ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったこと

スーパーとかのポイント制度はなにが直接のきっかけでできたんだろう
IT



肺炎のじいちゃんを慰めるときと同じ口調で話される



夢:バスの後部座席(後ろから2〜3列目くらい。曖昧。)に乗っている。近所に座っていた人がニコ生で配信している。その後なぜかその人の配信に参加して、事故的に顔を晒してしまい、コメントで顔バレを注意・心配される。
(2019/06/24追記。バスはオムニバス(omnibus 全ての人のための)の略語by馬鹿力)



NBAペリカンズは、MLBオリオールズに倣ってかわいいペリカンのキャラを作るべし、そしてロゴにするべし



夢:ハライチ岩井がサッカー選手のように引退を発表、会見。澤部にはエールの声。in 2019



どっちでもいい状態≒無敵状態があると強い
伊集院が「綿密な旅行の計画が一瞬で破綻したときそこから本当の旅が始まる感じ」と言っていた
そのある種失敗した旅を本当の旅たらしめる作業があればの話だが。強いて言えばそれが無敵状態になるまでの厳しい道のり



日本ハムの清宮とヤクルトの村上、一本足で立ってから右足を踏み出すときの姿が美しい。構えからボールを捉えるまで頭が全くブレない。



統計的に、新しいものを欲しなくなる年齢はおおよそいくつぐらいか。また新しいものが欲しいピークはいつくらいか。
金の回り方、稼ぎ方について



伝染るんです』的な発想でセンスを見せるタイトル案ならまだ新しくてマシ



金銭的な見返りがないと全てが動かないんじゃないか
これが不安に



20190618-20両親の結婚記念日を祝う伊勢志摩旅行に同行。3日間は天候に恵まれ、梅雨時期にも関わらず雨には降られず、暑かった。以下すべて帰宅後に記したもの


海面付近を旋回する海鳥3羽ほどを見て、ああやって生きたいと思う。彼らは私(ら)に対して決してショーを見せようとして飛んでいる訳ではないのにも関わらず、私(ら)は彼らの様子を見て、非日常を感じてしまう(or感じざるを得ない)。自然の一端をのぞくだけで、それは日常茶飯事だろうに、海を渡っているんだと思わせ、続けてつまり旅行に来ているんだというバカンス気分を反芻させる。そういう、自分の自然を全くの別物に対して表明することで(予期せぬ)恩恵を得るような構図がとても魅力的だと思った。@伊良湖フェリー帰路(2019/06/20)


引きこもりの気質は今後も変わらないだろうが、例えば、好きになった人から隣りに自分がいることで恩恵を受けられたり楽になると言ってもらえるとしたら、その人のためという言い訳で外に出られるかもしれない。このなりこの容姿を隣りに置くことで周囲の視線を回避できる・コンプレックスを紛らわせる、と言ってくれる機会がもしあるとしたら、その人とその発言にかこつけて私もまたコンプレックスを紛らわせると思う。芸人を目指す人はそういう心境に近いんだろうかとか考える。同じく帰りのフェリーの中、海の波間とかをぽけ〜っと眺めながら


夜8時を過ぎて高速を降りた帰り道、カーラジオから流れた『A Lover's concerto』 / Sarah Vaughanが、ウイニングランを思わせるような、これが最後の幸せな旅行になるような、そんなお膳立てをする歌に聞こえてきて、残酷さにとりあえずすべてを止めたくなる。このままずっと色褪せないように、写真みたく3日を切り取って今すぐ静かな暗所に移したくなる。


温泉に行って帰ってきて体が綺麗になっていた
なるほど


気を使われることについて
親族の場合
他人の場合
知人の場合


親にとって私はクソアマなんだろうことがよくわかる
旅行に行っても車を運転しない(言い訳それは父が運転好きだから、そして一番運転が上手いから)
神社に参るとき、鳥居をくぐるとき、母がつっこみを入れるまで都度「はい帽子取って」などと一言ぼやきを入れられる(25)
最も近い、そして現状唯一の他人からの視点がクソアマなんだからクソアマが等身大なんだと思う
P高J低


