ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

今週思ったこと

執事という仕事
主従関係の復古(金のために働きたくない人(ex.芸術従事者やヒモなど)のための)=カンパ、パトロン、保護者を募ること
→一家に一人は大企業関係者の未来。封建制的。

↑揺り戻し。自由からの逃走?振り子な世の中。



金持ちは何をしたいんだろう、東京都民は何を欲しがってる人が多いんだろう。教えて栗の甘露煮



天邪鬼っていう性格を、科学的に証明してほしい



地方自治体の特色の出し方は、どうしていけばいいか
→住む人みんなにいい顔はできないだろう。なぜならそれはつまり一つの価値に縛る必要が生まれる、すなわち金という汎用的な価値に縛る東京都やN.Y.C.をはじめとする大都市と同じ街になるから。
google town?village? 構想ってどうなったんだろ



実況を実兄に空目



歴史とは、ただ経験を積むだけの所業を課された時間の経過なのか。だとすればなんと虚しいことか。人生と全く同じじゃないか。



ann0の、4時をお知らせするピンポンパンポンSE〜ジングル(=4時のジングル)の、SEを少し食ってジングルに入る流れが心地いい。いいカモ。



高度経済成長を経た後の、残ったナウについて、工業排水大気汚染人の群れ群れその他FQを抱くのは野暮か無粋かそれとも健忘(=健やかに忘れる、代謝で循環するもののように)?どうすりゃいいこの気持ち



面白いとは…要素として、裏切ること(新しさ)、リアルであること、人情話(栄枯盛衰、愛憎劇、成り上がり等)、真善美、が挙げられた。(スクナッ



やめられない止まらないって、すげぇいいけど、かっぱえびせん発?



人を集めることが力を持つことに/金集めに必要だけど、いかんせん人がニガテなもんで
最後には、上位1%の富を持ってる人におべっか使う奴もまた成立したりするんじゃ?例えばシンガポールとかパナマにいそうな奴らの好みに合わせるとか→そしたらシンガポールパナマに行きたい嗜好の奴と、人嫌いな奴を分けるんじゃ?そしたら金は最終的にそのコミュニティの中だけで回り出すことを理想とするんじゃ?(だって外に金出したら、出した先の奴らはこっちの価値を認めてくれなさそうじゃんつまり金出てったっきりになっちゃうじゃん回らなくなんじゃん!)→その後どうなる?またいくさ?



学者、引用ばっかするだけじゃん
hiphopを見習え



ローマ帝国は、外側がなくなってから内部が崩れ始めたらしい
資本主義は共産主義的実験を許容するが、共産主義は資本主義的実験を許容しないらしい



ベーシックインカムが始まったら
BI施行は社会主義的なの?BIが施行されても、その分物価上がったら消費者的にはおじゃん。特に家庭に優しい廉価の商品が軒並みそうなるだろうな、今の資本主義のルールのままで法律とかの縛りもなければ。予め使うところを指定する配当ならどうだろう、それでも上がるか。
結局、国が市場に金撒こうとしてるゼロ金利・マイナス金利政策と同じ結果(=今と何ら変化ない結果)にはなりやしないか?一応国民一人ひとりに金配ってるからちょっと違うか。
もしBIを投機として使う流れが主流になるとしたら、BIは金欲しさをさらに増幅させ、資本主義を更に強めるな。
一人ひとりを消費の構成員と見立てる社会では、構成員の気分がアガらないと消費が進まん即ち景気が良くならん、だがこいつらは金をため込むばかり中々で使わん、だから目を覚ますのに何かを起こさねばならん、つまり気分をアゲるためのカンフルたる締め上げ(ex.戦争、人為的な事故、膿んだのみの天災、断続的な増税、或いは移民難民の受け入れによる軋轢およびそれらがドミノ倒し的・同時多発的に起こる想像etc.)が構成員の広範に起こらないと、つまり不安や悲しみからの渇望状態に空気が満ちないと、何もかもが高揚しないんじゃ!的な論旨を死刑制度の賛否の割合とかを参照して言うのは間違ってはないだろうけど、国民の性格を変える筋とか考えないの?そんなに景気を上げたいなら。例えば構成員にグラデーションをもたせるとか。
てか景気が良くなるって、金回りが良くなることって理解してるんだけど、そんなみんな際限なく金欲しいもんなのかね?ソースに例えばスポーツ選手の義援金とかはどう。あれは世評なり何なりの見返りを求めた行為なのかね?結果的に世評や名誉が付いてくるってだけで行為にその目的があるわけではないのだとするなら、人間の持てる金への欲求って、十人十色だろうが、際限があることにならないのかね?おのれの金稼ぎに(分不相応を自覚して)良心の呵責を覚える人間も一定数いそうだし。



