ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

ここ2週間の思い出

(2021/10/01更新)


醜いくせに鏡をよく見ている。患部が露出しなくて安心しているのか。この動きも醜形恐怖を加速させているような。見た目とりわけ顔へのこだわりの表れ、ひいては完璧主義的側面(の弊害部)も見出せるから。



本性はわりあい荒い言葉遣いをする人間だったことに気づいた2021/09/25の声かけ時。頑張れよとか、な?とか



最後に食べた食べ物はおそらく、私が掬って口へ流したとろけるゼリーのマスカット味半分ほど。



介護者としては若いらしい。ケアマネージャーの言を聞いて。そりゃそうか



気合いや気持ちに関して、それを無意味無価値として頼らずに生きる人には関係ないが、意味がある人には意味がある。
精神論とは、「積極的に気持ちを強く持つことを推奨して、気持ちを物事の解決の拠り所にする考え方」と認識している。
周りに推奨する点で精神論は愚かであるという昨今のトレンドは了解している。しかしそれを除けば、現状私は気持ちのあり方としてこの考えを肯定する。強い気持ちを持つことで事態が好転する現実があるとして、どうしてその他者のあり方を、「客観的な根拠にとぼしい心持ち頼りだから」という理由だけで否定できるのだろうか。「お前も気持ちが大事だぞ。気合い入れろ、な?」は拒否してもいい。が、気持ちが大事である人のその考え方を、ややもするとその人の存在自体も合わせて否定するのに、「それが非合理で再現性がないから強引なので」と言えば済むのだとしたら、ちょっと傲慢だ。これは科学的な証明行為とは違う。これはどうしようもない人間存在を認める営みだ。

肯定と同意・賛成、否定と拒否は全く別物。肯定はすれど同意・賛成はしない、また否定はせずとも拒否はする、というのは成立する。



古いもの特に生ものは食うな、とははっきり目を開けて言われた。倒れられたら困るから、と以前から。



彼女曰く「あなたは何でも、こういう(人間の補助介護マッサージなどを念頭?)仕事でもできるし」続けて「バイトでもなんでもして、合わなかったらすぐ変えればいい。そういう時代でしょ?」
同じ話の流れで自立を懸念していた



俺ってもしかして、人と話すの苦手ではない?話せば通じるのは、彼女にまつわる、つまり背に腹はかえられない場面の体験を通じてわかっているではないか?



LINEでログを振り返る。残したくなるのは、きっと間違いなく私だけではないはずだ。あとでググる。ちょうど1ヶ月前、よく返信してくれていた。誤字脱字はなるべく避ける努力をしていたから、全体ほぼそれはなかった。ただ文字数や、絵文字や余分な改行の有無でその日の体の具合が察せられた。ちょうど1ヶ月前2021/08/26(木)は、その中でも体調が良さそうで、たまにやる病院食メニューの撮影をしてくれていた。快適そうだった。
(中略)
遡るほど今はため息が出て、繰るのをやめる。少しずつ読みたい。不覚にも一つの立派なクロニクルになっている。
2021/09/26 3:31、風呂前の、自宅部屋ベッドに腰掛けながら、両足の間に青いポリ袋入りの最期の衣装を転がした状態で記す。
もう必ず風呂にスマホを持ち込まなくてもいい生活が始まるんだと思うと、ハリがまた緩まる。今は寂しい。

2021/09/27 6:18記す。昨晩ググって、アプリ備え付けのkeepというテキスト形式で保存できる機能を使ってログを独立保管できた。形式はtxtだった。



彼女を残すために始めたレシピ書きがけっこう溜まったのがわかる。このレシピ群は望みの通り、思い出になった。ありがとう。今後も料理は好きにはなれないかもしれないけど、ずっと建前らしいモチベーションで言っていた通り。



