ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったこと

末っ子はタクシーにすぐ乗る by松之丞



意味わかんないことをすることが人間が生きてていい理由だとして
お偉方もガキの喧嘩のようにやられたらやり返すし
(米中貿易摩擦)



露骨に資本主義出すやつ(ex.しれっとしておのれの胸を強調する服を着る女性)



「膣膣膣!」って連呼しながら小学校の校庭を一周したい



あなたの仕事代わりにやってあげるから、その代わりうちの商品買ってor使ってorうちの仕事やって?世界

消費するには時間が必要→みんな食うために働いてばっかで時間ない→ロボットに任せてみんなを自由にしよう→食い扶持はどこか、とあぶれる人人→食わせてあげるからうちの商品食ってorうちの専属の被験者になって→遊んで暮らせるけど、その会社の専属モルモットで縛りがあって大変→モルモットから脱するには何か作るなり、おのれで金を他人から巻き上げないといけない。でも働いてばっかでも自由じゃない。どうしよ。→戻る



雁って鷹とか鷲みたいな鳥かと思ったけど、見た目そんなに猛禽感出てなかった



自分が欲しいものを自分で分からないもしくは見つけられないという一昔前までは矛盾ともとられそうな話が、今よくある。ソースはわて。



緩めた蛇口を再び締める作業は、人にとってこんなに精神的負荷がかかるものか
ペッパー君がバグったり話しかけまくったりすると、人間置いときゃ楽なのに……ウザい!ってなって、せっかくのロボットが人間の能力とがっちり対峙しちゃって、low-techって言われて、突っぱねられて作り直しさせられるのとか(extracted from 馬鹿力)
人型だから駄目なのかね



言葉にすると一気に削がれる、目に見えないけど人間にとって価値のあるものってあるから、何でもかんでも言葉で説明できるわけはないな
「キャプテンとしての振る舞いを披露〜」なんて文字列を見たら、忽ちその行為(のなかにあったはずのキャプテンシー)は貶められるし、キャプテンとしての振る舞いでなくなる(∵披露するものでも、実際披露されたものでもないから)。
要は目的の問題。起こった出来事の羅列として機能する文章(記事などを想定しているが)なのか、出来事の前後や最中で香った'えも言われなさ'のようななにかを伝えるための文章なのか、などによって言葉や文章は変わる。上に挙げた鉤括弧内の文字列は明らかに前者向けで(実際にインターネット記事だった)、後者の目的には叶っていない。やり方が直接的すぎる。キャプテンシーを感じた出来事の追体験を目論むのだとしたら、基本的には言葉にしない方がいいのか。どうしても言葉にするなら、ゲームをそのまま記すとか、フィクションにして出来事をそのまま起こさせるとか、そういうことをしないと伝わらないな。



自分をいかに騙し続けるかが現世でやっていく鍵を握る
(∵サッカーをやるのによくぞあれだけ研鑽を積めるな。球蹴りぐらいに思ってたらあんなに真剣になれない。)



人が輝くには金を稼がないといけない T/F
人が輝いて見えるのは金があるときだ T/F
金があると人は輝いていることになる T/F
金はわかりやすく人を輝かせる T/F



人を従えている証明をするものが、金の他に何があるか・あり得るか。また、有意義なことを証明する客観的な証拠が、金の他に何があるか・あり得るか。



感動してください、泣いてください、笑ってくださいが分類されている商品
金と時間を消費するのには理由がなければならない
これを聞けば見れば/これに携わればどうなるということが明示化された、成熟した社会



夢:卒業した中学か高校のグラウンドへ。部活中だった。全面を使って打撃練習中。外野の、さらに外へ飛んだボールを拾いに行き、バレないようにボールを返すということをする。しかし一つ下の後輩だった本多に、「◯×さんだ!」と下の名前の最後の一文字を間違えられつつも存在がバレる。彼は中々上手かったがベンチを外れるらしい。



もし女が男で男が女だったら、という筋で話す話



今週のkwann、例によって収録だったけどオープニングから面白かった。ハードルの上がり下がり・波がある方が楽しいのかな。忙しいほど休みが嬉しくなる、みたいな。或いは、苦あれば楽ありvice versa、みたいな。違うか。少なくとも言えそうなのは、ハードルは下げていた方がいいということ。



夢:今日は体育祭。寝坊する。起きて行こうとするも、支度が終わらない。体操服を探している。母親他の親族は特に何の興味も心配もなさそう。いつも通りの姿らしい。支度が終わらない。「あぁ、終わったら部活あるから部活用のバッグじゃないと荷物入りきらないな。」部活用の四角いバッグ(直方体(←久々にみた!)型。)を開けると、入りっぱなしの弁当の袋とオレンジジュースの細長い缶、グラブ。ユニフォームも入れないと。靴下スラパンアンダーシャツに、スパイクは部室だっけ……。支度が終わらない。時計を見ると、とうに2時間が経っていた。午後2時半。決して見兼ねた訳ではない母親が、さっきからその辺を彷徨く娘の姿が目に余ったのだろう、大丈夫?とユルい声をかけてくる。例によってオートマチックに、大丈夫だと答える。「今から行って4時過ぎだろ、もう終わり頃だよな、リレー走る予定だったけどもう間に合わないかな、申し訳ないな、部活始まるのか、大変だなやだな……。」そんなことを考えていると、TBSテレビの天気予報で雨が降る東京の様子が映され、また、これから強い雷雨に警戒と言っている。続く週間予報にも傘マークが並び、小さい雪だるまさえちらほらみえた。「やった!」これはすでに中止になっているんじゃないかと、Twitterの検索機能で調べる。起きる(久々の、怖い、教訓的な意味合いも汲める夢だったかもしれない。)



気持ちんちん



ふかわさんが90年代にやってたらしい『ハートに火をつけて』という番組を聴く。勢い◯。「30歳で無理をするのを止めようと思った。それで機会もあって音楽DJを始めた。」って言ってたのがどこか嘘みたいに思えるほどの意気だ。いや、そこはどうでもいい、つまりあのインタビューでの発言が嘘でも本当でもいい。結局何だかんだ、その時その時の本当を'やってる'だけなのかもしれない。彼もまた好きに楽しんで生きている人なんだな、と。説明なんて後からできるんだ。2019/01/29記



する必要がないのに性転換しないのと同じように、用事もないのに東京には行かない(言い訳)(行きたくないほう)



一周回って動画より静画の方がよくなってきたこの感覚を多分忘れてはいけない。流行り廃りや飽き。



葉っぱのとげとげが、枯葉になって葉緑体が死んでも健在だ。むしろよりとんがってさえ感じる。あの訳も無く毟った、駅の階段を上って出た左手すぐに植わった、覗き防止に機械的に並べられた、名前も知らない植物に備わっていた葉っぱ。



お得意先にて、ロッテ石垣島キャンプの中継動画。BGMが『出逢った頃のように』で、このまま見ていちゃ死ぬと察知し、消す。弱い。



合理的ということは、お先棒を担ぐことである
合理的ということは、答えを出すということである、即ちそうとしか言えないことを探すことである
それは、する他なくなった戦、皇国に拝した臣民の姿
テレビでかつて流れた筈の太平洋戦争や東京裁判、突撃命令を無視した兵士の特集をYouTubeにて二次創作として見るのも、する他ない合理的な結果
右顧左眄と安心感と安寧
彼女はいい歌を歌い、彼らはウィットに富んだ漫才をした
束の間の平穏は私にはとても優雅だった



(敬称略)



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