ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

ここ1ヶ月位のうちに思ったことなどの記録

(2021/03/08更新)

若林がラジオで話題にしてからですよ。が再びオーバーグラウンドに顔出し始めた気がする。2021/02/20放送のフジテレビ「ENGEIグランドスラム」に出てた。kwannはポータルサイトみたいなもんか、職業エンタメ業界人にとっては。彼らにdigる訳もないし、そんな時間もないから。



夢:コンピレーション。どこかで一貫性があったのかもしれない、主人公が全作品に共通する短編小説集の設定みたく。以下段落毎に1つのまとまった夢の記憶。なお順不同で記憶順ではない。
学園rpg。何も喋らないけどある話題になると頷くか首するやつがいる。
陸上の両肩掛けの楕円形で朱色に近い濃い赤色のリュック持参で授業に出ている。教師が元選手の陸上競技部顧問。長机が坂道上に6〜7本くらい並行して並ぶ中規模教室。2回目の授業で隣になった大坂なおみがそれに気づいたとして「陸上のバッグで来てるよね」と話しかけてくる。ワタシは英ヤグわからない単語をノートの左上端にメモしている。「そうそう陸上のバッグ。媚びてんのよ彼に。」と返す。媚びるという単語がわかったか不安だったが「媚びてるのね〜」と反応は悪くない。おそらく大丈夫だと思ったが、今振り返ればそれも日本の高い文脈性を誇るコミュニケーションで培った、その場の会話を円滑に進めるための空気読みの手法だったかもしれないとも邪推できる。私は左右に同級生に挟まれて左隣に大坂がいた。多分右にも女性が座っていた。この状況にも心の動揺はなくさも当然のようにいたって平常通りだった。私から見れば、そこに座る私はいかにも学園生活におけるリア充を無意識に享受していた。
強そうな細めのヤンキーを焚き付けるため、タイマン張れバーカとふっかける。彼が釣れる。白いワイシャツを着ていた。対戦にあたりレギュレーションを決める。こちらが不利だから決定権があるようだ。グローブは片手は最薄手の青、もう片手は鍋つかみくらいの厚さの手袋みたいなのにする。こんなんじゃ絶対骨折れるよ、と第三者。不安が襲ってきたが、結局無視する。いざ喧嘩を買われると恐怖度は鰻登りだったが、親指を内に入れた拳を可能な限り固く握って意を決す。腹を数発殴る。何せ初めてなのでパンチに体重を全く乗せられない。拳は痛くない。がやり返してこない。腹パン来いと煽る。最大限に力を入れて準備する腹を指で何回か押して吟味し、大丈夫か?多分やべえぞと吹かしを込めた発言。しかし結局殴られた覚えがない。
ナメキがチェーンの蕎麦屋の店員で、たまたまトイレで会ったとき、唐突に今日で手打ちは最後で機械化になってしまうと打ち明けてきた。悲しんでいた。
もっと色々あったがあとは忘れた



好きなタイミングでぶち切りして次の声優ラジオに梯子するとき、やりちんを疑似体験する気分だった。やりちんになる気分ではない、ヤリチンを疑似体験する気分だったのだ。記事体験する気分という点でワンクッション入っているから罪のレベルは下がるはずだ。



スマホのカレンダーをたまたま開いたら、電話帳に残った中学時代の友達の誕生日と同期して年齢が表示され、月日は百代の過客にして



バカリズムがラジオゲストに出てきたのを聞いて、所帯持ちの声色で所帯持ちの発言(「(配偶者に)〜もらってきてって言われて〜代わりにお菓子を持たされたので〜」)を聞いて、うっとして聞くのをやめた。私がラジオに求めるものの一つに、私の今を忘れられる、あるいは肯定してもらえることがあるのがわかった。



芸人に認められるために芸をしている芸人は、いつかその苦しさに反旗を翻す。ある程度の人数が集まった段階で。その時芸人はタレントに近づく?



夢:ワゴン内。関戸氏弟私が後部座席。運転手は忘れた。一旦車から降りたが、白い電子辞書を車に忘れていた。連絡しようとしたところ、本人が交差点に進入する車に走って追いついてきた。スライド式のドアをさっと開け中に入れる。道路、それも交差点に走って進入するなんてとても危ないからやめなよと言おうとしたが、皆が思った以上にこれについて関心がない様が、彼を拾った直後の車内で何事もないように「はい電子辞書」と渡していたことから察したので、言えなかった。
飛ぶ
私はミーハーで、嗜好も興味関心も欲求のありようも普通の人間であることを思い出させた。中学時代、学校の女子とちょうど2日に一回のペースのeメールのやりとりで饒舌に会話することで仲を深めようとした結果、ある日の朝、登校直後の教室で、面と向かってではなく暗に私に向けて、唐突に拡声器よろしく室内全体に響き渡る音量の言葉で思い切り罵倒された。女子に好意が生まれなければこのトラウマを負うことはなかったがしかし私には普通に好意が生まれた事実。これを思い出させる夢だったが、内容は忘れた。



