ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

光陰、ガチで矢のごとし

夢:野球部。黄色いスイカの一切れをもらって雑用。それを釈明するのに最初、一本をもらいましたと言い、いや本て無理があると思い、ひと玉の内の一切れと訂正する。起きる

多くの中の一つに従事して、またそれは簡単で、生理的に安心する。部活動運営の建前でも個人にとっても正しいのは、自分が野球が上手くなることだ。飛躍にはここから自律的に練習しないといけないのは経験上わかる。が気質が本当に体を動かせるのか。またしても同じ課題に阻まれている。

過去に支配されている?

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ここ半年はもはや死んでいるのと同じな時間だから、黙っていても死がちらつくようになっている。希死とは違う。

(2022/05/17更新)


 カレー沢薫(原案協力/ドネリー美咲)作漫画『ひとりでしにたい』が面白い。1人の親族の孤独死から、肉親の介護や葬儀、お金、家族間・職場・恋愛における人間関係などの話題に晒された30代女性の主人公が余生を考える。
 情報&啓発漫画としてタメになる意味もあるが、たとえば「子ども部屋おば(おじ)さん」など、所々私的境遇にも重なり刺さる。知った陰口をいざ実際に聞いてしまった時の感じ。作者のwikiから辿ったら、どうやらなんらかの賞(詳しくは第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞4作のうちの一つだった。大賞は3月のライオンだった。)も獲ったらしい。たまたま読んだが当たり?なのかも。
 言葉選びとセリフ回しが作品世界を自信をもって形作って小気味よく進む作品が、面白いと思ったら実際に表でも評価もされていたという有り難い経験。ん?とちょっとでも思われるのはキズ。

 以下具体的な感想を思うままに放る。

いまだにどこのご家庭でも援助して孫の面倒見てくれるジジババの存在前提の社会制度!!そんなの今どきチートアイテムだっての!!
(第3巻p.112より引用)

に対する、

30手前まで子供部屋おばさんやってた人がそれ言うのか…………とは今は言わないでおこう」(同上)

みたいな心理描写は、おでこにブーメランを食らう簡易的な挿絵も相まって、性格とか価値観に基づく個人的考えであって決して非合理とは言えず否定できない。ぐさと刺さる不都合がこちらにあっても許容される考えだ。ここに、他人との関わりにおいて、良性悪性あれど印象やイメージというレッテルからは逃れられないのだなと痛感する。自分の脳内が自由であるには、相手の脳内も同じだけ尊重しなければならないのが平等というものだから。尊重する基準とは、合理的であるかどうか。ただしその合理というのは根拠が不確かでその時々で自在に変化するから難しい、というのは以前思考した。
 女の子の絵が上手くキャラ含め主人公の鳴海はかわいいが、男性の絵のクオリティはそれに比較して低い(/く見えた)。主人公から見える世界の男の造形に忠実とみるのが平穏な眼差し方か。
 風呂に入らないとはたしかに向こうからすれば非社会的だなぁ、清潔・おしゃれ・会話などは社交に欠かせないのだなぁ、などとしみじみ。生きとし生ける皆さん抱きがちな感慨「生きるってツラい……(トホホ)」がまさに。
 あと笑ったのは、家族ってこう!何事もなかったかのように事後を曖昧にする!事が起こったのも知らないプレーヤーもいて!まさにこれがリアル!ってハッと思い出すメタ描写(第3巻p.174)。いい角度のあるあるで膝を打った。

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なんて愚かなんだろうと

 未だ売れていない世界線星野源、もしくは芸術稼業を廃業した後の彼が、果たしてディスタンクシオンを読んだかという疑問。もし故津野米咲氏が生前にもっと売れていたとしたら、をたまに思う。人の、所持金と社会性の関係性について。
 わたしは読んでいないのではないか、辞めた後でも自己肯定感が高ければ読んだかもしれない、などと想像する。
 所持金の多寡が自己肯定感に正比例する心理現象は、所持金が無いと自己肯定感が低くなる側面のみが問題だ。自己肯定感が高いのは、基本的に両手を上げて良いことだから。ということは所持金が少ない人用の、所持金の多寡によらない価値観の用意が貴重となる。ぱっと思い浮かぶのは芸術。お笑いは最たるもの。音楽もそうかも。金を使うほどいい音楽ができる、とはあまり聞いたことがない。それは音楽界隈の人々の嗜好が、金を使った、いわば成熟した音楽を必ずしもゾッコンしないからという風土のようなものも理由かもしれない。

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