ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったこと

夢:修学旅行か何かで、声をかけるのをためらい続けた結果、周りの輪を作る流れに取り残される。自分のせいであるのに、肩身が狭く、一人が好きなのに、恥ずかしい。輪ができているところに入っていく剛力はない。だから一人だ、もう一人でいる。脇目でちらと一瞥くれる奴がいて、なんだか嫌な感じがする。が、自分で選んだ結果だ、自分のせいである。なるべく見られないように、受ける視線の方向には背を向けて縮こまる。ああ、早く終わって欲しい、通常授業が楽だ、わざわざ辛くなるために旅行に行こうとするなんて馬鹿馬鹿しい。辛い。
飛ぶ
病床に伏せている、今はなきじいちゃんと会話する。GBAの充電可能な電池を貸してあげたのだが、うちのどこかに忘れてしまって電池がなくなりそうだった。携帯電話も同様、電池が切れかかっていた。弟や母はこれから旅行に行くからその後に充電器など足りないものを取りに行ってあげる、と言う。(旅と言うのは前の修学旅行の話を受けているに違いない。話の境目が融解している。)私は弟に、単三か単四乾電池を2個買ってこいと言った。が弟は苦笑いをして買いに行こうとしなかった。私はなんだか死に行くじいちゃんに申し訳なく、また可哀想とも思った。面目なかった。
あと第二次大戦が1943年には激化して1945年に実質負けを認めるに至るんだ、という過去の出来事を、まるで未来を教えているかような気持ちで話す。病院の一部屋で私も寝泊まり。弟と母もいる。その話をした直後、突如ショッカー的な敵が部屋に入って来、戦闘が始まる。敵もこちらもなぜかムチしか持っていない。私はムチを思い切り振るが、あまり上手くしならず相手をしばけない。死期の近い(と察していた)じいちゃんを守ろうと頑張っていたのだが、敵が入ってくるやじいちゃんは急にシャンとして相手をムチで蹴散らしていく。結果、2人の敵を討ち取る。瀕死の敵もじいちゃんと私たちはしばき続けて、確実に勝ちを取りに行った。敵が明らかに死んだことを確認して鞭を打つのをやめた。これが戦いなんだと思う。非人とはまさに。おわり



散歩していると、なあなあに・後ろ倒しに・無計画に時間を垂れ流している自分を責める機会が増える。その数分間を言い訳に、現状の大半を占める堕落怠惰無計画を認めているのかもしれない。バランスは保っているんだ、そういう社会的な視点も勿論持っているんだ、といい気になっているきらいがある。
何もせず流れる時間が、同時に、他人の何かをして流れている時間とまったく重なるというのに、怖くなる。そしてその怖さが健全だという声が聞こえ、その後すぐにその怖さも時間の経過に合わせて鮮度が落ち、枯れてなくなるんだろうなと察する。流れる時間の怖さが枯れてなくなったらいよいよなのかもしれないと思うと、それがまた怖くなる。だが結局、一番いまの自然で一番楽な、留まり続けるという選択をして、その鮮度を無為に枯らすことになる自分なんだろうなと諦めに近いハードル下げを行う。
しかしなかでも怖いのは、どんな時間の流れ方・流し方をしても、行き着くのは死=無であり、だからこの無為徒食も、ゴールドマンサックスの同級生も大谷翔平も、優劣をつけられないというか、何をしていても同じだという思考を離れられないことだった。それにしても、何もしないは何もしないでつまらなく、また気が弱いゆえの肩身が狭い心地がするので、動かなければならないという思考は働いたままなのだが。