サシャブラウスみたいな同級生おったらな〜。いやいたか、いたかもな。でもどうせ声かけられないんだな。制服似合いそうやな。



車の運転中に事故ったら、警察→保険会社(→板金屋)の順に連絡する。相当の事故ではない限り、道路上の邪魔にならない別の安全な場所に移動する。そしたら相手の氏名住所電話番号と加入保険会社名を控え、また相手の車・ナンバー・事故現場と、自分と相手の車の事故箇所等をスマホ等で撮影しておく。
相手との会話では以下に気をつける。金を払うのはあくまで運転手たる自分や相手ではなく保険会社になるので、相手には「保険会社同士でのやりとりになるので、加入している保険会社に詳細を正確に連絡しておいてね」と優しく念押しし、自分の保険会社には状況と責任の所在、修理費の分担割合等について意思を明確に伝える。自分の保険会社にはしっかり詰めて話す。
大きく、止まってる車に別の車が衝突したら、0対10で衝突した方の瑕疵。徐行でも動いている車に別の車が衝突したら、1対9ないし2対8で衝突した方の瑕疵。比は事故修理代等にかかる費用のざっくりした分担割合。



思いつき語
アナルセックスの行方



前に食べたものの風味が口に残った状態で新しい食べ物を食べたとき、一瞬全く違う食べ物の味ないし風味がすることがある



ラジオは誰かのレコメンド発ではない自分が好きで聴き始めて、また聴き続けている娯楽だから、本質を見る目が養われるのかもしれない。ラジオという娯楽の揺らぎづらい確たる魅力。市場規模が小さい、つまり好きな奴だけが集まりやすい娯楽だから、作り手もその好きなやつに向けて作ることになるし、
だから
ギャラクシー賞みたいな大人が都合で人工的に作り上げたラジオ番組の評価基準が形骸的というか上辺をさらってるだけなのがよくわかる。それはこちらから言わせれば、道徳的教科書的古典的情緒的つまり広く社会に開かれて然るべき=社会的ないい話で賞。何が言いたいかといえば要は、ギャラクシー賞の正しさと日々ラジオを支えるラジオ好きの正しさは別物であるということだ。
ラジオ好きがギャラクシー賞をそんなにありがたがらない理由がわかるし、それを敷衍して、どうして大人の人工的・作為的な横槍が嫌われるのかを理解できた。自分の精通するラジオに置き換えて大人の横槍について考えるとそれがよくわかったということだ。



100均どこに何があるかわかるような、としよかんのけんさくえんじゆてきなやつ図書館の検索エンジン的なやつの開発。広告貼って金もらう



アメトーーク「40過ぎてまだバイトしてる芸人」を見て、終盤悉く涙が出た



出来事(ネタ・芸)で笑ってるんではなくて、笑い所で笑ってる。その笑いは周りの笑い声に同調して笑ってるだけだから、浮動的。真に、いや言い直す、自立的にお笑いを楽しめていないのではないか。人生が常に他人との関係にしか見出せないのは苦しい。自立するまで離脱するべきなのかもしれない。



計画することが先の目標を決めることだとしたら、人によっては、目の前の仕事を全力で取り組まない原因になりうる。だから逆に言えば、人によっては先の目標を立てないことが、結果的に目標を立てたときより高いパフォーマンスを発揮できる例もあるだろう。



自己嫌悪に陥っている。なぜならかつて自分を虐め、貶していた相手にひとたび好意を示されて、自分はその相手を好きになっているから。好きになってしまったから。自己嫌悪を解消してくれる相手、すなわちかつて自分を自己嫌悪に陥れた人、つまりかつて自分を貶した相手、その相手を好くことで、無意識にか自己嫌悪の解消を図っているが、実際には自己嫌悪する自分は変わっていない。今後その相手が自分を振ったら、あるいはまた自分を虐めてきたら、自分はまた自己嫌悪を発症するはずだ。自己嫌悪する自分を根本的に変えるには、かつて自分を貶した相手を好きになるだけでは確実に足りない。それは一時的の承認と解放に耽っているにすぎないと言える。
『sex education season2 ep.5』より主人公の親友に向けた発言から導かれる思考のトレース



