ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったことなど

2020/01/12、海辺のじいの葬式に参列。親戚の方や尼さんとの会話が思った以上にうまくできない。このギャップは自覚すべき。
朝7時半前、久々にキーコさんと対面。全くわからない。彼女は快活、見た目は結構若い。また小耳に挟む話から類推して納得できるだけの自由な雰囲気を帯びていて、私らの枠組みの外にいるヴァイブスが新鮮だった。そして例によって羨ましくなった。こういう人でないと社会の荒波をrollin'2できないんだろう、これが現実と思った。
じいのお骨は皆も言っていたのと同じく白く丈夫そうだと思った。ばあや家族の姿を少し離れた場所から見て目が潤んだが、しかし涙は出なかった。今から言うことは彼にはとても申し訳ないと思ったが、率直に言うと、この式で私は彼女の予習をしていた。その指摘はホールに入って棺の顔を見た後くらいからずっと頭を支配したが、抗えなかった。仕方がなかった類いだ。言い訳がましい。とてもひどい人間であるのを認めろ。少なくともその考えがひどいことには違いない。
終了後午後3時前にばあとキーコさんと帰ってきたじいに挨拶をして、彼の運転で出発、彼女の元へ。
午後3時半過ぎに到着、入り口前に路駐してエレベーター5階へ。彼はスーパーマーケットや家電量販店にあるものそのままの大きなカートを押し、私用に受付に備え付けてある無料の青いマスクを、さらっとことわりの言葉を口にして一枚抜き取った。持っている簡易的なカードキーでフロアに入る。カードキー、廊下の雰囲気、誰でも入室可能なオーシャンビューを一望できるラウンジ空間の設備、そこに掛かるCHANELの文字が目立つ絵2枚、鳥の巣みたいなオブジェ、誰もいない、向こうの水平線が久しぶりに長い、白波が立っている。完全に上等なホテルだった。落ち着いた。
ナースのお仕事等の病院ドラマで見る光景そのまんまの看護師駐在ステーションを左手に、部屋へ、503だったか。彼はノックせず中へ入り、そして我々が続く。車を止める場所から部屋に着くまでの彼の一連の動きはとても手慣れていた。皮肉な話と言うには格好の事象で、実際私の心もそっちに磁石のように引きつけられたが(この事象を皮肉な話だと思った)、あまりにベタすぎてダサくて、嫌だった。またこの手の心の葛藤の道筋・逡巡の経路も今やベタベタで、(ベタとかベタじゃないとかの視点ばかりが都度支配する頭の中だから)素直に主観的になれないスタンスも嫌だった。真似っこばかりだ、つまるところ私のリアルではないからダメなんだと思う。
閑話休題、数日振りに彼女と再会。メールではやり取りしていたが、帰りの車内でたった1日の一人身でも少なからず寂しかったらしいことが窺えたので、朝文面で「一人でちょっと寂しいかもしれないけど、もう少し待っててください(^^)」と数日前から迷っていた、恥ずかしいが正直な言葉を送ったのは、我ながら良かっただろう。部屋はやはりホテルらしく、こぎれいだった。上で言ったように皮肉なことで、それゆえに失礼だが、泊まりたくなった。ただそう思ってすぐ飽きてしまうだろうとも思えてき、結局思い直して積極的に泊まりたくはなくなった。
荷物をカートに乗せ終え、ナースコールで帰宅の簡易手続きを済ませて、皆で1階へ降りる。このくだりの彼女もまた手慣れていた。いや、こなれていた、と言った方が私の当時の気持ちに近いか。こなれてしまっていた。
車に荷物を載せる彼を、2人でロビーの椅子に座って待つ。こういうことが多い。彼は責任感が強い。声が大きいこともあり、意見した際に眉間にしわ寄ってわーっとなるときに過剰と思えてしまう(私の、他人との会話や交渉時においては身を強引に引いて穏便に且つ最短で済ませようとする柔な性格(=会話のラリーを好まない、またディスカッションが嫌いな性格)も、当該状況の彼を過剰だと思う心情を際立たせている)が、素晴らしい性格だろう、冷静に考えるとやはり。
待っている間彼女は、お疲れさんでした、どうだった、お母さん大丈夫だった、と聞いた。私はしめやかに行われました、私頑張るからねと言っていた、と答えた。彼女は、今は気が張ってるだろうからこの後が心配だね、と言った。そうねと頷いた。私は続いて親族の判別がつかなかった話をした。ノ◯オさんの奥さん来てた?来てたよ。そっか〜、そうだよね〜。
帰宅後、いただいた飯を皆で。弟が玉子焼きをうまく作れないという話から、彼女は私がやってるのを見せてあげようかとの旨の発言。彼が笑う。私は、卵焼き用の四角いフライパンってあるよね、前確か家庭科で使ったんだよね、とネタを投下。話が膨らんだ後、タイミングを見計らって、俺は目玉焼き、ハムエッグだから、底を焦がさないのがムズいんだよ、と差し込む。定型の笑いをとる。そこからまたもクリシェの如く、三重のホテルでいただいた、ホテルの朝食(確か1人3千円した、ホテル内にある店舗ではなくホテルが出す朝食)で選んだ洋食→卵料理→サニーサイドアップが二重の意味でうまかったとの話に転ずる。きれいな対称形をつくった細長いハート型の目玉焼き、目玉2つ。それが底面が全く焦げ目がなく、何かそのためだけに別の余計な物質を混入させているのではと疑いたくなった気分を反芻する。私は幸せだった。多分他3人も幸せだったと思う。
その後彼女が薬を飲む段になると、突然、「何か最近薬の楽な飲み方を、51(?)才にしてやっと分かってきた気がする」と告白する。「なんか分かってきたんだよ、ほら、私べろこーやって巻けない人じゃん、薬飲むときこうやってない?」彼女の声はいつになく熱を帯びる。語気が強かった。
笑う。仕事終わりのいつもと同様仰向けでスマホをいじっていた彼が反応する。足を振り上げごろんと起きて、笑う。私はその熱にやや圧されながら「じゃあそれで頑張ってよ、うんそうね、もしかしたら自然にそうなってんのかもしんないね飲む時」という旨の発言をする。なんだそれ〜って風に遅れて反応した彼が笑う。記憶にないが、多分向かいに座った弟もこれらの雰囲気に呼応していた。多幸感を視認した。これがうちのリアルな幸福の一つなことには違いなかった。なんなんでしょうかと燃え上がる多幸の火柱。
火が収まり話が収束して少しして、彼は仰向けに戻り両袖で両目を覆っていた。何かひいひいと呟き始めた。風邪引いてる場合じゃねぇだろ、は聞こえた。決まり悪い雰囲気を察してだろう、彼女は沸いた風呂に入りに行った。その後すぐ、私はその様が辛くて、また少し怖くて、席を立って2階へ上った。逃げた感覚が強い。
p.s.ホテルさながらの病院の部屋に入って、私は、こういう場でも身一つで働けるようになりたい、と咄嗟に思いついた。願望。一番パッと浮かんだ職は物書きだった。



