ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったことなど

(2020/02/04更新)


竹内涼真が出なかった。老化。



真っ白な雪景色をバックに、左手の人差し指と中指で煙草を挟んで写るばばあの信用度が高い



メディアにのった失敗談は自慢話の言い換えともとれる。確実に言えるのはそれは大概失敗ではないことだ。



夢で中学時代の合宿を思い出した。あれは違う。どんなに失敗しても、ああいう将来にたどり着く可能性のある道は選んではいけない。



女性を女って言うとなんか怖いけど、男性を男って言うのはそれほど怖くはないのは時代のせい?それともただ単純に不合理?両方?



国や企業といった大きい主体にとっては人数は多い方が理屈的にはありがたいはず。人が多い方が関わってくれる数が増えるから。あるいは規模のメリットがあるから。でもこの理屈・この仕組み自体は、ある一定の数に達したら人数を減らす、ような気がする。一人ひとりの個人としては、競争相手あるいは扶養する人は少なければ少ないほど一人当たりに充てられる時間や金は大きくなるから。大きい主体は人が増えて欲しいのに、主体に属する個々人は人が増えて欲しくない。この矛盾。
個々人にはデメリット、大きい主体にはメリット。個々人にとって人の増加がデメリットになるのは、個々人が人と密に関わるため。また個々人以外に人と密に関われる主体がいないため、個々人が人に対峙して一定時間経過すると、どこからともなくその人と密に関わる流れができるから。そしてその流れが道徳となって常識として根付いているから。例えば育児や介護は、個々人に委ねられる取り組みとして理解される。育児や介護は個々人の時間や金を消費する。時間や金を消費することは、個々人にとってマイナスな行為だ。なぜならそれらは有限な資源で、消費することで消えてなくなってしまうから。逆を言えば時間や金を消費する主体になることが、時間や金を使う幸せを得られる方法だから。しかも時間や金は、別の数多ある価値に代替可能だから、一般にそれらが消えてなくなるのは、おもちゃや食べ物など他の価値がなくなることに比べてショックの程度が大きい。
→①「時間や金を使って'あげる'ことが幸せ」という理屈になるにはどうすれば?あるいは具体的にどういうことが「」内の幸せを実現できる?
:たとえば性格。奉仕が好きな性格なら時間や金をある対象に使ってあげることで自分も幸せになる。他人に時間と金を使ってあげて嬉しくなる機会って、まず親子関係が挙げられそう。親にとって子に時間や金をかけてあげることで子が幸せになるのは嬉しい。それは、⑴時間や金をかけたことで子が将来自分に見返りをもたらしてくれるからという理由と、⑵それ自体が道徳的であり倫理的な行為として認められているのでそこに安心するからという理由と、⑶それ自体に幸せを感じられる(子(=他人)にありがとうと思われる、労ってくれる、健やかに育って笑顔を見せてくれると幸せになる)からという理由が挙げられる。
親からみる子の視点そのままに、子を別対象に変えられるか?つまり自分の子以外で⑴〜⑶を満たしうる対象はあるか?
…⑴や⑵は証券投資がある。⑶が一番重要ゆえに一番探しづらそう。⑶を満たすのはたとえば教員という職業。先生になりたい人は手っ取り早く⑶を満たせるからという理由も大きいだろう。ただ先生で⑴恩恵や見返りを求めるのは至難。
甲子園常連の監督になれば教え子がプロで活躍することで、その市場内の評価が高まる、それによって場合によっては金になるかもしれない。しかし親子関係ほど直接的な恩恵にはあずかれない。親子が直接恩恵を与え合う選択をするのは、❶一番手近な親密関係にあって且つ❷道徳的正しさがあって且つ❸クローズド具合が丁度いいからだろう。
特に❸が目を引く。めぼしい赤の他人に金や時間を使うのは際限がない。しかも理由を説明しづらい。なぜ彼らばかり贔屓するのかと問われ、「見返りがあるから、労をねぎらってくれるから、笑顔が嬉しいから」なんて言ったら対象によっては(ex.中高年男性→若い女性)速攻気持ち悪がられる。対して親子関係なら、それ自体で完全に論破できる。要するに、なぜ彼らばっかり厚くもてなすのかと問われたら、「それが親心だからよ」で一発(=道徳的正しさが浸透しているから)。
❶〜❸は認識の転換で乗り越えられそう。他人に納得してもらえる説明ができさえすれば、恩恵を与え合う関係は親子以外でもいくらでも成立する。対して⑴〜⑶は比較的実務的、ゆえに壁がある。⑴〜⑶を満たす関係を考えるところに戻ろう。
…業界の師弟関係。たとえば芸能界における上島有吉ラインがいい例。同じ事務所の先輩後輩の芸人の間柄で義理人情の価値を共有できれば、成長した後輩が先輩にお返しするというのも成立する。



