ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったこと

(2019/02/26更新)


寝、目覚めたらまた日を繰って
申し訳がない

「全てをケアしたがるこのご時世ですから
当然と言えば当然でしょう」と第四の優しさ
そんな優しさで身を立てられたら
それこそ自由や平和の歌の矛盾は簡単に晴れるでしょう

力がほしい
金、腕、頭数のスポーク群に弾かれないぐらいの

起きる



夢:キャイ〜ン天野くんが、話の流れの偶然で手塚治虫に対する批判的な目を披露した。
手塚治虫のどうしても人救っちゃう感じ(自分が医者だからって)と、それで人間の本質を描いているような評判なことがあまり好きじゃない。言ってもただのフィクションなんだし」
何で天野くん、それも手塚治虫批判だったのだろう。



台本は頭の中にあるby黒澤明



自己正当化のライン、どこにある?
戦争を聖戦と呼ぶ…×
生涯給与年300万で幸せ…◯
なぜ生きているのかわからず引きこもる…×よりの△
認められないのを世界が悪いとする…?



夢:ワゴン車か何かの箱の中にて、ローテーションする女性数名とキス。私は動かずじっとして、女性側に唇を重ねていただく。女性主導。なお私のほかに車内に誰かいたのかは分からない。



私のすべてを受け入れる器たる私以外のものが欲しい
不細工な形たらしめる時間を再生産する
概ね好評いただける



気がすむ 気が済まない 気を済ませる 気を済ませない
気を済ませたり、済ませなかったりさせる集合意識が、もしかして奴の言った第四人称?



集合知集合知にさせるために作る時点では、それは短命なのだろうな



ネット記事を読みながら急に、息を吸わないまま読み切るゲームを始める。そういう感じでしか創作ができない。



息を2分程止めることで、まだ生きててもいいと言い聞かせられる体



表に出ている顔かたちの整った人たちが、いよいよ同じに見えてきている兆しをふわっと検知する。ニュートリノよりは間違いなく高頻度。(←?)「かわい子ちゃん」呼びの仲間入りも秒読み、否、分読みか。



社長には憧れられない。軍人に憧れることができたのはおそらく中学生くらいまでだったろうから。悪いんだろうか。



芸人をかっこよく見られない。
悔しく、また恥ずかしいですが、YOSHIKIのがかっこいい。たけしはわかる。



引きこもりは何か予定が立てられると、前日床に就く時から当日その予定が終わるまでソワソワが収まらない。:あるある



行き遅れる、行く必要に駆られたのか
行き遅れる、行かねばならなかったのか
行き遅れる、現代らしい、行き遅れる。
(外堀を固めるのが鉄則)



叙事詩的抒情詩
叙情詩的叙事詩



固辞固持꒰๑´•. • `๑꒱



阪神・藤浪が辛そうだ。[ 空欄1 ]。 頑張ってほしい。

[ 空欄1 ]
A 随分とたくさんの試行を経た末にたどり着いた徒労感を、その表情にたたえていた

B 随分とたくさんの経路を辿った疲れや徒労感をその表情に見つけるのは、誰の目にも容易だろう



春は嫌い、責めてくる



夢:家族。最後の旅行。なぜか最後なのに気づいている、いや最後な気がしただけかもしれない。借りたか買ったか、ポルシェの赤いスポーツカーを私に乗らせたがる父と暗にそれを嫌がる私。母はいつも通りに居る。夢が覚める直前、弟が他人との接触(か何か)でバグを起こし、片手の平(どちらの手だったかは定かでない)を顔の正面に向け、小指〜人差し指、小指〜人差し指と、指の付け根から滑らかに連続して折り曲げる動きをループさせながら、目は虚ろに、ふらふらし始めた。 ああ無情、なんだか(どうしても)、ザ・ノンフィクションに映る夕焼け色の心地がする。こういう人生だったか。それだけ
p.s.
はっきりとは伝えづらい・口に出しづらいことは黙るorなんとなく態度に示すことに慣れている。これが、見たくないものから目を背けがちで、食用の鶏を手ずから締められない性格を表す。そういえば生まれてこの方、何らかの世話になっている親近者や家族(≒利害関係者)に対してはっきりと物申したことが一度もなかった。その場面に遭遇したときは往々にして、おのれを抑えつけるか、夢の中で現れたように回答を渋ったり素気無い態度をとるだけで、暗に相手に決定的な選択を委ねようとした。衝突から均衡状態が崩れるのを(極度に?←極度かどうかは自覚的でない)怖れるために。この行動(=行動しないこと、事態をヌルッとすり抜けようとすること)のお陰で、庇護を受ける時分は大事故や重い心的負荷を被ることを免れていた。「私も言わないから、あなたもここは突っ込まないでね」とシグナルを送っている様にもとれなくはない(事実その意識はどこかであった。)。まるで核の脅威に核で対応する冷戦期以降の国際情勢のようだ。現代的といえば聞こえがいい関係構築の仕方、あずかり知らぬ他者との均衡の保ち方だった。
またこの性格が、下ネタが苦手なことにも紐付いているような気もする。いや、この際正確に言うと、下ネタを他人と共有することが恥ずかしいのだ、青二才で恥ずかしながら。失礼、恥ずかしいというよりもやはり苦手と言った方が適切かもしれない。下'ネタ'と言われるだけにユーモアが求められるが、そのハードルの上昇も相まってか、うまく処理できた試しがないのだ。恥ずかしいという自己の内面だけの問題ではなく、ネタを巧みにハンドリングして魅せる技量にも乏しいという実状を踏まえると、より広範な意味で'苦手'と言った方が適確だろう。因みに(因むか?)、「恥ずかしながら恥ずかしい・恥ずかしがることが恥ずかしい」とは皮肉風だが全くそんなことはないと思う(因んだか?)。閑話休題、下ネタが苦手なことがはっきりとした態度を示せない性格のどこに関係するのか。ずばり、忘れた。こうずーっとダラダラ書いているからさっきピンと閃いたことが思い出せなくなった。ここまでもし読んでしまった私以外の人がいたら、その方にはぜひとも書き手の出来の悪かったことを思い出してほしい。思い出したらまた書く。おわり



(敬称略)



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