お菓子を買い込んで食うことに快楽を覚える嗜好がこの歳で既に同じだった。ああ、あいつと同じは嫌だ。



恋愛ドラマについて
顔面に対するコンプレックスが拭えないから、美男美女、最低でも一定時間視線が注がれるのに耐えうる容姿の人間、つまり見た目において社会的に記号化済みの人間(一見してこの人はこういう見た目だなとか誰々に似てるとかを言える人間。見慣れた人間(ex.いわゆる人気の芸人やタレント、俳優といった、主要メディアに日常的に乗っかるなどして人口に膾炙した人間。例えばマツコ・デラックス。)も含む。)ばかり登場するドラマや映画、フィクション一般で、セリフに乗せて伝えられる「さらけ出せ」とかいう真実らしいメッセージには感化されない。そもそも別次元の中〜高等容姿の人間たちの高尚な恋愛aka肉欲主導の戯れだろうと見切ってしまって、見るモチベーションが続かない。だからいくら普遍的なメッセージを込めた恋愛ドラマであっても、それを演じる人間のビジュアルが私の目に記号を映したら、それは私にとっては良く言っても一時の薬的な、その場は腑に落ちるだけのフィクションに過ぎず、忘れていくに違いない作品になる。
大衆相手の商業であれば、多くの人が持つとされる「どうせなら美しい画面を見たい」との欲求に合わせて作られるからして仕方ないんだろう。少数派は切り捨てるのが当然なんだろう。
ルッキズムであるなら、登場人物が誰彼構わず社会的に記号化済みの容姿なのは
辻褄が合わないし、
多様性にも反する。fuck
職業俳優の限界がここにある。私にとって記号化済みの容姿が、映像フィクション中のメッセージを受け取るまでの一つの大きな壁になっているから。



先を思って暫定的に結論した、以下に記す場面で思ったこと。
あくまで私見だけど、記録しないでおく方がこの先の人生をよりよくやっていける幸せな瞬間・時間・記憶っていうのはあると思う。客観的に切り取って保存せず、脳内に留めるだけの選択をとる。忘れても良いとみなす。思い出補正をも期待する。そういうカテゴリに入れる記憶。
だから2021/02/09、エアコンから暖房の音がよくするリビング、16:04、庭側の窓から西陽がさして明るい、監察医朝顔の録画をソファで静かに横になって見られている彼女がいるこの空間を、この端末で録画しようか頭をよぎったがやめた。数ヶ月前では当たり前だった場面が、時間の経過に合わせて起こった体の変化によって久しぶりの場面になった途端に、文字通り有り難く思える。気分屋というのか、頼りない心のありようであること。主観の、いかにも主観らしいことを自覚する。



「彼女さん」って何だろうな?カップルの片割れの友達からみた、片割れの彼女に対する呼称。彼氏さん・彼さんって言う?彼氏さんは聞いたことあんな。



内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。〜『鼻』芥川龍之介より



夢:ある出来事にまたしても参加したくなくて逃げていたら、当局に完全に目をつけられ、見つかり、拘束される。そのまま連行され、体温を測ったのちぶち込まれる流れに置かれる。海が見えるテラスのような屋外空間に人間が並んでいる。海風が強い。空間全体、床や囲いや手すりなど、ウッドデッキに使われる木材全てが色ムラなく焦茶色に塗装されている。連行先で私は、無実に確信を持っていたという理由で不思議にも大きく出た。先頭に割り込み、眼鏡をかけた保健室勤務ぽい白衣の女性から電子体温計を受け取った。計測する。「脇に挟むやつよね?」後ろの奴や周りからの頷きを確認したかったが誰も反応してくれなかったので、結局後ろの奴がそうしたのを真似て脇に挟む。真後ろの奴が先に測り終わり抜かされたところで私の体温計が鳴る。37.6℃。これでいいんですかと連行した主犯に体温計を見せながら問うと、彼は体温計をぶん取りちらっと見やると、何も言わずに回収用の茶色い麻袋にそれをたたき入れた。この一連を見て私は火がつき、5,6歩進んだあたりで「37.6℃でもいいんですか」と周囲に叫び始めた。すると程なくしてさっきの保健室の先生が、次々に体温計が入っていく麻袋を持って中を探し、1本を手に取ると、私の元へ急ぎ足で来た。私は彼女にも同様に37.6℃でいいんですかと主張する声色で尋ねると、「一旦……、」か何かを言って(記憶がない)私を進行方向と逆流させた。
飛ぶ
船の操縦席から見るような、180°に近いガラス越しの海原が眼前に広がった場所で、周りを敵に囲まれている。決定が下される直前、相手方から声が上がり、かつて通った小学校にいた教員◯◯先生が私の前に現れた。ふかわりょう似。その場を収めている様子から、どうやら彼はこの人間らの上官的な地位にいるらしい。私は彼とはクラス担任などの直接の繋がりはなかったと記憶しているが、挨拶も早々に彼は私の小学生時代の頃の思い出を優しく語り出した。「図工の作品◯◯の緻密な作業は〜」「〜まるで文学青年かと思ったよ」など(他は覚えていない)。小学生の時分、私は運動に自信がある児童だったと自認していたので、彼の私に対する数々の文科系の印象はとても意外だった。あとは忘れた



