ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

金とヒト

金と自分についてよく考えます。金は、現代社会ではあるに越したことはないけれど、その金欲しさの膨らみ具合ってみんな同じなのかな?とか。まぁ、同じじゃないこと証明してもしょうがないかもしれないけど、金と、人生の過ごし方というか身の振り方というか、そこのバランスを幸せとリンクさせて考えんのは重要だと思うんだけどね。そこは人間の社会、アレンジできないものかね。今の社会だと「世の中に・金に振り回されてたまるか!やりてえことでサバイブしてやる!」って考えは、個人レベルの器の話に終始しちゃう。もちろん身の振り方は個人で決めるものだから結局はそうなんだけど、なんていうか、言いたいことが自分でもはっきりとわかんないんだけど、なんか自由だ自由だっていう割には、身の立て方とか生活スタイルが数種類に分けられるというか。類型化のメリットもあるよ?なんも考えなくてもある程度皆と同じように生きられるってシステムは、社会不安のない健全でいいものだと思う(そんな状況でもないのかな、楽観しすぎかな)けど、なんだかねーもうちょいどうにかならないのかなあなんて思います。

歌舞伎町俳句一家・屍派 - ハートネットTV をみながら

これは途上国の話(dake)ではない。日本における話で(mo)ある。


人間の命の重さは本質的には皆平等なのに、である。生まれる時期・土地・身の回りの環境といった運命的な要素によって命の大小が決まるかのように社会が回る。非常に辛い。しかしこれには抗えない、今私には答えが見つからない。


新自由主義的資本主義は、欲望に任せて、食う。もう余程の地球規模の天変地異(人類の3/4が死ぬ等)が起こらない限り、この資本のコモニズム、一般知性および大衆知性の収奪(=寝転がり労働、人間草としての労働)の駆動輪は止めることができないだろう。必ず絡め取られる。一方で私たちは、この現象のお陰で、イノベーションの指数関数的な発展の恩恵にあずかった快適さを存分に味わうことができている。数年前からは格段に向上した「便利さ・ラクさ」を簡単に感じることができている。私たちの手で「便利さ・ラクさ」を生み出し、支えている。ここは、その「便利さ・ラクさ」は本当に全個人の幸せなのか、という話。


最大多数の最大幸福。今の多幸感を大事にするために、近い将来の誰かを確実に殺す。間接的に。完全犯罪で殺す。みんな、生きるために殺す。人だから。これは歴とした世界に貢献する営利団体の合理的行動である。規模による影響が大きすぎる。生きるってそういうことだよっていうのは分かるけど、大々的すぎやしませんかと。 (殺すというのは比喩でもあり、字義どおりの意味でもある。)


どんなことが幸せなのだろう。非常に便利な世の中を私は享受しているが、これは私にとって最上の幸せなのだろうか。なにもやることがないから、何となくよく考える。私は一人。社会の中にいる一人、いわば社会の歯車の一部。この小さな小さな歯車は、幸せに回っているのだろうか。高速回転しているようにみえて実は逆回転していないか。断片的な幸せがあるなら最上は求めるものではないかもしれない、そもそもこの歯車は回らなくてもいいものなのだから。でも、どうしても考えてしまう。もっと満足できる幸せはないのか。私のための幸せはないのか。私はあなたと同じように欲望があった。そう、今わかった。私は残念ながら、私の嫌いな動物、人だった。


誰かの幸せは誰かの不幸せの上に成り立つ、これは真実か。私には、皆が幸せになれるいい案が思いつかない。しかしこの状況を私は改善、場合によっては打開したい。私たちの動物的欲望(支配欲)はそもそも抑えるものではないのか。止められないのなら、人一人一人の一生の内の、幸せだと感じる比率を今以上に上げるための方策はないか。欲望の方向を事前にコントロールできないか、それで今より幸せは増えないか。私は引きこもり気質だけどぜひ一緒に考えたい、考えさせてほしい、アイデアがほしい。お願いいたします。

What do you think about CAPITALISM?

【12.07更新】
皆さんは資本主義をどう思いますかʕʘ‿ʘʔ

突の然ですがっ



postscr/pt
私は現行の資本主義にも欠陥があると思っていて、どこが気に食わないかって言うと、

I think that the current capitalism is flawed,so I tell you what I do not like.


お金が全ての人にとっての価値の基準になってるトコロ
つまり、
金がないと何もできない⇄金ばかりが交換価値として優遇されてるトコロ

The money is the standard of value for all people
In other words,
we can NOT do anything without money ⇄ Only money is preferential treatment as exchange value




お金は今世界規模の統一的な基準であり、市場のやりとりをする上では非常に有用でかつ不可欠な制度。
だけどこれ、トレードオフ。誰かが得れば誰かが失う。失えば死ぬ。得るために殺す。金を得ることにそんなに駆られていない立場でも、統一的な基準(他の選択肢が閉ざされている)ゆえに、金を得ることにしか目を向けられず、結果的に殺す動機がはたらくという自然。(軍需産業を想定)

Money is now a unified standard on a world scale, a very useful and indispensable system for market.
However, this is a trade-off. If someone gains wealth, someone loses. If you lose, you will die. Kill to gain. We cannot get out of logic of deprivation. Even in a position not so much driven to getting money, because of unified standards (other choices are closed), it is a natural that you can only look at getting money and motivating you to kill as a result. ( ˊ̱˂˃ˋ̱ ).。oOAssumed military industry...



これだめじゃね?

This is not good, you know?


どうすればよい?

What should I do?