嘲るの意味をあんまりうまく理解していなかった
皮肉を込めた笑い、というニュアンスで使おうとした



親戚の間柄の人が、親族間でやりとりしている様子を見聞きすると、これまでのその人の見方が客観で揺さぶられる
この人(親戚の人)って、親族の間ではこういう説教を受ける立場にもなるんだ、みたいな



サラリーマンもプロ野球選手のように契約更改をする
新卒者もこれで雇えと提示して交渉できる
日本全国フリーランス
各業界に統一的な交渉専用の会社をつくる
代理人の需要が生まれる



オードリーのオールナイトニッポン、自分(ら)が出てる視聴率がまだ振るわないテレビ番組の話題に触れるオープニングトークはずるい。見ちゃうから。あちこちオードリーは正直そんなに楽しく見られなかった、今は。だからあちこちオードリーのオープニングトークはずるいと思った。見たくない人間が見たくさせる誘導に付き合ってしまっているから。



アフリカに日本へ住んでもらうよう教育を施しヘッドハンティングする仕事



夢:目の見えない、顔のない彼女の世話をした。腕を組んで部屋から部屋へ移動した。洗濯機のボタンの上に、洗う前のハンカチがあって、一回も見たことがないハンカチだったから、色形を伝えなから「これあなたの?」をめぐる会話をした。洗濯槽の中には、まだ洗う前のネットに入ったりした洗濯物がなみなみ一杯入っていて、沢山入ってるな、と言った(はず)。入れすぎだろ、彼らしい、と思った。ちなみにハンカチは青基調で花の刺繍が全体に入った、紫の花弁で真ん中が黄色い水仙などが茎の部分まで絵になっていた。水仙以外は忘れてしまった。
じいちゃんがまだ生きていて、彼女はじいを心配していた。彼がどこかから帰って来て、この時間はもうNHKで竹山の散歩番組が始まってるよ、ほらあなたが好きなやつ、と口にした。
不覚にも少し心が温まった。これならしばらくの間、いやいつまでもできる、と。続いて人形遊びのようだとも思えた。いつまでもってところと、概念を妄想で動かすところが。



