ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

ここ2週間のうちに思ったことなど

(2021/03/27更新)



そんなに遠くない過去の学校の映像だと、「この中で笑えなかった人は何人いるんだろうなぁ」とそっちにギアが入ってしまって、手放しで懐かしめない



声優ラジオの聞きどころを見つけた。それは若者の流行を伝聞で知ることができるところ。パーソナリティ本人たちの実体験ではないのだが、「今の若い子は◯◯なんだって〜」という風に、仕入れたトレンド情報を伝え聞いた話としてトークしてくれるのだ。トレンドを追おうとしていないうえにそれを知る場所から距離を置いている身からすると、その情報がたとえ信憑性に欠けたとしても、また最新の動向から時間差があったとしても、貴重でありがたい。
私が聞いたのは例えば、「今ってLINE使わない子もいるんだって〜」「連絡はインスタのDMらしいよ〜」「友達の居場所をGPSアプリで把握してるんだって、場所によっては遊びに誘ったりしやすいからってことで〜」などである。



私が見ていると山口航輝(M)と細川成也(De)両選手が打たない



youtubeを見る時間を削り立候補者を選ぶ作業にめんどくささを覚えている。投票日当日までやっていない。



夢: 地元にcreepy nutsR指定が1年限定でラジオをやりに来るとの報。まずここでバイトし、社会との接点を作り始めたいと考える。
飛ぶ
両親が不在の空いた自宅で、朝井リョウとあと外交がうまい男性2人と大喜利に。左隣の朝井リョウが鯨の絵を描いているのを横目で確認する。お題は忘れたが、最初に私の自宅に呼んだ大本の理由が大喜利をしたいとか何とかだったので、私が大喜利企画の言い出しっぺとされている。その空気の下、急に企画が始まり、そういうわけで最初の回答者に私が指名される。私は失敗するのが怖くて、溜めて溜めて、周りが私を睨みながら話を繋ぎ繋ぎ、長引いた末、結局答えなかった。周りが痺れを切らしたのだ。空気が悪くなった。言い出しっぺのくせに何だこいつは、と。他3人が答えた後はこんな感じでいいんだ、と肩の荷が下りて、答えた。大して面白くはなかったがまあいいかと思った。しかし空気はよくならず、周囲は一様に不満げだった。「1周回って、しかも家で大喜利やるって1週間くらい前から決めてるの分かっててこれ?」と言われているようだった。確かに心当たりはあるので、生来のへーコラ性格から、「申し訳ない、全て自分のせいだ」と思った。そしてもう家に人は呼ばない、そして他人ともプライベートで接点を持たない、と心に決めた。この負の思考の連鎖から社交性ゲロ以下の現在の私が生まれているのだった。夢の中で自らの過去の思考を再体験・なぞっているようだ。
飛ぶ
地元の少年野球チームの歴史をPVのようにまとめた映像の冒頭をみる。それは、アメリカの辺鄙な町で生まれたブラックがプロ野球選手になるまでを追ったドキュメンタリー映画のような趣き。実際、夜までかかった練習の終わり、解散する一同の中から白いリストバンド(もちろん少し土色に汚れている)を着けた、笑顔がチャーミングな黒人がエナメルバッグを肩にかけて部室から出てきた映像がそこにあった。この歴史資料はすごいなと思った。



駄目ですloveless



彼女の話中の提案
事業立ち上げる・農業・資格とる・行政書士
保護者会、学芸会で視線を集める立場などが嫌だった、と自らを引き合いに出して、「やってみないとわからないこともあるからね」