対処は、個人レベルで始めるしかないのかな。
というのも、個人でシコウが違うから。ここがヒトならでは・頼みの綱。pricelessなものに従事することも、お金のために働くのと同じくらいヒトにとって有意義なはずだと思うんだけどなあ。この境地、一個人のたわ言を超えて意外に切り開けそうな気がするんだけどなあ。言うなれば、生きるために働くように、生きることで遊ぶマインド?

This problem should be dealt with at the individual level.
Because individuals are different from each other. This is characteristic of humans and our only hope. Engaging in priceless things would be meaningful to humans as much as working for money. I think that unexpectedly myidea seems to be understood properly rather than cheap. In other words, as you work to live, live while playing.


企業は人の塊で、それはそれでいい志なんだけど、やっぱ規模がデカ過ぎると個人が死んでしまうっていうのは逃れられないからな。これも歴とした死、小さな死なんだよなあ。これだと負の連鎖。死んでしまうと負の連鎖。負って言い切っちゃう。

A company is a chunk of people, of course, it is a good goal in it, but after all the individual is dead if the scale is too big. We can not escape from it. This is also a death, a small death. This is a negative chain. Negative chain work when you die. Say it as a negative.

ふわっふわ夢想

【12.09更新】

こんな
ことを
したい
という
やつ!

傷心 #とは

しょう‐しん〔シヤウ‐〕【傷心】

[名](スル)

中二の頃、初めて好きになったクラスの子のアドレスをgetした。「毎日はくどいから」というアドバイスを前略で知り合った子からもらったので、毎日メールするのはなんとか我慢した。恥ずかしいから学校の中じゃ間違っても声は掛けられない。でも、居ても立っても居られないからメールで会話をする。居ても立っても居られないから帰り道を先回りしてわざとすれ違うふりをしてそれをネタに会話する。メールで。気がついたら一日置きにメールを打っていた。


こう、一人追っかけをしていたある日。
朝、いつも通り登校して教室に入ると、どこからともなく何かを罵る声(スラング調)が聞こえてきた。男女問わず誰かしらの騒ぎ声のキャッキャしたやつが始まっているのは日常茶飯事。相変わらずの様子をまぁ気にするわけもなく、いつものように自席に向かった。


すると、だんだん雑音がはっきり聞こえだした。一歩一歩踏み出していくにつれ、耳に入る音は大きくなり音質はクリアになる。いつもと違う。
このぐらいから、あのときのざわざわが、ほら、映像とともに昨日のことのように思い出されてたまらない。さして出来事に深い思い入れがない、少なくともその覚えのない不感症な個人がこんなにも鮮明なフラッシュバックを認めるんだから、トラウマや精神病の類いの、症状が目に見えない傷・病は確かにあるんだと実感する。👻


っと9年後の自分が時系列の矢じるしの先から振り返ってることだけをいいことに偉ぶっても、フラッシュバックする画のなかでは、歩けば歩くほど純度を上げるクリアな音が、超指向性スピーカーよろしく個人の耳にダイレクトに届くという不思議をかき消すことはできなくて。(事実、当時の自分が歩きながら覚えた「何だろうな〜」って感覚を認識の端っこにそっと追いやっておいたくだりは今も改訂されないところで)


そうして入口から一番奥・窓側の列の後ろから2番目(だったと思う)の自席にたどり着きバッグを机に置いた。ふぅ、と落ち着きかけたそのとき、急に、そうこのタイミングで、カラーボールを当てられた泥棒の気持ちがわかった。


雑音は全部、思いっきり私への言葉だった(なぜ客観的事実と認識が噛み合ったのがこの瞬間だったのかは、いまだに理屈づけられずじまいでいる)。


そしてその一寸あとに続いて、降ってくる言葉の一つ一つが罵りのそれだということを聞き取り、思い出し、そうだ!とまたしてもその瞬間(これは明らかにこの瞬間でなければならない)、自分が自分だけのための精密機器として起動した。この精密機器が良くも悪くもうまく動き続けているから今こうしていられるみたいなところがある。


兎に角、周りに同胞を(身体と意識の両面で)したがえた彼女の口から、クラス全体に聞こえるようなデカイ声で、あからさまに私の彼女への追っかけ行為が、罵倒する悪事の正当性を噛みしめるいかにもな言葉で、糾弾された。

「気持ち悪りいんだよ。くんじゃねぇよ。ダセェな。きったねえ死ねよ〜笑い(黄色)」

多分そんな感じ。今までの違和感は綺麗に払拭され、そこに汚泥・生ゴミ放射性廃棄物・死んだ鳥の死骸などの、この世でゴミと呼ばれる色々がぶつぶつ降ってきた。夢見心地だった。


純粋だと思っていた好意が相手には不快だったことに初めて気づいた。だってメールではちゃんと楽しく会話できてたから。何せ初めて、他人に露骨に嫌われた態度を示された。当時は、今もそうだが、あまり態度や意見を表に出さない言ってしまえば内向的で無口な人間だった。恋愛の話がまわりで始まれば、「あぁ〜そうだよね〜」的な立ち回りをする奴として認知されていたし、自認もしていた。それが自分だった。そんな自分のプライベートが公にバラされた。大々的に。衝撃だった。初めてが当時曲がりなりにも好きだった人。踏みにじられたと思った。今でも忘れない。胸ぐらでも掴んでやりたい気は、、大人気ないが、なくはない。


その後、似たような境遇にあった相手と互いの傷を癒しながら付き合うといったドラマをどうして妄想し続けられないだろうか。


つまり、自由恋愛を司るハートの核心の部分に、彫刻刀の長くて鋭いやつを赤ちゃんがスプーンを持つときのテンプレな持ち方でグっと突き刺して、深くまで押して、テコの原理を使ってグリッとえぐり取ったあとに残るようなもの。またはえぐられて痛むようなこと。