頭がぼーっとする症状は何だろうか
視点が何となくぼんやりして、思考にキレがなくなってるというか、そういう症状が結構長く続いてる
外部からの刺激がないから、あるいは厳しい辛いことから距離を置き続けているからかもしれないと思う。



気を使う人との会話の場面は少なからず動悸がするよねどうしたものか



目を瞑ったらいなくなってしまうと、死んでしまうと、咄嗟に



1/15の19時頃図書館から出てすぐに嗅いだ冬の夜露の匂いが、あのシニアの合宿中の夜、夜食でカップラーメンが並ぶ食事処の匂いと同じだった。冬は関係ないかもしれない。



最後2日間は3,4時間睡眠で書いた。書いたというか、写した。実働時間3〜4日な感覚。不安はずっとあった。鎖骨の間の喉が締められたような、違和感、異物感は不安や緊張が原因だといいんだけど。



52歳だそうだ。なのに、待っててくれて、労ってくれて、そんな人はとても貴重だ。
お腹がかなり膨らんでいた。きていた。もう目の前だぞ



2日そんな寝なかっただけで、体が泣く。湯船で歯磨いてたら歯ブラシを湯船に落としていた、気持ちよくて。
腹が出てきた。もう1月末だ。



始まってないし、なら終わりもしない。終わりがあるとこうして隣人に寄っかかって止まってしまう。終わりをなくすことを優先してものの始めを消す。ライフハックレベル、所詮。



2020/01/17、17:00がデッドラインの品を16:58〜59に納品する。ありきたりな見方だから不安だが、すっかり緩みきっている。今日で通学路とは、電車のあのアナウンスとは、門をくぐった先のビル群とは、中庭の彼とはお別れだと思って、少し睨んでやった。彼には言いがかりもつけて。



金も稼がず飯食って引きこもる身でどうしてホッとしてんだよ、終わってもねえし始まってもないんだよ、あるだけなんだよ



♪僕はヘタレのまねっこどうぶつ



飛行機で暮らす



これで寿命が1日延びないかなと、外に放られてあったスーパーのガラガラを中へ引いていってやった。現金なやつだ。恵みを期待して動く俗人、それも他人の金で賄った道徳心とか倫理観らしいものをどこか誇らしげに披露する、側(ガワ)ばっか大事の。



山の上にたてりて久し吾もまた一本の木の心地するかも
(佐佐木信綱)



一人一首好きな歌を持っとくたしなみ



豚小間切れは食べやすい。理想的な形と大きさ、分量は200gで。



闇雲な情報接触ではなく、「あーこれ俺いけるわ好きだわ」が予めある程度の確率で保障されてる情報接触の仕方。レコメンド機能は商品とか動画とか、そういうのだけど、ここで言いたいのは、個々に応じた情報接触の感度を高めることで人生の時間の無駄を省くって仕組みだから、市場競争のなかで自然となされる一企業の企業努力とかそういう小さな規模のことではない、つまりレコメンド機能ではない。情報はあらゆるメディアのあらゆるジャンルから持ち込まれる。場合によっては、「その場では接触できない情報だからここ行ってこい」と命令されることも。機械は横柄にものをいう。



同じはなぜ駄目なのか。
同じのメリットはないのか



同じとおやじが似てた
同じ親父とかタイトルの歌出すなよ、隠しトラックでも。俺が思いつくくらいつまんねえんだから。



2020/01/19、戦場から帰った彼女らに煮込みハンバーグと切ったトマトを出す。前日から構想し、当日午前に買い出し、帰宅後昼間に練習した。夕食。いざ出したところ、思ったより反応がなく、現実だった。この程度の下準備と成果への執着では、そもそもハイカロリーとはみなせないとの現実からの応答だった。想像できる反応が薄かった理由を具体的に挙げるなら、レシピはまるまる聞いた通りに従うため、味に全く感動がないからだ。それに、思ったよりも反応がなかったのは、自分の今の、他人を突っぱねる雰囲気のせいも多分にある。
会話になってもうまく気の利いたことが言えず、ラリーが止まる。また生きていく自信が無くなってくる、これを書いているうちに。書くと向き合わないといけなくなるから、答えは、書かないか、向き合って改善するかのどちらかだ。若林は都度向きあっているのがわかる、これは確実に言える。
ただ、自己満足的ではあるが、作ったものを食べてくれたのはよかった。わかったのは、以上の経験から、彼女や彼が私に求めているのはもっと別の所にあることが示唆されたことだ。