本気で死ねと思ったことはなかった。が死んだらどうだろうか、はずっと想定していた。しかし想像力に乏しい頭、現実キツかった。
彼が自宅到着後のリビングでつぶやいた。壮絶だったと形容した。カテゴライズする脳が動いたのがわかった。これは壮絶と呼ぶに相応しいんだ、たしかに壮絶、いいね、言い得ている、と。



2021/09/26 2:50自宅にて記す。
約束した。新たなハリを、本来の性格を歪める形でもつまり積極的に模索すること。



約束したからには。
ハリがなくなったら、別のハリで埋め合わせる。いなくなって料理も買い物もしなくなったら、私の次の人生の始まりへ



辛くてもあくびが出る。昨日の午前3時過ぎから稼働中(=寝てはいない)だった。



2021/09/25 18:30前、心停止



結構くる。
申し訳ない。
しくじったのかもしれない。いや確実にしくじった。終わり方のシミュレーションを全くしていなかった。これは罪深い。
死に際にずっと上げた声=断末魔を聞く中、安楽死の是非を思った。こうやって肯定派に回る人は回るのかと。否定派は何だっけ、死にたがる人が増えるのが危険だからだっけ?そんなのこの光景、それも親しい族のを目の前にしたらどうでもいい、今すぐ楽にしてあげたい。ルールを乗り越えて特例を認めさせたい気持ちになる。可哀想だった。

彼が駆けつけるまで繋いだ電話の前、もう許してとも言った。処置中は今、すぐ、一番、強いの、お願い、と連呼した。苦しかったろう。謝った。
その日の朝ご飯のメニューをさらって食べるか聞いたら「しんどい」だった。
シミュレーションはするべきだった。死に際、この時はこの薬、こういう時はこの薬など。
実感が湧かない。2021/09/25 22:46 迎えの車が来る前の13階霊暗所にて記す。
こういうとき、後悔ばかりが募る。
思い出す。昨日のトイレ。車椅子で立ち座り、立ち座りで部屋備え付けの洋式便所に向かう。用を足して立ち上がる、その間おむつを持ち上げたが、腕や鼻につながる配線と、テープで脇を固定する仕様のおむつのせいで、看護師さんが履き直しコードの混線を直す間の立っている時間が相当長くかかり、その日の朝は比較的明らかに好調だったのに、それから一日疲れてしまった。疲れさせてしまった。看護師の愚痴を言っていた。「あの人は自信があるのはいいんだけど、時間かかりすぎだから本当に」(意訳)。私は手際がね、と相の手を入れた。筋トレになったね、と続けたが堪ったものではなかったろう。
たしか一昨日の深夜、兄弟二人の番だった。体が運動不足だったからかムズムズして、体を動かしたいと言った。背中から腰をいつも以上に強くぐりぐりとマッサージしてあげることになり、トイレに行く前の、ベッドの脇に足を投げ出す座位の姿勢に、なんとか私の補助で頑張ってなった。
全ての彼女にまつわる営為が明日からなくなるとは、全く想像できない。



事後直後に記す。2021/09/25午前5時過ぎ、孝行意識で足裏マッサージを終えた直後の彼女が、突然表情を和らげて曰く「動物の表情って、動物だけど、かわいい内面が現れるじゃない?そういうの観ても癒されるのかな〜って。自分じゃ飼えないけど。」(思い出して意訳)と。文の途中で内容を読み取れたとき、唐突すぎて寝ぼけたか、いよいよ夢現、川渡りを始める前兆か、走馬灯の始まりか、などと想像をする。が、それは話が突然だったので面食らうものの、話す文章は整合していたので、内心恐る恐るも話に二、三度頷くと、安心したように顔の筋肉を緩めたのを確認した。ので、当たった!「犬とか、猫とか」と相の手を入れると、そうそうと頷く。さらに「鳥とか」を加えると、「そこまでじゃないけど」と。「YouTubeとかでね、ちょっと探してみるよ。」毎日500ml生食点滴と麻薬や抗不安薬で痛みを止めながら、食事は果物かゼリーのみで、体がまさにゴールに向けてスパートしているところに、マッサージで気分が弛緩したのか楽天世界の顔が立ち現れたとみる。冷静に考えるとしかし半分は正気(=意思がある発言)があったのかもしれないとも思える。30〜40分後に血圧を測りにきた看護師との挨拶や応答は普通だったからだ。いかに。
可愛くなくてごめん!
2021/09/26 3:01自宅部屋のベッドに腰掛けて記す。川渡りの前兆との勘は本当になった、なってしまった。最期に来ていた服が汚れ物として病院の青いポリ袋に入って私の両足の間に置いてある。匂いを嗅ごうとして一階から持ち込んだ。開ける。柔らかめの固結びを解き鼻を当てる。頑張った匂いがした。化学製品ぽいのはベッドのせいか、それとも部屋から13F霊暗所に移動するまでに着替えるのに整えた身だしなみの整える用具等の匂いなのか。でも、この匂いは最初からしていた。
2021/09/27 5:24 自室布団にくるまって記す。一緒にいたから最初からしていたとわかる、だから「頑張った匂いがした」んだろう。