何を思ったか、YouTubeの検索窓に佐倉と打って、あやねること佐倉綾音氏が出ているニコニコ動画の映像を見てしまった。見ない方がよかった。胸に痞え(つかえ)が残る。
並びの女性全員を含めて見た目が整い過ぎている。正確に言うと、既にある程度整っているだろうものがさらに整えられている形跡を一瞬で見て取れる。お召し物もそうだが、光(その人を映す明るさ)や髪型、化粧、「あやねる女優かよ 一人オーラが違う」(意訳)とか右から流れるコメントもそうだ。あのクイズは大喜利や単純なレクリエーションではなく、完全に「整い」を見せるshowになっている。見ていられない。みぞおちを中心に胸の中全体に色々な気持ちが滲むように広がって、混ざる。当時を思い起こすと、例えば言うなれば以下のような気持ちが言語化されない自然として沸き起こった。恥ずかしさ2種(見るのも恐れ多いという恥ずかしさと、翻って自らの見た目に対する恥じらい)、怖さや恐れ(自分の存在について何を言われるか、あるいは何を思われるか分からない恐怖)、なんでこんなことになっているんだという悔しさや苦しさ(私は生来おそらく見目麗しい人は嫌いではないはずなのに、なぜ無理矢理見る環境におかれるなどしない限りは伏し目がちになるのか)、嫌悪(まずは見た目が第一とはなんて卑しい価値観なんだ)などである。
ルッキズムになってしまう、いやもうなっていると言えるかもしれない。自分の判断基準にそぐわない見た目の人を見られないとは。嫌だ。
もしもそういう人らが私を友達として認め受け入れてくれた場合、もしかするとその人らとの時間が私の見る目を更新するかもしれない。そうすれば見た目が整った人を徐々にでも見ていられるようになるかもしれない。今思いついた解決策である。と言うのも、見た目が整っている男性をそういう女性よりは見ていられるのは、かつてイケメンの男性がそうでない男性と同じ振る舞いをしていたのを経験として知っているからかもしれない、との仮説を思いついたから。



ベテランがモーション盗んで盗塁セーフになるの、上がるな(2021/03/19オープン戦のヤクルト坂口)



ナチュラルはファッション
ナチュラルは骨董
ナチュラルを笠に着る
ナチュラルは装飾
ナチュラルはファッション



金は共有できるから人が群がる。共有できればできるものほど世の中ではそれを価値として尊重する。
↑いつかのメモ
では、絵画の価値は何と説明しよう?A.唯一性か。汎用性or唯一性orこれ価値あるよ、とみんなが言う=評判・世間体が2021年現在の価値を判断する基準?



夢:教職課程にある実地研修が2週間×2回という話題になって。ひかる「教職の2週間長いっていうけど、そんなことないと思う。」わし「適性が測れる?」ひかる「そうそう。」



売った翌日に年初来高値。動きを全く理解できない。コントロールできない。真逆に動く。何故だ!



春(三月中旬)、一丁前に朝方の寝床は寒い




LINEの会話でのコンプラ違反の不適切発言を週刊誌にすっぱ抜かれ、炎上することについて。
私はこの件に関しては、週刊誌側の炎上商法の疑いが相当ある。このため、最近の日テレ朝の情報番組スッキリでのアイヌ人差別スピーチの問題に比べて、この不適切・差別発言への咎めは小さくされるべきだと考える。なぜならこれは公に出ていない発言であり、またネットニュースを見る限り、発言者当人が周りからの批判に即時に案を撤回し(反省し)ていると見られるから。
以上の考えから、私はこのネットニュースを読んだとき、文章中の「電通出身」や「あの有名なCMも手掛けた重鎮」(鉤括弧意訳)などの文言に、最近の'電通は悪'世論に乗っかって閲覧者数や発行部数を伸ばそうとする週刊誌側の悪質な魂胆を想像した。