ゴッドタンのザギース



夢:野球。弟。試合。やまけん。コーチの一人の訃報。やはりと言っていいだろう、向かないイメージを塗り替えられていない。野球っていう道具を持って複雑な動きを求められる競技、団体競技。わぁーっと叱責されるのに対して歯向かうことは基本しないゆえ、へこへこマインドを拭えない。自立できないから今と変わらない。
自立するなら、今の自分の状況にまず向き合うしかないのだった。



こんな身分でありながら、彼女らが外で戦っていながら、席を外しているのをいいことに、隠れて、WiiGCのゲームをやった。スマブラDXピクミン2。まずスマブラ。コントローラーの十字キーがゆるゆるで、操作にやや支障が出た。ただそれとは関係なく、およそ16〜7年ぶりのスマブラはつまらなかった。1人だった、画面が粗い、操作が覚束ない、以上の理由等から導かれる期待と実のギャップ、ふとしたときに頭を擡げる背徳感・申し訳なさが拭えないことなどが当座の理由だ。キャプテンファルコンでコンピュータと2試合を消化し、ストーリーのようなものを1人で進める1人遊びを1回ゲームオーバーになったのち、やめてしまった。あれだけ楽しかったそして今も楽しいはずのタイトルが、様々な理由で万全な環境ではなかったにしろ、全く楽しくなかったいや楽しめなかった自分にショックを受けた。合わせて時の流れを意識した。
次いで手をつけたのはピクミン2。結果からいえばdays3でやめたが、これはスマブラに比べ没頭した。コントローラーのXとYの使い分けを最後まで覚えられず、10カウントの0になった直後に間違えて白ピクミンをフリーにしてしまったのが心残りだが、全体的には2時間弱の間画面上の世界に没入できた。懐かしかった。一度片付けたプレイ環境をわざわざ元に戻してまでまたやりたくなっている、相当な罪深さを押し殺して、無理矢理忘れてまで。
やり終わってから1日半の時間が経過した、またその間に私にとっては濃密なイベント(煮込みハンバーグ作り)を差し挟んだ今なお印象に残るのは、1日が終わった後に見られる社長の楽観的なメールの文面と、オリマーによる回収したお宝のレビュー文。制作者側からゲームを遊ぶ子供達に向けた人生訓的メッセージの要素を含んでおり、希望的だったことだ。それを読んで、対象年齢が違うのを分かりながらも、文面の内容を間に受けると心が落ち着いた。こういう20代にして老後の楽しみを切り崩すような体験をしたことが印象に残った。残ってしまった。
非生産的な時間であるとの自覚が背徳感を生み、ゲームを心から楽しめなくしている。ゲームで遊ぶことをめぐって今と当時で明らかに違う点の一つだ。この点を克服するには、①これを非生産的とはみなさない心の変化を起こすか、②これを非生産とは言わせない活動にするつまりプレイを通じて金を稼ぐか、もしくは③これとは別に(いい加減!)生産的活動に従事して、この非生産性の罪悪感を減らすか、 の選択肢が簡単に挙がる。



やり過ごしていいときとやり過ごしたらだめなとき
その塩梅が人の違いにもなるんじゃ?



豚キムチ
豚バラは脂が出てくるのでそんなに前もって油を敷かなくてよい。火が通ったらキムチを入れてあったかくなったら完成。最後に溶き卵をかけて辛さの調整をするのもあり。



卵焼きの味付け
みりんと、本だしめんつゆ醤油(あと何かあったが忘れた)をちょびっとずつ入れて、だし味。よく熱して油をよく敷いたフライパンを用いる。卵焼きは普通、冷めてから切るらしかった。



長ねぎの切り掛けのものは、そのまま長く放置してしまうなら、輪切りか何かに切ってしまって冷凍するとよい。汁物などとともに熱して使えて便利。



(敬称略)