ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったことなど

(2020/03/22更新)


夜に昼間に放送するテレビやラジオ番組を見聞きすると、簡易的にタイムリープ気分を味わえそう。やったことはない。想像では得してそうな気分になる。得してそうな気分。メタ。



不安、本当かどうかが。身体にどれほどの量まで入れて良いものか。など
モニター商売:金のない者が自分のプライバシー(ex.身体)を売って生きながらえる。モニターが職業になる。被験者ビジネス。
世の中に蔓延る商品を科学論文で証明
週刊誌主導で世が回る。週刊誌ジャーナリズムが流行る。



映画は湿っぽいばかり。
リアリティ以外のグッとくる価値、リアリティに匹敵できる強度を持った価値って何だろう。映画において。



濃霧の中の散歩はまるでおのれの頭の中を歩いているみたいだった。雲の上、あるいはメルヘンにも見えた。朝6時で気温12〜3℃とそんなに寒くもなかったからテンションが上がった。



インターネットの普及とともに人々の総括癖、パッケージ化、パキッとした美しさが賛美されて反対に不安定や曖昧への嫌悪に拍車がかかった?分断はここからも説明可?



詩:
多さが金銭的価値に換算されやすい、目に見える
価値はいろいろあっていいけどその反動もある
つまり少なさは価値がないと言い切られ、少なさは霧消し、無くなる
無くなったら価値がないことになる
でもそれは嘘だと思う
無くなったら価値がないとは言い切れない
だから同様に多さが必ず価値があるとも言いたくない
例えば満足が価値の一基準だと認めてくれれば、直前2行の主張は理解できるだろう
満足しないことは野心家に必需だが、そのお陰で殺しが始まる
エゴの台頭
満足しない意識は満足する人を殺す理由にはならない
満足が価値の一基準だとしたら、満足しない人は価値を知らない人になる
それはダサい
「ステイハングリー、ステイフーリッシュ」
居ることは説明できない
ステイハングリーであれ、を聞いてステイハングリーにはなれない
それはファッション
ファッション
ファッションがエゴを焚きつけて、殺しが始まる
ファッションで腹をすかすのはダサい
ダサいファッション
イケてるファッションにして、例えばアドゥアケチみたいにクールに
ステイフール
「」は付けない、口にも出さない
嗾けることなくクールに
ステイカルム
無理して字数合わせない
腹八分目で寝起きがいい



焚きつけの嵐
嵐であれば焚く火はすぐ消えるはずだったが、焚きつけの嵐が元々人工的だったので嵐と燃焼が両立するのだった



芸能人は大衆を相手にしているのに大衆とフィジカルな接触を拒む。ワーキャー言われるのが疲れる、TPOによっては周りにも迷惑、矜持「そんなこと言われるためにやってるんじゃないんだ」などが主な理由。メディアを介してしかその身を確認できない存在たる芸能人。その存在は多くにとって身近であるほど価値がある。多くの人目に触れられたくて、一方で身体の接触は必ず避ける。そんな身の振り方が理想とされるのが当たり前だったことが、今歪に感じられた。ソースはオードリー春日



父親がここ2週間ほどずっと家にいる。もちろん理由は問わないし、問いたくもない。そもそも身分からして問えない。もう近い、とのメッセージを一方的に寄越すかのように毎日料理を作っている。
じれったい気持ちはない。恐ろしいことに、どうやら私の中では時間が止まっているみたいだ。何かが違うとわかっていながら、この時が続けばいいと思っている。踏み出す必要に気づきながら、着実に動いている足下を/着実に進むdisplacement(変位)を無いものにしている。時折聞く笑い声が夢うつつを有耶無耶にする。雪崩の瞬間を待っている。