相手がひそひそ声だと、自分も勝手にひそひそ声にしちゃわない?



夢:「経血って表現の、『血』の字が特にあまり望ましくない。不快な表現を避けるための云々」と聞く。詳細は忘れた。
少し自分らしくない話だと自認しているからか、気持ち恥ずかしそうにトーンを落とし気味に、しかし滔々と話すさまは、ギャップ萌えというものだった。



2021/09/24 23時過ぎ。夜の交差点。オレンジの街灯が照らして、向こうに地下の歩行路に続く階段を照らす白い明かりもある。
静まりかえっている。まるで車が通らないし、辺りに人すらいないで、人為的な痕跡(明かりや大型バスやゴーーと鳴る音)があるばかり。もったいない。何でこんなインフラあんのに人使わないの。
夜はみんな寝るものだからとの前提のもと、人間活動が休止しているからに他ならない。昼はあんなに人が通るから、それをこなせる強度は保障されているのにも関わらず、今全くそれが稼働していないのがもったいない!(休みを入れるのはインフラの劣化を遅らせるためとの合理があるのかもしらんがそれは抜きに考える。)夜も動けばいいじゃん、カンケーないとこはカンケーなくね太陽あるなし。昼行夜行の利欠点はあるからそれぞれの性質をもって進化した生き物がいるんだろうし。
あと海。地球上にめちゃくちゃあるのに使い道あんま素人にも開かれてなくね?



相変わらず現場を守る医療従事者には頭が上がらない。なるべく慇懃無礼とみなされない努力を講じて、真の平身低頭を果たしたい気でいる。「頭下げてりゃ何でもいいってもんじゃねえぞ」と思われるのは心外で、それとは真逆の考え。



2021/09/24 22:02 傍らのソファに長座しながら記す。
もう短いだろう。朝昼晩ろくに食事を摂れていないのと、緩和チームの来訪と勧めで、今日新たに手持ちスイッチで麻薬を打てるマシンを提供され、もう3,4回は自力で使ったぼい。顔を暑がって、喉が渇く。お茶や100%果汁のDoleのジュース、水、ヤクルトを飲む。19時半頃メロンかスイカを食べたがったのを下のコンビニに探しに行こうとしたとき、
「ねーだろうなぁ、それはねーよ、ねーに決まってるよ。」
「ねーねーやめろよ、否定後並べんな、この目で確かめてくる。」
のち、「カットフルーツはなかったごめん、代わりに夕張メロンのゼリーはあったから食べたくなったら言って。」
「歩いてスーパー行ってくるから。」
のち、「なかったよごめんね(語尾上げイントネーション)。スムージーしかなかった。8時で粗方売り切っちゃうんだって、店員に聞いたよ。」
日がな一日ほぼ目を瞑って寝たきり、声がよく出なくて自身で元気が出ないと話す彼女が、2人にしっかりとありがとうと言った。
22:32 ソファに仰向けに足を伸ばして記す。「口元を扇いで、息苦しいから。」
22:36 ナースコール強要。息苦しい。アタラックス点滴と麻薬を併用。寝ていろ心配してたからと言われるも、寝られない。ここが起きどころだろう、と。副作用が可哀想にうつる。メロンとスイカは間に合うだろうか、労力と駐車料金をケチって車を出さなかった後悔が怖い。
ふと事実が降りてくる、「一人当たり人数17人のうちの一人、されど。」



