ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったこと

新しいものを見たらすぐおしっこ引っ掛けちゃう、アルチュールランボーみたいなパンキッシュな性格の犬



夢:死んだ仲間を切り刻んで弔う方式の世界。放課後、指定の部屋に弔いに行くことを頼まれたのを無視して帰ろうとするが、女子に呼び止められる。気が小さいからそれを振り切るタフさもなく、うだうだする。結局教室に戻って死体を抱え、小金沢君付き添いのもと弔い部屋へ向かう。肉は思ったより温かいが、少ない知識からか、徐々に固まってきている気もした。
到着し、引き戸を開ける。長方形の木の机は6人がけ用の大きさで、座布団が敷かれている。
部屋はいたるところで弔いが行われているのか、どこの席にもまばらに人がいる。わかめやキャベツのような草系の温野菜と肉団子のようなものが平皿に並べられている光景を前にして、萎える。



手の残る玉ねぎの臭いが、乳幼児のおむつの中のそれに近い気がする



夢:東京03のような3人組のコント集団に加わる。戸惑いながらも受け入れてもらったことに嬉しくなる。



顔面を鏡でのぞくにつけ死にたくなる。身だしなみとかのレベルは10年以上前から優に超える、治らない汚さ。倫理に反するハラスメント案件。死にたくなるのでまた暫く見ない。



小学3年〜4年くらいの頃、30歳くらいになったら他人の肉体に精神が乗り移ってこの命は終わり、全く別の人間として再スタートを切れるんじゃ?と思ってた。
自分に飽きる



久保建英選手、白いポロシャツが似合っていて良い



人見知りとか、人と人との摩擦が怖いとか、なんか古い



土曜日の日中、ポロシャツを着た父親と子供が何の気なしに外を出歩いているのを見て、悔しい。



Twitterにて、食べるサラダという名前のアカウントのツイートを過去3週間分ほど眺めた。
芸能が好きなことがわかるアカウントで、geekな見方というか尖った見方というか、週刊誌の記者になれそうな見方で芸能に関するツイートをよくしている。独特な見ごたえのあるツイートは、決して気分がよくなるものではない。また決して気分が良くならないアカウントを運営していることを嘲る態度も、無論、忘れずにツイートしている。ヘラヘラしながら写真週刊誌を読み、ワイドショーを観、楽しんでいる。正直キツい。キツいとはつまり醜いということ。何が言いたかったのかと言えば、佐久間宣行氏が(ラジオのHP用に撮ったのだろう)上を向きながら口を開けてガハハハハとしている画像を一見して、広く芸能なんて水商売の薄汚ぇ世界で褒められるモンじゃねえな、何が感謝努力謙虚だ、戦後の闇市の写真を見たときみたいな気持ちだ、こういうのも含めて公衆なんだな人気商売は大変だ、などと思ったというまたしてもつまらないこと。



Twitterも、前略プロフィールmixiを振り返る目線とおんなじ目線を使って懐かしがれるモンなんだろうな〜とか思ったら、これ言うのは恥ずかしいけど、今一生懸命親指上下させて目動かしてんのもやっぱりくだらねぇな〜と思う



ちょうど下ネタを話している深夜ラジオを聴いているのを事故的に親に聞かれたことを恥ずかしいと思う自分が恥ずかしい。思わず「死ね死ね死ね」と連呼したり、あ"ーーーっと両手で腹を引っ掻きたくなる自分が恥ずかしい。24にもなって、親、みたいな。すると、年齢なんて関係ないと言いながらも年齢で行為の良し悪しに線を引く一般的な考え方に頼って言い訳をする自分も恥ずかしい。息してるだけで、恥。



享年25



「森保監督 J→海外移籍 「良いこと」」(LINEニュースのキャッチ 原文ママ)



人を従えれば従えるほど良いビジネス・多くの人に認められるほど儲かる、という仕組みがきちぃ。芸能ゴシップが大好きな人の生活すら愛するのは、個人的に限界がありそうだから。嫌いな人にはできるだけ喜んでもらいたくないという。
人権意識とか個別で人間をとらえる第二次世界大戦以降主流の価値観は上のビジネスモデルと相反する。私が念頭に置くビジネスの対象は、漢字の「人」ではなく、カタカナの「ヒト」でないといけない。これがビジネスパーソンを決して心からは愛せない理由の30%くらいを占める。
Q.愛は有限の資源か、を忘れられない。
人の全人格を愛する(≒〜小学4年頃まで無意識のうちに親に向けていたような信頼の眼差し)というのはいよいよ不可能だが、なるだけシンパシーを感じられる性格の世界に身を置くのが賢明な判断だとするなら、ビジネスパーソン全般が嫌いだから会社に入りたくない・スーツ着て就職活動がキツいという道理は合っている。しかし、そんな親和性の高い世界が無いor見つけられないのなら、人格を分割して、ちょっとずつ色んな世界に出入りしてはつまみ食いをする鼠のような稼ぎ方、深くに立ち入らない人間関係の築き方が最善と言うほかないのではないか。だとするなら、会社に入らないという前提は崩さなければならない。選択肢が多いことが幸せな気分と直結するということは伊勢志摩で学んだはずだ。現状を有難いと思い込むのは不正解ではないと信じたい、また死ぬまでの間不正解に転じないことを願う。



金縛りって、脳は起きてるけど体は寝てるっていう生理現象なの初めて知った
kwann05/03/2011



夢:高校の部活のチームメイトに悩み相談の約束。寂れたゲーセンとか飯屋とか、田舎のイオンの30年後の様子みたいな所で自由行動をしている。



「電話したんですよ、したら出ないんですよ
(電話)切った後、暗〜い俺の部屋にこだましたね、出ろや!」kwann11/3/2011



(敬称略)