死語?
カメオ出演
カルト的



金持ちが地ならしした世界で、その主導者たる金持ちがリタイア後に虚しくならないためには、誰かが多様性の存在意義を背負ったアンダーグラウンダー役に徹さないといけない。そのアンダーグラウンダーは一生貧乏でかつ日の目も浴びないまま死ぬやもしれない。



ほんわか仲良しの様子のエンタメを楽しむような、怒りや批評的視点に乏しいぬるま湯お花畑的性格の人間による創作活動の存在可能性とその具体的なあり方



YouTube宮川大輔氏が真ん中に出てるpaypayのcmが不快。居住地を高らかに叫ばれるのが不快。この広告が刺さるだろうと見込んでいるそもそもの思惑も、閲覧履歴をクッキーかなんかで分析されて私にこの広告の効果が見込まれている結論も不快で、総じて不快。



何もやらないくせにm1グランプリのザパンチみたいにはなりたくないと思う精神性を否定しないことには、ここから何も始められない。



その例え古くね?:奥歯に物が詰まったような〜



YouTubeで贔屓の野球選手のキャンプの様子を見る人々の目は、さながらかわいい犬猫を愛でる目的のそれ。スマホ越しで目の保養をしている。



もうすでに文章は溢れていて、自分が何か書くのはすべて自分のためでないといけないような気がしてならない。物書きに長けたスペシャリストは世の中にごまんといるだろうことが、無料でアクセスできる文章の書き手が職業作家であることに見て取れる。震える。とてもじゃないけど他人に褒められるように上手く書けるようになろうと努力する気にはならない。なぜならもうすでに読まなくてもいい文章は世の中に溢れ、しかもそれらは、内容が面白い云々の他に、キャリア中に一発は上げている職業作家によって書かれる、つまり読む前の読者に文章の質を保障する=説得力の安心を抱かせる/提供するという付加価値まで備えているからだ。もうすでに私が他人のために文章を書く必要が全くないことが、インターネット中の氷山の一角にぶつかっただけで明白に思われ、慄然とした。



サブカルってもはや無いような。インターネットして水平化されて、あらゆるものが並べ置かれている状況という認識でいるin2021/02/01。価値の貴賎とかも謂れのない差別ってことで無くしていく方向にあると思うし。あるのは流行り廃りで、それはこれまで使われてきたサブカルって言葉に付随する「ニッチでナードな、同人団体組織済みの趣味領域」みたいな趣きとは違う。流行り廃りは、ある時期に人口に膾炙されているかどうかの程度が基準になる、絶えず中身が入れ替わる現象のことだから、流行り・廃り=メイン・サブとするときのサブと、文化部的!タモリ倶楽部案件!とカテゴライズできる点で固定的なニュアンスを含むサブカルは別物。だからサブカルと聞くと死語の響きがする。



いつしか検索に答えを求めるようになっていた。ただの画期的な手段だったはずが、それはあまりに日常に溶け込んで、習慣に埋め込まれて、神格化した。なんでも答えてくれる「先生」との呼称をそのままの意味でばかり使っていたら、いつのまにかそのままの意味で(のみ)認識するのが自然になっていた、と仮定する。



俺は政治家みたい、日本の生き写しのような人間。hiphoperやrockerに憧れるけど性格的に厳しい無理。ならどうする?政治家的人間の苦悩を政治家が絶対やらない手法で打ち明ければいい。漫画詩歌小説→文章絵
◯右顧左眄
◯空気と慣習に決定権を委ねる
◯出来事の起こり待ち、つまりあることが起きてからそれに対処する自主性は皆無な精神性
◯結局は守銭奴
◯保守寄り
◯怒られたくない死にたくない苦しい努力は辛いから楽したい



yahooコメントより、ゲームストップ株暴騰の件について考えられる問題点
SNSredditに最初集合をかけた人に対する風説の流布の該当可能性
証券取引所redditロビンフッドアプリによる個人投資家に対する一連の一方的な一時的取引禁止措置
↑いわば機関投資家対個人、establishment v.s. minorityの構図。大きくは富の偏在問題、現行の資本主義の欠陥(富が再配分されない自由競争社会や私有財産制度)問題に通じる。
○大資本が有利な金融市場そのもの(一定水準に達する金持ちなら誰でも一定程度操作可能な金融商品取引市場の仕組み)
↑たとえば無制限に空売り可能なルール
○投資情報提供者による市場参加(∵個人の風説の流布との線引きができないから。つまりいくら手順を踏んで公的なお墨付きを受けたちゃんとした機関であっても、自分で噂流してその噂が原因で生まれる利益を得る疑いを否定できないから。)



