(2021/06/18更新)
私には意図的に自分に理不尽を課す癖があるのだが、ふと、これが物事を決められない性格を助長しているのかなと思いついた。
理不尽とは例えば、散歩中に緑道の標識を横切るとき、一旦左側を通過したのを数歩無駄に費やして戻って右側を通り直したり、階段を上るとき片側の足に全体重をのせて踏み上げるように上りたくて、その踏み上げる片足に満足いく自重が乗らなかったときは時間を捨てて下りてやり直したりする挙動のこと。なおその時の心の動きを言うと、この無駄な動きについては、無駄とは言うものの自分の中では時間を浪費する罪悪感などは全くなくて、大袈裟に言えば私を私たらしめる訓練として進んで受け入れている心境だ。
何でこんなことをするかっていうと、心に常にハリを作っておきたいからだ。潤いとも言い換えられるかもしれない。こう、何か出来事が起こったときに、心に弾力がないとその出来事によって心が望まずに折れたり歪んだりする気がして、そこで生じるだろう痛みが怖くて、とりあえずはそういった出来事が起こったときにも心が変形しないような準備として、日常的にささやかでも意図的に理不尽を自分に課すことで、弾力を保とうとしている。この度はこの習慣が心に、具体的には今から一応は人生をやるのに、負の影響を及ぼす/既に及ぼしているのではないかということを言っている。