タイトル案:「純粋理性批判」的な古典を想起させるタイトルのギャグ漫画



ダメでもいいんだよっつって、あなたはダメな人が生き生き日常を過ごす知恵を提供してくれるなどするのかね。ミュージシャンかよ。



薄紫色も好き



文化放送のラジオ番組『佐倉としたい大西』の番組オンラインイベントをよろしくないだろう方法でストリーミング視聴する。以下、アニメや声優業界のファンではない、最近ラジオを聴き始めた新参による、本イベントの外面(=冒頭約5分)をみて催した感情の記録。偏見や妄想による推測を多分に含むゆえ説得力は皆無。誰かを説得するために催す感情などないのだが、しかし謂れのない否定が続くので為念。前書きの言い訳、これも感想の一部ということで。
イベントスタートのオープニング映像のアニメーションや文字のレタリング、BGM、また舞台セットの具合に、(アイドル声優のイベントは、いや言い過ぎかもしれない、そしたら最低でも私の見た)このオンラインイベントは、フォロワーからの熱量によって成立しているように見えた。つまり一見して、企画成立の要件の殆どをファンの狂信的といっても過言ではない熱量に依存しているようで、エンタメそれ自体としては低質そうだなと思った。意図せず沼に足を踏み入れる心地がして、5分弱で「今すぐ画面を左にスライドするべき!」との気持ちに駆られた。金や労力がかかっていない、妥協の痕もない、熱烈な信者からお布施を徴収するためだけの取って付けたような企画。または信者用の仮設エンタメと言おうか、そんな印象。甘い蜜を仕掛けるゴキブリホイホイの絵を思い浮かべる。低質な例えはさておき、言いたいのは急拵え感はなはだしかったということ。
むしろ逆にそこが狙い目で、敢えてメルヘンな御伽噺の雰囲気の中にグリム童話テイストの黒みを浮かび上がらせる、つまりはこのイベントごときに金を払うような視聴者の行く末たるディストピアを示唆する、みたいな意図がもしかしたらあったのかもしれない。それくらい振り切って低かった、否、低く見えた。
後ろ暗い。このイベントを素直に楽しく受け取るための経るべき通過儀礼が圧倒的に足りないことを自覚する。愛でる余白を十分に埋められていない、習熟できていない。それもそのはず、今までの人生でアニメも漫画も齧る程度しか体験していないし、声優ラジオにたどり着いたのも最近の出来事だから、このエンタメをしがめるだけの素養がない。側だけ見て匿名で否定ばっかする絵に描いたファン不適合者・Twitter適合者だ。すみません。
一見して理解できなかったからといって、他人を貶めも傷つけもしない人の幸福のありようを否定・揶揄するなよ。



出来心で、Twitterの検索窓に地名ブランク高校と打って、界隈の匂いを嗅ごうとした。何を思ったのか。
Twitterは相変わらず性に合わなさそうだ。見た限りのアカウントでは総じて人がよくキレていた。リプライ間での喧嘩では、語尾や文末にヘイト感情を表すツイートが目についた。
まあ口喧嘩が絶えないのと、冷笑や愚痴が多い。虚空に向かってやり場のない感情を放ってるようで、TwitterというSNSの制度上仕組み上仕方のないことで、そういう文化あるいは遊びと捉えるのも差し支えないだろう。
2021/03/16時点では、私にとってはTwitterを一定期間(一部アカウントには定期的に覗きに行ったものの概ね3〜4年は離れている。ツイートもしていない。)離れて正解だったと思う。それは目の前に目眩く速さで立ち現れては消える情報に目から繋がった頭を振り回される前に、これきっついわと勝手にブレーキを踏めていたことを自覚したことで、Twitter耐性を得たというか、Twitterメンタルヘルスを侵されることを未然に防げた成果を認められたからだ。とはいえずっと見続ければそのブレーキの効きも間違いなく悪くなるだろうが。
閑話休題。匂いを嗅ぎに行って、不覚にも気分がほんの少し腫れた。画面上には色んな人間がいて、それぞれがそれぞれの持ち場で幸せを探しているのを改めて知る。そこにやっぱそうだよなの既視感と健気さを思って、引きこもりの分際でまだいける、まだいけるという気持ちになる。魔がさした。自分の幸せのために枠を組んで持ち場を持てばいいという結論から単純に僅かな全能感を覚え、それが久しぶりで酔いそう。



このスマホで2連続タッチ(PCでいうダブルクリック)すれば、単語に網がかかって語句の意味を調べるなどできるが、3連続タッチで1パラグラフ全体(=改行前までの範囲の文章全て(複数文にわたり))を網にかけることができるのは初めて知った2021/03/15。



芸能人でワイドショーのコメンテーターを務めている人のうち、向上心持ってやってる人っておる?私の先入観では、彼ら全員が、番組の成立のためにコメンテーターの名前を着せられてやっているとしか思えない。真面目な顔と発言はおおむね演出が加わった演技であって、芸能人としての生命維持のために拵える人相に見える。それは決して悪いことではないが、その姿はさながら大人に怒られたくない・嫌われたくないテストができるおとなしい小学生みたいに、大きなものに飼われている風に映って、苦しい。立派に見える日もあるが、その姿に憧れたことは一度もない。芸能人のうち、自らの自然で、取り上げた問題などの解決に向けた積極的なコメントをするワイドショーのコメンテーターっておるの?




(視聴前)
恩返し……?感謝……?飯食いで?夢ある、な……(訝)
(視聴後)
すごい!またしても楽しかった!長尺の誠意!いつもありがとう!お疲れさまでした!