◇美味しかった・印象に残った食事
父母共に、私からしたらグルメで美味しいものをよく知っている。TVやネットで情報を仕入れて目星をつけているそうだ。美味しさに感動したらリピート、或いは家で再現してみる(ex.下に挙げた鰹の漬け丼はリピートも自宅再現もしている)など、一食一食の食事をよく楽しんでいる。以下には、味音痴を密かに自覚しているのは隠して連れられた先で印象に残った食事を2つ挙げた。挙げる前にこれを言っては元も子もないかもしれないが味音痴をカムアウトした流れで正直に言うと、2食とも比較的空腹の状態で食事をしている。1位の朝食は、夕食をとって(そのあとラウンジでおつまみ程度に飲み食いして)睡眠してからの食事なので間はおよそ8〜10時間空いており、また2位は旅行1日目の夕方、現地に到着したその足で向かったので、朝おにぎり1個+昼2時頃コンビニのレーズンパン118円(税込)を車中で食べた状態だった。つまり腹が空いた分だけ美味しさを感じていたとも言えてしまう。これでは味自体にはさほど敏感ではないという自意識にちょっとした裏付けが一つ出来上がってしまうが、それにしても美味しかったし何より誰に勧めるモンでもないから、備忘録的に思ったこととして記しておくことにしたというわけだ。
1 ホテル内の朝食2回。2日目の和食と3日目の洋食、通常1食3000円超(通常、としたのは、宿泊プランが朝食付だったため。予約した父曰く、一休という宿泊予約サイトでホテルを予約する際に朝食付きにした方が安上がりだったそう)。和食の御膳は品数が多くて素晴らしい。英虞湾とそれを囲む森の緑がつくる景観を横目に、一口目に飲む味噌汁が美味しかった。洋食は卵料理の選択、フライドエッグ(目玉焼き)を選ぶ。左右対称な二個の半熟玉子は裏に焦げ目なく見事に焼けていた。両食事にはサラダやフルーツ、パン、飲み物、デザートといったものをバイキング形式で取りに行けるサービス付き。これがまた良かった。選択の自由の幅の広さが幸せな気分に直結することを思い知る。和食の日は品数が多くこちらにはほとんど手を出せなかったが、洋食の日はメインの卵料理と付け合わせの野菜が少しだったのでより楽しむことができた。小松菜やブルーベリーのスムージーやシリアルブレッド(?)(程よく硬いバケット型のパン、自由な大きさに切れる)、バターの味が濃いクロワッサン、ワッフル、サーモンなどが美味しかった。 朝から紅茶のストレートを飲めるとはまさに非日常的な享楽、というかそもそも水以外の飲み物を飲むこと自体が非日常だった。また、ミルクとパンと相性が私にとって改めて良いことを知った。(p.s.ホテル内はフロア毎に異なるいい香りのする何かが焚かれていて、非日常を演出するのに嗅覚もハックしてきていた。この手のことは当たり前なんだろうが、何せ初めてこういった露骨なおもてなしサービス(ex.いってらっしゃいませとか言われて頭を下げられる)を受けるホテルを利用したので、カルチャーショックというか新鮮だった。ラグジュアリーを垣間見た。)
2 おかげ横丁で食べたカツオの漬け丼。初日の夕方、5時に閉店するところを3分前の4:57に到着し、店先の看板をしまっている店員さんに無理を言って半ば強引に席に座らせてもらった。注文受けや料理の配膳などに当たってくださった女性(バイトだろうか)は素人相手にも嫌な顔一つ見せず、日暮れを前にした終業時間ぎりぎりの来客にとても丁寧に応対していただいた。頭が上がらない。引き戸を開けていただき、五十鈴川が流れるのを眺める。誰もいない客座敷に時折聞こえる風鈴の音が趣深い。とてもいい。肝心の料理。グルメの両親が言うこと、無論美味い。鰹の臭みが全くなく、薄い醤油色をした酢飯と上に乗った細長く切られたきざみ海苔、紫蘇の葉との相性が抜群。海苔の味噌汁も美味い。一番小さな梅コースを急いで食べたが、それでも美味いと思った。感激する接客を受けたから心理的に引け目を感じてフォローの立場についているのだろうか。(21Cだろうが人間動物、御恩と奉公的な心理、ハレとケ、日本的美意識、なんて)食に対してさしたる執着がないからだろうか。いずれにせよはっきりもう一度行きたいと思った。


横丁は閉店時間になると軒並み後片付け、店仕舞い。30分もすればたちまちお客も消え、通りはがらんとして、とても良い。ついこれが健全だなどと口走ってしまった。


地方に行った時の楽しみといえば地元のラジオを聴くこと。radikoを使うと、タイムフリー機能でその地区の番組を1週間分遡って聴ける。これがシンプルにあがった。
聴いた番組…うしみつどきどき!#むかいの喋り方、呂布カルマの1.5hの番組、流れ星の2番組、浜崎美保さんの5分番組、いきものがかりのgarden party、その他FMの有象無象。



(敬称略)



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