寝ても抜けない。仕事の疲れはこうやって蓄積するのかと知る2021/09/24午後。帰ってきて彼女が頑張っているので、自然と私も頑張りたい気持ちがわいた。



人は何で変化したくなくなることがあるんだろう。
「生きていると死にたくない」、「上がった収入は下げたくない」、「授けられた地位は断固死守したい」、「血統は繁栄の象徴、絶対に繋げたい」など。
世を渡るのにこれらの考えが邪魔になったとき、どのような周囲の環境や個人の考えを用意すればあるいはどのように変化させれば、自己保存欲を解除できるんだろうか。
もちろん自己保存欲があればこそ進歩を果たせる(果たした)面も多分にあるが、2021年の世の中にあってそれを一時的にでも主体から取り外す動機をもちづらいことがあるのが、多様性に反して、自由を侵して、したがって幸福の選択肢を減らしているとも言えるのではないか。
2021/09/22 14:54、初めてのハープの演奏を万全の態勢で待つ静かな病室にて記す。



奉仕に近い過剰な寄り添いは、どこかに反動が起こるのでやめよう。気持ち、態度、言葉選び、発声、動きなどあらゆるファクターで、どこかに生じるマイナス(=対象のために頑張って自分を制限することなどが念頭)がどこかのプラス(=自分のために頑張らずとも(=自然に)自分に親和的な(自分由来の)行為をすることなどが念頭)のインセンティブになる。逆も然り。要は、なんとかこなした仕事終わりは、不健康と分かっていてもストレス発散に酒をあおろうとしてしまうという因果を言っている。TPOも影響して、またもちろんファクターの横断も起こる。



ナースコールでは何も喋らない方がかえって緊急性が伝わって早めに部屋に来てもらえる可能性があるというライフハックを教わった



LINEの友だち101人のプロフィール写真と背景を適当に眺め、終わると目の前に彼女が目を瞑って寝ている。2021/09/21 21:39。あと10分ほどで体温を測る任がある。人生そして解放。



うんうんと頷いてるだけだったぞ?なんで安心してしまうんだ?思ったことを吐露した反応はうんうん頷いて聞かれてただけで、なんでこんなにも安心しているんだ?宗教か。



期待に応えられなかったことを不義理に思う、ただ一方でそれも俺なんだよな、お前のために俺がいるんじゃないしな、と。



なんでもできる
バイトでもなんでも始めて合わなきゃやめればいい、そういう時代じゃん
彼への負担が心配、自分で食うのくらいできれば楽になる



2021/09/21 12時前、神経症症状から



ロイヤルミルクティを飲みたくなる日がないのは、そのおいしさを知らない不幸せだから、ロイヤルミルクティを好きになった方がいい、という判断に対して疑問がある。
知ることで不幸せを招きうるのを恐れている。ロイヤルミルクティを中毒的に飲むようになった結果糖尿病を患うとして、それは正しいのかということ。中毒的に摂取しなければ良いだけと言うが、中毒患者にとってその説得は意味をなさない。中毒にならないよう舵を取る自信があればきっとこの不安はないものなのだろう。私にその自信がないだけと言えば確かにそうだ。へんかを