続けざまに全裸監督やSEX EDUCATIONを鑑賞し、アダルトサイトへの罪悪感が薄まった状態でうう。安い人間。



2020/01/29、雲が少なく青が広い快晴が春の空みたいで憂鬱、また春が来てしまったという。折々に無意識に体感してきた、入学式を前にしたときの気持ちが、なぜか逆流してくる。懐かしさと、気持ちが視覚に与える影響と、心の健康の大事さを思う。
彼女が、燃え尽きる前の蝋燭の最後の燃焼みたいに元気だ。 ソファの上の声が、食事中の右隣りの声が、階段を上って寝室に入る前にかけてくれる「◯◯、お風呂入りな、おやすみ」の声が、ここ最近聞けていなかった何年も聞き慣れたいつもの声だ。生気溢れる声量だ。少し嬉しいが、しかし常に最悪を想定するマインドセットでは、残念ながら勿体ないことに、寂しさの方が圧倒的に強い。
変わっていく。



(手前の)主張を拵えようとして発する主張なんて無いと同じだよ。最終的には金になる、金のために拵える主張なんて。だからお前の主張なんてどうでもいいんだよ、主張すんなよ。主張に向いた性格の人に主張は任せて、お前は後ろでじっとしてろ。



コネチカットにさよならを』をiPhoneで鑑賞。
◯タイトル名と、何より最初のシーンを切り取った宣伝画の、カラフルな色々のグラデーションが綺麗なことに惹かれて観る。ユニクロの実店舗の中みたいな、服かタオルか何かが色ごとに壁一面に整然と並んだ様子が、単純に見た目好みで。パステルカラーではなく淡色寄りの優しいレインボーで。感覚に直接訴えてくる価値は強度が強い。
◯海外ドラマでよくある、相手の台詞を食って主張を入れる台詞は、間を持たせるためなのかもしれない、とはたと思う。それともあれが日常なのか。漫才みたいで、私にはありえない。いずれにせよ刺激的だ。
◯主演のおっさんかっけぇなー、息子もかっけーなぁ。だったら上手くやれんだろ、とのやっかみは何のためにもならない小言。そんなん言ってっから略
◯働かないとなぁとなる。



ガッシュベルの♪ちーっちちっちっおっぱーい の歌と、高校野球のアフリカンシンフォニーの大太鼓のリズムは合う



のび太のTシャツの黄色、明るい



謝りメールあるいは形式メールを送るのが得意



1人シコシコ×◯◯=大金稼ぎ



映画『ハウスジャックビルト』『Us』を連チャンで鑑賞。前者のが集中して見られた分インパクトが残る、スプラッター描写が前者のが露骨だったこともあり。後者は音楽が良かったな。でも総じて、商業的な作品ばかりに晒している目にとっては、両作の芸術性についていくのがキツく、苦痛に近い刺激を受けることになった。敷居が高いというか、頭使わないと見られないみたいな意識があるから、敢えてそのままぼーっと見る意識でいたら、碌な感想持てなかった。所詮大衆的な嗜好なんだよな、まあ。Us評したいつかのムービーウォッチメンの音源拾い聞いてびっくりした。「(通しで1回見ただけだとしても)何も気づけてないじゃん……!弱い弱い弱い頭……。」つって。
名画座の雰囲気を何となく味わえたのが収獲。ただ、革命が起こるのを求めて体験しに行ったその目論見は外れた。打算のもとの無作為な行動は悉く頓挫する。映画じゃないなと。やっぱり子供時代から培った素養や続く慣習は、どうしても否定できないものか。



カニ食べいこう、良い
食べいこうって自然に口にできたら
世には食べいこうを口にできる人とできない人、口にする人生としない人生がある



文明ってイイトコばっかで恩恵でしかないんだから、
ちょっとぐらい野次ったっていいじゃんよ



2020/01/31、彼女が1泊2日の入院から帰ってくる。腹水を抜くのみの処置。本来は透析患者の機器みたいなものを使って濾過した栄養分を体に戻すのだが、最新の処置から最低2週間空けないと保険適用にならないから、溜まったものを抜くだけになっているという。彼女と彼曰く、血液検査の結果の数値の一部が改善傾向にあり、また服用する薬が効いているようで、腹水が溜まって動けず辛かったここ1ヶ月余りに比べ、体の調子が良いそうだ。腹水が溜まるペースが少し落ち着き、利尿作用のある薬を変えたことで良くなったとのことだった。小康状態にあるのが、先週思ったのと同じで複雑な心境だ。今こう言っていて、何が複雑だ、と思う。彼女の体調が良いのは素直に喜べよ、他に何にもできないんだから、と。何を辛気臭く、ショック怖さから喜びの共有を拒んでいるんだ。何を思おうがお前にできるのは何もないじゃないか。潔く素直に残りの時間を過ごすのが、最善の、お前ができる彼女への奉公だろう?蝋燭の最後の燃焼、有り難い1日1日を焼き付けるように過ごそうよ。



公園好き
写真を撮ってGoogleに投稿し続ける人



I LOVE YOUってタイトルまだ使ってないや、ラッキー♪(松任谷由実の心象)



否定しない世界で否定をできるか
直感的に、線を引くことと我慢することは似ている



1980年生まれが40代という時期



海外の人、特にアメリカの男の資産家が書いた蛍光色の装丁の人生指南書もしくは自己啓発本ならありがたがりやすい
啓発の仕方を常に模索している人がいる。啓発にもファッションがある。



今オードリーのラジオを楽しく聴いてるあるいは聴けてるって、そこそこいい暮らししてるいい奴だよな



(敬称略)



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