難民問題を考えるにあたり、金を稼ぐための何らかの役目を強要する資本主義の是非



事実≒事柄、真実か偽かはわからない



無駄は無駄でも皆にそこそこ必要とされる無駄なことは、冷淡で世知辛い現世でも成立する



歌詞を追うのがとても煩わしい身なのに、なぜ歌詞書きたくなる?嘘つき!



夢:英語と理科の記述系テストの返却。臨時の先生が理科の解説。私は途中から入室。出席番号順では抜かされていたので、直接教卓へ向かう。出席番号と名前を言い、返却を願う。なぜか感想を聞かれたので、「英語はそんなムズくなかったです」と素直に答える。へーっといった様子で私の答案を探す臨時教師。ややざわついた教室。はい、と渡されると私はシュルシュルいわせて素早く彼の手から紙を引き抜く。自席へ帰りながら点をのぞき見る。ヒェーーーー、声帯を介さない声が出る。まず余裕をかました英語、53点。続いて理科、英語に比べて手応えは薄く自信はなかったが……っっっっと13点!上体が後ろによろける。言うなれば、棒と呼ぶにしては断面積の大きな目に見えない円柱状の何かで鳩尾(ミゾオチ)辺りをグン!と小突かれたような。ひんやりした席に着く。菊地さんが何点だったかと聞いている。「いやーやばいこれはやばいやばい」と返答を逸らす常套句ーー察しを強引に求め、女々しくも答えない頑なさだけ口を衝く。始まった解説の時間、上の空で過ごす。チラと見えた菊地さんの英語96点。この世の常、あるいは全てだと思った。それだけ



4が苦手し



Too LongがTong Pooに



慶應義塾體育會蹴球部、こつこつしすぎてだめ



夢:女性の外国人ーー相談役を担っている、customer centerに従事して、事務机の前に、パソコン室に並べてあるようなクルクル回るイスに座った女性に、「Excuse me?」と我ながら声を明瞭に尋ねる。相手は悪い顔はしなかった、事務のビートに乗せてくれて、そして自らも乗って。「Yes?」とかなんとか。おわり



「苦労することが皆が納得してくれることだから、苦労することが自分を納得させる」みたいなことがよくあるけど、この呪縛はどう解けばいいだろう。



普段外国人に接しない日本人が外国人を(咄嗟に)指すのに、「女性の外国人/男性の外国人」って言う機会があまりないように思われた、ふと。言うなら「外国人の女性/男性」。しかし同様の場面で、ゲイやレズビアン、その他性的少数者の外国人を目にすれば、私はおそらく「ゲイ/レズビアン(ほか性的少数者を指す語)の外国人」と言う気がする。衝撃度が高くて、今ここで目新しくて、特異な情報を先に伝えるっていう表現の仕方っていう理解でいいのかな?そういう区別は(一瞬のうちに)無意識的にやってる、もしくはそう言った表現に晒されて慣れてるから習慣的に感覚的な表現として使ってるのかな?他者に伝えたい情報をなるべく先に言うって英語の授業でよく聞くノリだけど、この例にある、平場の場面における伝えたい情報というのが、女性男性よりも外国人であること、外国人であることよりも性的少数者であることだとすると、この表現から推測&指摘できる無意識の感覚ってあるんじゃないか。つまり、主観的には伝えたいとは言えるし、また言語学的な指摘としては伝えたいとは言えるのだろうけど、その人総体が発する経験として発話を指摘する際には、「外国人の女性/男性」の'外国人'や「ゲイ/レズビアン(その他性的少数者を指す語)の外国人」でいうところの'ゲイ/レズビアン(その他性的少数者を指す語)'は、伝えたいとは違う・似て非なるものであり無意識な経験の表出って言える気がする。くどくど回り諄い(クドイ)かな。でも思ったことの言語化だから、エッセーみたいなもんだから。ご愛嬌ね。あとあくまでわての感覚ね。当たり前かもだけどちょっと不思議。ふと。