自分の特定の行動に説得力を持たせるには、他の人が普通にやれるある別の特定の行動を制限する。この株が割高割安とレポートを出すのを生業とするなら、自らがそのレポートによって自らの利益のために煽動している疑いを晴らすために、株取引を一切しないでおく必要がある。



夢:連想ゲームでしりとりしちゃう。前の席のキャイーン天野くんからパンパン野球、ときて、パンパン牛!と。そしたら後ろの子も鹿!となってしりとりするノリが始まってしまった。失笑のような笑いが広がる中、私はその笑いに便乗してゲームの最中から笑いながら手を合わせるポーズをして謝った。もっとあったろう、水島新司とか権力的・国民的とか



最近の巨大IT企業の情報収集制限の潮流は、何がきっかけになった?向こうの各州が裁判にかけたこと?それならば、前からずっと問題視していたこの問題なのに、ここにきて州が実際的な裁判所に訴える行動に至ったのは何がきっかけだったのか?単に「もう十分稼いだろお前ら」みたいな草の根の感情がmassive化してそれに公的機関がせき立てられたっていう感情的aka民主主義的な理由に、民主党への政権交代が重なったから、みたいなことなのか?あるいはもうちょっとシビアにプラグマティックに(数字や企業活動の動静を読んで)「制限してももはやこの企業の存続には関わらない(つまり市場への干渉による悪影響が小さい。90年代のAppleへの情報収集制限と2021年のそれとは意味合いが全然違って、前者=創成期時の公的な干渉はいわば若い芽を摘んでしまうという意味に他ならない。)、逆を言えば無制限を維持することに見合う更なる革新が見込めないと踏んだ」ってことなのか?



スーパーに物を搬入するトラックの通り道に商品が欲しい人がいれば、いちいち一箇所に集めなくていいだろ。さして広い土地でもないなら。



猫の口をした毛虫を下から舐めるように撮る。遊戯王的フィクショナルな毛虫の気持ち悪さ。



自分の部屋のベッドの下に放置する菓子のゴミ、埃、髪の毛、食べこぼし。溢れかえるギリギリまでゴミ袋に詰め込む信条を盾にゴミをなかなか捨てない。それらには紛れもなく自分の本性の一部が表れている。自らの本性について、自覚しておくことは損にはならないだろう。



英単語の綴りを説明するのには、一度その単語を書いてそれを見ながらでないとできない。頭で空でアルファベットを並べるのが難しい。単語を筆運びもしくは絵として、あるいはその両方で把握している節がある。



何もやりたくないながらなぜか引きこもって生きているというのも結構キツい、という見方



「丸い地球の水平線に 誰かがきっと待っている」
347(77) 75
のメロディ?コード進行?が、次の詞「苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ」を暗示するというか、導入している風に聞こえて、それが良い。
長距離走中は運動会でやっていた金管バンド演奏ver.のひょっこりひょうたん島がループで脳内再生していたのを思い出す。



夢:菊地氏と初体験。教室で授業の如く皆で乱交する様相、AV的。体位はバックが中心、というかそれしか覚えていない。やはりと言っていいのか、圧迫されながら上下動するのにともなう皮や先への違和感は甚だしく、皮が伸び切るときは亀頭と皮の境界部に引っ張られる痛みが走ったが、既に知った痛みだったのでさしたる不安はなかった。また奥まで入れるのには相当の圧力を受けながら力強く押し入れないといけないので、これは自分の違和感よりも相手の体への負担の方が気にかかった。こんなに力を込めて果たして大丈夫なのかと。行為中はこの状況に対する混乱と快感と不安とが混濁した、おそらく今まで一度も感じたことのない心境に置かれた。そして行為が終わると快感が消え、相対的に混乱と不安が大きくなっていった。初体験中に終始起こった心の動揺(ex.こんな感覚なのか、これでいいのか、相手は大丈夫か、これキツいな、今何が起こってるんだ他)を収めるのに精一杯だったため、相手が気持ちよかったのかを考えると、手応えが全く無くてとても恐ろしかった。相手の快感への試行錯誤をする技術的な、そして心の準備と、心の余裕が足りなかった。ただ相手は特に私の心に爪を立てた形跡もなく、つまり度量が大きく優しく接してくれた。
全て終わり一人で落ち着いた後、初めてが好きな人とこういう状況下で、ということをこれから背負うことになったと思い、なぜかほっとして、また誇らしくなった。よく言われる卒業後見える世界が少し変わる、自信を得る、一皮剥ける、といった類いのベタに俗人的な心境と言っていい。p.s.「お尻に入れてもいい?」と発言したことははっきり覚えている。唾をよく垂らして舐めて十分湿らせてから入れた。キツい方が気持ちいいとはこういう感覚を指すのかと知った。