具体的になぜかを問わない癖が身にしみているのを自覚する。文を作ることで初めてそれの理由に気づくことが多い。
出来事Aをメモる段階で、Aに対してその時点で頭に浮かぶ最右翼の理由B、また場合によってはCやDは、いくら読み書き下手でも思ったこととして文字に起こす以上、最低限触れずにはいられない。それはパネルディスカッションやらディベートやらの前に敵からの口撃に備えていくつもの回答を用意する義務感に近い。私としては元来苦手な用意周到を拵える作業。それも理由は結局のところ相手をぐうの音も許さず言い負かすため、といういかにも国会的な、つまらなく未熟で、不遜で、空虚で、不穏で、愚かしいそれだ。そう考えると憎らしくなって気が進まない書く行為なのだが、実際は戦場に出向いて敵に相対し口を開いて発声するわけでもなし、一人でしこしこやるだけだから我慢できる。しかも事実、巧妙な仕掛けが施される精緻な物語を眉間にシワ寄せて書いているわけでも、またそれを書こうとしているわけでも、さらには読者がいるわけでもない。だから今の分では、理由を書くことで国会に召喚させられるみたいに神経質にはならない。



スマホで文章を作ることを「文章を書く」と言うのに違和感があるということを他人に披露するために、スマホで文章を作ることを都度「書く」とは別の言い回しで逃れる、みたいな思考をやめたい。ダサい。ネタが小さいことに気づかないのと、披露が前提なのが、ネット人的不健康。



母が毎週楽しそうに録画した民放ドラマを見ている。いつかの池井戸潤ドラマのときと同じで断片的にシーンを見ているので評する資格はないが、相変わらずセリフが説明的なメロドラマで都度ドン引いてしまう。
そして次の瞬間、これは新発見だったのだが、安心する自分がいることに気づく。つまりこんなに市場経済が発達したとみられる現代にもまだこれほど明らかに(私的に)キツい作品が流れているんだという安心。それで、余白が残っているのかもしれないと思う。バラエティ!さながら昼のつまらないFMラジオ番組をたまに無性に聴きたくなる現象にそっくりだと思った。



私と鰐と妹の部屋

私と鰐と妹の部屋

  • 作者:大前粟生
  • 発売日: 2019/03/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
大前粟生著『私と鰐と妹の部屋』を読む。
重量と内容2つの意味で比較的軽い本だった。(内容が軽いとは字数が少なく読みきりやすかったという意味。軽い≠内容が薄い・つまらない。むしろ濃い。面白いかは一概には言えない。)だが、例によって字を追う作業に気が向かない怠惰がキマって間を空けて読んだので、直前の記憶ばかり鮮明に残ってしまっている。要するに前半をほとんど忘れてしまった。感想文を書く前提で本を読まないからこれは仕方ない、と言わせてくれ。印象は残っている。前半は装丁の絵を見たままの素朴で朗らかな文章だけど、読み進めるうちにだんだんと不穏な空気が立ち込めてくる、そんな全体だった。ああ、当作品をざっくり説明すると、掌編の小説というのか詩というのか、それら文章のコンピレーションの様相である。各文章は長くて3ページ強、短くて3行くらいのボリュームだったと思う。
ラスト数本は全体平均より文章が長めで、かつ言葉選びからも他に比べてあからさまに示唆的な内容なのがわかるものが多かった印象。17回目の雷の話、息子を肩車する親父の話、忍者の話、サメ友の話、星を黒く塗りつぶす話、そして最後の土を上に放る話。意味がイマイチよく分からないものも少なくなかったなか、これらの作品は本を読まない私にもそれぞれにそれぞれの魅力を放ってくれた。
前者・よく分からなかった作品はメモらなかったから忘れてしまったが、なんとか今思い出せるのは『シェルター』というタイトルの、お父さんが自宅の庭に掘って作った防空壕みたいなシェルターに1997年から2016年(確か)まで入り続けてそのまま死んだ話。「メディアから受け取るときに煽りにも似るメッセージを、個人が政治的な行動に反映させすぎても、人生あまり楽しくならない(ときがある/ときが多い)」ってことを言いたかったのかもしれないが、個人的にはあんまりだった。他にも分からないのは十分な数あったが、前述の理由で覚えていない。また当方にネガティブキャンペーンを張るほどの読書経験も文才もやる気も覚悟も根性もないからしても、また仕事でもあるまいし、ゆえにカッコよく批評する義務や責任など生じないことからしても、割愛するにふさわしいと思う。
後者の方で特に挙げたいのは、やっぱり最後の話かな。シンパシーとライフハック感覚を覚えた。あとつい先日読んだ『ウォッチメン』のオジマンディアスの所為も連想したなぁ。シンパシーは同情と共感。似た問題意識があったから。ライフハック感覚というのはつまり、生きていこう、やっていこうといった前向きな気持ちになる方法といっては大げさだけど、そういう気持ちにさせるように仕向けるおのれとの向き合い方みたいなものを希望を持って提示していた風に読めたということ。上には挙げ損ねたがトカゲと姪の話にも似たような感慨を覚えた。オジマンディアスについては言うに及ばず。壊しちゃ、いかんくないかな、いかんのよ、続くのよ、っていう。ああ野暮天さま。