ノイズって、意識して聞くと途端にうるさくなるよね。たとえば車の保安のために鳴るbeep音とか、いつも耳にしない(耳にしなくてもよい)ノイズが'無駄に'耳に入ると、やたらうるさく感じる。だからもしかすると、うるさいって感情は意識(と経験)の問題なのかもしれないよね。



「AIがどうであるか」の語りのなかで、"ロボットが云々"と言うのを端々で聞くと、猜疑心に火がついてやたら不信がってしまうきらいがある。以下、ロボットというワードセンスに感じたこと。
いやロボットて。ロボットて。(2回言っちゃった。)60年代くらいかな、おっさん![カメラ切り返し]いえいえ奥さま、今は平成も終わり・2019年初にございます。今は昔なのはlady and gentleman、紳士淑女なあなたのお生まれ。時の流れにお恥ずかしがることなきよう。いつになっても、いくつになっても、お慕いお守りいたします。ウェルカムようこそ日本へ。貴君が今ここにいらしたこと、とびきりの運命に、心からの感謝を申し上げます[三つ指つきつき]。
殆どの民がそれについて無知なんだから、テレビラジオ新聞雑誌新刊本インターネットサイト等のメディアで仕入れるレベルのAIがどうなんて話は、きっと、誰と誰が惚れた腫れたの文春話や映画の出来を語り合う駄話の楽しさ・際限なさと軌を一にする、同レベルの井戸端話にすぎないだろう。
ロボットが私たちの働き方をどうするという以前に、人が人を支配する/したいモチベーションは変わらない。ロボットを作る人も使う人も眺める人も、皆同じく人を支配したいだろう。(ロボットを作り使う立場の人が)ロボットを導入するのは、(ロボットを眺める立場の)私たちのバカさやユルさを許してあげるためじゃない。だから、たとえ私たちのためにロボットが働いてお金を稼いでくれても、そのお陰で私たちが得られる利益はきっと、今とその未来で同じ量で同じものだとしても、逓減しているに違いない。(インターネットの普及以前以後でインターネットで得られるレベルの情報それ自体の価値が逓減したのと同様に。)悲観的かな。でも、人は社会的に生きる動物であることを念頭に置くと、きっとそんな感じだろうし、ロボット来たる未来も今と同じように、「昔はこんなことできなかったから幸せだよね、うんうん」と言うこと、そして(変化のスピードにかこつけて)言わせることに落ち着くだろう。ルールに則った自由にできる範囲で虚栄が許される社会に生きる動物、21Cの人間、私。



ある一人の人間が意見もつその意見が、その人間の経験(出自含め)からのみ導かれるとするなら、人一人の意見それ自体なんて陳腐なもんでない?政治家なんて特にさ。力持ちで有り難がるぶん落差あるから。



金持ちは即ち多くの人のためになっているということだけど、自分(のコアにある価値、自分が価値を見出す価値)は蔑ろになりがち。金が先行しがち(それは自分にしかわからない)。ラグジュアリーに生きるのもよいが、それと同じくらい自分の価値に生きるのもまたよし。両者とも満たせない人生なら、人ひとりの命の価値なんて蟻一匹の命、いやさ枯木の一本のそれとまったく等しいけど、何せ勿体ない。
ここに、若者の自殺を否定できる点があるかもしれない。その若者が上記のどちらか、もしくは両方を満たして死ぬのなら、その自殺は満たすことなく自殺するよりよい自殺と言える(言えてしまう)かもしれないが。



