナリティは、社会性の塊、社会そのもの。
「この前数少ない友人Aが立派に表彰されたから、他の友人BCとサプライズプレゼントを画策してね〜」
結局は社会に取り込まれる、でないと生きられない。だからラジオDJトークや選曲やラジオ放送それ自体を通じて暗にリスナーに社会参加をうながす。
社会って何だ、実体がないのに

社会
社会不適合のまま世に羽ばたくには、今ある・持てるガラクタで何か作らなければならない。受容しているだけでは消費する立場に回るばかり、金は無くなるだけ。生まなければならない、義務的に。これは社会命令。社会が発行する、いてもいなくてもいい個人が生きていてもいいことを保証する割符、勘合。逆に個人は生きていたいがためにその割符に拘る。こうして関係=社会が成り立つ。個人は実体のない社会に飼われているが、それを分かった上で飼われる他はない。割符には拘るしかない。
社会が個人を飼っていることは、社会にとって個人は一定数以上必要だということでもある。個人がいなければ社会が維持できない。

維持
生きるとは維持することなのか。少なくとも「長生き」は維持に言い換えやすいだろう。維持意識が妨げている何かがある。変化だ。維持と変化は相容れない。少子高齢化と国の予算、一人一票の平等選挙、政治家の高齢なこと、GDP成長などの単語を念頭に置いている。
成長するには死ななければならない。本当か。
例えを出す。団体競技プロスポーツ。若手選手を育てるチーム方針からベテラン選手は退団もしくは引退しなければならない、とする。退いたベテランは第一線にいる時より収入は減り脚光は浴びられなくなるが、それは死ぬとは違う。いわゆる第二の人生なるものだ。退くとはそれの始まり。
ルールが現実を作る。現実を社会と言い換えもできる。試合に勝ち、チームが常勝を誇るために、ベテランは能力が落ちる(落ちたとみなされる)。試合に、リーグに、ルールがあるから、能力の高低認識つまり現実が存在する。野球なら、球速・打球の飛距離・ベーランの速さなどの指標が能力評価の基準になる。一人の人間の能力とは何か、ルールに基づいた指標がなければ測定などできやしない。年を取ろうが取るまいがその人はその人でしかない。そこに存在の価値基準などない。変化のためにはルールが必要、ルールは線引き、絵を描くのと同じだ。ルールがなければ現実はない。夢はルールがない。

なぜ政治家、特に内閣は50代以降でなければならない?
→国民平均が50代以降だからだよ!
彼ら彼女らの現世に残りたい欲が、少子高齢化を反映した人口比や平等選挙のルールと相乗することで汚染水を垂れ流しながら現出して、列島を沈没させようとしてるじゃないか!生き長らえるのに悪気はあるわけないからキツい。
→年齢別国家を作ろう!泡のように生まれては消える国家像。成人までは親と暮らせて、それ以降はタダでおのれの年齢に対応する国家に行ける。残ってもいい。



テレビゲームを始める前、コンセントに電源を差し込む時に訪れる幸せ、夢に出向く前のわくわく感、儀式的。修学旅行とかディズニーランドとかに行く前夜が大方こんなんなんだろうよねと想像。それは行きたいわ。




意識的の粋 ↔︎ 無意識的の美
卓球日本代表男子の、上が黄で下が青のユニフォームが後者。無意識的なダサさ(奇を衒ったようではないダサさ、つまり無意識'的な'(=無意識に見える)ダサさ)が良い。これに関してはダサいという私感が前提。
卓球界隈ってこういう色合い多いよね。界隈ではカッコいい、それが良い。



夢:転校生のハーフ。ミドルネームがあった。足が速い、短距離。アスリート然とした身体。しかしそれとは裏腹に、なぜだか性格は内気で、そこが私と馬が合う理由、話しかけられた理由になった(んだろうと思う)。
長距離走の全国大会に先駆けて、校内で学年別ロードレースがあり、その順位に応じて授業クラスすら分けられるという事案が発生。私は結果、上から数えて第2か第3グループの前の方(=その団体内の速い方)に属していた。
☆彡(=飛ぶ)
チャリンコに乗って仲間らと走ったりもした。途中洋服の青山的な服飾チェーンのでかい店の前を通ると、上下にスライドする広告看板に神田松之丞が写っていた。隣にいた友だちに「神田松之丞じゃんあれ」と指差しながら言う。反応は芳しくなかった。
観光用に整備された感が地元民には煩わしそうな道幅広めの参道を抜けて国道に出たすぐの路傍に、野球用具専門店があったので、入る。銀色の金属バットの一本を富岡氏が手に取り「(知り合いの)林◯◯俊モデルじゃん!え、すげぇ」と発語する。私も凄いと思い、彼の見終えた後を引き継いで、バットの芯にプリントされた黒字を見る。「NORIHIRA HAYASHIBARA model(不正確。とにかく確かなのは林◯◯俊モデルではなかったこと。)」とあった。見間違えを指摘すると、彼はそっけなかった。彼は見間違え慣れているのか、見間違えなんて気にしないのか。見間違えて得る喜びの方が、正しい認識に修正することより大切なのか。はたまたそもそも都合よく見間違えることで周りの目を引くのが目的だったのか。真相はわからないが、いずれにせよ事実を指摘されたことに対する彼の反応は、その前に抱いた認識が覆されるギャップの大きさを全く感じさせず、驚くほど淡白だった。 私は想像した張り合いが得られないことに30秒ほど呆気にとられたのち、店を後にし、自転車にまたがった。その他色々あったが忘れた



もう寝ていたい、12時間ベッドの上にいるのはそんな感じ



外出前はまず鏡を見、外出に足る顔面のコンディションかどうかを視認する。その醜さに、毎度大なり小なり落ち込むのは違いないのだが、しかしエチケット面への気配りという社会的な信用を得られる正当な行為だろうことを見越した理由付けに、加えて、足の親指の爪の内側から掘り出せるナニを臭いたくなる例の好奇心の駆り立てられ具合に似た欲の発露、醜いものを一人こっそり見て知っておきたい欲みたいなものに背中を押され、鏡に臨むに至る。なお、用件の緊急度いかんによって、この段階で心が折れて外出を断念することもある。どうしても行かねばならないときに心が折れかかってしまったら、不織布マスクを着用する応急処置をし、身を切る(マスクの着用で肌はまたしても荒れる)。



(敬称略)



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