足掛け◯◯年って意味を調べた。具体例で説明されて初めて理解できた。辞書的な定義解説の文章を読むだけでは理解できなかったことがショック。



ラジオという子宮、パーソナリティという羊水に浸かっていたいだけ。聴いているだけなら、何をしてもだめ。



『名前のない青』
「クソの類い」ってすごい、クソより汚い。



アニメ映像研には手を出すな第二話より
水崎「金森さんて足長いよね〜」
金森「寝る子なので育ちました、そしてすでに送信完了しました」



詞案
理想の姿の言語化を羅列する
そんなん全部満たせるわけないだろの告知



きちがいはサイコに置き換わっただけ



充足した人はどうして創造しちゃいけないんだろうか、やってみればいい、現状に満たされた人による創作がいかにクソかを試してみればいい


https://m.youtube.com/watch?v=JI_V9gZJoJ0&t=640s
YouTubeにて、安部公房の講演音声を聴いた。
口ぶりが東大医学部卒らしくなくて、しかも今から50年近く前の作家先生にすら聞こえないことで、それらへの妙な偏見を自覚する。だからこれを通しで聞いた一現代人が抱いたイメージ、要は(創造的で反権威的で唯一無二らしい発言から)「なんだか作家として信用できそうだな、今作品読んでも損はしなさそうだな」みたいな頭もまた安っすいんだろうと思える。



正確であることが明確な一点(もしくは数えられる程度の数点)から出ることが分かっているのにも関わらず、不正確がしばしば表出するジャンルの、その不正確に対する抵抗は正統とみなされるだろう。つまり、たとえばTwitter中の言論で、不正確であることから市民の理解が妨げられ時間が無駄になっていると考えるなら、その不正確から市民を解放するための正確さを売りにするメディアには一定の需要が起こることだろう。たとえTwitterに比べ資本力が小さい会社だとしても、つまり大衆的でない反即時的で味気ない非エンタメな灰色のホームページだったとしても。



性差間に間違いなく揺るぎない違いがあるとして、その違いを、例えば仕事の性質上その違いは排除されなければならない、とみなせば、その違いを理由に一方を排除できるという道理が成り立つが、排除の行為自体がいけないとしたら、その違いによる仕事の性質への影響を無視する必要がある。排除する基準=違いを取り込む基準は各領域によってその合理性が異なるであろうからそれぞれがそれぞれに設定されるのが正しいのだろうか?



捌けた感じ
どうやら半年もあれば、クラスメイトが俺の立場を正しく認識するのに十分なようだった
(涼宮ハルヒの憂鬱の確か最終話より)



タイトル案:何なんだよって言って



夢:バイデン氏の就任演説にて表明された各種具体的な政策に対して市場がスナイパーのように反応する。数字が思い切り回転して指数が+2500まで達した当たりで滝水の如く落ちていった。