土曜日の図書館にて。いつものように前もって当たりをつけた品を手に自動貸出機へ。いつものように機械へバーコードを読み取らせてのち貸出期限を書いたレシートを取ろうとしたとき、隣の機械の前に籠いっぱいに本を入れた少年が。背丈と身体の厚み、キャップを被った様子から小学生だろうか、小学生から殊勝なことだなぁ。そう心の中で言いながら帰ろうとしたとき、彼の姿にまた目を見張ることが。彼の下半身は野球のユニフォームだった。私もかつては野球をやっていて、その時分と比較して彼を見てしまった。だからいつも他人を見るときより余計に目が離れなかった。コンマ数秒だけいつもより長く、我ながら他人をよく見てしまった。私はこの歳で図書館は全く来ていなかった、学校の図書室にさえ足が向けなかったし。小学生の頃唯一市立図書館に赴いたのは夏休みだったろうか、宿題のための調べ物のために泣く泣く行くことになったのだ。入るやいなや、その静かなことに驚いたことを鮮明に覚えている。こんなに静か、人がいるのに。静けさ、それも作為の静けさに包まれるのは初めての経験だった。図書館ではヒソヒソ話で話す、それも言いたいことを単刀直入になるべく端的にして短く。そういう場所として当時の私に図書館は認識された。今はなんでこんなにうるさいんだろう、あるいは静かなことに慣れたんだろうか。むしろ静かな場所を好んで目指すようになったのは何故だろう、反動かな。また小学生の頃の感覚に戻る時は来るのだろうか。などと色々と思うところはある。
閑話休題。野球をやった帰りに図書館に寄って一人で本を借りる彼の姿を見て、これが理想だと思った。はっきりと。これが健康的で理想的な姿だと。かういふ人に私はなりたいと。誰ぞに言わせりゃ退行だろうか、でも本心、少年を見て思った2019/01/19。



自殺したくなるのは、自殺はしてはいけないことになってるから?これ文辞矛盾?




イチローの変態的プレーのハイライトを、お得意先a.k.a.YouTubeでみる。野球の為のスイング、野球の為の投球フォーム、野球の為の走法。野球打ちであり野球投げであり野球走り。野球中の動きは全て、野球に親和している、というより一体化している。スイングしているんじゃなくて野球をしている、スローイングしているんじゃなくて野球をしている、ダッシュしているんじゃなくて野球をしている。こうして説明した方が至って自然なようにみえる。



数年後か数十年後かわかんないけど、ネットの中のゴミ掃除が仕事として成立してそう。スペースデブリ(space debris)ならぬネットデブリ



共感という快楽について、他の快楽と比べるなどする論文とか出てないのかな?人間の社会的欲求の大本山だよ、共感て



Friend Ship

Friend Ship

星野源『Friend Ship』の
笑い合うさま〜
ここが日本と世界の違いか。もしくは壁。端的にいって要するに、ボブディランはここでこの詩を選ばない。
いい歌なのは言うまでもなく。



人の能力がまばらなのは、スポーツの世界に見やすい(か)。例えば全国男子/女子駅伝。出身都道府県別でチームを編成して競争するこの大会では、上位に群馬ー広島ー福島ー神奈川ー鹿児島と、何の不思議もなく並ぶ。



ニコニコのコメント一つ残らず読んで全部見切ろうとする俺は集合知になりたいんか?!



以下、松尾スズキ著『もう「はい」としか言えない』を読んだ感想653字
※ネタは殆どバレていませんが、大きくテーマ(私の思う著者が想定したであろうテーマ。念のため。)はバラしています。ご注意。

もう「はい」としか言えない

もう「はい」としか言えない

この前書いた、奴隷制下の自由はありえるのだろうかについてのおのれの意見に、また新たな知見を、これを読んでさらに加えられる気がした。
人は不自由を自覚すると、自由になりたくなる'しか'なくなる。というより、持てる限りの自由をぶっぱなしたくなる。それはむしろ逆に自由からの逃走になっているのではないかという見方。読めばわかる。タイトル通り、『もう「はい」としか言えない』状況に置かれたときに湧く湧く物悲しさ・空しさ・恥ずかしさ・誇らしさ・正しさね。ありとあらゆる'しか'をめぐるマウントの取り合い。ときに露呈するその卑猥なほど生々しい露骨さ(←この表現は引用す)。知らぬ間に巻き込み巻き込まれる、がんじがらめのし合いさせ合い、応酬。
一読ではちょっとついていけずに噛み砕ききれなかったけど、注意深くメッセージを読み取ることを第一条件として念頭においてページを進めたり戻ったりしながら読んだら、結構ストレートに言わんとしていることがト書きや台詞の随所に含まれているのが分かって、なるほどな、と楽しかった。ナウい作品でコンテクストを共有しやすかったからかな、ばるぼらよりよかった(爆)。
〜せずにはいられない状況、整理して把握する作業を経ていると、結論によく湧き起こる。よく口に出すしね。まずおのれのこの先とか、考えずにはいられない。半ば強引に悲観的な未来を思い込むようにして、現実に起こることのハードルを下げといたりなんかして。あの明石家さんまでさえもそんなこと言ってたしな。小さいことなんだけどね、人間ひとりなんて。



(敬称略)



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