電車の車窓から見えた、山を背負った掘っ建て小屋で光った溶接のピキピキ、火花散る。あれをやるんだ。



惣田紗希氏のお仕事を偶然にも続けて目にする。とんちこんぴvol.1のデザイン(着色?)(イラストは確か別の人の名前があったから)と、私と鰐と妹の部屋の装丁。良い。
(参考:とんちは世界だ!: とんちこんぴ発売!!,『私と鰐と妹の部屋』 大前粟生|日本文学|書籍|書肆侃侃房)



夢:くりぃむしちゅー有田がなぜ大学入学後茶道部に入り茶道部をやめ、上田を誘って大学をやめお笑いの世界に入ったのかを、しゃべくり007のひな壇かのごとく滔々と語るボケをキメた



「レモン◯個分のビタミンC〜」って、そんなビタミンC入ってないんじゃないの?って気にさせる。だってレモンよりビタミンC入ってるものなんて別にいくらでもあるじゃん by宇多丸



夢:陶器の便器を車で持ち出して、催し、おトイレon the 車道。開放感があるも流石に交通の邪魔にはなったので移動。おトイレin 野外、厳密にはon the 歩道。近隣の中学校の生徒が大掃除か何かで学校用具を校外に運んでいる様子がある。学校関係者または生徒に話しかけられ、答えを言いよどみ、公然わいせつ罪で突き出されるのが急に恐くなり、その場でない頭をフル回転させ思いついた、そのトイレを学校に搬入する業者的役を演じることにする。ペーパーで拭く余裕もないのでそのままパンツとズボンを上げ、尻を締め、学校へ向け持ち運ぶ。おトイレto the school、名も知らない。幸いにもトイレの陶器をキャスター付きの台座に乗せて運ぶ生徒の姿が見受けられた。校門の前、それから校舎入り口で2人一組になった彼彼女らとすれ違うとき、「大丈夫ですか」「手伝いましょうか」などと問われる。よくできた生徒である。が、ここで頼めば会話の危険を自ら手繰ることになる上、何より拍子におトイレの中身に気づかれるのが怪しまれる最短ルートであるのは台本の段階で折り込み済みだったので、さらっとかつきっぱりとしたニュアンスが伝わる応答間隔の短さと声量で、もっとも/ただし自然を装う意識は忘れずに断る。
校内に侵入しても、夢らしくなぜか怪しまれなかった。また明らかに業者役として生徒らに2度話しかけられたのも良いことに、怪しまれないことを特段怪しまない認識で落ち着くおのれ。恐ろしや。
校舎内に侵入する。やはり大掃除中らしく職員玄関前の廊下にも制服の若者中心に人の往来が多い。どうしたことかと案じながら、起きる。
いくらなんでもこれは都合が良すぎる。引き返さない限りバッドエンドだったろう。自殺しないのなら責任持ってバッドエンドを見届けろよ、おのれ!
いや、これは自殺の感覚、特に中高生のそれのリアルな感覚だったのかもしれない。つまり想定した最悪の前に物語がぷっつり終わるということ。やばい。簡易自殺熱が高まりそうだ。もう動かなければまずいとの暗示か。
p.s.
おのの命を簡易的に済まさないために体を鍛えたり、叱られることの正当性があったりするのかも。困難aka課題に取り組む大事さ。なぜかを忘れる没頭の意義。



夢日記家」と聞くのは、たとえば「若手飲酒シーン」なる語を聞いたときと同じ感慨がある
(参考:https://www.tbsradio.jp/430597)



