ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。最近は思考の断片の記録と化しています。

今週思ったこと

黴や埃で黄ばんだ青や白や紫がかる橙色がふつうに綺麗



こんな世の中だから、国や企業の恩恵を私個人が受けるからという理由で支払う税金や代金、払ってばっかじゃキツいから、その反対も主張してもよかろう。つまり人間あっての営利活動だろう?だったら生きててくれてありがとうキャッシュバックでもせんかい!ってね。
→世界を股にかける経済覇権国の企業(ex.GAMFA)から、文系の個人がおぜぜを頂戴するには?
……1投資(株式やせめて信託で) 2想定される使い方とは違った使い方をするなど
3

8国による再分配を期待する(他人頼み)



悪い人生を考えようのコーナー
生まれた瞬間すぐ死ぬ
死刑囚になる
加害者意識が消えないまま70年生きる



タイトル案:明るいぞ老年



何でほんとは働きたくもないのに、所属する会社の維持存続に腐心しなければならないのだろう。無理矢理感が凄い。(ex.ミズノが「野球人口増やしたい」)
→解体できないのかな。或いはEXIT売れないのかな。或いは個人レベルでは外でられないのかな(辞められないのか)。



中華料理はいつ誕生したんだろう
もし誕生してなかったら、今同じように誕生するのかな。一帯一路の中国で中華料理を誕生させられたのかな。



行くところまで行く不況になると、たとえば食べ物なら、パッケージやロゴがなくなった何の絵柄も商品名もない袋に内容物だけ詰められて、ドローンで家まで運ばれてくる。ないしは近くの公園に移動スーパー的なノリででかいドローンが降り立って、地区くくりで集められた購入商品を各々に持って行ってもらうようになる。便利は不況の裏返しなのかもしれん。(少なくとも今日本は不況だよ、従来の不況とは違う世俗的不況。)
これまでのスーパーや八百屋やコンビニに行くように実物を見て物を買わないから、実物にして差別化しなくていい。実体化させなくていい。その分コストが浮くから、ネットで買って家に届けてもらった方が見て物を買うより安く済む。
コマーシャルは仮想現実の中(インターネットやテレビ)でのみ行われるから、パッケージの箱や袋に実際に商品名をプリントしなくても嘘つかなければ倫理的・法律的には全く問題ない。
3Dプリンタの使い所は?→一般には趣味や芸術の方面で。特殊な使い方は兵器作りとかロボット作りとか。
→実物や所有は無駄で意味ないの?実物にはどんな価値?→所有権を主張できるから、その物が人に求められるようになったら金になるものになる。



種々の契約を結ぶ煩雑さを代行する会社。……物を借りたり貸したりすることが主流になり、何もかも契約を結ばないといけなくなった。一々定款なんて見てられん。書類の用意も面倒。だからやってもらう。
具体例…◯家を借りるときに、それに合わせてこの会社が他の必要になろう契約(車や電話や引いてくる電気の種類やいきつけの飯屋まで)を提案&選択してもらう。◯地域毎、個人毎にインターネット上で契約をサポート。上記の家を借りたり買ったりする人に提案する要領と同じように。AIを使って最適化、人件費等コスト削減。



誰が音楽は産業と言った?artの語源はarsだよ。生きる種、術、証。



加藤廣 加藤鷹 空目



これはまさしく
届いた赤紙に心を決めて
盛大に祝う準備もしてたのに
検査に引っかかって従軍できず
お国のためにならなかった男の肩身の狭さだね
例えに使うにはあまりに近すぎるから
こりゃ多分只のしくじりだけど
できることはこれだけ
回収されるのを祈る

いつか、できれば早く
狭さだねを掴んで振り回しながら投げる遊びを
小学1〜2年生がやっていたら最高



いわーいのフリートークたのしい



小6から中1くらいの疲弊の仕方で疲れた



ビオトープ(独 biotop)という言葉を聞く。
復元した小規模な生息空間。



仲間と徒党を組んでポイント制度作ることによる客の囲い込みって、ブロック経済とは違うの?違うとしたらどんな結末になるの?



野球とは、日本における保守系のスポーツの一。ゆえに斎藤佑樹藤浪晋太郎もクビにしてはだめ。



冷静な客観的視点を身に付けたい。それが真理を味方にするための最も単純なやり方だろうから。真理が個人に味方しやすい、只今は大衆社会。修養。修養する方法。



夢:アメリカのカウボーイが出てきそうな暑くて乾燥した場所にドライブ。黄昏時まで。そこにはオアシスのように馬鹿でかい商業施設があり、身辺黒そうな人も出入りしている。そのせいか、検問所のような入り口には屈強な男が1人が、バックヤードに同じ体躯の男2,3人が待機していた。私はここに何をしに行ったのか覚えていないが、怖気づいたのかその施設の中に入った覚えもない。車の中で時間を持て余してのち、今度は某駅近くの美味しいと評判の寿司屋に行く。道中桜並木に蕾が膨らみ始めているのを確認する。4分咲きくらいか、と思っていたら、なぜかここから乗り合わせていたPUFFY感のある女が「6?7分咲きくらいかなぁ〜」と発声したので、押し切られるかたちで認識を改め3分上増しした。
そうこうしているうち目的地に着いた。寿司屋は切符売り場や改札すら見える位置にあり、駅を利用するサラリーマンらが土産用に買ったり一杯やったりするなどして重宝しているのが、同じみてくれの出入りする様子から察せる。引き戸を開けて中に入る。中は駅近ゆえか気持ちこじんまりとして、カウンターやテーブルで食事をできるのは3〜4名と1団体程度だった。一杯やる猿もいるにはいるが皆各々個人で静かに楽しんでいる風で、予想がいい意味で裏切られた気がした。入り口からまっすぐ数歩歩いた先に会計兼土産売り場がある。
我々はこれを買いに来たのだ。俵形の大きないなり寿司。山菜類や牛肉が入った具沢山のご飯で、1個でも十分食べ応えを得られるそれ。評判らしいのでわざわざ車を走らせて買いに来た。だから並んでいる。他の猿のほとんども全く同様の魂胆でここの暖簾をくぐっていたのだ。食い物に並ぶのは癪に触る行為で大愚人と常に思っていたのだが、この日は怒りは湧かない。相応の労力を費やして辿り着き、しかもこうなることを想定した上でなおあのいなり寿司を食べたい!と思ったからだろうと推察できる。つまり普通に食い物に並んでいた。店員さんが能率的で有能なのか、愚行とみなされることとは思えないほど時間は矢継ぎ早にすぎ、早々に我々の番が来て、注文する。確かいなり寿司3つ、持ち帰りで。作り置きではなかった気がする。
肝心な食う前に起きる。(いやそれとも味音痴が祟った結果なだけで、食べたことは食べたけど記憶には残っておらず、残ったのは食べるまでの風景しかなかったという何の味気もない落ちなのか。兎にも角にも食べたことは露聊かも覚えていない。しょうがない。)



今日2019/03/11、まだ8年。いやもう8年。1,2,3,4,5,6,7,8年。



(敬称略)



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