コロナ禍 この中
月が綺麗 付き合いきれん



細田守監督作品『おおかみこどもの雨と雪』についての感想を箇条書き。シネマハスラー&インタビューのアーカイブを聴く前。
※以下ネタバレ多分に含む。
◯許し許され、自立し自立されの話か。
奨学金をもらいながらアルバイトして一人暮らしの生計を立てる大学生が、学生結婚からの自宅分娩、パートナーとの死別、休学、一人親として子育てをしながら子供のために都会から人里離れた田舎へ引っ越し、ライフライン(とりわけ農業と家屋の修繕)の確保と整備、ご近所付き合い、育児、生活維持と、この一連をこなす主人公の花の孤軍奮闘ぶりが現実離れしているように受け取れた。親はいなかったのか気になってしまった。
◯絵が緻密で実写と見紛う美しさ。絵や音や動きからなる景色の全てがまるで現実らしかった。芸術作品。ストーリーの納得度や共感の可否とは別に、絵を見るだけで十分幸せ。眼福というもの。
◯大教室の教卓に出席カードをテキトーに置き学生が横方向に流れるシーン、自宅にて手作り焼き鳥シーン、教室での素顔告白シーンにおける嵐の窓を開けてカーテンが風にぶわっとして顔の影に耳が生え→カーテンが戻って狼の顔があらわになり→カーテンが再びぶわっとなり→人間の顔に戻る一連の特に風を受けるカーテンの動き(強風に膨らんだカーテンの位置が元に戻って狼の素顔が見え切る直前、顔の2/3が露わに、1/3程がまだカーテンにかかった状態で再び小さくカーテンが顔にかかる一瞬のその動き)が印象的。あと、弟の雨が学校に馴染めないまま3年生になり欠席がちになったことを、学年順に並ぶ教室(児童数が少ないから一学年一組=一教室で且つ少人数であることから特定の一人を自然と視認しやすい状態にある)を廊下から窓越しに見て左右に横スライドさせながら一挙に説明するワンシーン。隣りの一学年上の教室では雪が適応しているが、一方右に平行移動・横スライドさせた1年生教室の雨は周りの雰囲気から取り残された風に席に座っていたり、2年生に上がると廊下でガキ大将ら2人にいじめられていたのを左から飛んで来た雪が追い払い、3年生になったら今までの座席位置が空席になる。このシークエンスも印象的。
◯シーンの意味を示唆する、表情やモノがほぼ静止した状態をみせる時間が絶妙。意味を推察し噛み締めるためのカメラが止まる時間配分は私的にはちょうど心地よかった。
◯タイトルはなんで雪と雨じゃないんだろう。姉弟の順からしてもラストシーンの全てを洗って刷新する雨という意味でも重要で象徴的な雨を後ろに置かないのは意図しているんだろうけどなんでだろう。あめとゆきの音がよかったのかな。
ああ、おおかみこどもの道をあの時点では選んだ雨と人間の道を選んだ雪、ってことか。それなら「おおかみこどもの雨と、雪」って意味を通すためにこの順番にしないといけないな。そうか、ここでの弟姉の順番は仕方ないんだ。だって喧嘩のシーンでは、今まで姉の雪にやり込められてきた弟の雨が自立のために雄を出す勢いでやり返すストーリーが必要だから。狼姉と人間弟では序盤に年上が年下にやり込められないといけないことに説明がつきづらいからダメ(小学生低学年同士では特に男女問わず年上の方が力が強い)、狼兄と人間妹でも同様だしその上兄が妹に馬乗りになるのは男女の筋力差が表れ過ぎかねないからダメ。したがってこの喧嘩までのストーリーのためには、狼が年下(妹が弟)でないと成立しない。だから「おおかみこどもの」って枕詞が固定なら「年下と年上」の順番にならざるを得ない。
p.s.
花は結婚してないんだな。力強い。



おじさん呼ばわりから逃れようとするほど、おじさん概念が重くのしかかってくる皮肉。いつか、おじさん呼ばわりから逃れようとする精神性自体がおじさんであると言われようものなら、もう彼らは何もできない。逃れることから解放されるとそこからは彼ら個々の真価が問われる。また別の指標を探すか、内省するか、または逆に進んでおじさんを極めるか。



陸軍伍長 潮田恭二



アフター6ジャンクション2020/0826放送"ワインスタイン報道"を改めて知る特集における、紹介者の古屋美登里氏の発言「」に頭を擡げた感情とその周辺で思ったこと。
違和感を覚えた。フェミニズムに立脚した発言が、そのイズムに同意はするものの信奉はしていない立場からすると往々にして刺々しくきこえる、みたいな安易な落とし所では済ませたくない。なぜなら今まで虐げられてきた人間の性として対象にキレるという道理がわかるから。
この違和感はおかしいのか考えるための即席の検証としてふと思いついたのは、単語を逆に置き換えてみるというものだ。つまり
ただこの発言は宇多丸とパートナーの合いの手も相俟って、またご時世上の理由からリモート出演という形式をとっていることも影響して、話がドライブしていった中で迸った熱情の一片であるのは想像に難くないし、またこれが主観の表出と理解するのに十分な助走(この発言に至るまでの声色の高ぶりや言葉遣いのブロークンさ加減(説明者の話法→近しい間柄間の会話の話法への変化)など、彼女の声から聞き取れる要素の多くから推測できた)をもって迎えられたと判断できた。なので、上記人間の性として拳を掲げて反対意見をdemonstrateする理屈は大いに理解できるから、これは揺り戻し(=あらゆる方法で社会的に男性(+)が女性(-)を抑圧することへの反発と、性差が引き起こす不当な権利侵害の根絶による平等(±0)の実現)の際に溢れる、仕方のないヘイトなんだと納得するしかない。
この結論から導かれる道理から±0のフラット状態を実現するために反発する女性にあえて言うことがあるとすれば、それは反発の成果を限りなく±0に漸近させる努力をしてほしいということだ。なぜなら、かつて優位だった男性の行為と同様に女性が男性を虐げれば、押し返した振り子がフラットを通り過ぎ、再び揺り戻し、つまり再度男性が女性を虐げる未来が来る恐れがあるからだ。この道理は性差別への対抗運動に限らず、人間が抱くあらゆる対抗意識や人間が構成要素となるあらゆる対立構図にも適用できると思う。そこでは、情動や欲望を飼い慣らす、2021年現在では高潔さなどと呼んでいる心のあり方、もしくは制度設計が求められている。



