ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。加筆修正ばかりします。

(889字)♪おくすり飲みたい⤴︎(オトナの抹茶味)

一.
世の中にはありとあらゆる価値があるだろうに、私は、新興の技術の成果の一つである機械の、ツルツルした表面をなぞることに数年を費やした。結果心に残ったのは、文字と動画の複製技術の流行りに乗ってできた機械を生産する団体に、その規模の大きいことだけに由来する独善家の疑惑を晴らすために、宗教団体の公認を目指してほしいという願いのみ。




二.
大きくは、皆、踊らされている。もっと言ってしまうと、踊らされるしかない仕組みの中にいる。

踊らされる立場、躍らせる立場、踊る立場。大体この三つの立場で身の上を規定すれば、人一人の幸不幸の物語の一つくらいはカンタンに作れる。

一つ言いそえるべきことがあるとするなら、それは、実際の人の立場なんてひどく流動的で、現在地点をはっきり指差せるもんじゃないということ。物語はフィクション。現実、そうは問屋がおろさない。

追伸でもう一つ思うことは、立場は表裏一体で、見方によって見え方が異なることもしばしばあるということ。典型例は「見物人≒評論家」。見物人や評論家は、その性質から、対象に従属する立場という見方、もしくは評論"家"と名乗れるほどの評論は広く受容されてこそ成り立つという見方では、踊らされる立場(前者は評論対象に、後者は(大)資本に踊らされる立場)と言うことができ、また評論対象への働きかけが成立すれば、躍らせる立場にもなると言える。自分が気持ちよければ、そこに踊る立場も書き足せる。こう考えると、立場を形づくる面は、往々にして表裏の二面だけにとどまらない。



三.
「踊らにゃソンソン」という考え方があるだけまだ幸せなのかもしれないが、踊っている自覚がいくらあっても、それだけでは現世では生き延びられないんじゃないだろうか。ここが不幸に繋がりうる。つまり踊るだけでは幸せにはなれない🦆ということ。

要するに、私は現在猛烈に踊らされるフロアに足しげく通ってもいる立場、と自分を説明できる気がしているが、一方でそこでは、

  1. LSDでも使っているかのような幻覚がみえる
  2. 自らの意識をまるで感じられていない
  3. やみやみつきつきになるなる

というところにゾッとする、という話。



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