夢:過去の自分(4歳位か)が、夜11時頃、修行の場であるスケートリンクから脱走を試みる。恐ろしい煽りを母親から聞いてつい反応してしまった。一番近かった窓を開き、雨戸を開け、逃げる。停めてある車の助手席側のドアがなぜか開いていたが、鍵を持ってなかったので泣く泣く脇を通り過ぎる。家を出て右に曲がりあてもなくただ目の前の恐怖から走って逃げる。右隣の隣の隣の隣の、別荘とは言わないまでも普通の一軒家と同じ大きさの隠れ家的な家にたまたま帰ってきていた所ジョージに「すぐ帰るから一瞬だけここに隠れさせてください」と言って頼んで軒先?の車の陰に隠れていた。会ったことがないのに見覚えのある顔で深夜車の掃除をしていた。薄水色になった、ミッキーの耳みたいな形のフロントライトのついたクラシックカー。おそらくちょうど帰って来たタイミングと重なった。彼は訝しむ目をしながらも、何かを察知してくれたのか、或いは話のネタになる臭いを感知したからなのか、ゆっくり二回頷いた。下は芝生。道具を置くための区画なのか、白い四角の一角をつくる二辺がその地面に突き刺さっていたのをなんとなく覚えている。その辺と、隣に停まっている車の間に身を潜めた。身を潜めるほどの隙間ではなかったが、せめて前の通りからは見えづらいだろう位置に座る。
ミツバチが1匹、抱えた膝の真ん前を右へ左へ飛んでいた。1度刺されている身としてはこちらに向かって飛んできて刺すかもしれない恐怖があったが、追っ手に見つかるよりは刺される方がマシだった。
親父が前を通り、一度は通り過ぎたが、珍しい車を普通より長く眺めた後に「あーれ見つけた」と言って身を潜める私の目の前に現れた。その姿は数十年前の彼だったため、冒頭は昔の私ということになる。何処で昔と思ったのかというと、出て行くときは今の自分だったのに、目の前に現れた親父が明らかに若かったからだ。若いと判別するのに足る服装、具体的には英語のプリントが書かれたロングTシャツに白いバンダナみたいなのを頭に巻いている出で立ちだったためだ。そして何より顔。顔が若かった。捕まった瞬間、「なぜ分かった?前からは見えないはずなのに」「死んだ」と思った。



正直春日語講座すきだし戦慄の腰掛け楽しかったから作り手にはなれないと思う



夢:母親から優しく「異性に積極的になれ」との説教を受ける。ログハウスみたいな所で弟の名前の入った太い鉛筆が出てきて、2人で懐かしむ。また河合塾のB5サイズの資料集の表紙が壁に貼ってあり、その下にご自由にどうぞと並べられている。河合塾の文字列とロゴを懐かしく思う。



中居くん声汚ねェ



「長生きしてください」が失礼になる時代も近いか?
コンビニが美食家を育て



いつ死んでもいい。なるだけ生きたい、親の死に目は見届けはしたいけど。遺言始



夢:偽装うたた寝をする。パソコンのデスクトップから、笑っていいとも!のタイムフリー配信のショートカットにカーソルを合わせたところで寝ているのをふらっと広間に入った弟が見つける。その後洗面所にて、弟が母に上のことを引き合いに出して会話するのがわかる。「表では暗いけど裏は明るいのかもしれない」とリークしだしたそのタイミングでそこに割り込み、タオルを探す素振りをしながら「明るくはないけどね」とつぶやく。中々タオルが見つからない風に、引き出しを開けて腕を奥に伸ばす運動をするなどして1分弱ほど間を持たせ、その場にいることで会話を遮断したのち、広間へ戻る。起きる



ブラックサンダーブラックサンダーでなければ駄目で、アイスとか味変をするのは邪だ
ところでこんなに色んな企画やってるの初めて知った。



こんなに曇天が続くと間違って「早く夏にならないかな」と口走ってしまいそうになるが、暑苦しい夏が来るくらいなら梅雨のままの方がいいに決まっている。だから無い物ねだりのそれが頭を擡げるたび常にこのことを言い聞かせる。



先日の京都アニメーション火災の事件。こういうのをみるにつけ、伊集院氏の、自身がヘルニアになった時のエピソードトークを思い出す。社長が「世界中からの温かいメッセージが支えになっている」とか言って。跡地は公園にしたいとか言って。この感じ。今から足切る人にとってそんなメッセージ……とか考えると、世の中に対するおのれの無価値を思い知らされ、世知辛い。



