ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったことなど

(2020/01/07更新)


2019/12/29
自分は思った以上に鈍感で、人へ主張するのを嫌うぶっきらぼうで、だから人当たりは悪いとみなさざるをえない。12/15に◯エツ5階の文房具屋にメッセージカードを買いに行ったときも、彼女の、これまで通り歩けなくなっている異変を感知せず、健康になるだろうからとむしろ入り口遠くに車を止めたり、カード選びを長引かせて、会計中の短い間に自発的に向こうのボーリング場前の硬い椅子に座りに行かせてしまうほど疲れさせたり、また同時に疲れを我慢させてしまったり、ゆっくり歩く彼女がシグナルを出すまで半ば置いてけぼりにして先を行ったりしてしまった。それを12/29に改めて思い出して、自分を理解し直した。人に対する優しさ、下手すると敬意や愛情すら欠ける、無口で無能で尚且つ人当たりも悪い、傍からみればそんな最悪な人間と思っておくべきだ。申し訳なかった。
やはり実際の態度や行動、発言で相手にはっきり意思を伝えた方が、自他の認識のギャップは小さくなるし、私の場合はその方が人間関係を円滑に築けるのかもしれない。今の感覚からすれば、言い過ぎるくらいで丁度いいのかもしれない。ただそういう態度で接した最初、相手の頭に浮かぶ「お、なんかきた?!」、続いて現れる表情、泳ぐ目線に耐えられるだろうか。そういうところだ。そうやって頭でっかちになってマイナス面を少しでも見つけたら尻込みする、そういう思考が私を今ここに留まらせているんだ。


「三枚肉とも呼ばれる豚バラ肉のかたまり肉は、赤身と脂身の層が美しく整っているものをお使いください。とろけるようにおいしく仕上がります」
ばぁばといえば「煮もの」。おだしと調味料の絶妙な加減でこっくりと、ご飯がすすむばぁばの煮ものの秘密は、食材の丁寧な下ごしらえにあります。
「大根は面取りをして、お味がしみやすくなるように忍び(隠し)包丁を入れます。それからお米のとぎ汁で下ゆでします。とぎ汁を使いますとね、大根のアクや苦味が抜けてお味もさらにしみやすく、しかし、煮崩れはしにくくなります。あとはちょこちょこいじらないことよ。時間がきちんとおいしくしてくれますからね」(ばぁば)
「大根と豚バラ肉のやわらか煮」の作り方
材料(6人分)
大根 1
2本(約600g)
豚バラかたまり肉 200g
しょうが 1片
米のとぎ汁 適量(大根がかぶるくらい)
だし 3〜4カップ
酒 大さじ3
砂糖 大さじ3
みりん 大さじ2
しょうゆ 大さじ3強
絹さや 8枚
作り方
(1)大根は3cm厚さに輪切りにし、皮をむく。面取り(切り口の角を薄くそぐこと)をし、真ん中に包丁で十文字の忍び包丁を入れる。
(2)大根を鍋に入れ、米のとぎ汁を加えて火にかけ、大根に竹串がすっと通る程度までゆでる。
(3)豚バラかたまり肉は、7〜8mm厚さに切る。深さのある鍋にゆでた大根、豚バラ肉を入れてだしを注ぐ。薄切りにしたしょうがを入れ、酒、砂糖、みりん、しょうゆを加える。中火にかけ、アクを取りながら豚バラ肉に火が通るまで煮る。
(4)大根と豚バラ肉を器に盛って煮汁を少量かけ、さっとゆでた絹さやを添える。

(某料理番組動画の説明欄より引用)



2019/12/30フジテレビ『村上信五∞情熱の鼓動』にて、女子ソフトボール日本代表・藤田倭が同上野由岐子を評して
(アスリートとしてはお手本としての存在だけど、)私生活では、(一拍) バッグの中には台風が訪れ、(一拍) あれがない、これがない……
「バッグの中に台風が訪れる」って良い表現にびっくり。突然に、それもトップアスリートがさらっとテレビで、しかも年の暮れの朝8時頃だったから。残る。



