ひまじんのいまじん(仮)

息抜きに呟いています。テーマが一貫していません。

誰に祈って救われる

HAPPY

HAPPY



らの作品は、淡々としている日々に、丁寧にそして慎重に彩りを施してくれることが多い印象です。ときに優しいときに攻撃的な、またときにはクリエイティブに刺激的な"音・バンドサウンド"と、作者自身の考えをなるだけ妥協なく織り込まんとする矜持が垣間見える、升とのコミュニケーションを図るための"詞"の両輪を互いに感化させあって、一つの中毒的グルーヴをまとう"音楽"という表現を成り立たせている彼らは、王道をいくミュージシャンなのではないか、と言いかけましたが、いやむしろ大きくはこのようでなければミュージシャンではないとも言えるかもしれないと思いました。私は少なくとも、彼らはミュージシャンだと思っています。

そして両輪を駆動させるエネルギーとして欠かせないのは、バンドメンバー一人一人、言うなればそのガラス玉一つを動かす人間性、これにほかなりません。他者への思いやりや謙虚さは、彼らの音楽、とりわけ詞にも深く影響しているとみえます。藤原さんの詞に惹かれる、というファンの方も多いと思います。私もそうです。最近詞を聞くことをおぼえました。

"義理人情"は、彼らの母校・臼井西中学時代の理科の先生、関本先生の口ぐせだったそうです。いつかのpontsuka!!なんかで聞きました。たいそう口当たりの良い、綺麗事なお言葉とおエピソードなことって感じですが、実際この言葉、けっこうバカにならない実効性を帯びているのは認めてもいいところなのではないでしょうか。というのもそれら綺麗事を、彼らが、そして彼らの作品が反映しているという点から、今のところはその言葉を実証しているように感じる人間が、ここに最低一人いるからです。彼らの社会的な立ち位置とか、ポピュラリティも担保になっています。そう言い切っても差し支えない範囲だと思う。先生の言葉が、意識無意識に関わらずどれだけ彼らの運動に影響しているのか。それは本人達に聞こうが聞くまいが完全にはわかりません。というか多分、彼らにとってこの言葉など、自我が芽生える思春期のただ中にあったことを考慮したとしても、それほどのものでもなかったんじゃないかと思います。中学校のこの手のアレは聞き流すのが常套です。
ここで重要なのは、その言葉に実効性があったかどうかを正しく検証することではないんです。要するに、彼らが関本先生の義理人情の言葉をモットーに作品を生み出してきたのかどうかを判定することには、あまり意味がないんです。先生に影響を受けていなかったとしてもそれはどうでもいいことで、問題は別にあるんです。つまりここで言いたかったのは、言葉の力、威力です。人と人は大抵コミュニケーションのために言葉をメディアにします。相手の意思を言葉で理解するばかりになれば、たちまち言葉への依存のはじまり。対人関係において相対的に言葉の意味合いが強くなります。義理人情という言葉に感化されてその世界観を完全に飲み込めば、ウォール街で幅を利かす人生はその瞬間、選択対象外になるでしょう。自分の発したふとした一言や会話の一節、あるいは詞の一部が、流れ弾として相手の心のやらかいとこに命中したら。言葉たちが時間帯や環境によって自ずから意に反する解釈に変容して、相手を血まみれにさせていたとしたら。これいかに。この意味で言葉の力は強いなと思うわけです。

言葉の力、クサいですね。でも、たとえば。2週間日夜休まる間もなく罵詈雑言を浴びせられながら、尋問にあう状況を想像してみてください。どうですか。あなたは自分の正義、あるいは真実に反する誘導を拒み続けることができるでしょうか。勿論あなたが精神的に強くて、なおかつそれに対抗できる知識を持ち合わせていたりすれば、たった2週間、飯も食えない眠れもしないわけじゃないんだからと、正義を貫くことや黙り続けることは簡単かもしれません。でも私は自信がありません。他人や身内を引き合いに出されて上手く揺さぶられたりすれば、速攻コロッといっちゃいそうです。あなたがたとえ言葉に負けない強さを持っていたとしても、私一人でも言葉の力に屈することがあれば、言葉の力を証明するのには十分です。

話がこんがらがっています。おかしいです。くどいし。ちょっと宗教色も滲んできている気がします。そういう意味でも言葉は怖いですね。暴力的です。言葉数が少なければ少ないほど鈍器は硬くなるし腕力は強くなります。だから綺麗事を並べるだけの一筋縄ではいかない場面では、説明が必要なんだろうと思います。アカウンタビリティ(accountability)てやつです。

ところで人間性とか謙虚さって便利な言葉ですね。易きに流れていますがご容赦ください。





HAPPY - BUMP OF CHICKEN

BUMP OF CHICKEN『HAPPY』





話休題。解釈それらはいろいろありましょうが、以下が最近改めてこの楽曲を聞きかえした際の感想です。カンタンです。

愛しい空っぽ」を自覚したとき、それはきっといつまでたっても満たされることのない容器になるだろうけれど、この作品を通して、空っぽであること・つぎはぎであることはひどく人間的で、容器が満たされることがゼッタイの真理なんてことはないのではないかという思いに至りました。

加えてただ一つ。

終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる(克てる)

ここはまだ、実感の湧かないところです。望みをうたっているのかもしれません。

以上です。

それにしても、ああ、もう7年が経ちますか……。でも不思議と色褪せてる感覚は覚えませんでした。幕張いこうかなァ。











にほんブログ村


にほんブログ


にほんブログ村 大学生日記ブログへ
にほんブログ村



にほんブログ村


にほんブログ村
最終更新170611




















postscr/pt
[http://www.nicovideo.jp/watch/sm10679798]