アニメ『ダイヤのA actⅡ』第35話を見る。
滅多にアニメは見ないけど、だとしても何がこんなにつまらなかったんだろう。というわけで、以下この話だけを見た感想を箇条書きした。頼まれもしない限り決してやったことのない類いの作業だが、せっかく見て抱いた感情なので敢えて言葉にしてみることにした。暇に飽かして。
•絵が動かない&古いタッチで単調。音を消すとはっきりわかる。今までで唯一追っかけて見た野球アニメである『メジャー』、それで見た人物造形と変わらない印象。ただ、所々に挿入されるバッターのフォロースルーやスライディングの絵、ピッチャーの投げ終わりの絵などプレー中を切り取った絵はリアルだった。手首の角度、腕や足の伸び方、肩や腰の位置など各選手の体位がまさに報道写真で見るように忠実に描かれていた。
•アニメーション的効果や音もあんまり代わり映えしないような。試合のダイジェスト、ナレーションが始まったのはビビった。毎週の更新、そして他作品との兼業に次ぐ兼業で仕事なさっていて忙しいのが目に見える。
•絵が静的だから必然会話劇になるんだろうが、これもメジャーみたい。セリフにおける現実離れする距離もメジャーと同等。
•正直主題歌がダサい、特にED。
•「経済的に恵まれないアメリカチームを日本に連れてきて東京代表と試合する」っていう小要素は現実に提供しうるフィクションなりの新しさだと思ったが、それ以外にめぼしい収穫、特に新しさは発見できなかった。
•第35話に関しては全体、既存の野球ファン(≒(元)野球従事者≒野球アニメファン)とダイヤのAファンを囲う用の内容だった。とても下品に、でも端的に言うと当該層のオナペット用の内容。よって初見さん並びに非野球ファンはお断りと断言する出来栄え。この話を見てまた見たいとは思えなかった。



ニヒリズムに逃げない byシネマハスラーインビクタス』評より宇多丸



プロ野球選手の自主トレに参加同行するアマ選手やアマコーチやアマトレーナー



小学生以下無料のスタジアム観戦
家族割、学校割、会社割、パリーグTV登録者割、アンケート・モニター割など、所属団体や所属共同体単位で売り出す。買いたくなるモチベーションを上げる。さながら携帯電話を買うときみたい。



タイトル案:詩 青空無駄遣い
2019/11/29ここは青の下。



血が沸騰するような興奮 by高橋ヨシキ



素っ頓狂な発言がウリであることを当人が自覚した時点で、完全なノンフィクションにはならない。本人演出が生じてしまう。これはやらせなのかい。これを認めないとバカは一人一発までしか使えないカードになってしまうけど、いい?自分の面白さに気づくのが悪いことなわけは
おバカタレントが自身のおバカ発言に対して「あれわざとだよね?」と聞かれたさい、
「わざとです」と答えれば、やらせを肯定するのか!と燃え、「いやいや本気ですよ〜」と返せばバカなことを省みない尊顔とバカキャラに味占めてんじゃんと口撃される隙を見せることになる。結果的にバカキャラ疑惑を問われた時点で負け、みたいな。肯定しても否定しても、沈。



刻む数字目にするのがやたら44で滅入るよなメンタル



目に見えるだけで目に見えない
目に見えるだけど見えてこない by電気恥ずかし



与えられるものが多すぎて
齟齬をきたしている
与える先を草だと思って
最後にゃ農薬撒いときゃいいと
歪みを直すには
倍返しではダメだ
新しい気持ちよさを拒むものよ



夢:我慢できず、母親の手を握り泣く。弱い。



人と接しなさすぎて後部座席の助言さえ異物に聞こえてしまう
隔離病棟の無菌消毒された部屋にいるのと(今の生活が)同じことの証左



思いつきで始めた絵しりとりは今週いっぱいで終、来週末に消すことにする。著作権侵害の訴えを恐れた。



来週・来月・来年なる言葉が怖い。口に出したくない。理由は迎えたくない、考えたくもないから。明日は目近すぎて認識しづらくあるので大丈夫。ただ、大丈夫なことは怖いと思う。一引きこもりのヴァイブス、その切り取り。一般かどうかはわからないが、私感では典型だろうと推察する。



(敬称略)



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