夢:ゼルダの伝説の見たことない作品をやる。途中父親が帰って来て嫌だったため、共用の自宅のテレビでやっていたんだろう。



面接するなら平手打ち20発のがまし
やっぱり15発



何だかんだ言って果物の中で葡萄が一番すきかもしれない



夏休みということで
死んだら一生夏休み、なんて言うのも一理あるな〜、と
だってこれを批判するのは単に現世が楽しい人だろうから
あとは「死にたい→生きよう」が美談みたいに持て囃されるのが想像に難くないところとかも一理を補う要因



午後11時45分頃、ガラガラのスーパーの駐車場にそこそこ大きいカブトムシの雄が。久し振りにみた。駐車場は危ないので、近くの等間隔に植わった街路樹のような木に逃がしてやった。が、だんだんと、その木に移しても樹液は出ないだろうし移動するにも車に轢かれそうだなどと思い至る。道路を挟んだ向かいのそこそこ広い公園の木に移してやろうと、買い物後にその木に戻るも見当たらず。時間帯や通行人の目なども気にしてしまい、仕様がなくその場を後にする。今も後悔が残る。



自分のことについて1から10まで言いたくない性格は、昨日何を食べたかから、家族のことや性癖まで、他人に話すのが嫌なのだそう。TPOや話す相手(それが親族だろうが職場の先輩だろうが、あるいは担当医だろうが)を問わず同じテンションで嫌気がさし、また塞ぎ込むという。2019年の日本にいて、他人に対して怒声を浴びせるじじいに遭遇し、正直それが羨ましくさえ思った、と。



伊藤光 伊集院光



改めて、外ではスマホをあまり見たくない。持参する本も読みたくない。うまく読めない、落ち着いて読めない。



生きていると不健康になる。働くと、コンビニ飯や外食をきめたりコミュニケーション能力を高める代わりにビールを飲んだりして痛風になる。運動不足と不規則な生活で糖尿病になる。引きこもっていると、不摂生にストッパーが効く分、病気になるまで振り切れない。生きていると不健康になる。贅沢病?矛盾?ラスベガスにはあまり憧れない。←後から「あまり」を付け加えてはぐらかした。それは引きこもりよりはマシだと思った、思いつきから。
人間の寿命は最高5〜60年で十分か。生き長らえる20年そこら(80〜100歳)はただの金蔓、無意義か。
健康は良いが、ただ長寿なのは虚しいことなのかもしれない。大食い、スプリンター、長寿みたいな。芸の一なのかもしれない。2019/07/27記す。



お菓子の名前 案:食えよ唐辛子



たしかに若林は岡村路線かもしれない、一人でもやりそう kwann2019/07/27



歌の名前 案:What is a Fake music station?



おのれの面を見ては死ね死ね死ねと呟きたくなるその勢いを別の行動のモチベーションに変換していけたらな



◇天津丼(1〜2人前)
水3〜400mlくらいを沸騰させ、その中に玉ねぎ1/4〜半個を繊維に沿って細く切ったものを入れる(→熱が通った玉ねぎが好みの状態になったら、適当にニラなどを入れる)→中華のもとや塩胡椒などを入れ、味付け(味見もすると良い)→片栗粉パッパッくらいの量を水少々と溶き、具の入った熱湯に入れ、とろみをつける。(とろみが足りなければ適宜水溶き片栗粉を追加する)タレ完成。
卵2個を溶いて熱したフライパンへ→フライパンを傾けながらいい感じで熱し、お好みの具合になったら火を止め(半熟くらいにするならほんの20秒くらいで良い)、適量をご飯の上へ。タレをかけて完成。



小説を読むのがキツい。拘束時間のせいか文章構成の妙か、両方共か、読み進めるほどえぐられる心地がする話。ポリティコンや他人の顔がそうだった。仕事終わりに10km走るのよりキツいかもしれない。活字を欲するなどといって好んで読む人の気持ちはわからない。
辛いことから目を背ける癖の好例なんだろうか。そう言われてしまうと躍起になって苦しみながらも読み切ってやって、でも大した感触は得られず、時間が無駄に……ってそもそも有効に使う時間なんて持ち合わせない人間だった。



(敬称略)



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