2021/09/21 5:18
窓から明け方の海が見えて、手前の緑が流れているから風が強くて、みぎわに白波がよく立っている。空はとてもぼんやりした青と橙が上下に分かれている。白が基調となっている。雲は影の色で水平線の上に乗っている。烏が鳴く。3,4人が既に海に入っている。1人は浜で股を割るストレッチをしている。サーファーか、健康だな。どんな人生でどんなライフスタイルを持ち、大地のうねりを前にどんな心境だろう。私があそこにいるとしたら。
5:40、おそらく東の空に橙が強くなって、雲の輪郭を鋭く描いて色を与え、全てを照らす。少なくとも私を照らす。今日は午後から雨らしい。



明けて2021/09/21 1:48 傍らで記す。小康状態になると本来の優しい口調に戻ることが、苦悶時切迫中の棘のあるそれとの違いでわかる。4時間ほど前に打った点滴の効き目が切れるのを待っていて、怖い。
しばらくして3時頃、だんだん息苦しく、また痛くなってきた。6時間経った頃に打つのがちょうど良いかな、と看護師さんからの指摘。その前は14時頃だったからと。打ってからは楽になって比較的安静に寝られている。目を瞑っているが起きていることも多い(耳元で囁けば殆ど応答があるから)ので必ずしも眠っているわけではないが、しかし寝返りを打って悶える挙動はしないで済んでいるのは、医学のおかげ、それと現場にあたる医療従事者のおかげである。



バカ真面目に論文に書き起こすのもよし、とぼけてとぼけてとぼけ続けてそれとなくメッセージを忍ばせるのもよし。



クラウンの型落ちでドンキに乗りつけるのはDQNと呼ぶらしい(大童と千代田より)



この歩み、足先つまさきををどこに向ければよいのだろう



2021/09/19記す
終わりを察する人の不安と痛みに、なんと声をかけて寄り添い苦しみを緩和させられるのか、どう言葉を使えば安心してもらえるのかが分からず苦慮する。直面して、都合良く脈絡なく漠然と「安心して」「大丈夫」「心配せんでいいから」などとしか言えない。
「16年も頑張ってくれたんだから」「楽な方法で」「好きなように」と言っている口が、一方で「点滴でちょっと元気になればまた今よりご飯が食べられて、さらに体力がついてまた食べられて〜って良い方に転がるから、今やっている治療も前向きにやっていこう」とものたまうのに当惑し、真意を考え、すると不安が増長するのではないか。



大きいの口語にデカいがあるが、小さいのそれが見当たらないような。なんでだろう。モノい?



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物事を抽象化して逃避しているという視点か



インターネットチラシをみてpontaポイントを貯める習慣を病室でも継続した。真ん中のおはぎがとても美しかった。
日常が、河原で拾った丸い小石のような価値を帯びた。



言葉を尽くして優しく寄り添うと安心する。
最期を前にして神経が逆立つのを宥める効果をみた。
神経症的な症状や優しい言葉の効能の存在を確認した。目には見えないが'そう感じている'から在るという本質主義とは対をなす◯◯◯◯だ。



私にも歌うことはストレス発散になったことに仮眠する車内で気付く。外は雨。2021/09/19 1:37記す。



テレビ
病室の寝たきりの彼女が背もたれを起こして、目を見開いてまで観るテレビ朝日「博士ちゃん」。病気×エンターテインメントの式からエンタメの意義深さに惚れるくだりはあるあるで、若林のフリートークですでに聞いた。お隠れになった親父さんの『Take It Easy』 / Eaglesがそれだった。



生きる目的、具体的役割を与えてくれた
つまりはここまで生かした人



いいわけ
物事について、何を選ぶかに自覚を持ちづらく何を始めるかに苦労すふが、一方で一度何かをし始めたら適応能力を発揮できる。右に倣う態度を培った学校教育の効果の一である(説)。



