今週思ったこと
においを物体化する、あるいは視覚化聴覚化触覚化する。(味おんちは味覚化はしない)
男に生まれたので雄々しく生きてみたかったことは確か
闇鍋っていったら、鍋はしっかりしていないと駄目。闇鍋でも鍋だから。by若
関係が冷え込む、なら21C、ちゃんと前もって着込んでほしい
企業の社長が挙ってやる新サービスの発表会がどうも駄目。ジョブズの千番煎じのくせにイロニー(from文芸漫談)が感じられない。今の資本主義は、ここでつまづいてはならないと要請する。
夢:日曜芸人がやっている裏番組で、巨人戦。打席に入る重信選手が新選手会長になった、とのアナウンス。その打席は内野ゴロで珍しくゲッツーだった。
夢:弟とその友達と私 @弟の部屋。正午頃。弟は机に向かって勉強していて、友達は椅子かベッドかに座っている。私は立っていた。無理をしているわけではなくて立っていた方が楽だった。昼の情報番組でタレントや芸人が街中で玉乗りをしている。
何らかの流れで、弟が野球の内野手がゴロを捕って投げるまでの動作を繰り返しながら、何か話している。それに対して、
私「円環するように、というか。たとえば薬を飲むって、まず薬を開けて手に持って口の中に放りこんだら、水と一緒に飲んでしまう。別に飲むのがあるときは、これをまた最初からやる。これが薬を飲む行為ということで、一つ一つがスムーズに流れていかないとダメなんだよね。あのさっき考えてたんだけど。」
他詳細は忘れる。
金撒けば霊魂(あにま)集いし都かな
人の集いし/生命(アニマ)集いし/奴隷集いし
奴隷虫/都かな/裏切り/腐敗臭/ごみの山/墓場かな
TBSラジオにて『ラジオアーカイブ』という番組が放送されていた。「記録を保存・活用し、未来に伝達することを『アーカイブ』と言いますが、タイトルの通り、過去に放送された、たくさんある番組の中からよりすぐりのものをご紹介していきます」とのこと。
それを聞きながら次いで、馬鹿力で伊集院氏がフリートークのネタにしていた、TBS局内のトイレのドア前に付いたiPad大の使用状況が確認できるマシンの話を思い出す。
つまるところ、夜電波が終わった分の上がりはそのトイレ経費に含まれているのだろうかという疑問に収束した、ということ。
ほんとのことは小人を救うだろうけど、
薔薇の棘に包まれているね
そして、
優しいほんとはごく稀少だね
先輩から後輩へ
「日、ズラしちゃってごめんな」
→得するのは誰か、損するのは誰か
強いられる自由v.s.自主的な強制
ゆとりv.s.イチロー
2019/03/03の日晷の飲用(一分集成)
浴槽に浸かりながら(日常に有り難いこの上ない幸せとはおそらくああいった具合の気持ちになることなのかもしれないと反芻できるひと時だった)文學界2018年3月号に寄稿された筒井康隆の掌編(短編かも)を読む。書き出しの「どうも今晩は。老年の希望の星筒井康隆をやっております筒井康隆です。」が頭から離れない。勉めが足らないからか或いはそもそも先天的に文芸のこころを持ち合わせていなかったからかは知らないが、兎に角川端康成の有名な冒頭よりもこっちの方が圧倒的にインパクトがあり良い。勿論私感だし読書嫌いの戯事には違いないのだけども、それでも今日直接的な衝撃を受けたのは事実だし脳内で雪国のそれと比べたのも事実だから、 これらは今日起こった出来事として来たる恥ずかしさを恐れずに書き留められなければならないだろう。そういうことのために日記をやってるからね。なおこの作品『ダークナイト・ミッドナイト』の、ラジオDJとしてトークをしている設定は、著者がTBSラジオ菊地成孔の粋な夜電波という番組のムック本を読んだ影響を受けているものと推測される。
(∵菊地のblogに本作の話題が出ていたし、何より番組終了間近に筒井がゲスト出演したのもこのムック本を読んだこと(≠番組を聴いたこと)がきっかけだったと(確か本人自身が)番組内で言及していたから)
メインストリームに対する恐怖、調子にのる将来とその将来性に対する恐怖、推定できる何者かになることに対する恐怖
日本では個人的に稼ぐ方法を整備するのがあってるのでは?
アメリカンように一つの理想のために結社したりするモチベーションてあんまり湧いてこないから。Twitterとかメルカリとか見ても、交流する両者が匿名なことが(運営に身バレすることより)大事だし、LINEとかもそんな感じ。オタク活動は小規模からゆる〜くスタートするもんだし。転職支援よりも掛け持ちのしやすさ、副業の自由とかの方がやっぱり性に合いそう。私感。
広告は、市場調査しているとはいえ確実性に欠けるビジネス?
メディアの数は限られているのに、確実に得をするのはメディア側で、広告を打つ沢山の企業は莫大な費用がかかり且つ確実にリターンがくる訳じゃない
∴今の広告ほど広範囲ででかい金を動かすビジネス方法ではない、規模は小さく且つ確実にリターンがある手法とは
『子供の科学』って雑誌を2冊読んだ。小学生向けに編まれたものなのだが、これがめちゃ楽しい。小学校の図書室の広々とした机の上で百科事典をペラペラやったときに覚えた原始的な楽しさがよみがえる。どうやら、あるものに関して(ここでは理数分野に関して)無学の大人はつまり子供と同義であるという道理で、見事小学生へのアプローチと同じ道筋をたどって需要が喚起されたらしい。(ナウい21C型資本主義に即すと厳密にはそうでないのかもしれないが。例えば見開きの手品特集や、昔進研ゼミの案内冊子で見たような巻末の漫画などには興味が湧かない。個人に突き刺すビジネスモデルなんでしょう最近アツいのは。)(なお言うまでもなく、こういう自発的な横断運動が刺激的なのだから仲介などせず取り次ぎなどせずあるいは誂えなどもせずくれぐれもどうかこのままで……ってことで。為念。)
直近ノーベル賞の内容解説や毎月10ページの特集記事はシンプルに知らないことを知る機会になった。私の読んだ2冊の特集は、「地球環境問題とテクノロジー」と「生物絶滅のミステリー」。前者はミドリムシを中心としたバイオマスエネルギーや温暖化問題に対するジオエンジニアリングなどの紹介、後者は地球上の生物の歴史は絶滅と再生を繰り返しているという観点を化石や地層から読み解くさまをうつしたものだった。
また内一冊には、巻頭にて先のノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑氏の受賞理由(「免疫チェックポイント分子阻害因子の発見とがん治療への応用」について)が平易な言葉と模式図で解説されており、素人がその概要を理解するのには大変助かった。タイトルの「子供」表記にも個人的には好感が持てたことを追記しておわり。
(敬称略)