芸人と一般人の比較で何となく思ったこと
芸人の仕事(?)である笑わせることはあからさまに非合理的・理不尽だから、基本皆芸人に対する目は優しい。絶対的な答えがないから、「何でお前そんなんなの」とか、「これ面白くないじゃん」って個人的な意見としては言えても、神としては言えない。つまりその発言は客観的には正しくも間違ってもない。だから「何でお前そんなんなの」と言われた人も、「これ面白くないじゃん」と批判されたものも、存続はするし、存続していいし、存続できる。資本主義的な枠組みの中でそれが近い将来淘汰される場合はよくあるけど、あくまでその時点で金が稼げなかっただけで、絶対的に面白くなかったから淘汰されたわけではない。答えがないからその世界に対して人は優しいし、答えがないゆえ結果主義だからその世界にいること自体はとても厳しく理不尽。
一方で、一般人の仕事である金稼ぎは、徹底的に理論や数値化に基づいた合理的で明快な解答が存在するものとして考えられているから、解答を導けない人や解答速度が遅い人や解答を導かない(とみなされる)人に対する他人の当たりが強い。お前はバカあるいは頭でっかちだからつまらん仕事でろくに金稼げねぇんだと自己責任として一蹴されやすい空気がある。答えがあるのに間違えるから。
もしかすると偉い学者があーだこーだ経済理論を宣ってるから適切な解答があるように思うが、実のところは全く答えなんてない、つまり金を稼ぐということは、人が笑うとか愛するとかの理由を探すのと全く同じことなのかもしれない。



イケメンか美女の人がスカしてない自然を表現するのって今やムズいよな。それが見目麗しくていい役者、みたいなことか。どうしても様になって見えるのが、スカし・不自然・定型といった印象につながってしまう、赤の他人の素人には。ソースは文学をフィーチャーする番組に出る加藤シゲアキ



金がないと治療を受けられない不合理
金による命の選別
回避する手段の一つ→金以外の価値(になりうるもの)のマッチング
例えば医者と患者間のやりとり。患者は金がないけど他に優れた価値あるものを持っているそしてそれを提供できる。医者は医療技術を使う見返りに金の代わりになるものを提示する。もし医者が提示する「金以外に求める見返り」を患者側が提供できるなら、そこで金以外の価値を媒介した治療が可能になる。
誰でも考えつく〜



ダブルスタンダード・ジレンマ・葛藤・矛盾・同居って人生の醍醐味よな
♪『幸せな結末』 / 大瀧詠一 より連想



自分の感じに忠実な表現が詩にとって大事よな、と胸が騒ぐって表現を耳にして想起する
騒ぐって私はあんまり言わないから、たとえ表現しようとした感じが胸が騒ぐという表現で足りる感じだったとしても、そこで胸が騒ぐは出てきづらいと思って
胸が騒ぐは、2019/12/16放送の「又吉児玉向井のあとは寝るだけの時間」で流れた『幸せな結末』 / 大瀧詠一 の歌詞の一節から



所謂「話しかけてくるなオーラ」を出すのが自然な性格ってどうなんだろうな、いずれ直すべきなのかな。他人との距離の下限が無意識にできていて、半径××以内にはたとえ親族でも入らせない感じを敷く人間って幸せになれるのかな。心の距離の話ね、肩は組もうと思えば組めるよ。
「一人では生きていけない」「仲間と共に」「わかり合う・共感する」「心を開く」などの言葉が正しいというのをこれまで生きてきて聞きすぎていて、それと相反する今の自分の人間関係の築き方の将来に自信を持てない。やはり天動説みたいなもので間違っているのか。直すのではなく見方を変えることが求められるのか。



人名案:又吉シンタロウ



2020/01/02〜1/3にかけての深夜にテレビで見て面白かった番組を以下に。
NHK総合 新春TV放談2020
同 コントの日
同 奇跡の星
テレ東 ウルトラハイパーハードボイルドグルメリポート
コントの日を見終わった後に、既に始まっていたウルトラハイパー〜を見たら、ケニアのゴミ山に映る全てが演出を凝らしたコントというかフィクションの頭で見ていた自分がいて困った。あまりにスポーツ王は俺だの世界と隔たりすぎていて、嘘として頭が処理しだしていたのかもしれない。