2021/09/18 5:08 窓の外が少し明るむ明け方。導入剤を2時過ぎに飲む。足が冷たいが寒くはないと言う。どっちでもいいと言うので、靴下は履かせる。冷房を27℃の風量弱にしたら私は丁度いい。口を開けて、たまに少しいびきをかいて寝ている。口を開けている様はじいを思い出す。言い残すことはないか考え、私の近い将来の不透明さについての悩みを聞こうとするが、聞いたところでみたいな思いがあった自重する。というのも私の将来のことを他の誰に聞いても解消されない経験を少ないながらしてきているので。それに急拵えみ、聞くために考えた問いらしいのを否定できないから、あまり聞く気は起きていない。後悔するのだろうか。じいには戦争の話と社長業の話を聞けば良かったと思うが、ただしそれは今の私の願望であって、過去は言うまでもなく将来の私の質問したい内容とは違う可能性があるからわがままな望みだ。今聞きたいこと、言っておきたいこと。5:22、もっとこうした方がいいなどのアドバイスはあるか?相変わらず口は半開きほど、丸いクラッカーのリッツ1枚を余裕をもって挿入できる大きさであけて鼾をかいている。オーーーン、ゲッ。再び鼾。鼾止まって、ん、と言って、立て膝ついた右足と顔の向きを左側に少し倒す。口は開いたままだが鼾は止まっている。呼吸はある。終わり前を承知した身に「直して欲しいとこあった?」は答えづらいか。5:34、左に完全に寝返りを打つ。んんと漏れ出た声が変わらず苦しそうだ。 



「もしこれ想像する実りの大きさを下回ったらやるだけ無駄じゃん」が頭をよぎって傾倒できない嫌いがある。本気になればなるほどそうなりそうで、大体がやる前にやめる。



浪人時代はよく言われる負い目も特になかったなあ、もう10年くらい前になるか。健康だなあ。10年後の今もそう思うんやろうな、延長上にいては。



2021/09/17 20:53記す。
彼女の言うように見慣れてしまった。真左に見えるコンセントの穴が縦に2×2、いつものように水道脇に置いた洗面用具が入ったバリバリ音が鳴る生地の、しわしわのビニール袋、イヤホンで今聞きたくなったピース又吉YouTubeチャンネル「渦」を流している自分が、間接照明で明かりを落としたこの空間に溶け込んで、これは終末の様子だろうな、とふと思い出す。ごごごうごごごうと空調か何かが右上から、ブーーンと稼働を続ける何かに通じる電気の音は環境音になっている。見慣れ、見飽き、ダレてくる景色や空間。じいの空間もこんなだった。 2例あるから、彼女が1例に加わるから、これが私的に信憑性が高まるのだ。寂しくなってきた。
胸に左右ずらして手を当てて、右膝は立てて今囲いにドンともたれた、眉間に皺が入った、苦しそうだと思ったら欠伸をした、目は引き続き閉じている。左手は喉元へいった。酸素を鼻から吸入する顔、安らかに眠ってほしいはほしい。お腹が呼吸で動いている安心はあと何時間後に棄損するのだろう。これだけ、かれこれ17年ほどは伸びている安堵だから、もういいだろうという気持ちも昨日あたりから用意している。喉元の左手は動かない。溶けそう(=眠くなりそう)なのが怖い。あっという間に終わってしまうだろうことが何となくわかるから。この寝顔を見慣れてしまったら、もうカウントダウンが始まってしまうと思って、いけないと思って書き出す21:15。



コロナ関連報道文中に、新たに「社会経済活動」という流行り単語を捕捉する



綺麗なオムレツが作られるのを見て、嫉妬、「俺は南瓜をうまく煮付けられる」で守る頭



引きこもりが主人公のフィクション作品



下校中の小学生の群れをかわいいと思ったのは、たぶん根底で彼彼女らをナメているから



作った、生姜の微塵切りをたくさん混ぜた鶏の団子汁も、まだ鍋いっぱいにある/鍋いっぱいに余っている2021/09/16
救急車に初めて乗った28時前



あそぶ風に揺れて波打ち、膨らみしおれる窓際のカーテン越しに見え隠れする向こうのように、死が怖いという観念が、一瞬一瞬、知覚できる。思えばこれは、小学校高学年時以来で懐かしい。