時代の潮流



好きな異性年表byしまおまほ
しまおまほ物語



常に第一作の断片主義者は一連を把握しない。よく言えばKREVAの常に初期衝動を生み続けている。



一人で下校中の私立小学生の女の子を見て、くれぐれも気をつけてね、そのまま健やかに育ってねなどと思うが、将来自分が子供を襲わない確証がないことに気づく。最近自分が危ういことを自覚する場面が多いことから。



夢:口に砂を入れられる感じで弘中綾香氏に接される。詳細は忘れたが、ふざけ半分本気いじめ半分みたいな。マゾヒストならいいが、いかんせん自己肯定感に乏しく、いじめられないよういじめられないよう腐心していた根性なため、とても虐げられることを快感と捉え直すことができなかった。



ここにきて急にグリーンエネルギーに転換する政策が始まってるけど、なんで前からやれなかったのかね。
EV自動車だ再生可能エネルギーだって政治が言いはじめて、というかバイデン次期大統領が最近の大統領選で言い始めてから。民主党是らしいリベラリティliberalityを掲げてトランプ現職大統領に勝利してから。結局は世界経済の中心たる欧米が主導した施策に追従するしかできないんだね、金が動く領域では。みんな=人口も頭脳も上のあちらがやるから我々もやる、なぜならやるのが得だから。そこに置いていかれずについていけば金が入るから。常に主導権は他者で、落ち続けた株価が上昇局面に入るのを確認してから買う(≠押し目買い。押し目を自ら設定して主体的に買うのとは違い、明らかに買い上がりはじめてからそれに乗る根性ってこと。)個人デイトレーダーみたい。そういう考えって、少なくとも高潔とは言えないというか、やっぱ卑しい意識があるよね。引け目負い目を感じる。身を守ることに特化したおこぼれ頂戴精神というのか、これまさに私の内面の投影。というか逆で、私を形作ったのが日本だから私が日本の投影ってことか。でも今や、そういう卑しく思う恥ずかしさとか人間の気高くあれとかいう前提ももはや古くて、ただ賢いってだけじゃん何が悪いのって言われそう。
デイトレーダーがここでいうところの高潔であるには、機関投資家に並ぶ程度の資本の大きさがなければならないじゃんか。つまり株価を動かす、潮流を作り出す側に立たなければ主体性を行使・謳歌できないじゃんか。それでいいのか、大きい方が正しいという価値観は



上坂すみれのやばい◯◯という番組にて、小倉唯さんの歌唱ゾーンの画が、まるで最近のcmがパロディにするアイドルのそれだった。
一昔前の、よくわからないけどザ・ベストテンみたいなライトに色付きのフィルムを透過させてカラフルな丸いスポットライトが床に点々として、その点は奥側は小さく、手前にかけてボワッと大きい。また床全体はやや淡いピンク色。画面が白くモヤがって異世界ファンシー。真ん中に一人立って人形のような服装と身振り、髪型、笑顔。歌は口パクぽく完璧。まさに完全なアイドル(アイドルのアイドル)の歌唱映像で、それを裏でやるのではなくあくまで表で・地でいくのが凄い。そのパロディcmがウケるってことはそれを表でやっても一定数には間違いなく問題なく受容される、という想定が計算されている。



日経平均株価は、東京エレクトロンソフトバンクグループ・ファーストリテイリングみたいなでかい会社の動静に左右されやすい。寄与度の比率が大大企業に偏ってるので、それをベンチマークにする投資信託などには注意。



ヤクルトにトライアウトから入団する宮台選手を東大出身・東大脳駆使と呼ぶ東大差別



ヤクルト・宮台、理想形“暗記”へ東大脳駆使しフォーム「言語化」(2021/01/12サンケイスポーツ記事の見出し)



(一部敬称略)



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