ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったこと

歌って、みんな良く聞こえる。悪い歌って見当たらない。♪マンションのことなら長ッ谷ッ工〜、怖い。
悪い歌を作ろう!


旦那さま、堪忍袋のスペアをお持ちいたしました



YouTubeにて往年の名曲を聴く際に、合わせてコメント欄をのぞくと、もれなく同時代に生きた諸先輩方の郷愁の声を聞くことができる。その文章はときに文章とも言えないほど読みづらく(誤字脱字・読点が無いor無駄に多用される・不思議なところに空白など)、文末に絵文字が付されていればよりぎこちなく映る。身の上話をはじめ、自分に酔った文章であることが多い。失敬千万。
そんな彼らに思ったことは、文章の上手い下手、そんなことよりももっと身近な幸福(自身の幸福)に適合しているんだろうということ。まったく恐縮だが、羨ましい。
「開かれろ」という世の中のクセに、「自己満足を極めろ」と世の中が言う。体を分裂させて開かれ役と閉じてる役になって働き、毎年正月には実家でいっしょに……とはいかないものだからなぁ。



競泳の池江璃花子選手の報を聞く。俺に罹ればいいのにという気持ちになる。悪魔が迫って来れば咄嗟に逃げてしまうから、そのシーンは挟まずにスッと。つまらない自虐。



A「交尾してる猫に水ぶっかけるようで申し訳ないけど、」
B「ああ。」
A「俺ら、よくなってないよ。」
B「ギニャア”ー!!」
A「比喩が進化した(笑)」



衝突死 遺族「一生苦しんで」|au Webポータル国内ニュース
未成年の死亡事故をめぐる被害者加害者遺族の裁判に、今国民が備えるべきとされる道徳のかたち(コード)を読み取れる。
例えば損害賠償を請求する被害者遺族が加害者家族に向ける「一生苦しんでほしい」や「堂々としていて反省の色がない」という言葉は、(ニュースメディアに乗って流されることでより確かさをもって、)日本人の'情'の本音を言い表す。上述した「」の言葉は、裁判で勝って金を払わせるための正義としての言葉か(つまり身内を殺されたら至極当然抱くべき感情(国民総意の)をそのまま言葉にする権利の行使なのか)。
気になるのは「堂々としていて反省の態度がない」という発言。反省するのは当然として、堂々と目に映ったらそれは反省していないことになるのか=日本において犯罪者は一生涯堂々としてはいけないことになっているのか。



同じ部屋にいたやつが病気になったからっていう理由で処分される豚の気持ちってどんなだろうな。
ねーか気持ちとか。



EASY BUSY

EASY BUSY

GONTITI『EASY BUSY』のCDブックレットの紙質がいい



好きな色に、すみれ色(violet)とエメラルドグリーンをツイカ



tribe化社会
子どもは不要(∵人間社会においてリスク増)
愛でるもの(愛玩具、ペット)としての子どもという役割が子ども存在の生き延びる道→継承者がいない→世襲制封建制?→養子や里子増?
回る



闇はなぜ黒く、人間を盲目にするのか?



功利主義な態度が良く作用する場面もある。
政府は2019/02/15、オリンピックを前にアイヌ民族先住民族と初めて明記して、地位向上を図ることや交付金創設を盛り込んだ法案を成立させるらしい。これには、2020年のオリンピック開催を前にしたポーズの意味もあり、またロシアへの牽制の意味も当然含んでいるとみて差し支えない筈である。アイヌ文化・民族にとっては、外的要因からであれ状況が改善されたのは喜ばしいことだろう。
ただやっぱり引っかかるのは、何らかの見返り(それは形には見えない名誉か、もしくは現金になるかの利得)がないと何も動かさないし動かせないという現代に主流の思想の歪さだ。利得(の確証)で動いている世界は、その先に何を見出すのか。ない頭で考えるなら、小規模には『万引き家族』である彼らのマインドが、近く、多くのコミュニティにも充満していくだろうな、と。



タイトル案:
「ラフランス帽を被ったら仕舞い」
「鳩を二羽放せ」(鳩を二羽放すように部屋を出て!)



巨人・丸佳浩選手、一部で言われているようにガッツ(小笠原道大元選手)オーラありますね



他人の顔 (新潮文庫)

他人の顔 (新潮文庫)

文庫版『他人の顔』 / 安部公房 p.164 l.3-4より
「しかし、娘の沈黙には、無視して通り過ぎてしまうには、やはりなんとなく、こだわりを感じさせるものがあったのだ。」
普通、「〜無視して通り過ぎてしまうには、やはりなんとなく、"勿体無いと思う"こだわりを感じさせるものがあったのだ」のように、「無視して通り過ぎてしまうには」に対応する句(""内のような)を後ろに補完してしまうだろうと思ったのだけど、著者はそれをしないで、敢えてか(敢えてだろうよ)、欠けた文にしている。素人には不思議なことに、欠けたままでも一文の意味は明らか通っているのがわかる。これが推敲の妙というやつか、これが文芸なのか。オレには……書けない……。(バタ



例えば生き物の学名とか読むときカタカナと英語の表記が両方あったら、なぜ英語のが読みやすいんだろうって思ったけど、アルファベットの方が音を刻んでるから(1字に対する1音の荷が、アルファベットよりカタカナのが重いから)だってすぐわかった



江の川高校って語感良い。ひらがなが一つ入る見た目もcharmin。



夢:マックにてダウンタウンがラジオ収録。浜田は500円のセット、松本はそれより簡素なものだったが詳細は忘れた。
浜田「500円落ちてたらな〜」
松本「ケチくさ!」
私もそう思った。



小さい音を聴くには、静寂が用意されなければならない。私は、定期的にでも小さい音を聴く人生が欲しいのだった。



(敬称略)



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