自分が本当はやりたいこと、ないしは本当は辛くないことをやっているうちはまだシャバい、と言うのなら、自分がしたくないことを何か外的要因で完遂するということがシャバくない、つまり以前の自分を乗り越えた、強くて正しい自分のあり方ということになる。
しかし、自分がしたくないことを完遂することは、本当はやりたいことや別に大して辛くないことといった自分に適合した自己中心の行為よりも、絶対に高貴と言えるのだろうか。TPOや個々人の考え方によっては、自己中心の行為によって生まれた市場価値の方が誰かに頼まれたり自ら自分を曲げて完全に他人のために行動した結果生まれた市場価値より高いとすれば、それは前者=自己中心の行為の方が後者=完全に他人のために尽くした行為よりも正しいと言えてしまう場合も容易に想像できる。



名前案:もう見ないでくれ



階段を降りる鳥が可愛い
鳥の地上での移動が、両足で跳ねながら動くのだが、それが可愛い。鳥のフォルムを始め、鳴き声やアシユビなど、存在それ自体が愛でたいものであることも、可愛いと思う大きな要因。



歌詞が「OK」だけの音楽。言い方フロウ強弱イントネーションなどを駆使してメロディアスなOKの連続を実現する。OKとしか言っていない点にもメッセージ性を見出す語りたがり奴(≒仕事人=サラリーマン)もいるだろう。



対象が静かであること。物体であること。自然であること。ただそこにあって動かないこと。理想的な仕事の対象in2021/03/14。



理由も特に説明できない引きこもりと、自ら手をあげて戦地に赴き敵人を殺す戦士、どっちが偉いかな?あるいはどっちがましかな?戦士の方が生き生きとして、また雄々しくて格好いいな?



可愛いことを自認している明らかに可愛い女性は、画面越しに見るのさえキツい。腕っ節が太そうで怖い。何を思われて何を言われるのかを想像すると恐ろしすぎる。
彼女らは、言うなればSNS全盛時代における百戦錬磨の武将。彼女ら、叩き上げで成り上がった自覚とプライドがあるから、対象者をひとたび敵とみなせば、切り捨て御免とまずは斬る。斬りにいく。自衛のために。そうしてきたから。そういう正しさを掲げてやっているから。
世間の評判とスタンスと発言とを見聞きするに、相手に回り込むのに慣れすぎていそうなのが伝わる。相手の動き(ex.どういうスタンスで口撃してくるか)を読み切る超達者な回り込み、これが怖い。きっと本物と対面したら、生存本能に訴えてくるレベルの危機感を催すだろう。
可愛げがないからとか慎ましくないからとか、一般に旧来の男性側が女性側に要請したとする理想の女性像から逸脱しているからって理由でdisるんじゃなく、メディアを通じて彼女らの立ち居振る舞いと端正な顔立ちを見ていて、私のような醜くて金がなくて意志の弱い人間は地球にとって価値がなくて邪魔、下手したらこの世から排除されるべき、とか思ってそうだなって勝手に想像して、恐ろしくて近づけないみたいな恐怖があるという話。自立する恐怖。
私、あなたらと戦う気ないですから。マチズモにも与してません。優しいのが分かればいい。その優しさは、後々殺すための布石みたいな打算的で一時的ではない、絶対的な優しさ。程度は風前の灯くらい微かであっても、絶対的に優しくあってほしい。要は素性を知らないから怖い。でも素性がわかってからなお恐怖だったら絶望だろうな、絶交だ。



バラエティの手作り(風)企画タイトルあるある:◯◯選手権



戦うことが格好良く、一般に正しい行動と認められる中、「戦うな、居ろ」との正義を掲げるフィクション



回り込むことは、評価を得るのに絶対に必要か?「彼は(全て)分かった上でこれを選んでいる」と思わせずに、どストレートに評価されることは殆ど不可能なのか。



北◯病院併設のパン屋が楽しかった。アンパンマンの顔、チョココロネ他。思い返すとそこでパン屋が売るパンの種類を知った。売り場が楽しかった。


料理

銀鱈の煮付け(甘辛味)は、煮汁を身によく染み込ませると美味い

鮗このしろの刺身は酢(穀物酢やすし酢)に漬けると美味いらしい



(一部敬称略)



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