ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

今週思ったこと

(2019/06/10更新)

◇アボカドの処理…食べごろの大きさに切った後、レモン汁をかけるとよい



揶揄・〜的メッセージはやり尽くした



メディア・伝えるとはなにか
「TVやインターネットで見聞きしているだけじゃなくて〜」「現場に来い、現場に〜」「生で見て知識を身につけて、メディアに接するだけでは伝わらないリアルを把握しろ〜」
メディアではないメディアのようなものの存在可能性



細野爺、若い女の子侍らせ……っまぁ冥土の土産に



ラジオで聴く飯の話が全部ボースティング



20190521私の考えていたことがクソ袋のネタに



"日韓戦を落とす"
負ける・破れるんじゃなく



ある特定の作家推しになることのマイナスの側面として、その作家の人格を愛するあまり、いい作品とそうでない作品を分かつ自分の中での線引きが曖昧になったり難しくなったりすることがある、というのがある。その時々でシビアになれればいいけれど、現実がそれを邪魔することもままある。建前と本音が溶け出す、適応、みたいな。自分に言い聞かせるのは自分が一番得意なもの、少なくとも私はそう。自分の知らぬ間に自分を騙していることなんて日常茶飯事。スポーツ選手の「誇りを胸に自分を信じろ〜」なんてのもそれに該当する(のではないだろうか)。
万事表裏一体というか、正負で一対というか
でもまあ、生活の楽しみとしての作品っていうのもありか。



正統派(と分類されるもの)が悪の場合



鳥栖、ひと月前まではちょうす



たとえばネット記事の見出したったり、trailerの煽りだったり、あのインターネット的引き、21世紀的広告とでも言いましょうか、それを全く削いだ創作物があるならどんな風に仕上がるんだろ、寒天みたいな見た目の作品出したら。



たまに「うんこ」っていう風に字面で見たくなるそういう言葉がある



「擡げる」、本来の意味とは真逆に読んでしまう癖がある。「頭を擡げる」っつったら、頭を垂れる絵が浮かぶ
実るほどこうべを垂れる稲穂かな



ロッテ、久しぶりに明らかに弱い年を迎えている印象
ラジオの里崎氏の言う通り、下位が(誰が出ても)全然打たない貧貧打(率0割台〜1割強)なのに加え、リリーフ・抑えP(東條唐川西野益田)が安定しないのと自滅(守備のエラーやランナーのボーンヘッド)が多いのとレギュラークラスの怪我人(田村藤岡角中(井上))が多いのと。
層が薄い!(仕方ない)
若手が出てこない!(仕方ない)
岡のランナーアウト多すぎ!(罪!!)



戦後日本のヒューマニズムは'ムラ'(社会)
ファンタジーは大人の文脈に置けばただのグロテスク by橋本治 from奇子単行本下巻末解説



夢:中学時代のチームメイト・タケダが出世していた



安田だと安定しすぎて刺激が足りない、という我儘 #snd



私の目にするPV、ヒップホップの影響なのか人間(特に本人)が必ずと言っていいほど出てきて、そいつらが出歩く
人間が映らないPVが見たい



水瀬いのり氏、少ないながら声優ラジオ聴くなかでは一番話が上手だと思う



彼女の残りのライフが減ることを考えると、食器片付けも洗濯も、また米を研ぐのも彼女にやらせるわけにはいかない。現に、今年の元号またぎのGW7〜8日間を費やした大掃除が引き金となって、リンパ浮腫が確定的になった。



よくよく聴いたら
ずん、ずんずん、ずんどこ だぜ?



スーパーマリオ30周年記念のBGM盤がよい
特にスーパーマリオサンシャイン、懐



お前らは「気合いだ」としか言っていない



夢:学校のような比較的広い施設の一室で自習をしている。菊地さんが近くにいる。だからなのか、あまり落ち着かず、目は字を追うだけで、内容は頭からすり抜けている。中庭にもみの木(プラタナスかも?)が一本立っていた。あとは忘れてしまった。



直接が苦手だ。面と向かって言われない自分のことについてを、他人同士の会話を通して聞くのは、内容を問わず刺激的で胸にくるものがある。話をさせないおのれの態度が悪い、という指摘は間違っている。というのも私は、自分のことについての直接的な物言いは、面と向かおうが向かわまいが基本的に聞きたくないからだ。貧弱だ、或いは性格が悪い奴とみえるか。多分両方とも正しい。
婉曲がいい。耳心地ならぬ胸心地(≒ほっと胸をなでおろせる気分)、心地がいい。肌に優しい。矢印の先端に向き合う気持ちが起きない。直接は基本美しくないものと思っている。腹を割って話す、ということを特段仲の良さを保障する行為だとは思っていない、むしろ相手を慮った言葉選びを経た会話の方が仲の良さを感じられることが多い。〜ことが多い、とはぐらかしたのはむろん、腹を割って話す機会を設けたい時もあることを知っているからだ。
言いたい人に言わせるなら、前者はありとあらゆる対人関係を経た末の境地といったところか。それに対応する後者は前者に至る過程、仲の良さを積み上げている段階か。私は積み上げている段階の方に安心を感じて、その安心は仲の良さと言い換えるに足ると感覚的に思っている。もちろん後者が、前者には認められる腹を割って話す機会を望んだとしても得られないのは分かっている。ただどちらの方が量と質を考量して仲の良さを'より'感じられるかといえば、私は後者だったということだ。2019/06/10現在。




(敬称略)



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