靴(特にランニングシューズ)の形と配色
盆栽
詩、歌詞



例えば砂浜で大の字になろうとして、結局やらないような性格



前髪に白毛が生えていた。とうとうといった気分か。



私の人生中の被抑圧意識はむしろ、心のバランスを保つ要素となっているのではないか。いつも着けているグラブなしでボールを投げるとき、バランス感覚が狂ってうまく投げられなかったように、所与の抑圧から解放された時間は、月並に突然無重力空間に投げ出されたような気持ちになる。被抑圧意識は私の最新のアイデンティティに関わっている。これがないと私じゃない、みたいな。
何かしらの我慢や否定を頭に乗せて生きているのがデフォルトになっている。間違っているのか。抑圧なしの生に慣れる方が正しいか。



夢:大童に落ちて、東京外語大に?芸大と一般的な4年制大学受験て平行できんの?いやできるか、人間だからな。



自慰行為にもハマる時期と飽きる時期がある。今は後者にあって、それを意識するようになる。とはいえ2,3日に一回はやるんだけどね。



価値の生み出せる技術を身につけていて、それを比較的上手く快適に出力できたら、楽しい人生だろうな。ざっくり、手に職というやつ。次期大阪万博の目玉は「空飛ぶクルマ」と、揚々とした調子で該話題をまとめたネット記事をLINEニュース経由で見て。



音楽ライブの映像
ステージ正面最後方の定点カメラで映してかっこよければ本物そう。ライブ映像の、手ブレとカメラの切り替え演出は目が回る。



大童澄瞳氏が音楽をあまり知らないし好きではない、みたいなことを躊躇わずに言うのを聞いたおかげで、音楽をそう認識してもいいんだという解放感を得た。この経験は、残念ながら自分を客観できていない証左になっている。言われないと、そう(=音楽を聴かなくても、また特段好かなくてもよいということや、どこかそうしたい気持ちもあったこと)認識できなかった。ストッパーがかかっていた、つまり音楽は人々の身近にある良い文化で、そのこころを最低限は知らなければならないという前提を持っていた。
私は頭が固く、視野が狭く、認識や行動に常識や偏見が多分に含まれているというのを思い知る。



高島鈴氏の『呪術廻戦』批評「呪術師の労働モデルの罠」を念頭に2巻途中から読み下すことにする。先に評論・批評文を読んでから作品を味わう、初めての試み。
(メモ:個と社会が断絶して、社会正義が無意味化・無価値化している。また常に生命のやりとりをする緊張した仕事でありながら、人目に触れず、低賃金かつ人員不足にあえぐ労働環境。呪術師になる人間は、血縁の都合や生育環境、特異なパーソナリティを理由に集められた。そんな彼ら彼女らは、ごく個人的な理由を立てることによってのみ、辛うじてその世界で生きながらえることができる。この世界で生きるのには、必然的にそのどうしようもなく先行きが暗い世界に自ら浸かりにいかなければならない構図が生じる。これを罠と呼んでいる。)



2021/09/13、お昼12時過ぎの玄関前(の段差にて)、キレてもいいとみなす数少ない近親者には、その失態に対して反射的に口悪く罵声を浴びせてしまう。その後、その後味の悪さにキレたことを正当化する頭で一杯になる。「だってじゃねーだろうがよ、それは違うだろ。」時代錯誤な根性論者の論理と口調。その内弁慶ぶりと、咄嗟に出た本性らしき暴力性、そしてその本性ありきの自分をそのまま守ろうとする思考が、痛く醜い。
3時間経っても発した言葉が脳内で反響している。ショックの余韻は失せずに苦しい。帰ってきてすぐの玄関で、一呼吸を置いてから謝ることを決め、メンタルヘルスのためにひとまずここで後悔を打ち切るよう自らに促した。このわだかまりの一旦の解消や、行為を改める方策を探すことを含んだ次なる展開は、謝ったのちに出る賽の目にもよるので。



サイバー上でさえも人間の友達との接触をしない正義の証明



(一部敬称略)



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