コントの日。コントをこんなに面白いと思ったことがなかったと言えるくらいの鮮烈な印象が焼きついた。味わい尽くせてないだろうが、とにもかくにも面白かった。一つ一つのコントが一続きになっているというギミックを面白がれた。後ろの張り紙に書かれている内容とかも意味を付しているところとかは作り込んだアメコミみたいだった。少ない知識量による例えは自殺的行為。
新川優愛氏のフリー〜背中を押して〜の演技が良かった。
コント師としてのチョコプラを改めて認識した。長田のチンピラ役が良かった。
アーカイブスの日、やばかった。同じような局のアーカイブを振り返るみたいな番組をTBSラジオでこの前やってたから、まず設定に刺さった。飯塚のアナウンサー面ぴったり、且つひとりの役みたいな人はいなそうだけど実はいる人のキャラで、リアリティあった。
コント終わりで降りてきた後のフリートークゾーンでも言及があったが、フィジーの件はどこで撮ってんだろと思った。まさか本当に現地ロケしてるとは、と驚いてすぐ、NHK資本力を思った。因みに藤波が虫食べられなくて〜ってヒントがあったのに、この元ネタがなんなのかわかんなかった。あと、その前のあいのりみたいな番組のパロディも精緻で笑った。字幕の出方は踊るから騒ぎみたいだと少ない知識量から思った。
◯総じて、風刺がきいているのも楽しい。
◯ファミレスで飯塚がクレーマー扱いされるコントを見てこう思った。コントにおいて、わざとらしくない、でも戯画的でもある、という見せ方をするのに、設定がいかに絶妙であるかが求められるんだと。このコントはそれが絶妙だと思った。あまりにベタ過ぎもしないがでも面白おかしくなるデフォルメの余地は残る設定から、同じ絶妙のラインを保ったそれぞれの発言内容が折り重なって一つの絶妙なコントが出来上がる。

グルメリポート
青い空と白い雲が引きこもり宅の上で見るのと同じ色・かたちで、空の下にある景色のギャップを際立たせた。
CM前後のブリッジに使われる番組名のアニメーションがおしゃれ。
音の使い方(ex.無音の取り入れ方)、字幕の出方や大きさ・レタリングが、内容と相まって目を引く。



皆に笑顔を届けるって、思いつかない不思議な表現だ
笑顔っててめえの仕業じゃないの



東海大学の駅伝監督・両角速(もろずみはやし)って、パワプロくんのネーミングセンス



好きとか嫌いじゃなくて、事実を伝えるときにチョイスしがちなだけね from不毛



手作りに価値があるから手作りする店と、機械化・自動化して作業効率を上げた店。外から来た要求に応じる点でどっちも同じだな。自分から敢えて手作りする店じゃないなら、いくら丹精する手作り店でも機械を入れた店と同じ営業思考をしてる。



「人が多く集まってるから人気なんだな。人気ってことはきっと良いもの出すんだろうから私も行こ」っていう道理は正しい。「人気だからって本当に良いものを出しているとは限らないし、人気が出て胡座をかいて良くなくなるケースもままある。だから人気だから間違いないというのは嘘だ」ってツッコミは、人気が人気を呼ぶ動きがあまりに強まったからその反動で起こった声であって、「人気があるってことは多くに評価されているってことだから、そこには良さがある」という道理が完全に覆ることはない。どちらも言えている、どちらも正しいだけだ。どちらの理屈も正しいってことは、どちらもただ有るということだ。ただあるだけともいえるが、捉え方によっては立派にあるともいえる。何れにせよ、どちらの理屈も'ある'ということだ。
くどくどうるさいだけで何も言っていない。



箱根駅伝を見ていた。優勝チームインタビューで青学原晋監督が言った「超高速レース」とは、メディア人らしい彼のリップサービスではなく確かにそうだと思った。1位の青山学院大のみならず2位の東海大まで往復路の総合タイムで大会新をマークしたらしいからだ。コースが変わったのか。シューズの進化も関係があるかもしれない(、と同氏がゲストスピーカーに来た授業中の質疑応答にて指摘があったのを思い出した)。肉体に影響するドーピングは疑いたくはない。



息を限界まで止める遊びをしていたら、死ぬときの心地を想像していた。病棟の一室で数人に囲まれながら逝く想像。



箱の中には絶対的な正しさを作れる。それは夢、箱の中は夢。芸術は夢。その魅力。



(敬称略)